この秋は、コロナ禍で延期されていた
ドキュメンタリー映画「いのちの音色」の制作に集中していきます。
追加撮影がさらにまだ少し必要ですが、
すでに撮影を終えている
膨大なデーターをさらにもう一度見直しながらの日々が続いています。
本日は、アオギリの語り部と呼ばれた広島の被爆者・故沼田鈴子さんと一緒にマレーシア、中国、韓国などアジアの国々への慰霊の旅をされた画家の吉野誠さんのご自宅を訪れ、以前撮影させていただいた時のインタビュー動画を何度も見直しています。
広島県内の公立中学校で美術教諭を務めておられた吉野さんは、平和教育にも力を注ぎながら画家として活躍されてきました。吉野さんは1933年生まれで、1944年の11歳の時に一家で開拓団として旧満州に移住しました。翌年1945年8月15日、敗戦後の生き地獄のような日々を経て帰国するまでを語ってくださっています。
吉野さんの絵画によく用いられている白や灰色は、
死者の骨の色をイメージしています。
作品に描かれている破られた紙は、
紙切れのように粗末にされた命…。
アルミアートの創作でも知られている吉野さんは、
捨てられた缶に旧満州で命を落とした開拓民の姿を重ねながら、
生きるか死ぬかの日々の中で見た夜空に浮かぶ月の光を
アルミ板の光とも重ねて制作しています。
吉野さんが美術教諭をしていた時、全校生徒でつくったという木彫「いのちの叫び」が丸木美術館に寄贈されています。若い頃、まだ丸木位里・俊ご夫妻がご存命だった頃、お話を伺いに美術館を訪れた時、その木彫についてお話くださった記憶があり、久々にもう一度丸木美術館に行ってみたいと思います。
まだまだ続く編集作業ですが、
これまでお世話になった方々の思いを伝えていける作品となるよう精一杯取り組んでまいります。
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