この夏、アメリカのニューヨークに留学された宮崎県の高校2年生の酒匂華音さんから、嬉しいメールをいただきました。
華音さんは、小学生の時にハワイでキャンプ留学した経験があり、その時に折り鶴を紹介しました。平和祈念をはじめ、病気からの快気願い、スポーツ等での必勝祈願など、様々な場面で日本人には縁の深い「折り鶴」を紹介すると、現地の方々がとても興味をもってくださったことがとっても嬉しかったそうです。
そして、小学3年生の時、ご家族と一緒に長崎の原爆資料館を訪れた時に、絵本「おりづるにのって〜サダコと子どもたちの物語〜」と出会ってくださったそうです。
「おりづるにのって〜サダコと子どもたちの物語〜」は、2010年に弊社ミューズの里から初の絵本として発行した絵本で、30年以上も前になりますが、私がアメリカの学校で、ヒロシマ・ナガサキの被爆者の体験とメッセージを伝えていた時、原爆映画を上映する前に必ずみんなで一緒に折り鶴をおった後、千羽鶴を片手に子供たちにしていた言葉をそのまま文字に起こしてつくった絵本で、広島平和記念公園にある「原爆の子の像」をつくるきっかけとなったサダコさんと子供達のお話です。
高校生となり、今度はアメリカへ留学することになった華音さんから、最初にいただいたメールには、「今回は、ただ単に折り鶴を紹介するだけでなく、折り鶴には祈りや願いが込められている事を伝えたいと思うようになりました。そこで、アメリカの留学先で、この絵本を使用させて頂き、世界中から集まる留学生に折り鶴に込められた祈りを紹介したいと考えています」と書かれていました。
そして、先日、ニューヨークでの留学を終えて帰国した華音さんから、その時のご報告をいただきました。とても素敵なメールだったので、華音さんのご許可をいただき、そのまま下記にご紹介させていただきます。
この夏、ニューヨークに留学し有意義な時間を過ごして帰国しました。
留学期間中に、
8月6日広島原爆の日
8月9日長崎原爆の日
を迎えました。
日本では、投下時間になると黙祷をします。式典の様子がテレビで生中継をされます。それに対し、アメリカでは何の話題にもならないことに、とても違和感を覚えました。
留学先で「おりづるにのって」の紹介をしても大丈夫なのか?もしかするとアメリカで原爆の事はタブーなのか?とても不安になりました。しかし、私は伝えることの使命感を奮い立たせ、スタッフに説明し、紹介することができました!
すると、アメリカの先生方は、真剣に聞いてくださり「とても素晴らしかった」「サダコ」「サダコ」と、関心を持って頂きました。
私は、日本から持参した千羽鶴を現地の大学に「平和への祈り」です、と寄贈し喜んで受け取ってもらいました。
今回、絵本の利用をご快諾して頂き、本当にありがとうございました。
酒匂華音
華音さんのニューヨークでの素晴らしい体験を読ませていただき、原点となった自分自身の体験を思い返しながら…深い感動に包まれています。
華音さん、平和の種を蒔いてくださり、本当にありがとうございます。
いつか会える日を楽しみに、私たちもがんばります〜♪
心から
感謝です✨
ありがとう❤️
2018年11月09日
11/20被爆アオギリ2世の植樹されている神戸市外国語大学にて、長谷川邦彦さん講演(被爆者証言の世界化ネットワーク代表)「憎しみから許しへ〜世界へと旅立った被爆者・武田靖彦さんの想い〜」
上映会・ライブでも
大変お力添えいただいている
榊原恵美子さんが主宰する
STORYTELLING FOR TOMORROWの
プロジェクト第二回目の講演会が
11/20に神戸市外国語大学の
杉山精一先生との共催で
501号教室にて
開催されることになりました。
ゲストスピーカーは、
被爆者証言の世界化ネットワーク
NET-GTAS代表の長谷川邦彦様です。
神戸市外国語大学では、
楠ヶ丘会館前に「被爆アオギリ2世」が
2010 年に、同窓会広島支部の皆様により
設立 30 周年を記念して植樹 されています。
そしてこの夏、映画「アオギリにたくして」も
上映してくださいました。
この度の講演会のゲストスピーカーの
長谷川邦夫様にも大変お世話になり、
一昨年2016年5月には、
NET-GTAS学生サポーターの
皆様が主催してくださり
京都外国語大学にて映画
「アオギリにたくして」上映が行われました。
音楽監督の伊藤茂利と
被爆者の上田紘治様共に
ご挨拶させていただき、
京都映画センター様にも
大変お世話になりました。
また、その際にも
榊原恵美子様に
大変お世話になり、
改めて心より感謝申し上げます。
2018年11月20日(火曜日)
午後4時5分〜午後5時35分
神戸市外国語大学501号室にて(申し込み不要)
皆様のご参加を〜🎵
お問合せ先:E-mail: seiichi@inst.kobe-cufs.ac.jp
2017年09月17日
若者に原爆の悲劇を語り継ぐキャサリン・サリバンさんを日本に招くプロジェクト!
被爆者をアメリカの高校に招聘して体験談を分かち合う活動「被爆者ストーリーズ」代表をされているサリバンさんを日本に招くクラウドファウンディングが立ち上がっています〜!
昨年6月に行われた映画『アオギリにたくして』アメリカ上映行脚で渡米した際に、ニューヨーク到着後、上映に向かう前に、ブルックリンのキャサリン・サリバンさんのご自宅に宿泊させていただきました。
国連での活動やドキュメンタリー映画製作もされているキャサリン・サリバンさんがニューヨークの高校で課外授業している様子を撮影した「サリバン先生の平和教室」は、2006年に日本でもテレビ放映されました。その中でキャサリンさんは、「家族、友人、音楽、草の香りなど、愛するものが、原爆で一瞬のうちに失われてしまうのは耐えられないから平和教育を続けています。恐怖ではなく、『愛』が平和教育の原動力です」と語っています。
お互いの製作した映画を見る時間もないままの慌ただしい中ではありましたが、とっても楽しくハッピーな時間をキャサリンさん宅で一緒に過ごさせていただき、翌日アメリカ上映に向けて出発した日が懐かしく思い出されます。
今年、核兵器の保有や使用を初めて法的に禁じた「核兵器禁止条約」が国連本部で採択されました。
「核兵器はこれまでずっと道義に反するものでした。そして今や法律にも反するのです。一緒に前へ進み、世界を変えましょう」。カナダ在住の85歳となる被爆者、サーロー・節子さんの言葉が会場に響くと、各国代表らが総立ちし、大きな拍手を送るシーンが何度もテレビで放映されていましたが、そのサーローさんの横でずっと寄り添っておられたキャサリンさんの姿により一層胸が熱くなりました。
筑波大学の「記憶の継承と言語」研究プロジェクトの一環として取り組まれている「若者に被爆体験を語り継ぐ」プロジェクトで、筑波大学・横浜国立大学・京都外国語大学などの教員有志をはじめ、高校教師、大学生などで組織する国際的な市民団体「被爆者証言の世界化ネットワーク(略称NET-GTAS)」の活動を通じてつながるメンバーの皆さんが呼びかけています。(後援:横浜国立大学、京都外国語大学、毎日新聞社)「サリバンさんは平和活動家の仲間たちとともに、各国代表らへの働きかけに奔走するなど「核兵器禁止条約」の採択実現に大きく貢献し、何人もの外交官が「被爆者の話に心を揺さぶられた」と振り返りました。被爆者の証言が世界を動かしたのです。北朝鮮の核の脅威が高まる中、サリバンさんの豊富な経験と熱意に学び、被爆体験の大切さを問い直したい。」
※キャサリン・サリバンとはどんな人?
世界的な平和教育家、活動家。米国・コロラド州立大学卒、英国・ランカスター大学で博士号を取得。国連軍縮コーディネーターなどを経て、国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(通称・ICAN)メンバーとして活躍。核廃絶運動に約30年に渡り関わる。NGO「Hibakusha Stories」プログラム・ディレクターとして、2008年から2015年までの8年間、広島、長崎の被爆者たちを米国に招き、ニューヨークの高校など数百校で、高校生ら延べ3万人余に「被爆体験」を聞かせる証言活動を展開した。今年7月、「核兵器禁止条約」の国連採択にあたり、各国代表らへの働きかけに尽力した。卓抜した行動力と交渉力で知られ、近年は原爆投下を決断したトルーマン大統領の孫、クリフトン・ダニエルさんと一緒に核廃絶運動を展開することもある。その熱意と明るい人柄で、広島、長崎の被爆者にも友人が数多い。ニューヨーク在住。50歳。
詳細は、下記のクラウドファウンディングへ
◉若者に原爆の悲劇を語り継ぐアメリカ人女性を日本に招きたい!
➡︎ https://readyfor.jp/projects/13529
皆様のご支援・ご協力をよろしくお願い申し上げます〜!
昨年6月に行われた映画『アオギリにたくして』アメリカ上映行脚で渡米した際に、ニューヨーク到着後、上映に向かう前に、ブルックリンのキャサリン・サリバンさんのご自宅に宿泊させていただきました。
国連での活動やドキュメンタリー映画製作もされているキャサリン・サリバンさんがニューヨークの高校で課外授業している様子を撮影した「サリバン先生の平和教室」は、2006年に日本でもテレビ放映されました。その中でキャサリンさんは、「家族、友人、音楽、草の香りなど、愛するものが、原爆で一瞬のうちに失われてしまうのは耐えられないから平和教育を続けています。恐怖ではなく、『愛』が平和教育の原動力です」と語っています。
お互いの製作した映画を見る時間もないままの慌ただしい中ではありましたが、とっても楽しくハッピーな時間をキャサリンさん宅で一緒に過ごさせていただき、翌日アメリカ上映に向けて出発した日が懐かしく思い出されます。
今年、核兵器の保有や使用を初めて法的に禁じた「核兵器禁止条約」が国連本部で採択されました。
「核兵器はこれまでずっと道義に反するものでした。そして今や法律にも反するのです。一緒に前へ進み、世界を変えましょう」。カナダ在住の85歳となる被爆者、サーロー・節子さんの言葉が会場に響くと、各国代表らが総立ちし、大きな拍手を送るシーンが何度もテレビで放映されていましたが、そのサーローさんの横でずっと寄り添っておられたキャサリンさんの姿により一層胸が熱くなりました。
筑波大学の「記憶の継承と言語」研究プロジェクトの一環として取り組まれている「若者に被爆体験を語り継ぐ」プロジェクトで、筑波大学・横浜国立大学・京都外国語大学などの教員有志をはじめ、高校教師、大学生などで組織する国際的な市民団体「被爆者証言の世界化ネットワーク(略称NET-GTAS)」の活動を通じてつながるメンバーの皆さんが呼びかけています。(後援:横浜国立大学、京都外国語大学、毎日新聞社)「サリバンさんは平和活動家の仲間たちとともに、各国代表らへの働きかけに奔走するなど「核兵器禁止条約」の採択実現に大きく貢献し、何人もの外交官が「被爆者の話に心を揺さぶられた」と振り返りました。被爆者の証言が世界を動かしたのです。北朝鮮の核の脅威が高まる中、サリバンさんの豊富な経験と熱意に学び、被爆体験の大切さを問い直したい。」
※キャサリン・サリバンとはどんな人?
世界的な平和教育家、活動家。米国・コロラド州立大学卒、英国・ランカスター大学で博士号を取得。国連軍縮コーディネーターなどを経て、国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(通称・ICAN)メンバーとして活躍。核廃絶運動に約30年に渡り関わる。NGO「Hibakusha Stories」プログラム・ディレクターとして、2008年から2015年までの8年間、広島、長崎の被爆者たちを米国に招き、ニューヨークの高校など数百校で、高校生ら延べ3万人余に「被爆体験」を聞かせる証言活動を展開した。今年7月、「核兵器禁止条約」の国連採択にあたり、各国代表らへの働きかけに尽力した。卓抜した行動力と交渉力で知られ、近年は原爆投下を決断したトルーマン大統領の孫、クリフトン・ダニエルさんと一緒に核廃絶運動を展開することもある。その熱意と明るい人柄で、広島、長崎の被爆者にも友人が数多い。ニューヨーク在住。50歳。
詳細は、下記のクラウドファウンディングへ
◉若者に原爆の悲劇を語り継ぐアメリカ人女性を日本に招きたい!
➡︎ https://readyfor.jp/projects/13529
皆様のご支援・ご協力をよろしくお願い申し上げます〜!
2017年09月01日
長崎の被爆者 谷口稜曄さんのご冥福を心よりお祈り申しあげます。
長崎の被爆者で、被爆者運動の立ち上げから加わった日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会の代表委員の谷口稜曄(すみてる)さんが、2017年8月30日朝、がんのため88歳で亡くなりました。
谷口さんに、初めて被爆体験を聞かせていただいたのは、31年前のことでした。アメリカの学校等でヒロシマ・ナガサキの原爆フィルム上映会を行うボランティア活動に参加する前のことでした。
原爆が長崎に投下された時、
郵便配達中で16歳だった谷口さんは、
原爆で背中一面が真っ赤に焼ける大やけどを負い、
1年9カ月 にわたってうつぶせのまま、
「死なせてください」と訴える地獄の日々だったと言います。
退院されたのは被爆から3年7カ月後のことでした。
その後もずっと、膿みを取る治療が欠かせない毎日をおくられていました。
お世話になった広島・長崎の被爆者の方々が
毎年一人、また一人と亡くなられ・・・
昨年は、被爆者の心に寄り添い、被爆者運動を支えてこられた
池田眞規弁護士や伊藤直子さんが亡くなり・・・
谷口さんの訃報が知らされ・・・
喪失感がつのります。
毎年お世話になってきた被爆者の方々が
亡くなっていかれる中で、
歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝えるライブ
「いのちの音色」公演をスタートしたのは、
2008年8月6日のことでした。
原爆が広島に投下されて10年後
1955年にアメリカに招かれ、
原爆乙女の一人として、
1年半に渡り27回の皮膚移植手術が行われ
ケロイドの治療を受けた山岡ミチコさんが
2006年8月6日に脳梗塞で倒れたにもかかわらず
、翌年には療養生活を続けながら
証言活動に復帰されている姿を見て、
いてもたってもいられず、
何か自分に出来ることを続けていかなければ
という思いからスタートしたライブ活動でした。
(山岡さんは、2013年2月3日に亡くなられました。)
2011年7月12日には、
この「いのちの音色」ライブを応援してくださっていた
アオギリの語り部と呼ばれた広島の被爆者 沼田鈴子さんが
亡くなり、その後沼田さんの前半生をモデルとした
映画「アオギリにたくして」が製作され
今も上映活動が続いています。
31年前、アメリカの学校や教会で上映した「にんげんをかえせ」の中で、沼田鈴子さんや谷口稜曄さん、仙二さんらが被爆した当時のことを証言され、未来に託すメッセージを伝えています。
そのメッセージを受け取ったアメリカの子供達の姿に、
核なき世界を目指す上で
ヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々のメッセージが
いかに大切なものかを体全身で感じました。
たとえどんなに微力であっても、
たくさんの被爆者の方々との出会いをいただいた一人として、
バトンを受け継ぎ、いのちある限り、
これまでお世話になった被爆者の方々の
メッセージを伝え続けていこうと改めて心に誓います。
谷口さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
安らかにお眠りください。
No more Hiroshima!
No more Nagasaki!
No more Hibakusya!
No more War!
谷口さんに、初めて被爆体験を聞かせていただいたのは、31年前のことでした。アメリカの学校等でヒロシマ・ナガサキの原爆フィルム上映会を行うボランティア活動に参加する前のことでした。
原爆が長崎に投下された時、
郵便配達中で16歳だった谷口さんは、
原爆で背中一面が真っ赤に焼ける大やけどを負い、
1年9カ月 にわたってうつぶせのまま、
「死なせてください」と訴える地獄の日々だったと言います。
退院されたのは被爆から3年7カ月後のことでした。
その後もずっと、膿みを取る治療が欠かせない毎日をおくられていました。
お世話になった広島・長崎の被爆者の方々が
毎年一人、また一人と亡くなられ・・・
昨年は、被爆者の心に寄り添い、被爆者運動を支えてこられた
池田眞規弁護士や伊藤直子さんが亡くなり・・・
谷口さんの訃報が知らされ・・・
喪失感がつのります。
毎年お世話になってきた被爆者の方々が
亡くなっていかれる中で、
歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝えるライブ
「いのちの音色」公演をスタートしたのは、
2008年8月6日のことでした。
原爆が広島に投下されて10年後
1955年にアメリカに招かれ、
原爆乙女の一人として、
1年半に渡り27回の皮膚移植手術が行われ
ケロイドの治療を受けた山岡ミチコさんが
2006年8月6日に脳梗塞で倒れたにもかかわらず
、翌年には療養生活を続けながら
証言活動に復帰されている姿を見て、
いてもたってもいられず、
何か自分に出来ることを続けていかなければ
という思いからスタートしたライブ活動でした。
(山岡さんは、2013年2月3日に亡くなられました。)
2011年7月12日には、
この「いのちの音色」ライブを応援してくださっていた
アオギリの語り部と呼ばれた広島の被爆者 沼田鈴子さんが
亡くなり、その後沼田さんの前半生をモデルとした
映画「アオギリにたくして」が製作され
今も上映活動が続いています。
31年前、アメリカの学校や教会で上映した「にんげんをかえせ」の中で、沼田鈴子さんや谷口稜曄さん、仙二さんらが被爆した当時のことを証言され、未来に託すメッセージを伝えています。
そのメッセージを受け取ったアメリカの子供達の姿に、
核なき世界を目指す上で
ヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々のメッセージが
いかに大切なものかを体全身で感じました。
たとえどんなに微力であっても、
たくさんの被爆者の方々との出会いをいただいた一人として、
バトンを受け継ぎ、いのちある限り、
これまでお世話になった被爆者の方々の
メッセージを伝え続けていこうと改めて心に誓います。
谷口さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
安らかにお眠りください。
No more Hiroshima!
No more Nagasaki!
No more Hibakusya!
No more War!
2017年07月08日
ヒロシマ・ナガサキの被爆者の存在が核兵器禁止条約の採択を後押し!
2017年7月7日、ニューヨーク国連本部で開かれた交渉会議で「核兵器禁止条約」が採択された。
核兵器の開発や保有、使用などを幅広く法的に禁止する初めての国際条約だ。
原爆がもたらす非人道性や環境破壊を考えた時、戦後72年もの月日が流れるまで法的な枠組みがなかった事の方が、本来は信じがたいことのように思える。
広島・長崎に原爆が投下された後、戦後の占領が終わる1952年まで7年もの間、プレスコードがひかれ、原爆に関する報道・文学が検閲により厳しく制限され「報道してほしくないこと」とされた中で、広島・長崎の実情は日本国民にもきちんと知らされないまま、核開発は続けられ、核開発競争へと向かっていった。
もはや日本は唯一の被爆国ではなく、核兵器を開発・保有するために行われてきた核実験によっても、これまでどれほどの被害が地球全体に、そして人々にもたらされてきていることだろう。
核兵器の脅威によって、恐れで相手を操つろうとする抑止論も、わずかな一部の国だけが核兵器の保有や開発を許され、他の国には許さないという在り方も、相互不信をより一層深め、新たな火種を生み出していく。
違う意見もあるだろうが、私は、核兵器禁止条約が、圧倒的多数の世界122の国や地域により採択されたことに、希望を感じた。
広島の語り部を描いた映画「アオギリにたくして」の上映会を何度も企画し、ヒバクシャ国際署名を呼びかけている被爆者の上田紘治さんは、採択を前に先日の上映会で次のように語っていた。「夢のようなことです。私が被爆者運動に関わり始めた頃には、考えられなかったこと。それでも私たち被爆者は世界の平和を願って体験を語り継いできました。たとえ核保有国や日本が参加しなくとも、核なき世界を実現させていこうと願う国々が、人々が、こんなにも世界中に広がっていることに感無量です」。
採択された条約には、「核兵器の使用は国際人道法に違反し、人道の原則と公共の良心に反する」として、「核兵器は非人道的で違法なもの」だと明示され、条文の前文には「被爆者にもたらされた受け入れがたい苦しみと被害に留意する」と明記された。
南アフリカのディセコ大使は、「最も心を動かされたのは、広島と長崎から被爆者を迎え、現実と向き合ったことです。被爆者に対する私たちの責任を常に心に留めていました。変化をもたらすための一歩を踏み出したと思っています」と採決に向けて、ヒロシマ・ナガサキの被爆者の存在が後押ししたことを語った。
日本や核保有国は交渉のテーブルにつくことなく不参加ではあったことは残念だが、日本の中にも、そして核保有国の国々の中にも核兵器の禁止と平和を願うたくさんの人々がいる。
交渉会議の議長を務めたコスタリカのホワイト軍縮大使が「条約は核兵器を禁止する規範になる」と、この度の条約の意義を述べたように、核兵器が国際法に違反するという国際世論を高めていくことこそが、核なき世界を実現へと導いていく。そのためにも、ヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々のメッセージをこれまで以上に世界に発信していくことが大切だと思う。
映画「アオギリにたくして」のモデルとなった今は亡き沼田鈴子さんも、きっと天国で喜んでおられると思う。
31年前、ずっと語れずにいた沼田鈴子さんが被爆体験を話すきっかけとなった10フィート運動でつくられた原爆フィルム「にんげんをかえせ」をアメリカの学校で上映した時、
「核兵器なんてなくなんないよ!だって、こんなにいっぱい大人が作っちゃったんだからさ!」という子供たちの言葉にショックを受けたある教師が、「子供たちにだって平和の実現のために出来ることがあることを伝えたい!」と、広島の原爆の子の像のモデルとなった佐々木禎子さんのお話を広めていた。たくさんの子供たちが核なき世界を願い、折り鶴を折る姿に感動した。
核兵器は、核兵器だけの問題だけでなく、私たちが、人としてどう生きるべきかの根本的な課題を一人一人に突きつけているように思てならない。だからこそ、きっと私はヒロシマ・ナガサキの被爆者のメッセージを伝え続けずにはいられないのだと思う。
Seeds of Peace!
平和の種を世界へ〜!
核兵器の開発や保有、使用などを幅広く法的に禁止する初めての国際条約だ。
原爆がもたらす非人道性や環境破壊を考えた時、戦後72年もの月日が流れるまで法的な枠組みがなかった事の方が、本来は信じがたいことのように思える。
広島・長崎に原爆が投下された後、戦後の占領が終わる1952年まで7年もの間、プレスコードがひかれ、原爆に関する報道・文学が検閲により厳しく制限され「報道してほしくないこと」とされた中で、広島・長崎の実情は日本国民にもきちんと知らされないまま、核開発は続けられ、核開発競争へと向かっていった。
もはや日本は唯一の被爆国ではなく、核兵器を開発・保有するために行われてきた核実験によっても、これまでどれほどの被害が地球全体に、そして人々にもたらされてきていることだろう。
核兵器の脅威によって、恐れで相手を操つろうとする抑止論も、わずかな一部の国だけが核兵器の保有や開発を許され、他の国には許さないという在り方も、相互不信をより一層深め、新たな火種を生み出していく。
違う意見もあるだろうが、私は、核兵器禁止条約が、圧倒的多数の世界122の国や地域により採択されたことに、希望を感じた。
広島の語り部を描いた映画「アオギリにたくして」の上映会を何度も企画し、ヒバクシャ国際署名を呼びかけている被爆者の上田紘治さんは、採択を前に先日の上映会で次のように語っていた。「夢のようなことです。私が被爆者運動に関わり始めた頃には、考えられなかったこと。それでも私たち被爆者は世界の平和を願って体験を語り継いできました。たとえ核保有国や日本が参加しなくとも、核なき世界を実現させていこうと願う国々が、人々が、こんなにも世界中に広がっていることに感無量です」。
採択された条約には、「核兵器の使用は国際人道法に違反し、人道の原則と公共の良心に反する」として、「核兵器は非人道的で違法なもの」だと明示され、条文の前文には「被爆者にもたらされた受け入れがたい苦しみと被害に留意する」と明記された。
南アフリカのディセコ大使は、「最も心を動かされたのは、広島と長崎から被爆者を迎え、現実と向き合ったことです。被爆者に対する私たちの責任を常に心に留めていました。変化をもたらすための一歩を踏み出したと思っています」と採決に向けて、ヒロシマ・ナガサキの被爆者の存在が後押ししたことを語った。
日本や核保有国は交渉のテーブルにつくことなく不参加ではあったことは残念だが、日本の中にも、そして核保有国の国々の中にも核兵器の禁止と平和を願うたくさんの人々がいる。
交渉会議の議長を務めたコスタリカのホワイト軍縮大使が「条約は核兵器を禁止する規範になる」と、この度の条約の意義を述べたように、核兵器が国際法に違反するという国際世論を高めていくことこそが、核なき世界を実現へと導いていく。そのためにも、ヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々のメッセージをこれまで以上に世界に発信していくことが大切だと思う。
映画「アオギリにたくして」のモデルとなった今は亡き沼田鈴子さんも、きっと天国で喜んでおられると思う。
31年前、ずっと語れずにいた沼田鈴子さんが被爆体験を話すきっかけとなった10フィート運動でつくられた原爆フィルム「にんげんをかえせ」をアメリカの学校で上映した時、
「核兵器なんてなくなんないよ!だって、こんなにいっぱい大人が作っちゃったんだからさ!」という子供たちの言葉にショックを受けたある教師が、「子供たちにだって平和の実現のために出来ることがあることを伝えたい!」と、広島の原爆の子の像のモデルとなった佐々木禎子さんのお話を広めていた。たくさんの子供たちが核なき世界を願い、折り鶴を折る姿に感動した。
核兵器は、核兵器だけの問題だけでなく、私たちが、人としてどう生きるべきかの根本的な課題を一人一人に突きつけているように思てならない。だからこそ、きっと私はヒロシマ・ナガサキの被爆者のメッセージを伝え続けずにはいられないのだと思う。
Seeds of Peace!
平和の種を世界へ〜!
2017年01月13日
ネバー・アゲイン・キャンペーン創始者のドナルド・レイスロップ教授からのメッセージ
米国バークシャーの地元紙にネバー・アゲイン・キャンペーン(NAC)創始者で平和学のドナルド・レイスロップ(元)教授の投稿された記事が掲載され、NAC広島の中村朋子様が和訳をお送りくださいました。
<<トランプ氏の指を核のボタンに触れさせるな−キャンペーン>>
投稿者:ドナルド・レイスロップ氏 Donald Lathrop, Canaan, N.Y. 平和学。ネバーアゲイン
キャンペーン創始者。
掲載誌: The Berkshire Eagle. Friday, January 6, 2017
http://www.berkshireeagle.com/stories/letter-keep-trumps-fingeroff-nuclear-button,494291
多くの人が、次期大統領の起こしかねない行動に強い不安を抱いています。気候変動、保険料で
負担可能な医療費、上質な公教育、経済格差、さらに多くの課題に関して、今後どうなるのか
と大きな懸念を持って成り行きを見守っています。
その上、次期大統領の核兵器に対する考えに私たちは対処しなければならないと思うとぞっと
するのです。オバマ大統領が、地球上の生命を脅かすほどの核保有量を削減するために努力
したことを私は評価します。その一方でなぜオバマ政権は向こう30年間、より精巧な核兵器と
運搬システムを開発するために概算1兆ドル以上の予算計上に同意したのか、私には理解
できません。
次期大統領は大統領選中の論争で、「我々が核兵器を持っているならそれらを使うべきだ」と
考えているように見受けられました。また三元戦略核戦力、すなわち大陸間弾道ミサイル、
弾道ミサイル搭載潜水艦、巡航ミサイル搭載戦略爆撃機の維持コストの負担増に関して無知
であるように思えます。彼は日本や韓国をはじめ他国も核兵器を保有すべきだとも考えて
いるのです。
アクシデントによる、または相手国からの攻撃だと誤認しての緊急呼びかけが、かつて米国と
旧ソ連間で起った危機一髪を思い起こすと、地球上にこのような恐ろしい兵器を単に多量に
保有するだけでも、国家間の恐怖に対する対応としては穏やかではないことを示唆しています。
巷で言われている“insanity (狂気) ” の法的な定義は、「被告が自分の告発された行為の
良し悪しが分からなくなる、またはその罪を犯した時、行為の本質に気付かなくなるほどに
心的な機能不全に陥っている状態」を言います (American Heritage Dictionary)。完全に報復の
用意ができている国家に対して、人類の文明を破壊するかもしれない兵器を発射する者は狂気の
沙汰です。
私の懸念に共感した人は以下の署名サイトをクリックしてください。
PETITION: Keep Donald Trump’s Finger off the Nuclear Button:
http://www.ploughshares.org/keep-donald-trumps-finger-off-nuclear-button
<<トランプ氏の指を核のボタンに触れさせるな−キャンペーン>>
投稿者:ドナルド・レイスロップ氏 Donald Lathrop, Canaan, N.Y. 平和学。ネバーアゲイン
キャンペーン創始者。
掲載誌: The Berkshire Eagle. Friday, January 6, 2017
http://www.berkshireeagle.com/stories/letter-keep-trumps-fingeroff-nuclear-button,494291
多くの人が、次期大統領の起こしかねない行動に強い不安を抱いています。気候変動、保険料で
負担可能な医療費、上質な公教育、経済格差、さらに多くの課題に関して、今後どうなるのか
と大きな懸念を持って成り行きを見守っています。
その上、次期大統領の核兵器に対する考えに私たちは対処しなければならないと思うとぞっと
するのです。オバマ大統領が、地球上の生命を脅かすほどの核保有量を削減するために努力
したことを私は評価します。その一方でなぜオバマ政権は向こう30年間、より精巧な核兵器と
運搬システムを開発するために概算1兆ドル以上の予算計上に同意したのか、私には理解
できません。
次期大統領は大統領選中の論争で、「我々が核兵器を持っているならそれらを使うべきだ」と
考えているように見受けられました。また三元戦略核戦力、すなわち大陸間弾道ミサイル、
弾道ミサイル搭載潜水艦、巡航ミサイル搭載戦略爆撃機の維持コストの負担増に関して無知
であるように思えます。彼は日本や韓国をはじめ他国も核兵器を保有すべきだとも考えて
いるのです。
アクシデントによる、または相手国からの攻撃だと誤認しての緊急呼びかけが、かつて米国と
旧ソ連間で起った危機一髪を思い起こすと、地球上にこのような恐ろしい兵器を単に多量に
保有するだけでも、国家間の恐怖に対する対応としては穏やかではないことを示唆しています。
巷で言われている“insanity (狂気) ” の法的な定義は、「被告が自分の告発された行為の
良し悪しが分からなくなる、またはその罪を犯した時、行為の本質に気付かなくなるほどに
心的な機能不全に陥っている状態」を言います (American Heritage Dictionary)。完全に報復の
用意ができている国家に対して、人類の文明を破壊するかもしれない兵器を発射する者は狂気の
沙汰です。
私の懸念に共感した人は以下の署名サイトをクリックしてください。
PETITION: Keep Donald Trump’s Finger off the Nuclear Button:
http://www.ploughshares.org/keep-donald-trumps-finger-off-nuclear-button
2016年12月09日
真珠湾攻撃から75年、今思うこと
7日、オバマ米大統領は、真珠湾攻撃75周年にあたって、「最大の敵国ですら、最も緊密な同盟国になれるという証しとして、今月末、安倍晋三首相とアリゾナ記念館を訪れるのを楽しみにしている」と述べ、首相の真珠湾訪問を歓迎し、「この歴史的訪問は、和解の力と、75年前は想像もできなかった同盟で結ばれた日米が、世界の平和と安定のために手を携えて協力していくことを示すものになる」と強調したと報じられた。
トランプ次期大統領は、「不名誉な記憶として残る75年前に、真珠湾で犠牲となった米国人の英雄に思いをはせる」「米国の敵は75年間で変わったが、平和の追求には、勝利に代わるものはない」と述べ、安倍首相の真珠湾訪問や日米同盟については言及しなかったという。
アメリカの大統領が広島を訪れ、日本の総理大臣がパールハーバーを訪れることには大変意義があり、もっと早くなされるべきことだったかもしれないとさえ思う。
しかし、一方でパールハーバーと広島・長崎への原爆投下を対にして考えることで、原爆投下そのものが肯定化されていく危うさに繋がっていかないことを心から祈る。
そして、心から思う。
Never again Pearl Harbor!
Never again Hiroshima!
Never again Nagasaki!
Never again war!
戦争当日のアメリカの日本への憎しみに満ちた報道映像を見た時の印象が、今のアメリカが敵対視する国々に対しての向けられる憎悪のエネルギーと同じように感じられ、なんとも言えない気持ちになる時がある。日本も同じく、最大の敵国だったアメリカにかつて抱いていたのと同じような憎悪の矛先を、今後その他の国に向かわせることのないようにと強く願う。憎悪を煽り、憎しみの連鎖が続き、争いの火種を生み出してしまう事のないように…。
共通の敵を作り出すことで、一致団結しているかのように思えても、本当の信頼関係など築けていない場合は人間社会の中でも多い。
「米国の敵は75年間で変わったが、平和の追求には、勝利に代わるものはない」というトランプ次期大統領の勝てば官軍的な考え方だけでは、これからの国際社会の平和を築くことは難しく、テロを拡大させていく可能性さえある。
それぞれの国の事情は異なる。単純に、アメリカと日本とのこれまでの関係を参考に、敵国としている国へのあり方を考えるなら、見誤ることが多々あるだろう。
キノコ雲の下にいたヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々が、その後どんな思いで生きてきたのかを、世界はあまりに知らなすぎる。
世界の平和を願い「二度と再び自分と同じ苦しみを世界中の誰にもさせたくない」と祈る被爆者のメッセージに込められた深い思いを、我々は本当に理解できているのだろうか。
二度と戦争を起こさないために、私たちはどうすべきなのか?
二度とヒロシマ・ナガサキを繰り返さないために、私たちはどうすべきなのか?
小さな自分に出来る事はなんだろう?
より心豊かで、命の尊厳を大切にできる社会へと世界が成熟していくために…。
トランプ次期大統領は、「不名誉な記憶として残る75年前に、真珠湾で犠牲となった米国人の英雄に思いをはせる」「米国の敵は75年間で変わったが、平和の追求には、勝利に代わるものはない」と述べ、安倍首相の真珠湾訪問や日米同盟については言及しなかったという。
アメリカの大統領が広島を訪れ、日本の総理大臣がパールハーバーを訪れることには大変意義があり、もっと早くなされるべきことだったかもしれないとさえ思う。
しかし、一方でパールハーバーと広島・長崎への原爆投下を対にして考えることで、原爆投下そのものが肯定化されていく危うさに繋がっていかないことを心から祈る。
そして、心から思う。
Never again Pearl Harbor!
Never again Hiroshima!
Never again Nagasaki!
Never again war!
戦争当日のアメリカの日本への憎しみに満ちた報道映像を見た時の印象が、今のアメリカが敵対視する国々に対しての向けられる憎悪のエネルギーと同じように感じられ、なんとも言えない気持ちになる時がある。日本も同じく、最大の敵国だったアメリカにかつて抱いていたのと同じような憎悪の矛先を、今後その他の国に向かわせることのないようにと強く願う。憎悪を煽り、憎しみの連鎖が続き、争いの火種を生み出してしまう事のないように…。
共通の敵を作り出すことで、一致団結しているかのように思えても、本当の信頼関係など築けていない場合は人間社会の中でも多い。
「米国の敵は75年間で変わったが、平和の追求には、勝利に代わるものはない」というトランプ次期大統領の勝てば官軍的な考え方だけでは、これからの国際社会の平和を築くことは難しく、テロを拡大させていく可能性さえある。
それぞれの国の事情は異なる。単純に、アメリカと日本とのこれまでの関係を参考に、敵国としている国へのあり方を考えるなら、見誤ることが多々あるだろう。
キノコ雲の下にいたヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々が、その後どんな思いで生きてきたのかを、世界はあまりに知らなすぎる。
世界の平和を願い「二度と再び自分と同じ苦しみを世界中の誰にもさせたくない」と祈る被爆者のメッセージに込められた深い思いを、我々は本当に理解できているのだろうか。
二度と戦争を起こさないために、私たちはどうすべきなのか?
二度とヒロシマ・ナガサキを繰り返さないために、私たちはどうすべきなのか?
小さな自分に出来る事はなんだろう?
より心豊かで、命の尊厳を大切にできる社会へと世界が成熟していくために…。
2016年11月30日
伊藤直子さん、池田眞規先生からいただいた たくさんの想いを胸に…
30年以上にも渡りお世話になった伊藤直子さんが11月3日に、そして11月13日に池田眞規先生が亡くなられました。
広島・長崎の被爆者の方々に寄り添って人生を歩まれたお二人が、相次いで亡くなられたことを知り、心にぽっかり穴が開いて、この悲しみをどの様に自分の中で整理したらいいのかわからないまま、11月が終わろうとしています。
ちょうどオフィスの引越しを翌日に控えて、上映会とも重なり、体調を崩しながら、あまりにも忙しかった時期と重なり、呑田務さんからいただいたメールのお知らせを見たのが遅くなってしまいました。お二人が亡くなられたことを知った後も、あまりのショックでしばらく言葉になりませんでした…。
ヒロシマ・ナガサキは教科書の中の過去の出来事としか思ってなかった私が、30年以上前に、たまたま応募した草の根ボランティア活動「ネバー・アゲイン・キャンペーン」の第1期民間大使として一年間渡米することになり、被爆者の方々の証言を聞くために一番最初にご相談に伺ったのが伊藤直子さんでした。
伊藤直子さんは、日本被団協事務局員および、日本被団協原爆被爆者中央相談所相談員として勤められ、定年退職後も、社団法人中央相談所理事、社団法人解散後は中央相談所委員会委員として、日本被団協の相談活動に貢献されました。
21歳の時「ネバー・アゲイン・キャンペーン」代表の北浦葉子さんから「伊藤さんに嫌われたらもう終わりなのよ!」と何度も厳しく言われ、言われている意味もよくわからないまま、不勉強でヒロシマ・ナガサキのことを何も知らず、平和について改めて考えてみたこともなかった私は、ビクビクしながらご挨拶しに伺いました。お会いすると、それだけ北浦葉子さんが信頼された方なのだということがすぐにわかりました。
伊藤直子さんに初めてお会いした時、厳しい眼差しの中にある誠実で真剣な思いと、現実をしっかりと受け止めながらも、負けずに力強く生きていくことの大切さを知り、直子さんから滲み出てくる優しさに、理想と希望を持って生きることの偉大さのようなものを感じたことを覚えています。そして、直子さんは、戦後生まれで戦争体験も原爆の体験もない者たちが語り継いでいくことの大切さを語ってくださいました。
「体験のない者に一体何が伝えられるのだろう?」と、渡米が決まった後も不案でいっぱいだった私にとって、伊藤直子さんの存在はとても厳しくもあり、そしてとても力強いものでした。
直子さんと最後にお会いしたのは、昨年の夏。石川県文教会館ホールで開催された映画「アオギリにたくして」上映会と、歌と語りで伝える「いのちの音色」中村里美&伊藤茂利ライブでした。石川県原爆被災者友の会会長の西本多美子さんはじめ皆様が企画してくださった上映会とライブに被爆者の岩佐幹三先生ご夫妻と共に東京から杖をつき足を引きづりながらも駆けつけてくださいました。
▲昨年2015年7月27日、石川県での上映&ライブに来てくださった伊藤直子さん(左)
昨年夏に行われた石川県で初の「アオギリにたくして」上映を前に、昨年4月、広島市から送られて来た被爆アオギリ2世が、眼下に金沢の街が広がり、晴れた日には日本海まで見渡すことのできる壮大な眺めの大乗寺丘陵公園に植樹されました。被爆者の西村多美子さんに案内いただき今は亡き伊藤直子さんと共に、植樹した被爆アオギリに会いに、夏の上映会&ライブの翌日(2015年7月27日)みんなで一緒に行ったのが、直子さんとの最後となりました。
未だに勉強不足な私を、いつも大きな心で受け止めて、見守りながら応援してくださいました。
この6月にアメリカでの「アオギリにたくして」上映を行い、来年再渡米していくにあたって直子さんに会ってお伺いしたいたくさんのことがありました。今年の上映会がようやく少し一段落し、直子さんに会いにいつお伺いしようかと思っていた時でもありました。
直子さんは被爆者ではありません。「もともとは非行少年たちを更生させていく福祉の仕事をしたいと思っていた」という直子さん。たまたま大学卒業の時の就職で応募のあった被団協に就職され、当時まだ事務所ができたばかりの全国の被爆者の会の協議会である日本被団協の事務局に入り、日本被団協中央相談所の相談員もされながら、ずっと被爆者の方々と共に核兵器廃絶をめざしてがんばる被爆者の運動をかげからずっと支えてきた方です。直子さんの存在は、被爆者運動の中でとてもとても大きな存在だったのではないかと思います。そして、直子さんは体験のない我々が次の世代に語り継いでいくことの大切さをいつも語り、どんな時も応援し続けてくださいました。
直子さんが亡くなられてしまった…その悲しみがいえない時に、直子さんや被爆者の皆様と共に被爆者集団訴訟を戦ってこられた全国弁護団団長の池田眞規先生の訃報を受け取りました。池田先生にもこれまで大変お世話になり、いつも応援くださり、お話を聞かせてくださいました。世界から熱い視線が寄せられた「く」の字に曲がっている百里基地の誘導路のお話は、戦争の惨禍の再現を無条件に否定する信念を生活の中で貫いて戦ってきた人々の誠実さに我々が関心を持って真剣に学ぶことの大切さを教えていただきました。軍隊のない国コスタリカの平和教育について熱く語られ、被爆体験を伝えた時の感動的なお話を今も忘れることができません。いつかコスタリカに一緒に行って「アオギリにたくして」を上映をしましょう!とお話したのが最後となってしまいました。
常に被爆者の方々の心に寄り添われながら…
被爆者の皆様と共に、被爆者運動を支えてこられたお二人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
下記は、伊藤直子さんが映画「アオギリにたくして」製作に向けてたくしてくださった2012年12月のメッセージです。改めて読み返しながら、直子さんから受け取ったたくさんの想いを伝えていきたいと思います。
〜「アオギリにたくして」への期待と被爆者〜
広島・長崎に投下された原子爆弾に被爆して被爆者健康手帳を所持する被爆者は、2012年3月末210,830人となっています。この数字は被爆者健康手帳所持者が一番多かった32年前の1980年の372,264人から16万人を超える被爆者が亡くなられたことを示しています。平均年齢が77.44歳となっています。
近年被爆者の高齢化が叫ばれていますが、実体験をした被爆者が年々加速的に亡くなっていかれているのが現実です。
被爆者の一番少ない秋田県の被爆者健康手帳所持者は38人です。病気のため体験を語れる被爆者が本当に少なくなっています。また、高齢化に伴って認知症で体験を語れなくなってもいます。これは全国的に共通していることです。それだけに生存する被爆者の被爆体験を継承することは、急ぐ必要があります。継承のかたちは様々なものがあると思います。
中村里美さんの企画・プロデュースによる「アオギリにたくして」は、中村さんが被爆者沼田鈴子さんの被爆体験と被爆者としての戦後66年の人生を「継承」して、沼田さんの核兵器廃絶の願いを世界に発信しようとするものです。
1986年にアメリカで広島・長崎を伝えるネバーアゲインキャンペーンの第1期生となった中村さんは、出発前の準備の研修会で沼田さんと知り合ったということですが、多分彼女にとって初めての「被爆者」だったと思います。以来沼田さんがお亡くなりになられる直前まで親交を重ねられていました。
最近強く思うことですが、被爆者の体験は確かに深刻です。「かわいそうに」と同情しがちですが、深刻な体験を持つ被爆者たちの多くは元気だということです。それは病気をしたり、不安を抱きながらも67年生きてきたこと。自らの被爆体験を語ることで、小中学生などから感謝され、体験を語ることが生きがいとなっているからだと思います。悲しいこと、悔しいこと、苦しいことなどたくさんある中でも、被爆体験を語ることを通して、それが世界の平和につながっていること、目の前で子供たちが目を輝かせて聞いてくれることが喜びになっているのです。長く生きて、体験を語らなくてはとの思いが強くなっているようです。沼田さんもきっとそんな思いだったのではないでしょうか。沼田さんが原爆に抗うようになった姿は、たくさん被爆者に共通しています。被爆者の人間としての強さも見えてくると思います。「アオギリにたくして」が描く被爆者の戦後の人生を通して、核兵器廃絶への世論が、国際的なものになることを期待します。
伊藤直子(2012.12.25)
広島・長崎の被爆者の方々に寄り添って人生を歩まれたお二人が、相次いで亡くなられたことを知り、心にぽっかり穴が開いて、この悲しみをどの様に自分の中で整理したらいいのかわからないまま、11月が終わろうとしています。
ちょうどオフィスの引越しを翌日に控えて、上映会とも重なり、体調を崩しながら、あまりにも忙しかった時期と重なり、呑田務さんからいただいたメールのお知らせを見たのが遅くなってしまいました。お二人が亡くなられたことを知った後も、あまりのショックでしばらく言葉になりませんでした…。
ヒロシマ・ナガサキは教科書の中の過去の出来事としか思ってなかった私が、30年以上前に、たまたま応募した草の根ボランティア活動「ネバー・アゲイン・キャンペーン」の第1期民間大使として一年間渡米することになり、被爆者の方々の証言を聞くために一番最初にご相談に伺ったのが伊藤直子さんでした。
伊藤直子さんは、日本被団協事務局員および、日本被団協原爆被爆者中央相談所相談員として勤められ、定年退職後も、社団法人中央相談所理事、社団法人解散後は中央相談所委員会委員として、日本被団協の相談活動に貢献されました。
21歳の時「ネバー・アゲイン・キャンペーン」代表の北浦葉子さんから「伊藤さんに嫌われたらもう終わりなのよ!」と何度も厳しく言われ、言われている意味もよくわからないまま、不勉強でヒロシマ・ナガサキのことを何も知らず、平和について改めて考えてみたこともなかった私は、ビクビクしながらご挨拶しに伺いました。お会いすると、それだけ北浦葉子さんが信頼された方なのだということがすぐにわかりました。
伊藤直子さんに初めてお会いした時、厳しい眼差しの中にある誠実で真剣な思いと、現実をしっかりと受け止めながらも、負けずに力強く生きていくことの大切さを知り、直子さんから滲み出てくる優しさに、理想と希望を持って生きることの偉大さのようなものを感じたことを覚えています。そして、直子さんは、戦後生まれで戦争体験も原爆の体験もない者たちが語り継いでいくことの大切さを語ってくださいました。
「体験のない者に一体何が伝えられるのだろう?」と、渡米が決まった後も不案でいっぱいだった私にとって、伊藤直子さんの存在はとても厳しくもあり、そしてとても力強いものでした。
直子さんと最後にお会いしたのは、昨年の夏。石川県文教会館ホールで開催された映画「アオギリにたくして」上映会と、歌と語りで伝える「いのちの音色」中村里美&伊藤茂利ライブでした。石川県原爆被災者友の会会長の西本多美子さんはじめ皆様が企画してくださった上映会とライブに被爆者の岩佐幹三先生ご夫妻と共に東京から杖をつき足を引きづりながらも駆けつけてくださいました。
▲昨年2015年7月27日、石川県での上映&ライブに来てくださった伊藤直子さん(左)
昨年夏に行われた石川県で初の「アオギリにたくして」上映を前に、昨年4月、広島市から送られて来た被爆アオギリ2世が、眼下に金沢の街が広がり、晴れた日には日本海まで見渡すことのできる壮大な眺めの大乗寺丘陵公園に植樹されました。被爆者の西村多美子さんに案内いただき今は亡き伊藤直子さんと共に、植樹した被爆アオギリに会いに、夏の上映会&ライブの翌日(2015年7月27日)みんなで一緒に行ったのが、直子さんとの最後となりました。
未だに勉強不足な私を、いつも大きな心で受け止めて、見守りながら応援してくださいました。
この6月にアメリカでの「アオギリにたくして」上映を行い、来年再渡米していくにあたって直子さんに会ってお伺いしたいたくさんのことがありました。今年の上映会がようやく少し一段落し、直子さんに会いにいつお伺いしようかと思っていた時でもありました。
直子さんは被爆者ではありません。「もともとは非行少年たちを更生させていく福祉の仕事をしたいと思っていた」という直子さん。たまたま大学卒業の時の就職で応募のあった被団協に就職され、当時まだ事務所ができたばかりの全国の被爆者の会の協議会である日本被団協の事務局に入り、日本被団協中央相談所の相談員もされながら、ずっと被爆者の方々と共に核兵器廃絶をめざしてがんばる被爆者の運動をかげからずっと支えてきた方です。直子さんの存在は、被爆者運動の中でとてもとても大きな存在だったのではないかと思います。そして、直子さんは体験のない我々が次の世代に語り継いでいくことの大切さをいつも語り、どんな時も応援し続けてくださいました。
直子さんが亡くなられてしまった…その悲しみがいえない時に、直子さんや被爆者の皆様と共に被爆者集団訴訟を戦ってこられた全国弁護団団長の池田眞規先生の訃報を受け取りました。池田先生にもこれまで大変お世話になり、いつも応援くださり、お話を聞かせてくださいました。世界から熱い視線が寄せられた「く」の字に曲がっている百里基地の誘導路のお話は、戦争の惨禍の再現を無条件に否定する信念を生活の中で貫いて戦ってきた人々の誠実さに我々が関心を持って真剣に学ぶことの大切さを教えていただきました。軍隊のない国コスタリカの平和教育について熱く語られ、被爆体験を伝えた時の感動的なお話を今も忘れることができません。いつかコスタリカに一緒に行って「アオギリにたくして」を上映をしましょう!とお話したのが最後となってしまいました。
常に被爆者の方々の心に寄り添われながら…
被爆者の皆様と共に、被爆者運動を支えてこられたお二人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
下記は、伊藤直子さんが映画「アオギリにたくして」製作に向けてたくしてくださった2012年12月のメッセージです。改めて読み返しながら、直子さんから受け取ったたくさんの想いを伝えていきたいと思います。
〜「アオギリにたくして」への期待と被爆者〜
広島・長崎に投下された原子爆弾に被爆して被爆者健康手帳を所持する被爆者は、2012年3月末210,830人となっています。この数字は被爆者健康手帳所持者が一番多かった32年前の1980年の372,264人から16万人を超える被爆者が亡くなられたことを示しています。平均年齢が77.44歳となっています。
近年被爆者の高齢化が叫ばれていますが、実体験をした被爆者が年々加速的に亡くなっていかれているのが現実です。
被爆者の一番少ない秋田県の被爆者健康手帳所持者は38人です。病気のため体験を語れる被爆者が本当に少なくなっています。また、高齢化に伴って認知症で体験を語れなくなってもいます。これは全国的に共通していることです。それだけに生存する被爆者の被爆体験を継承することは、急ぐ必要があります。継承のかたちは様々なものがあると思います。
中村里美さんの企画・プロデュースによる「アオギリにたくして」は、中村さんが被爆者沼田鈴子さんの被爆体験と被爆者としての戦後66年の人生を「継承」して、沼田さんの核兵器廃絶の願いを世界に発信しようとするものです。
1986年にアメリカで広島・長崎を伝えるネバーアゲインキャンペーンの第1期生となった中村さんは、出発前の準備の研修会で沼田さんと知り合ったということですが、多分彼女にとって初めての「被爆者」だったと思います。以来沼田さんがお亡くなりになられる直前まで親交を重ねられていました。
最近強く思うことですが、被爆者の体験は確かに深刻です。「かわいそうに」と同情しがちですが、深刻な体験を持つ被爆者たちの多くは元気だということです。それは病気をしたり、不安を抱きながらも67年生きてきたこと。自らの被爆体験を語ることで、小中学生などから感謝され、体験を語ることが生きがいとなっているからだと思います。悲しいこと、悔しいこと、苦しいことなどたくさんある中でも、被爆体験を語ることを通して、それが世界の平和につながっていること、目の前で子供たちが目を輝かせて聞いてくれることが喜びになっているのです。長く生きて、体験を語らなくてはとの思いが強くなっているようです。沼田さんもきっとそんな思いだったのではないでしょうか。沼田さんが原爆に抗うようになった姿は、たくさん被爆者に共通しています。被爆者の人間としての強さも見えてくると思います。「アオギリにたくして」が描く被爆者の戦後の人生を通して、核兵器廃絶への世論が、国際的なものになることを期待します。
伊藤直子(2012.12.25)
2016年09月16日
日本山妙法寺の純さんと日本で再会〜!
2016年08月27日
30年ぶりの映画『ホピの予言』
「ホピ」は、アメリカ先住民のホピ族のことで、「ホピ」は「平和」という意味です。
映画「ホピの予言」は、1986年に製作された作品で、その1986年という年は、私がアメリカにヒロシマ・ナガサキの被爆者のメッセージを届けに行った年でもあります。
それは、アメリカに行く前だったのか、帰ってきてからのことだったかはよく覚えていませんが、たぶん私は原宿で観たような記憶があります。とにかく30年ほど前に、いろんなところで自主上映されていたと記憶するのがこの「ホピの予言」という映画です。
あれから30年たっているとはびっくりですが、この「ホピの予言」という映画のDVDを、先日「アオギリにたくして」上映会と「いのちの音色」ライヴでお世話になった島根県の「雲南アオギリ会」の三瓶裕美さんが持っておられ、借してくださり、本日東京のオフィスで30年ぶりに観ました。
偉大なる精霊からの教えを2000年以上に渡って部族の間で語り継いできたホピは、広島と長崎の原爆投下を、ホピの予言の中に伝わる「灰のびっしりつまったヒョウタン」と解釈し、予言が語る人類への警告を世界に発信し始めます。ホピのいう平和は、母なる大地に生きる全ての生命との調和にあり、それはアメリカ先住民に共通する世界観でもあります。
映画「ホピの予言」の中に、お母さんのお腹の中にいた時に原爆にあい、小頭症として生まれた畠中百合子さんと今は亡きお父さんの国三さんが登場しています。
散髪屋さんをされていた畠中国三さんのお家に、百合子さんに会いに伺ったのは、私が22才の時。1986年の夏のことでした。
その時にお伺いしたお話を、今でも、歌と語りで伝える「いのちの音色」120分ライブの中で、ギタリストの伊藤茂利が朗読させていただいています。畠中国三さんと百合子さんの姿を「ホピの予言」の中で、30年ぶりに拝見させていただきながら、あの頃の記憶が蘇りました。
アメリカの学校や教会などで、日本文化の紹介と共に10フィート運動で生まれた原爆映画「にんげんをかえせ」の上映ボランティアをしていた私は、ホームステイ先の牧師さんにすすめられ、1987年の母の日に行われたネバダ核実験場でのデモの取材に向かいました。ネバダでの核実験による近隣の住民の健康被害が重大な問題となっており、3000人を超えるお母さんや祖父母、ネイティブインディアンの方々が核実験反対を訴えていました。
非暴力の訓練が事前に行われ、放射能による危険区域と書かれたエリアに有刺鉄線を乗り越えて、核実験場へとゆっくりと歩いていくお母さんやお父さん、おじいちゃんやおばあちゃん。危険区域に入り込み、逮捕され、手錠をかけられた両腕を上に掲げ、歌いながら踊りながら微笑みながら、子供を守るために逮捕されていく人々。一眼レフのシャッターを切りながら、頬を伝わる涙が止まらなかったあの日‥‥。
その後、ネバダの砂漠にテントを張り、ピースキャンプが開かれました。ネバダ核実験場の前にラスベガスから燃料を運び、原爆映画「にんげんをかえせ」の上映をさせていただきました。その映像を観て強い衝撃を受けた人々の表情を今も忘れることが出来ません。ウランの採掘の段階から核被害を受け続け、核実験によっても兵士や近隣の住民に核被害が及んでいる中で、実際に原爆が人間の上に投下されたヒロシマ・ナガサキの実情を前に「にんげんをかえせ」を観た人々は言葉を失っていました。
核実験場で働いている人々の立場も考えて、他の就職先を紹介するボードを持って抗議する人々。「アイ・ラブ・ユー」のサインを掲げて核実験反対を訴える人々。核兵器製造のための材料を積んだトラックに向かって人間の鎖をつくって止めようとした人々‥‥。
大手マスコミが伝える情報には限界があり、あの時、ネバダの核実験場にテントを張って反対を訴えていた人々や、有刺鉄線を乗り越えて歌い踊りながら逮捕されていった500人以上の人々、千羽鶴を折って原爆養護ホームに届けてくれた子供たち、8月6日に路上に立ち「原爆反対」を訴えていた人々のことが日本の大手ニュースで伝わることはありません。
しかし、帰国した後、スミソニアン博物館の原爆展中止の情報が伝えられた時も、そのニュースを見ながら私が思い出すのは、30年前に会った平和を愛する人々の姿でした。
どの国にも、恐れに操られることなく、平和を愛する人々がいて、本当の平和の意味を知る人がいる。
たとえ、すべての期待が消えたとしても、暗闇の先に見える光を信じ、たとえどんな痛みの中にあろうとも、揺るぎない確かな思いを持ち続けていけるのは、国籍・民族・世代など様々な違いを超えて、平和を心から願うたくさんの人々の魂に触れる出会いをいただいたからだと思います。
これまでの30年を振り返りながら、改めて次の30年に向かってどう生きていくかに思いを馳せながら‥‥平和を愛する世界の人々への感謝を胸に、今日は眠りにつきたいと思います。
「ホピの予言」は、あれから30年経った今も、しっかりと大切なメッセージを投げかけてくれる作品です。機会あれば是非ご覧になってください〜♪
映画「ホピの予言」は、1986年に製作された作品で、その1986年という年は、私がアメリカにヒロシマ・ナガサキの被爆者のメッセージを届けに行った年でもあります。
それは、アメリカに行く前だったのか、帰ってきてからのことだったかはよく覚えていませんが、たぶん私は原宿で観たような記憶があります。とにかく30年ほど前に、いろんなところで自主上映されていたと記憶するのがこの「ホピの予言」という映画です。
あれから30年たっているとはびっくりですが、この「ホピの予言」という映画のDVDを、先日「アオギリにたくして」上映会と「いのちの音色」ライヴでお世話になった島根県の「雲南アオギリ会」の三瓶裕美さんが持っておられ、借してくださり、本日東京のオフィスで30年ぶりに観ました。
偉大なる精霊からの教えを2000年以上に渡って部族の間で語り継いできたホピは、広島と長崎の原爆投下を、ホピの予言の中に伝わる「灰のびっしりつまったヒョウタン」と解釈し、予言が語る人類への警告を世界に発信し始めます。ホピのいう平和は、母なる大地に生きる全ての生命との調和にあり、それはアメリカ先住民に共通する世界観でもあります。
映画「ホピの予言」の中に、お母さんのお腹の中にいた時に原爆にあい、小頭症として生まれた畠中百合子さんと今は亡きお父さんの国三さんが登場しています。
散髪屋さんをされていた畠中国三さんのお家に、百合子さんに会いに伺ったのは、私が22才の時。1986年の夏のことでした。
その時にお伺いしたお話を、今でも、歌と語りで伝える「いのちの音色」120分ライブの中で、ギタリストの伊藤茂利が朗読させていただいています。畠中国三さんと百合子さんの姿を「ホピの予言」の中で、30年ぶりに拝見させていただきながら、あの頃の記憶が蘇りました。
アメリカの学校や教会などで、日本文化の紹介と共に10フィート運動で生まれた原爆映画「にんげんをかえせ」の上映ボランティアをしていた私は、ホームステイ先の牧師さんにすすめられ、1987年の母の日に行われたネバダ核実験場でのデモの取材に向かいました。ネバダでの核実験による近隣の住民の健康被害が重大な問題となっており、3000人を超えるお母さんや祖父母、ネイティブインディアンの方々が核実験反対を訴えていました。
非暴力の訓練が事前に行われ、放射能による危険区域と書かれたエリアに有刺鉄線を乗り越えて、核実験場へとゆっくりと歩いていくお母さんやお父さん、おじいちゃんやおばあちゃん。危険区域に入り込み、逮捕され、手錠をかけられた両腕を上に掲げ、歌いながら踊りながら微笑みながら、子供を守るために逮捕されていく人々。一眼レフのシャッターを切りながら、頬を伝わる涙が止まらなかったあの日‥‥。
その後、ネバダの砂漠にテントを張り、ピースキャンプが開かれました。ネバダ核実験場の前にラスベガスから燃料を運び、原爆映画「にんげんをかえせ」の上映をさせていただきました。その映像を観て強い衝撃を受けた人々の表情を今も忘れることが出来ません。ウランの採掘の段階から核被害を受け続け、核実験によっても兵士や近隣の住民に核被害が及んでいる中で、実際に原爆が人間の上に投下されたヒロシマ・ナガサキの実情を前に「にんげんをかえせ」を観た人々は言葉を失っていました。
核実験場で働いている人々の立場も考えて、他の就職先を紹介するボードを持って抗議する人々。「アイ・ラブ・ユー」のサインを掲げて核実験反対を訴える人々。核兵器製造のための材料を積んだトラックに向かって人間の鎖をつくって止めようとした人々‥‥。
大手マスコミが伝える情報には限界があり、あの時、ネバダの核実験場にテントを張って反対を訴えていた人々や、有刺鉄線を乗り越えて歌い踊りながら逮捕されていった500人以上の人々、千羽鶴を折って原爆養護ホームに届けてくれた子供たち、8月6日に路上に立ち「原爆反対」を訴えていた人々のことが日本の大手ニュースで伝わることはありません。
しかし、帰国した後、スミソニアン博物館の原爆展中止の情報が伝えられた時も、そのニュースを見ながら私が思い出すのは、30年前に会った平和を愛する人々の姿でした。
どの国にも、恐れに操られることなく、平和を愛する人々がいて、本当の平和の意味を知る人がいる。
たとえ、すべての期待が消えたとしても、暗闇の先に見える光を信じ、たとえどんな痛みの中にあろうとも、揺るぎない確かな思いを持ち続けていけるのは、国籍・民族・世代など様々な違いを超えて、平和を心から願うたくさんの人々の魂に触れる出会いをいただいたからだと思います。
これまでの30年を振り返りながら、改めて次の30年に向かってどう生きていくかに思いを馳せながら‥‥平和を愛する世界の人々への感謝を胸に、今日は眠りにつきたいと思います。
「ホピの予言」は、あれから30年経った今も、しっかりと大切なメッセージを投げかけてくれる作品です。機会あれば是非ご覧になってください〜♪
2016年06月20日
YouTube ピート・シーガーがバンジョーを弾きながら歌う「原爆を許すまじ」」
アメリカのフォークソングの第一人者だった ピート・シーガー氏の歌う「原爆を許すまじ」のYouTubeの映像です〜♪
Never Again The A Bomb Pete Seeger 17 24 1963
▲ youtube ピート・シーガー「原爆を許すまじ」
https://www.youtube.com/watch?v=AxH4FWjHdMM
映画『アオギリにたくして』のこの度のアメリカ上映を企画してくださったネバー・アゲイン・キャンペーン代表のレイスロップ(元)教授より本日メールで送られてきましたので、ご紹介します〜♪♪
Never Again The A Bomb Pete Seeger 17 24 1963
▲ youtube ピート・シーガー「原爆を許すまじ」
https://www.youtube.com/watch?v=AxH4FWjHdMM
映画『アオギリにたくして』のこの度のアメリカ上映を企画してくださったネバー・アゲイン・キャンペーン代表のレイスロップ(元)教授より本日メールで送られてきましたので、ご紹介します〜♪♪
2016年06月17日
「被爆者という人間はいない」
この度の映画「アオギリにたくして」アメリカ上映を無事終えて、これから夏に向けて日本国内での上映行脚が始まります。
日本に帰国し、2週間留守にしていたので、しばらくは山済みとなった仕事に追われていましたが、ようやく少し落ち着きました。
アメリカ上映に出る前に、国内で暮らす外国人や留学生に映画を観ていただく機会をいただいていたので、ある程度の手応えは予測していましたが、思った以上の反響をいただきました。
きっとそれだけ、被爆者の方々が原爆投下後にどんな思いで生きたかを想像力を持って考えてみる機会がなく、被爆者の方々の実情が知られていないのだと改めて感じました。
アメリカでの上映中に、オバマ大統領の広島平和記念公園でのスピーチの際にも出席されていた被爆者の岩佐幹三さんが、石川県金沢での「アオギリにたくして」上映の際に語っておられた「被爆者という人間はいない」という言葉が何度も思い出されました。
この世の中に、被爆者という特殊な人間はいない。ふつうの人間が、戦争、原爆の被害にあって、被爆者という運命を背負わされた。そして、私たちも、もしかしたら明日は被爆者になるかもしれない。
No more Hiroshima, No more Nagasaki, No more Hibakusya,
No more war!
被爆者の方々の心の叫びに耳を傾向け、核なき世界の実現に向けて、現実的に進まない現状への批判や評論だけではなく、「自分に出来ることは何か?」を一人一人が考えていくことが大切だと思います。
この度のアメリカ上映では、いろいろなコメントをいただきましたが、上映後にいただいたコメントの中で、私にとって一番心にしみたのは、「なぜ被爆者は、こんなにも自分が辛く苦しい体験をしながら、平和を願い、平和への貢献を果たそうとすることが出来るのでしょうか」というものでした。
まさに、その部分を深く感じとっていただけたなら、そこから平和が始まっていくと感じました。
被爆者の方々の「世界中の誰にも自分と同じ苦しみをさせたくない」という思いは、生き地獄の中を生きた被爆者の方々が、絶望の果てに見た心の叫びであり、祈りなのだと思います。
世界を見渡せば、憎しみの連鎖によるテロが広がりつつある中で、
「憎しみではなく、愛の連鎖を生み出せる人になってください」と語っていた「アオギリにたくして」のモデルとなった故沼田鈴子さんの言葉が何度も思い出されます。
本当は忘れてしまいたい、二度と思い出したくない辛い体験を、世界の平和と地球の未来のために語り継ぎ、愛の連鎖を生み出すことの大切さを教えてくださった被爆者の方々のメッセージこそ、今日本が世界に伝えていくべき大切なメッセージだと思います。
ヒロシマ・ナガサキの実情はまだまだ知られておらず、それはアメリカや海外だけの話ではなく、悲しいかな日本でも同じ状況なのかもしれません。私自身もそうであったように‥‥。
地道で小さな一歩一歩ではありますが、これからも国内・海外共に命の尊さと平和を愛する心の大切さを伝え、人々の心に平和の種を蒔くことのできる上映&ライブ行脚を続けていきたいと思います。
まずは、これからはじまる日本国内の夏の上映&ライブに向けて全力投球します。次回のアメリカ上映に向けて準備を進めながら、来年春には渡米し上映活動を再開していく予定です。
日本国内1000回上映、アメリカ100回上映&ライブをまずは目指し、その他の国々にも上映&ライブの輪を広げていきたいと思います。
改めて、映画「アオギリにたくして」のアメリカ上映にご支援・ご協力くださった皆様、応援してくださっている皆様に心より感謝申し上げます。今後ともよろしくお願い申しあげます。
日本に帰国し、2週間留守にしていたので、しばらくは山済みとなった仕事に追われていましたが、ようやく少し落ち着きました。
アメリカ上映に出る前に、国内で暮らす外国人や留学生に映画を観ていただく機会をいただいていたので、ある程度の手応えは予測していましたが、思った以上の反響をいただきました。
きっとそれだけ、被爆者の方々が原爆投下後にどんな思いで生きたかを想像力を持って考えてみる機会がなく、被爆者の方々の実情が知られていないのだと改めて感じました。
アメリカでの上映中に、オバマ大統領の広島平和記念公園でのスピーチの際にも出席されていた被爆者の岩佐幹三さんが、石川県金沢での「アオギリにたくして」上映の際に語っておられた「被爆者という人間はいない」という言葉が何度も思い出されました。
この世の中に、被爆者という特殊な人間はいない。ふつうの人間が、戦争、原爆の被害にあって、被爆者という運命を背負わされた。そして、私たちも、もしかしたら明日は被爆者になるかもしれない。
No more Hiroshima, No more Nagasaki, No more Hibakusya,
No more war!
被爆者の方々の心の叫びに耳を傾向け、核なき世界の実現に向けて、現実的に進まない現状への批判や評論だけではなく、「自分に出来ることは何か?」を一人一人が考えていくことが大切だと思います。
この度のアメリカ上映では、いろいろなコメントをいただきましたが、上映後にいただいたコメントの中で、私にとって一番心にしみたのは、「なぜ被爆者は、こんなにも自分が辛く苦しい体験をしながら、平和を願い、平和への貢献を果たそうとすることが出来るのでしょうか」というものでした。
まさに、その部分を深く感じとっていただけたなら、そこから平和が始まっていくと感じました。
被爆者の方々の「世界中の誰にも自分と同じ苦しみをさせたくない」という思いは、生き地獄の中を生きた被爆者の方々が、絶望の果てに見た心の叫びであり、祈りなのだと思います。
世界を見渡せば、憎しみの連鎖によるテロが広がりつつある中で、
「憎しみではなく、愛の連鎖を生み出せる人になってください」と語っていた「アオギリにたくして」のモデルとなった故沼田鈴子さんの言葉が何度も思い出されます。
本当は忘れてしまいたい、二度と思い出したくない辛い体験を、世界の平和と地球の未来のために語り継ぎ、愛の連鎖を生み出すことの大切さを教えてくださった被爆者の方々のメッセージこそ、今日本が世界に伝えていくべき大切なメッセージだと思います。
ヒロシマ・ナガサキの実情はまだまだ知られておらず、それはアメリカや海外だけの話ではなく、悲しいかな日本でも同じ状況なのかもしれません。私自身もそうであったように‥‥。
地道で小さな一歩一歩ではありますが、これからも国内・海外共に命の尊さと平和を愛する心の大切さを伝え、人々の心に平和の種を蒔くことのできる上映&ライブ行脚を続けていきたいと思います。
まずは、これからはじまる日本国内の夏の上映&ライブに向けて全力投球します。次回のアメリカ上映に向けて準備を進めながら、来年春には渡米し上映活動を再開していく予定です。
日本国内1000回上映、アメリカ100回上映&ライブをまずは目指し、その他の国々にも上映&ライブの輪を広げていきたいと思います。
改めて、映画「アオギリにたくして」のアメリカ上映にご支援・ご協力くださった皆様、応援してくださっている皆様に心より感謝申し上げます。今後ともよろしくお願い申しあげます。
2015年04月23日
小西悟先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
日本被団協の元事務局次長の小西悟先生が4月22日にお亡くなりになったお知らせを、伊藤直子さんからいただきました。小西先生はドイツ文学者で、被爆者運動の傍らゲーテのファウストの翻訳もされました。
29年前、アメリカでヒロシマ・ナガサキを伝える草の根ボランティア「ネバー・アゲイン・キャンペーン(N.A.C.)」に参加させていただき、たくさんの皆様にお世話になりましたが、小西先生は、NACの活動をいつもあたたかく見守ってくださっていました。
「今頃は。山口仙二さんと「後は君たちに任せたよ」と肩を組んで笑っているのでは? 」
と書かれた伊藤直子さんのメールを何度も読み返しながら、涙が止まりません。
自分の人生の原点となるN.A.C.の体験を通して、たくさんの方々のお世話になりました。「いのちの尊さ」「平和の大切さ」を、そして、人として生まれ、人として生きる上で、何が大切かを、その生き様を通して教えてくださった方々が、毎年亡くなられていく中で…。その足下にも及ばず、何も恩返しも出来ずにいる自分が情けなく、悲しみに押しつぶされそうになります…。
今、自分に出来る事は何か…。今、自分がすべき事は何か…。
自問自答しながら一歩、一歩…。歩んでいきたいと思います。
小西悟先生、本当にありがとうございました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
29年前、アメリカでヒロシマ・ナガサキを伝える草の根ボランティア「ネバー・アゲイン・キャンペーン(N.A.C.)」に参加させていただき、たくさんの皆様にお世話になりましたが、小西先生は、NACの活動をいつもあたたかく見守ってくださっていました。
「今頃は。山口仙二さんと「後は君たちに任せたよ」と肩を組んで笑っているのでは? 」
と書かれた伊藤直子さんのメールを何度も読み返しながら、涙が止まりません。
自分の人生の原点となるN.A.C.の体験を通して、たくさんの方々のお世話になりました。「いのちの尊さ」「平和の大切さ」を、そして、人として生まれ、人として生きる上で、何が大切かを、その生き様を通して教えてくださった方々が、毎年亡くなられていく中で…。その足下にも及ばず、何も恩返しも出来ずにいる自分が情けなく、悲しみに押しつぶされそうになります…。
今、自分に出来る事は何か…。今、自分がすべき事は何か…。
自問自答しながら一歩、一歩…。歩んでいきたいと思います。
小西悟先生、本当にありがとうございました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
2015年03月12日
3・11から4年…
3・11から4年…。
「生きるということ」を改めて深く考える日々だった。
2010年秋に、米国ワシントンの(財)カーネギー地球物理学研究所へ広島市長のメッセージを届け、海外で初のピースライブと被爆アオギリ2世の植樹を山中先生が企画してくださり、その時のご報告をするために、今は亡き沼田鈴子さんに会いに広島を訪れたのは、3・11の一週間後だった。
まだメルトダウンも告げられず、原発事故の全容がつかめていなかった時から、沼田さんはもの凄い危機感を感じていた。あの時の沼田さんの心の叫びを今も忘れる事ができない。
3・11から4ヶ月後、沼田さんは亡くなった。亡くなる一ヶ月前、最期のお誕生日(87才)に捧げた歌「アオギリにたくして」を「平和記念公園のアオギリの木の下で子供達と一緒に歌いましょう」と話していた。「死ぬのは簡単だけど、生きて伝えなければ…」と車イスに座った沼田さんは、膝の上に握りこぶしを立てて言った。それが沼田さんと交わした最期の言葉となった。
それまで、映画に興味の全くなかった私が、映画をつくりはじめたのは、この沼田さんの最期の言葉がきっかけとなった。
結婚を3日後に控えて原爆にあい、麻酔薬もないまま大腿部よりのこぎりで左足を切断。その後、婚約者の死を知らされ絶望の淵にたち、自殺することばかり考えていたという沼田さん。その後、長い年月を経て、沼田さんが被爆体験を語るようになったのは晩年になってからのことだった。
被爆者に対する差別や偏見もある中で、本当は忘れてしまいたい、二度と思い出したくない体験を語り始めるまでに、どれ程の心の葛藤があったことだろう。
そして沼田さんは、自分の被爆体験を語るだけではなく、ハワイやマレーシア、韓国、中国などを訪れ、戦争犠牲者の慰霊の旅を続けていった。
戦後50年に、日本に滞在するアメリカ・ドイツ・スペイン・中国・韓国・マレーシア・フィリピンなど8カ国の出演者と共に被爆体験の朗読と自分たちの家族の戦争体験を伝える朗読劇「トンボが消えた日」をプロデュースした際には、沼田さんのお話を聞きにみんなで広島を訪れた。
待ち合わせは、いつものアオギリの木の下。痛みを持つ人々の声に耳を傾け、事実を直視する強さを持ち、その上で加害・被害を超えて、同じ地球に命を授かった我々が、今平和のために何ができるのか? 沼田さんのお話と普遍的なメッセージは、国籍・民族・世代を超え、みんなの心に深く響いた。
「憎しみではなく、愛の連鎖を生み出せる人になってね」。一番大切なのは「優しい心」
沼田さんの言葉は、いつも感謝と希望に満ちていた。至らないことがあっても決して人をただ批判することなく、自分と考えの違う人がいても攻撃するのではなく、いつも全身全霊で平和の大切さ、いのちの尊さを伝え、その言葉はいつも愛と思いやりに満ちていた。
沼田さんが生きる上でのモットーとされていた言葉=「出会い」「感動」「発見」「出発」
その生き様を通して、沼田さんが私たちに教えてくださった事を大切に生きていきたい。
沼田さんの半生をモデルに描いた劇映画「アオギリにたくして」は、2013年夏に完成し、昨年末までに350回を超える上映会が行われた。大手の資本等いっさい入っておらず、応援してくださる皆様からの募金と我々の借金だけで作ったこの映画は、十分な資金力もなく、宣伝力もない映画であるにも関わらず、観てくださった方々が感動を伝えてくださり、次の上映を企画してくださり、戦後70年を迎える今年、日本全国に上映の輪が広がっている。
沼田さんに初めて出会ったのは、29年前の22才の頃だった。自分の両親の世代は戦争を体験しているにもかかわらず、それまで私にとって戦争や原爆は昔に起きた過去の出来事でしかなかった。そして、被爆者の方々の話を聞かせていただいてもなお、最初はしっかりと受け止める事ができずにいる自分がいた。そんな私が、沼田さんはじめたくさんの被爆者の方々との出会い、そしてヒロシマ・ナガサキを世界に伝える中で、いのちへの深い感謝を持って生きるようになった。
「被爆体験を語り継ぐ事、それは私にとって一粒の平和への種蒔きです」と語っていた沼田さん。
「アオギリにたくして」が、今を生きる若い世代に「いのち」と「平和」を考える一つのきっかけになればと心より願っている。今回の作品は、若き青春の日々を中心に描いているが、いつか語り部となってからの後半生をより深く描いてみたいと思う。
3・11から4年…。
いくつものプレートの上に位置している地震大国日本。核のゴミの処分に筋道もたたないまま…この小さな島国の海岸線には50基以上もの原発がすでに存在している。
問題解決をしていく上で、「命の尊厳と」「自然との共生」への視点はかかせない。とするならば、今私たちはどうあるべきなのか?
一人一人の生き様が問われている。
「生きるということ」を改めて深く考える日々だった。
2010年秋に、米国ワシントンの(財)カーネギー地球物理学研究所へ広島市長のメッセージを届け、海外で初のピースライブと被爆アオギリ2世の植樹を山中先生が企画してくださり、その時のご報告をするために、今は亡き沼田鈴子さんに会いに広島を訪れたのは、3・11の一週間後だった。
まだメルトダウンも告げられず、原発事故の全容がつかめていなかった時から、沼田さんはもの凄い危機感を感じていた。あの時の沼田さんの心の叫びを今も忘れる事ができない。
3・11から4ヶ月後、沼田さんは亡くなった。亡くなる一ヶ月前、最期のお誕生日(87才)に捧げた歌「アオギリにたくして」を「平和記念公園のアオギリの木の下で子供達と一緒に歌いましょう」と話していた。「死ぬのは簡単だけど、生きて伝えなければ…」と車イスに座った沼田さんは、膝の上に握りこぶしを立てて言った。それが沼田さんと交わした最期の言葉となった。
それまで、映画に興味の全くなかった私が、映画をつくりはじめたのは、この沼田さんの最期の言葉がきっかけとなった。
結婚を3日後に控えて原爆にあい、麻酔薬もないまま大腿部よりのこぎりで左足を切断。その後、婚約者の死を知らされ絶望の淵にたち、自殺することばかり考えていたという沼田さん。その後、長い年月を経て、沼田さんが被爆体験を語るようになったのは晩年になってからのことだった。
被爆者に対する差別や偏見もある中で、本当は忘れてしまいたい、二度と思い出したくない体験を語り始めるまでに、どれ程の心の葛藤があったことだろう。
そして沼田さんは、自分の被爆体験を語るだけではなく、ハワイやマレーシア、韓国、中国などを訪れ、戦争犠牲者の慰霊の旅を続けていった。
戦後50年に、日本に滞在するアメリカ・ドイツ・スペイン・中国・韓国・マレーシア・フィリピンなど8カ国の出演者と共に被爆体験の朗読と自分たちの家族の戦争体験を伝える朗読劇「トンボが消えた日」をプロデュースした際には、沼田さんのお話を聞きにみんなで広島を訪れた。
待ち合わせは、いつものアオギリの木の下。痛みを持つ人々の声に耳を傾け、事実を直視する強さを持ち、その上で加害・被害を超えて、同じ地球に命を授かった我々が、今平和のために何ができるのか? 沼田さんのお話と普遍的なメッセージは、国籍・民族・世代を超え、みんなの心に深く響いた。
「憎しみではなく、愛の連鎖を生み出せる人になってね」。一番大切なのは「優しい心」
沼田さんの言葉は、いつも感謝と希望に満ちていた。至らないことがあっても決して人をただ批判することなく、自分と考えの違う人がいても攻撃するのではなく、いつも全身全霊で平和の大切さ、いのちの尊さを伝え、その言葉はいつも愛と思いやりに満ちていた。
沼田さんが生きる上でのモットーとされていた言葉=「出会い」「感動」「発見」「出発」
その生き様を通して、沼田さんが私たちに教えてくださった事を大切に生きていきたい。
沼田さんの半生をモデルに描いた劇映画「アオギリにたくして」は、2013年夏に完成し、昨年末までに350回を超える上映会が行われた。大手の資本等いっさい入っておらず、応援してくださる皆様からの募金と我々の借金だけで作ったこの映画は、十分な資金力もなく、宣伝力もない映画であるにも関わらず、観てくださった方々が感動を伝えてくださり、次の上映を企画してくださり、戦後70年を迎える今年、日本全国に上映の輪が広がっている。
沼田さんに初めて出会ったのは、29年前の22才の頃だった。自分の両親の世代は戦争を体験しているにもかかわらず、それまで私にとって戦争や原爆は昔に起きた過去の出来事でしかなかった。そして、被爆者の方々の話を聞かせていただいてもなお、最初はしっかりと受け止める事ができずにいる自分がいた。そんな私が、沼田さんはじめたくさんの被爆者の方々との出会い、そしてヒロシマ・ナガサキを世界に伝える中で、いのちへの深い感謝を持って生きるようになった。
「被爆体験を語り継ぐ事、それは私にとって一粒の平和への種蒔きです」と語っていた沼田さん。
「アオギリにたくして」が、今を生きる若い世代に「いのち」と「平和」を考える一つのきっかけになればと心より願っている。今回の作品は、若き青春の日々を中心に描いているが、いつか語り部となってからの後半生をより深く描いてみたいと思う。
3・11から4年…。
いくつものプレートの上に位置している地震大国日本。核のゴミの処分に筋道もたたないまま…この小さな島国の海岸線には50基以上もの原発がすでに存在している。
問題解決をしていく上で、「命の尊厳と」「自然との共生」への視点はかかせない。とするならば、今私たちはどうあるべきなのか?
一人一人の生き様が問われている。
2015年02月05日
「憎しみではなく、愛の連鎖を生み出せる人になってね」お世話になったヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々の言葉を胸に…
「憎しみの連鎖ではなく、愛の連鎖を生み出せる人になってください」。
今は亡き、映画「アオギリにたくして」のモデルとなった沼田鈴子さんのメッセージを伝えながら…。「平和の尊さ」と「いのちの大切さ」への思いをアオギリにたくして…、観てくださった方々の心に平和の種が蒔かれていく事を願いながら、2015年も日本全国での上映活動に力を入れていきたいと思います。
憎しみの連鎖によるテロが世界に広がる中、「世界中の誰にも二度と同じ苦しみをさせたくない」と願い、本当は忘れてしまいたい辛く悲しい体験を語り継いでくださったヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々のメッセージにしっかりと耳を傾け、伝えていきたいと思います。
〜Seeds of Peace!! 平和の種を世界へ〜
◎ 映画「アオギリにたくして」自主上映の呼びかけ
⇒ http://aogiri-movie.net/myscreen/
上映に関するお問い合わせは、E-mail: info@musevoice.com
2014年06月03日
沖縄県平和祈念資料館〜平和の心を世界へ〜
「アオギリにたくして」上映活動の合間に、どうしても行きたかった沖縄県平和祈念資料館に伺いました。
広島、長崎、そして沖縄……。
世界中のいたるところで起きた悲しみや苦しみ…。
今も起こりつつある戦争…。
沖縄で、改めて戦争について、平和について、人間について、いのちについて、生きるという事について……そして自分自身の生き様について、考える時間をいただきました。
平和祈念資料館の、展示のむすびの言葉が深く深く胸に刻まれました。
戦争というものは
これほど残忍で
これほど汚辱にまみれたものはないと思うのです
この なまなましい体験の前では
いかなる人でも
戦争を肯定し美化することは できないはずです
戦争をおこすのは たしかに 人間です
しかし それ以上に
戦争を許さない努力のできるのも
私たち 人間 ではないでしょうか
戦後このかた 私たちは
あらゆる戦争を憎み
平和な島を建設せねば
と思いつづけてきました
これが
あまりにも大きすぎた代償を払って得た
ゆずることのできない
私たちの信条なのです
〜展示むすびのことば〜
広島、長崎、そして沖縄……。
世界中のいたるところで起きた悲しみや苦しみ…。
今も起こりつつある戦争…。
沖縄で、改めて戦争について、平和について、人間について、いのちについて、生きるという事について……そして自分自身の生き様について、考える時間をいただきました。
平和祈念資料館の、展示のむすびの言葉が深く深く胸に刻まれました。
戦争というものは
これほど残忍で
これほど汚辱にまみれたものはないと思うのです
この なまなましい体験の前では
いかなる人でも
戦争を肯定し美化することは できないはずです
戦争をおこすのは たしかに 人間です
しかし それ以上に
戦争を許さない努力のできるのも
私たち 人間 ではないでしょうか
戦後このかた 私たちは
あらゆる戦争を憎み
平和な島を建設せねば
と思いつづけてきました
これが
あまりにも大きすぎた代償を払って得た
ゆずることのできない
私たちの信条なのです
〜展示むすびのことば〜
2013年12月17日
中沢啓治ウィーク「はだしのゲンが見たヒロシマ」「お好み八ちゃん」
広島のシネツイン新天地では、12月20日まで「アオギリにたくして」が15:10より上映されていますが、その同じ期間に同じ場所で、われわれの作品の上映の前に朝11時からはだしのゲンの作者として知られる中沢啓治ウィークが開催されています!!
今日は、私たちの友人の渡部久仁子さんが製作された「はだしのゲンが見たヒロシマ」を私も観させていただきました。素晴らしいドキュメンタリーでした。踏まれても伸びる麦のように、絶望の中にあっても希望を見出して生きる力の大切さを中沢啓治さんの生き様に感じ、胸があつくなりました。
是非皆様に観ていただきたい作品です!!
明日は、「お好み八ちゃん」を観たいと思います!!
2013年07月12日
山口仙二さん逝去
長崎の被爆者、山口仙二さんが、7月6日に亡くなられたことを知り、大変ショックを受けています。
もう一度、お会いしたかった…。
22才の時、この原爆フィルムをアメリカで上映するボランティア活動(ネバー・アゲイン・キャンペーン)に参加することになり、渡米前に山口さんと長崎でお会いしました。
山口さんは、沼田鈴子さんと同じように、原爆フィルム「にんげんをかえせ」の中で証言されています。
「もしあの時、大人たちが戦争に反対してくれていたなら、こんな思いをせずにすんだ…そんな思いで平和運動をさせていただいてます」というにじみ出るような優しさで語る山口さん。
あの頃は、被爆者の方々から聞いたメッセージを伝えることで精一杯でしたが、
3・11が起きて以来、山口さんのこの言葉が頭の中から離れません。
無関心でいることは、知らずに自分自身が加害者になってしまうこともあるのだと…。
幾度となく、山口さんのこの言葉が頭に浮かび、自分をつき動かていきます。
山口仙二さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
もう一度、お会いしたかった…。
22才の時、この原爆フィルムをアメリカで上映するボランティア活動(ネバー・アゲイン・キャンペーン)に参加することになり、渡米前に山口さんと長崎でお会いしました。
山口さんは、沼田鈴子さんと同じように、原爆フィルム「にんげんをかえせ」の中で証言されています。
「もしあの時、大人たちが戦争に反対してくれていたなら、こんな思いをせずにすんだ…そんな思いで平和運動をさせていただいてます」というにじみ出るような優しさで語る山口さん。
あの頃は、被爆者の方々から聞いたメッセージを伝えることで精一杯でしたが、
3・11が起きて以来、山口さんのこの言葉が頭の中から離れません。
無関心でいることは、知らずに自分自身が加害者になってしまうこともあるのだと…。
幾度となく、山口さんのこの言葉が頭に浮かび、自分をつき動かていきます。
山口仙二さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
沼田鈴子さんの命日に…。
▲沼田さんの87歳のお誕生日の前日に、お部屋で「アオギリにたくして」を演奏させていただいた時のお写真。
今日は映画「アオギリにたくして」のモデルとなった、沼田鈴子さんの命日です。
沼田さんが亡くなられて、2年が過ぎました・・・。
沼田さんをモデルとした映画「アオギリにたくして」を昨年3月にスタートして以来、たくさんの皆様にご支援・ご協力いただき、お陰様で、2013年6月1日に無事クランクアップいたしました。
この作品にたくされた思いを伝える上で、当初撮影していた部分も途中から70%以上が撮り直しとなり、また前データーを使用する部分においてもアップを撮り足したり等、様々な修正が必要だったりと、一本の映画をまるまる撮るよりもはるかに手間のかかる作業が続く中、監督の中村柊斗さん、撮影監督の倉本和人さんはじめ、尊敬するスタッフの皆様に支えていただきながら、映画「アオギリにたくして」に命が吹き込まれていきました。
「この映画製作のプロセスそのものが、まるで被爆アオギリのお話の様で感動です!」というご出演者のお言葉に胸が熱くなりました。
映画をつくろう!と決意した時、周りの関係者の方々に相談したところ、「映画だけは絶対に止めておきなさい!」「身を滅ぼすにはまだ早い!」「この業界を知ってるの?」とさんざん言われ、周りの反対を押し切ってのスタートでした。
「映画がクランクアップできたら、それだけで成功なのよ!つまり、それほど大変なものなのよ!」と、映画関係者にも言われ、広島の親しいテレビ局の方には、「広島でさえ、原爆のドラマを作ろうとしてもスポンサーが集まらない中、映画なんてホントに大変だよぉ!」とご心配いただきながら、覚悟して臨んだ映画製作ではありましたが・・・まさに!皆様がおっしゃる通りで!!本当に大変な日々でした。
これまでの人生の中で、これほど大変な思いを味わったことは初めてです。
純粋な思いで映画に夢をたくし、チャレンジしていく中で、いろいろな困難がありました。それでも、どんな時も、前に向かって突き進む勇気を与えてくれたのは、今は亡き沼田鈴子さんの存在であり、ご支援・ご協力くださった皆様でした。
私が、沼田さんと初めてお会いしたのは、今から27年前。22才の時。
原爆映画「にんげんをかえせ」を上映しに渡米する直前に、ひと夏を広島で過ごしました。そして、沼田さんはじめたくさんの被爆者の皆様にお話を伺わせていただきました。
あの22才の時と同じ思いで、純粋に体当たりで立ち向かった今回の映画製作は、やはりあの時と同じように、普通にはない喜びと苦しみがありましたが、人間をより深く知る機会ともなり、たくさんの学びを得る機会となりました。
そして、この度の映画製作で大変お世話になった、ベテラン撮影監督の倉本和人さんより、「多分20年、30年遡って考察しても「楽しい現場ベスト1」のような気がします」とお言葉をいただき、これ以上に嬉しい言葉はなく、感無量です。
良い作品を作るために一丸となって立ち向かうみんなの姿が本当に美しく、映画の大変さと共に、映画の素晴らしさを知ることができました。
映画「アオギリにたくして」に魂を吹き込んでくださった皆様に心より感謝申し上げます。
託された皆の「思い」を大切にしながら、体当たりで挑むこのチャレンジを、あたたかく見守りご指導くださった皆様に心より感謝申し上げます。
▲被爆アオギリ3世の苗を枕元に
沼田さん、あまりにも早く天国にいってしまわれて・・・残された私たちは、何をどう次の世代に語り継いでいけばいいのか・・・今も戸惑い、模索しながらではありますが、二度と同じ悲しみが繰り返されることのない様に、自分たちに出来る挑戦をこれからも続けていきたいと思います。亡くなる直前まで、「生きて、伝えなきゃ・・・」とおっしゃっていた沼田さんの言葉を思い出すと、今も涙が溢れます。
沼田さん、これからもずっと天国から見守っていてください!!
沼田さんとお約束した「めざせ!1000回ピースライブ」もがんばります!!
2013年02月07日
広島の被爆者・山岡ミチコさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
2013年2月2日、広島の被爆者の山岡ミチコさんが肺炎のため82歳で永眠されました。山岡さんは、被爆10年後に米国でアメリカでケロイドの整形外科手術を受けた「原爆乙女」の1人でした。
私が山岡さんと初めてお会いしたのは、21才の時。1986年にアメリカの学校で原爆映画「にんげんをかえせ」を上映する日米協力ボランティア活動に参加した時のことでした。
原爆を落としたアメリカに、原爆を落とされた日本からその実情を伝えに行く。しかも、被爆体験も戦争体験もない自分に一体何が伝えられるのだろう?と渡米前に不安になり、渡米を止めようと何度も思いました。
そんな時、山岡さんがおっしゃった「憎むべきものは戦争であり人ではない」という言葉にどれ程勇気づけられたことでしょう。
「アメリカ 対 日本」、「ヒロシマ・ナガサキ 対 パールハーバー」として感情論に陥ることなく、同じ地球上に住む同じ人間の上に起きた悲劇としてヒロシマ・ナガサキをとらえ、これまで世界中で起きた、そして今も続く全ての戦争で犠牲となった人々のことを共に考え、「二度と同じ悲劇が繰り返されないために、私たちはどう生きるべきなのか?」について、一人一人が考える機会を作り、ヒロシマ・ナガサキの被爆体験者の方々のメッセージを米国で一年間伝えました。
帰国後、日本で暮らす外国人が日本語で被爆体験を朗読する「トンボが消えた日」を企画プロデュースさせていただいた時も、8カ国の世界のみんなと一緒に広島を訪れ、山岡さんが被爆体験を伝えてくださいました。
スリランカで、日本被団協が出されているHIBAKUSYAという冊子をタガログ語とシンハラ語で出版させていただく機会をいただき、その時に大変お世話になったスリランカ文部省のグナさんと共に広島を訪れた時、皆で一緒に山岡さんに会いに伺いました。
その時 山岡さんは、脳梗塞で入院されていて「もう一度証言するために、絶対に元気になる」とがんばってリハビリを続けておられました。
その姿に感銘を受け、例え微力であっても、被爆者のメッセージを伝えていきたいと改めて決意しました。
そして、それが山岡さんとの最後になってしまいました…。
2011年に、沼田鈴子さんが亡くなり、昨年は山田忠文さんが亡くなり、そして…今年の2月2日に山岡さんが永眠されました。
思い浮かべると涙があふれ、まだ自分の中で気持ちの整理ができていません…。
今私たちは、映画「アオギリにたくして」の製作をしていますが、被爆者の皆様の思いが世界に届くよう、自分たちにできる精一杯を全力投球でがんばっていきたいと思います。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
私が山岡さんと初めてお会いしたのは、21才の時。1986年にアメリカの学校で原爆映画「にんげんをかえせ」を上映する日米協力ボランティア活動に参加した時のことでした。
原爆を落としたアメリカに、原爆を落とされた日本からその実情を伝えに行く。しかも、被爆体験も戦争体験もない自分に一体何が伝えられるのだろう?と渡米前に不安になり、渡米を止めようと何度も思いました。
そんな時、山岡さんがおっしゃった「憎むべきものは戦争であり人ではない」という言葉にどれ程勇気づけられたことでしょう。
「アメリカ 対 日本」、「ヒロシマ・ナガサキ 対 パールハーバー」として感情論に陥ることなく、同じ地球上に住む同じ人間の上に起きた悲劇としてヒロシマ・ナガサキをとらえ、これまで世界中で起きた、そして今も続く全ての戦争で犠牲となった人々のことを共に考え、「二度と同じ悲劇が繰り返されないために、私たちはどう生きるべきなのか?」について、一人一人が考える機会を作り、ヒロシマ・ナガサキの被爆体験者の方々のメッセージを米国で一年間伝えました。
帰国後、日本で暮らす外国人が日本語で被爆体験を朗読する「トンボが消えた日」を企画プロデュースさせていただいた時も、8カ国の世界のみんなと一緒に広島を訪れ、山岡さんが被爆体験を伝えてくださいました。
スリランカで、日本被団協が出されているHIBAKUSYAという冊子をタガログ語とシンハラ語で出版させていただく機会をいただき、その時に大変お世話になったスリランカ文部省のグナさんと共に広島を訪れた時、皆で一緒に山岡さんに会いに伺いました。
その時 山岡さんは、脳梗塞で入院されていて「もう一度証言するために、絶対に元気になる」とがんばってリハビリを続けておられました。
その姿に感銘を受け、例え微力であっても、被爆者のメッセージを伝えていきたいと改めて決意しました。
そして、それが山岡さんとの最後になってしまいました…。
2011年に、沼田鈴子さんが亡くなり、昨年は山田忠文さんが亡くなり、そして…今年の2月2日に山岡さんが永眠されました。
思い浮かべると涙があふれ、まだ自分の中で気持ちの整理ができていません…。
今私たちは、映画「アオギリにたくして」の製作をしていますが、被爆者の皆様の思いが世界に届くよう、自分たちにできる精一杯を全力投球でがんばっていきたいと思います。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
2012年02月19日
自然と共にあった福島県飯舘村での暮らし〜原発事故が奪ったもの〜
FREE FORUM
ヒロシマ・ナガサキに学ぶ地球の未来 vol.9
◎「自然と共にあった福島県飯舘村での暮らし」
〜原発事故が奪ったもの〜
「とにかく情報を集めなければ。軽自動車のバッテリーをはずし、交流変換機をつけ、電話、インターネット、テレビを使えるようにした。・・(中略)・・12日午前2:05に炉心が再び露出したという記事を見つけた。頭を殴られたようなショックを受けた。原子炉はコントロールを失い暴走しかけている。どのくらいの時間の余裕があるのか分からなかったが、素早い行動が求められていると感じた。」(自然農園『なな色の空』ブログ掲載”3月11日”よりhttp://www.nanaironosora.sakura.ne.jp/3.11.pdf)
福島第一原発事故による汚染の被害を受けた地域の一つ、福島県飯館村。その飯館村で自然農業を実践されていた村上真平さんを今回はお招きします。村上さんはバングラディシュ、タイ等の海外でNGOを通して自然農業の普及と持続可能な農村開発に関わって来られました。そして、2002年、福島県飯館村に入植し、「自然を収奪しない農の在り方と、第三世界の人々を搾取しない生活の在り方」を探求するために、自然農業、自給自足をベースにした生活を始められたのです。しかし、原発事故発生のため2011年3月12日早朝、飯舘村から脱出され、現在は、三重県伊賀市に避難されています。
今回は村上さんの講演を通して、私たち一人一人の今までの姿勢を問い直し、これからどのように生きるのか、生き方をどう変えて歩み始めるのかを共に考えていきましょう。
◎日時:2011年3月25日(日)
◎OPEN:15時30分〜 START:16時00分〜
◎ご挨拶 総合司会:押切恵介(メノナイト方南町キリスト教会)
●第一部被爆証言 16:00〜16:30
山田玲子 豊島区被爆者の会会長
「被爆者の運動と現在の援護の内容」
●第二部基調講演 16:30〜17:30
「自然と共にあった福島県飯舘村での暮らし」
〜原発事故が奪ったもの〜
村上真平 「なな色の空」主宰
●第三部質疑応答 17:35〜18:05
●第四部交流会 18:10〜
パペラのおいしいカレーを食べながら、自由に意見交換などしながら交流を深めて
いきましょう!
◆参加費は無料ですが、レストランでの飲食費は各自の負担となります!(交流会:食べ放題2000円)
※4種類のインドカレー(辛くないマイルドなカレーもあります)、サフランライス、ナン、サラダ、デザートetc ※チャイ、コーヒー、ラッシー、ウーロン茶、オレンジジュース、コーラ、ジンジャエール等のソフトドリンクも飲み放題!
※アルコールは別途料金となります!
◆交流会に参加されない方は、レストランへのドリンク代が500円となります♪※ドリンクチケットを一枚お渡しします。チャイ(インドのミルクティー)、コーヒー、ラッシー、ウーロン茶、オレンジジュース、コーラ、ジンジャエールからご注文ください!
◎会 場:インド料理レストラン「パペラ・PAPERA
TEL / FAX 03-3350-0208
〒160-0022東京都新宿区新宿2-8-1新宿セブンビル2F(新宿御苑前駅(東京メトロ丸の内線)下車1番・3番出口すぐ目の前※丸の内線の新宿御苑駅から徒歩20秒!1番出口の階段を上がると、目の前が横断歩道です。それを渡った目の前です。B1は和民、1Fはコンビニ、パペラは2階です。
◎お申込み&お問合せ :ミューズの里♪ http://musevoice.com
E-mail: muselive_info@yahoo.co.jp または、info@musevoice.com
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ヒロシマ・ナガサキに学ぶ地球の未来 vol.9
◎「自然と共にあった福島県飯舘村での暮らし」
〜原発事故が奪ったもの〜
「とにかく情報を集めなければ。軽自動車のバッテリーをはずし、交流変換機をつけ、電話、インターネット、テレビを使えるようにした。・・(中略)・・12日午前2:05に炉心が再び露出したという記事を見つけた。頭を殴られたようなショックを受けた。原子炉はコントロールを失い暴走しかけている。どのくらいの時間の余裕があるのか分からなかったが、素早い行動が求められていると感じた。」(自然農園『なな色の空』ブログ掲載”3月11日”よりhttp://www.nanaironosora.sakura.ne.jp/3.11.pdf)
福島第一原発事故による汚染の被害を受けた地域の一つ、福島県飯館村。その飯館村で自然農業を実践されていた村上真平さんを今回はお招きします。村上さんはバングラディシュ、タイ等の海外でNGOを通して自然農業の普及と持続可能な農村開発に関わって来られました。そして、2002年、福島県飯館村に入植し、「自然を収奪しない農の在り方と、第三世界の人々を搾取しない生活の在り方」を探求するために、自然農業、自給自足をベースにした生活を始められたのです。しかし、原発事故発生のため2011年3月12日早朝、飯舘村から脱出され、現在は、三重県伊賀市に避難されています。
今回は村上さんの講演を通して、私たち一人一人の今までの姿勢を問い直し、これからどのように生きるのか、生き方をどう変えて歩み始めるのかを共に考えていきましょう。
◎日時:2011年3月25日(日)
◎OPEN:15時30分〜 START:16時00分〜
◎ご挨拶 総合司会:押切恵介(メノナイト方南町キリスト教会)
●第一部被爆証言 16:00〜16:30
山田玲子 豊島区被爆者の会会長
「被爆者の運動と現在の援護の内容」
●第二部基調講演 16:30〜17:30
「自然と共にあった福島県飯舘村での暮らし」
〜原発事故が奪ったもの〜
村上真平 「なな色の空」主宰
●第三部質疑応答 17:35〜18:05
●第四部交流会 18:10〜
パペラのおいしいカレーを食べながら、自由に意見交換などしながら交流を深めて
いきましょう!
◆参加費は無料ですが、レストランでの飲食費は各自の負担となります!(交流会:食べ放題2000円)
※4種類のインドカレー(辛くないマイルドなカレーもあります)、サフランライス、ナン、サラダ、デザートetc ※チャイ、コーヒー、ラッシー、ウーロン茶、オレンジジュース、コーラ、ジンジャエール等のソフトドリンクも飲み放題!
※アルコールは別途料金となります!
◆交流会に参加されない方は、レストランへのドリンク代が500円となります♪※ドリンクチケットを一枚お渡しします。チャイ(インドのミルクティー)、コーヒー、ラッシー、ウーロン茶、オレンジジュース、コーラ、ジンジャエールからご注文ください!
◎会 場:インド料理レストラン「パペラ・PAPERA
TEL / FAX 03-3350-0208
〒160-0022東京都新宿区新宿2-8-1新宿セブンビル2F(新宿御苑前駅(東京メトロ丸の内線)下車1番・3番出口すぐ目の前※丸の内線の新宿御苑駅から徒歩20秒!1番出口の階段を上がると、目の前が横断歩道です。それを渡った目の前です。B1は和民、1Fはコンビニ、パペラは2階です。
◎お申込み&お問合せ :ミューズの里♪ http://musevoice.com
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2011年11月18日
ヒロシマ・ナガサキからフクシマを考える!!
第8回ヒロシマ・ナガサキに学ぶ地球の未来
「ヒロシマ・ナガサキからフクシマを考える!!」
〜語り合おう!核兵器廃絶と原発問題〜
3月11日の東日本大震災。その爪跡は深く、未だ復興には長い道のりが残されています。
そして、問題をより深刻に、困難にしているのは震災をきっ かけに発生した福島第一原子力発電所の事故−放射性物質の流出による汚染です。
このFREEE FORUMでは今まで、核兵器廃絶に向けて私たちは何ができるのかを考えてきました。広島・長崎の被爆者の方々のお話を聞き、実際に活動されている方をお招きし講演をいただいてきました。
今回は常任コメンティーターである大久保賢一さん(日本反核法律家協会事務局長)、高原孝生さん(明治学院大学国際学部教授)に、今、この原子力事故に、私たちはどう向き合うべきかを語っていただきます。
ヒロシマ・ナガサキに加えフクシマを、これから私たちはどうとらえていくのか、共に語り、考えていきましょう。
◎日時:2011年11月27日(日)
◎OPEN:15時30分〜 START:16時00分〜
●第一部: ご挨拶 総合司会 押切恵介(メノナイト方南町キリスト教会)
◎被爆証言: 原 明範さん
(広島・被爆者、現在埼玉の被爆者の会(しらさぎ会)役員)16:00〜16:30
3歳で広島市舟入川口町で被爆。爆心地から2q。
直前まで床屋さんの前で遊んでいた同年代の友を失う。
壁1つをへだてて生死が分かれる。
私は生き残ったが、45歳のとき直腸癌で生死をさまよう。
現在、人口肛門となり一生障害をもつ身となった。
4年前より被爆者運動に参加。
●第二部: 基調講演
「ヒロシマ・ナガサキからフクシマを考える」16:30〜17:30
・大久保 賢一 (日本反核法律家協会事務局長)
・高原 孝生(明治学院大学国際学部教授)
●第三部: 質疑応答 17:35〜18:30
●第W部: 交流会 18:30〜
交流会にて平和アニメの上映会も予定しております。
◎参加費:無 料
◆参加費は無料ですが、レストランでの飲食費は各自の負担となります!(交流会:食べ放題2000円)4種類のインドカレー(辛くないマイルドなカレーもあります)、サフランライス、ナン、サラダ、デザートetc ※チャイ、コーヒー、ラッシー、ウーロン茶、オレンジジュース、コーラ、ジンジャエール等のソフトドリンクも飲み放題! ※アルコールは別途料金となります!
◆交流会に参加されない方は、レストランへのドリンク代が500円となります♪※ドリンクチケットを一枚お渡しします。チャイ(インドのミルクティー)、コーヒー、ラッシー、ウーロン茶、オレンジジュース、コーラ、ジンジャエールからご注文ください!
◎会 場:インド料理レストラン「パペラ・PAPERA」
TEL / FAX 03-3350-0208 〒160-0022東京都新宿区新宿2-8-1新宿セブンビル2F
新宿御苑前駅(東京メトロ丸の内線)下車1番・3番出口すぐ目の前
※丸の内線の新宿御苑駅から徒歩20秒!1番出口の階段を上がると、
目の前が横断歩道です。それを渡った目の前です。
B1は和民、1Fはコンビニ「ファミリーマート」、パペラは2階になります。
http://musevoice.com/map.html
◎お申込み&お問合せ : ミューズの里♪
E-mail: musenosato@yahoo.co.jp または、muselive@musevoice.com
tel.070^6517-0877
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「ヒロシマ・ナガサキからフクシマを考える!!」
〜語り合おう!核兵器廃絶と原発問題〜
3月11日の東日本大震災。その爪跡は深く、未だ復興には長い道のりが残されています。
そして、問題をより深刻に、困難にしているのは震災をきっ かけに発生した福島第一原子力発電所の事故−放射性物質の流出による汚染です。
このFREEE FORUMでは今まで、核兵器廃絶に向けて私たちは何ができるのかを考えてきました。広島・長崎の被爆者の方々のお話を聞き、実際に活動されている方をお招きし講演をいただいてきました。
今回は常任コメンティーターである大久保賢一さん(日本反核法律家協会事務局長)、高原孝生さん(明治学院大学国際学部教授)に、今、この原子力事故に、私たちはどう向き合うべきかを語っていただきます。
ヒロシマ・ナガサキに加えフクシマを、これから私たちはどうとらえていくのか、共に語り、考えていきましょう。
◎日時:2011年11月27日(日)
◎OPEN:15時30分〜 START:16時00分〜
●第一部: ご挨拶 総合司会 押切恵介(メノナイト方南町キリスト教会)
◎被爆証言: 原 明範さん
(広島・被爆者、現在埼玉の被爆者の会(しらさぎ会)役員)16:00〜16:30
3歳で広島市舟入川口町で被爆。爆心地から2q。
直前まで床屋さんの前で遊んでいた同年代の友を失う。
壁1つをへだてて生死が分かれる。
私は生き残ったが、45歳のとき直腸癌で生死をさまよう。
現在、人口肛門となり一生障害をもつ身となった。
4年前より被爆者運動に参加。
●第二部: 基調講演
「ヒロシマ・ナガサキからフクシマを考える」16:30〜17:30
・大久保 賢一 (日本反核法律家協会事務局長)
・高原 孝生(明治学院大学国際学部教授)
●第三部: 質疑応答 17:35〜18:30
●第W部: 交流会 18:30〜
交流会にて平和アニメの上映会も予定しております。
◎参加費:無 料
◆参加費は無料ですが、レストランでの飲食費は各自の負担となります!(交流会:食べ放題2000円)4種類のインドカレー(辛くないマイルドなカレーもあります)、サフランライス、ナン、サラダ、デザートetc ※チャイ、コーヒー、ラッシー、ウーロン茶、オレンジジュース、コーラ、ジンジャエール等のソフトドリンクも飲み放題! ※アルコールは別途料金となります!
◆交流会に参加されない方は、レストランへのドリンク代が500円となります♪※ドリンクチケットを一枚お渡しします。チャイ(インドのミルクティー)、コーヒー、ラッシー、ウーロン茶、オレンジジュース、コーラ、ジンジャエールからご注文ください!
◎会 場:インド料理レストラン「パペラ・PAPERA」
TEL / FAX 03-3350-0208 〒160-0022東京都新宿区新宿2-8-1新宿セブンビル2F
新宿御苑前駅(東京メトロ丸の内線)下車1番・3番出口すぐ目の前
※丸の内線の新宿御苑駅から徒歩20秒!1番出口の階段を上がると、
目の前が横断歩道です。それを渡った目の前です。
B1は和民、1Fはコンビニ「ファミリーマート」、パペラは2階になります。
http://musevoice.com/map.html
◎お申込み&お問合せ : ミューズの里♪
E-mail: musenosato@yahoo.co.jp または、muselive@musevoice.com
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2011年10月22日
世界が見た福島原発/肥田舜太郎先生インタビュー映像等
福島原発の問題を思うたびに、
日本は、そして私自身も・・・
あれだけの犠牲を伴いながら
ヒロシマ・ナガサキから何も学べていなかったのだ・・・
と暗い気持ちになってしまう。
なぜ、そうなってしまったのか。
という理由は、歴史をひもとけば多少見えてくる。
しかし、自分がリアルに生きているこの時代に起きた福島原発の問題は、そして、今も続くその状況は、間違いなく、私たち大人が引き起こした問題だ。
原爆と原発の違いはあっても、放射能による被害、その恐ろしさは同じものだ。
アメリカの学校で200回以上上映した原爆フィルム「にんげんをかえせ」の中で、
「もし大人たちが反対してくれたなら、私はこうならずにすんだのに・・・」と語る言葉は、今の子供たちから自分が言われているようなリアルな感情を引き起こす。
どういきていくのか?
在り方、生き方について
真剣に考えるべき時が与えられている。
※今回のことに大変心を痛めている友人から是非見てほしいと送られてきた動画や資料をご紹介します!
◎グリーンピースによる秋の魚の調査結果
http://www.greenpeace.org/japan/Global/japan/pdf/20111020_SUSEA_Result.pdf
◎フランスARTEテレビ「福島の漁師たち」9月20日
http://www.youtube.com/watch?v=i32gEEB6ZwE
◎世界の日本人観!?ドイツのテレビ番組
http://www.youtube.com/watch?v=kH00psyB4lc&feature=youtu.be
◎IWJによる被爆医師・肥田舜太郎先生のインタビュー動画です。
http://iwakamiyasumi.com/archives/12979
今年の初め、3・11が起きる前に、「ヒロシマ・ナガサキに学ぶ地球の未来」にご出演くださった被爆医師の肥田舜太郎先生のインタビュー(とても長いインタビューですが、大切なことをたくさん語っておられるので、是非最後までご覧ください!)
日本は、そして私自身も・・・
あれだけの犠牲を伴いながら
ヒロシマ・ナガサキから何も学べていなかったのだ・・・
と暗い気持ちになってしまう。
なぜ、そうなってしまったのか。
という理由は、歴史をひもとけば多少見えてくる。
しかし、自分がリアルに生きているこの時代に起きた福島原発の問題は、そして、今も続くその状況は、間違いなく、私たち大人が引き起こした問題だ。
原爆と原発の違いはあっても、放射能による被害、その恐ろしさは同じものだ。
アメリカの学校で200回以上上映した原爆フィルム「にんげんをかえせ」の中で、
「もし大人たちが反対してくれたなら、私はこうならずにすんだのに・・・」と語る言葉は、今の子供たちから自分が言われているようなリアルな感情を引き起こす。
どういきていくのか?
在り方、生き方について
真剣に考えるべき時が与えられている。
※今回のことに大変心を痛めている友人から是非見てほしいと送られてきた動画や資料をご紹介します!
◎グリーンピースによる秋の魚の調査結果
http://www.greenpeace.org/japan/Global/japan/pdf/20111020_SUSEA_Result.pdf
◎フランスARTEテレビ「福島の漁師たち」9月20日
http://www.youtube.com/watch?v=i32gEEB6ZwE
◎世界の日本人観!?ドイツのテレビ番組
http://www.youtube.com/watch?v=kH00psyB4lc&feature=youtu.be
◎IWJによる被爆医師・肥田舜太郎先生のインタビュー動画です。
http://iwakamiyasumi.com/archives/12979
今年の初め、3・11が起きる前に、「ヒロシマ・ナガサキに学ぶ地球の未来」にご出演くださった被爆医師の肥田舜太郎先生のインタビュー(とても長いインタビューですが、大切なことをたくさん語っておられるので、是非最後までご覧ください!)
2011年08月29日
ヒロシマ・ナガサキに学ぶ
昨日は、第7回ヒロシマ・ナガサキに学ぶ地球の未来が開催されました。
仲伏幸子さんが、広島での被爆証言をしてくださいました。
NPO法人ピースデポの塚田晋一郎様が、「核兵器をめぐる世界」についてわかりやすく基調講演をしてくださり、「北東アジア非核兵器地帯の可能性」についてお話くださいました。
常任コメンティーターの大久保 賢一氏(日本反核法律家協会事務局長)と高原 孝生氏(明治学院大学国際学部教授)のお話の後、交流会が行われました。
お話の内容や次回開催予定については、後日ブログ「ヒロシマ・ナガサキに学ぶ地球の未来」でご報告させていただきます。⇒ http://peacelive.seesaa.net/
仲伏幸子さんが、広島での被爆証言をしてくださいました。
NPO法人ピースデポの塚田晋一郎様が、「核兵器をめぐる世界」についてわかりやすく基調講演をしてくださり、「北東アジア非核兵器地帯の可能性」についてお話くださいました。
常任コメンティーターの大久保 賢一氏(日本反核法律家協会事務局長)と高原 孝生氏(明治学院大学国際学部教授)のお話の後、交流会が行われました。
お話の内容や次回開催予定については、後日ブログ「ヒロシマ・ナガサキに学ぶ地球の未来」でご報告させていただきます。⇒ http://peacelive.seesaa.net/
2011年08月25日
28日の会場変更のお知らせ(ヒロシマ・ナガサキに学ぶ地球の未来)
8月28日(日曜日)に予定されている「ヒロシマ・ナガサキに学ぶ地球の未来」の会場について変更がありましたので、お知らせいたします。
当初、新宿御苑駅一番出口より徒歩30秒のインド料理レストランPAPERAで開催予定となっておりましたが、レストランの諸事情により、場所が下記へと変更になりました。
◎移動する会議室について
☆スター貸会議室新宿御苑601
東京都新宿区新宿2−1−13フーバー新宿御苑6階
※丸ノ内線新宿御苑駅前徒歩0分(新宿御苑駅直結のビルです!)
レストランPAPERAの目にある会議室です。
もし、万が一会場の変更をご存知ない方が予約なしにいらした場合に備えて、もともと開催予定となっていたレストランPAPERAに来ていただければ、会議室までご案内できるように誘導の手配をしてございますので、ご安心ください。
※PAPERAの目の前のビルですので、20秒ほどで到着いたします。
予定通り15時半開場、16時スタートの予定です。
18時半に終了後の交流会は、会議室の目の前のレストランPAPERAに移動して予定通り行われる予定です。インド料理&カレーバイキング2000円となっています。ご出演いただいた皆様や参加された皆様との交流会を企画しております。
この度は大変ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。
場所の移動が入りご不便をおかけいたしますが何卒宜しくお願い申し上げます。
※念のため、場所の変更について訂正済みの8月28日のインフォメーションを下記に明記させていただきました。何卒宜しくお願い申し上げます。
===============================
第7回ヒロシマ・ナガサキに学ぶ地球の未来
===============================
核兵器の無い世界のために
私たちは何ができるのか
『本日、私ははっきりと信念を持って、米国は核兵器のない世界の平和と安全を追求することを誓約したい。』2009年4月5日のオバマ米大統領によるチェコ・プラハ演説。国際的な核兵器廃絶の気運を一気に高めた素晴らしい演説でした。
また、2010年に開催されたNPT(核不拡散条約)再検討会議では、核保有国を含むすべての締約国(190ヵ国)が、核兵器禁止条約についての交渉の検討が提案され、核兵器の非人道性について初めて言及された「最終文書」に合意しました。
しかし最終文書には核兵器ゼロへのロードマップは盛り込まれず、オバマ政権も、昨年から今年にかけて未臨界核実験を続行しています。核兵器廃絶は現実には実現し得ない絵空事なのでしょうか?
その一方で、決して諦めずに活動し続けている人達がいます。パンギムン国連事務総長の熱意にあふれる行動、平和市長会議にみられる核兵器廃絶に声をあげる世界の自治体等です。そして、現実に世界中には南半球をほぼカバーする領域が「非核兵器地帯」(=核兵器の製造、保有、配備、使用を禁止する地域)となっているのです。
この非核兵器地帯を北東アジアにも実現しようという提案が2004年にNPO法人ピースデポ・梅林宏道氏よりなされています。「北東アジア非核兵器地帯案」です。今回のFREE FORUMではピースデポの塚田晋一郎さんにお越しいただき、この案がどの様な具体性を持つのか、またこれまでの実際の市民社会の取り組みとその成果等を踏まえてご講演いただきます。
核の平和利用と言われた原子力発電所が、現実の社会問題となっている今、「核兵器廃絶」について、私たちに何ができるのか、何をするべきか、共に学び、考えていきましょう。
◎日時:2011年8月28日(日)
◎OPEN:15時30分〜 START:16時00分〜
◎会 場:【トーク会場】スター貸会議室新宿御苑601
東京都新宿区新宿2−1−13フーバー新宿御苑6階
※丸ノ内線新宿御苑駅前徒歩0分(新宿御苑駅直結のビルです!)
http://www.kaigishitsu.jp/room_shinjukugyoen.shtml
【交流会会場】インド料理レストラン「パペラ・PAPERA」
TEL / FAX 03-3350-0208 〒160-0022東京都新宿区新宿2-8-1新宿セブンビル2F
新宿御苑前駅(東京メトロ丸の内線)下車1番・3番出口すぐ目の前
※丸の内線の新宿御苑駅から徒歩20秒!1番出口の階段を上がると、
目の前が横断歩道です。それを渡った目の前です。
B1は和民、1Fはコンビニ「ファミリーマート」、パペラは2階になります。
http://currypapera.moo.jp/access.html
●第一部: ご挨拶 総合司会 押切恵介(メノナイト方南町キリスト教会)
◎被爆証言:仲伏幸子(5歳9カ月で広島にて被爆。東京都在住)
府中きすげの会(府中原爆被害者の会)副会長
東友会(東京都原爆被害者団体協議会)事務局次長
16:00〜16:30
●第二部: 基調講演
「核兵器をめぐる世界―北東アジア非核兵器地帯の可能性」
塚田 晋一郎 (NPO法人ピースデポ)
16:30〜17:15
◎資料 1.「北東アジア非核兵器地帯リーフレット(2011年8月版)」
⇒リーフレット「北東アジアに非核兵器地帯を」(11年8月版).pdf
2.「北東アジア非核兵器地帯モデル条約(案)」
⇒北東アジア非核兵器地帯モデル条約(案).pdf
3.「核兵器・核実験モニター373-4号」→p1〜4をコピー配布予定
⇒「核兵器・核実験モニター」373-4号.pdf
4.「核兵器・核実験モニター381号」(最新号)→現物を配布予定、p1〜3に関係記事
⇒「核兵器・核実験モニター」381号.pdf
●第三部: 質疑応答 17:25〜17:45
討 論 17:45〜18:30
常任コメンティーター
・大久保 賢一 (日本反核法律家協会事務局長)
・高原 孝生(明治学院大学国際学部教授)
●第W部: 交流会
トークライブの会場の目の前にあるインド料理レストランPAPERAに移動します。
パペラのおいしいカレーを食べながら、自由に意見交換などしながら交流を深めていきましょう!
◎参加費:無 料
◎交流会:2000円(インド料理&カレー食べ放題&ソフトドリンク飲み放題)
●バイキングの内容⇒4種類のインドカレー(辛くないマイルドなカレーもあります)、サフランライス、ナン、サラダ、デザートetc.※チャイ、コーヒー、ラッシー、ウーロン茶、オレンジジュース、コーラ、ジンジャエール等のソフトドリンクも飲み放題!
※アルコールは別途料金となります!
◎お申込み&お問合せ :ミューズの里♪ E-mail: info@musevoice.com
・ブログ「ヒロシマ・ナガサキに学ぶ地球の未来」⇒http://peacelive.seesaa.net/
当初、新宿御苑駅一番出口より徒歩30秒のインド料理レストランPAPERAで開催予定となっておりましたが、レストランの諸事情により、場所が下記へと変更になりました。
◎移動する会議室について
☆スター貸会議室新宿御苑601
東京都新宿区新宿2−1−13フーバー新宿御苑6階
※丸ノ内線新宿御苑駅前徒歩0分(新宿御苑駅直結のビルです!)
レストランPAPERAの目にある会議室です。
もし、万が一会場の変更をご存知ない方が予約なしにいらした場合に備えて、もともと開催予定となっていたレストランPAPERAに来ていただければ、会議室までご案内できるように誘導の手配をしてございますので、ご安心ください。
※PAPERAの目の前のビルですので、20秒ほどで到着いたします。
予定通り15時半開場、16時スタートの予定です。
18時半に終了後の交流会は、会議室の目の前のレストランPAPERAに移動して予定通り行われる予定です。インド料理&カレーバイキング2000円となっています。ご出演いただいた皆様や参加された皆様との交流会を企画しております。
この度は大変ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。
場所の移動が入りご不便をおかけいたしますが何卒宜しくお願い申し上げます。
※念のため、場所の変更について訂正済みの8月28日のインフォメーションを下記に明記させていただきました。何卒宜しくお願い申し上げます。
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第7回ヒロシマ・ナガサキに学ぶ地球の未来
===============================
核兵器の無い世界のために
私たちは何ができるのか
『本日、私ははっきりと信念を持って、米国は核兵器のない世界の平和と安全を追求することを誓約したい。』2009年4月5日のオバマ米大統領によるチェコ・プラハ演説。国際的な核兵器廃絶の気運を一気に高めた素晴らしい演説でした。
また、2010年に開催されたNPT(核不拡散条約)再検討会議では、核保有国を含むすべての締約国(190ヵ国)が、核兵器禁止条約についての交渉の検討が提案され、核兵器の非人道性について初めて言及された「最終文書」に合意しました。
しかし最終文書には核兵器ゼロへのロードマップは盛り込まれず、オバマ政権も、昨年から今年にかけて未臨界核実験を続行しています。核兵器廃絶は現実には実現し得ない絵空事なのでしょうか?
その一方で、決して諦めずに活動し続けている人達がいます。パンギムン国連事務総長の熱意にあふれる行動、平和市長会議にみられる核兵器廃絶に声をあげる世界の自治体等です。そして、現実に世界中には南半球をほぼカバーする領域が「非核兵器地帯」(=核兵器の製造、保有、配備、使用を禁止する地域)となっているのです。
この非核兵器地帯を北東アジアにも実現しようという提案が2004年にNPO法人ピースデポ・梅林宏道氏よりなされています。「北東アジア非核兵器地帯案」です。今回のFREE FORUMではピースデポの塚田晋一郎さんにお越しいただき、この案がどの様な具体性を持つのか、またこれまでの実際の市民社会の取り組みとその成果等を踏まえてご講演いただきます。
核の平和利用と言われた原子力発電所が、現実の社会問題となっている今、「核兵器廃絶」について、私たちに何ができるのか、何をするべきか、共に学び、考えていきましょう。
◎日時:2011年8月28日(日)
◎OPEN:15時30分〜 START:16時00分〜
◎会 場:【トーク会場】スター貸会議室新宿御苑601
東京都新宿区新宿2−1−13フーバー新宿御苑6階
※丸ノ内線新宿御苑駅前徒歩0分(新宿御苑駅直結のビルです!)
http://www.kaigishitsu.jp/room_shinjukugyoen.shtml
【交流会会場】インド料理レストラン「パペラ・PAPERA」
TEL / FAX 03-3350-0208 〒160-0022東京都新宿区新宿2-8-1新宿セブンビル2F
新宿御苑前駅(東京メトロ丸の内線)下車1番・3番出口すぐ目の前
※丸の内線の新宿御苑駅から徒歩20秒!1番出口の階段を上がると、
目の前が横断歩道です。それを渡った目の前です。
B1は和民、1Fはコンビニ「ファミリーマート」、パペラは2階になります。
http://currypapera.moo.jp/access.html
●第一部: ご挨拶 総合司会 押切恵介(メノナイト方南町キリスト教会)
◎被爆証言:仲伏幸子(5歳9カ月で広島にて被爆。東京都在住)
府中きすげの会(府中原爆被害者の会)副会長
東友会(東京都原爆被害者団体協議会)事務局次長
16:00〜16:30
●第二部: 基調講演
「核兵器をめぐる世界―北東アジア非核兵器地帯の可能性」
塚田 晋一郎 (NPO法人ピースデポ)
16:30〜17:15
◎資料 1.「北東アジア非核兵器地帯リーフレット(2011年8月版)」
⇒リーフレット「北東アジアに非核兵器地帯を」(11年8月版).pdf
2.「北東アジア非核兵器地帯モデル条約(案)」
⇒北東アジア非核兵器地帯モデル条約(案).pdf
3.「核兵器・核実験モニター373-4号」→p1〜4をコピー配布予定
⇒「核兵器・核実験モニター」373-4号.pdf
4.「核兵器・核実験モニター381号」(最新号)→現物を配布予定、p1〜3に関係記事
⇒「核兵器・核実験モニター」381号.pdf
●第三部: 質疑応答 17:25〜17:45
討 論 17:45〜18:30
常任コメンティーター
・大久保 賢一 (日本反核法律家協会事務局長)
・高原 孝生(明治学院大学国際学部教授)
●第W部: 交流会
トークライブの会場の目の前にあるインド料理レストランPAPERAに移動します。
パペラのおいしいカレーを食べながら、自由に意見交換などしながら交流を深めていきましょう!
◎参加費:無 料
◎交流会:2000円(インド料理&カレー食べ放題&ソフトドリンク飲み放題)
●バイキングの内容⇒4種類のインドカレー(辛くないマイルドなカレーもあります)、サフランライス、ナン、サラダ、デザートetc.※チャイ、コーヒー、ラッシー、ウーロン茶、オレンジジュース、コーラ、ジンジャエール等のソフトドリンクも飲み放題!
※アルコールは別途料金となります!
◎お申込み&お問合せ :ミューズの里♪ E-mail: info@musevoice.com
・ブログ「ヒロシマ・ナガサキに学ぶ地球の未来」⇒http://peacelive.seesaa.net/
2011年08月13日
第7回ヒロシマ・ナガサキに学ぶ地球の未来
2011年8月の最後の日曜日(8月28日)は、3ヶ月に一度開催されているフリーフォーラム「ヒロシマ・ナガサキに学ぶ地球の未来」です。
戦後66年後の夏。
核の平和利用と言われた原子力発電所が、現実の社会問題となっている今、「核兵器廃絶」について、私たちに何ができるのか、何をするべきか、共に学び、考えていきましょう。
==============================
核兵器の無い世界のために
私たちは何ができるのか
『本日、私ははっきりと信念を持って、米国は核兵器のない世界の平和と安全を追求することを誓約したい。』2009年4月5日のオバマ米大統領によるチェコ・プラハ演説。国際的な核兵器廃絶の気運を一気に高めた素晴らしい演説でした。
また、2010年に開催されたNPT(核不拡散条約)再検討会議では、核保有国を含むすべての締約国(190ヵ国)が、核兵器禁止条約についての交渉の検討が提案され、核兵器の非人道性について初めて言及された「最終文書」に合意しました。
しかし最終文書には核兵器ゼロへのロードマップは盛り込まれず、オバマ政権も、昨年から今年にかけて未臨界核実験を続行しています。核兵器廃絶は現実には実現し得ない絵空事なのでしょうか?
その一方で、決して諦めずに活動し続けている人達がいます。パンギムン国連事務総長の熱意にあふれる行動、平和市長会議にみられる核兵器廃絶に声をあげる世界の自治体等です。そして、現実に世界中には南半球をほぼカバーする領域が「非核兵器地帯」(=核兵器の製造、保有、配備、使用を禁止する地域)となっているのです。
この非核兵器地帯を北東アジアにも実現しようという提案が2004年にNPO法人ピースデポ・梅林宏道氏よりなされています。「北東アジア非核兵器地帯案」です。今回のFREE FORUMではピースデポの塚田晋一郎さんにお越しいただき、この案がどの様な具体性を持つのか、またこれまでの実際の市民社会の取り組みとその成果等を踏まえてご講演いただきます。
核の平和利用と言われた原子力発電所が、現実の社会問題となっている今、「核兵器廃絶」について、私たちに何ができるのか、何をするべきか、共に学び、考えていきましょう。
◎日時:2011年8月28日(日)
◎OPEN:15時30分〜 START:16時00分〜
●第一部: ご挨拶 総合司会 押切恵介(メノナイト方南町キリスト教会)
◎被爆証言:仲伏幸子(5歳9カ月で広島にて被爆。東京都在住)
府中きすげの会(府中原爆被害者の会)副会長
東友会(東京都原爆被害者団体協議会)事務局次長
16:00〜16:30
●第二部: 基調講演
「核兵器をめぐる世界―北東アジア非核兵器地帯の可能性」
塚田 晋一郎 (NPO法人ピースデポ)
16:30〜17:15
●第三部: 質疑応答 17:25〜17:45
討 論 17:45〜18:30
常任コメンティーター
・大久保 賢一 (日本反核法律家協会事務局長)
・高原 孝生(明治学院大学国際学部教授)
●第四部: 交流会
パペラのおいしいカレーを食べながら、自由に意見交換などしながら交流を深めていきましょう!
●参加費は無料ですが、レストランでの飲食費は各自の負担となります!(交流会:食べ放題2000円)バイキングの内容⇒ 釜焼きバーベキュー、4種類のインドカレー(辛くないマイルドなカレーもあります)、サフランライス、ナン、サラダ、デザートetc.※チャイ、コーヒー、ラッシー、ウーロン茶、オレンジジュース、コーラ、ジンジャエール等のソフトドリンクも飲み放題!(アルコールは別途料金となります!)
※交流会に参加されない方は、レストランへのドリンク代が500円となります♪※ドリンクチケットを一枚お渡ししますので、チャイ(インドのミルクティー)、コーヒー、ラッシー、ウーロン茶、オレンジジュース、コーラ、ジンジャエールの中からご注文ください!
●会 場:インド料理レストラン「パペラ・PAPERA」
TEL / FAX 03-3350-0208 〒160-0022東京都新宿区新宿2-8-1新宿セブンビル2F
新宿御苑前駅(東京メトロ丸の内線)下車1番・3番出口すぐ目の前※丸の内線の新宿御苑駅から徒歩20秒!1番出口の階段を上がると、目の前が横断歩道です。それを渡った目の前です。B1は和民、1Fはコンビニ「ファミリーマート」、パペラは2階になります。http://currypapera.moo.jp/access.html
◎お申込み&お問合せ :ミューズの里♪ E-mail: info@musevoice.com
・ブログ「ヒロシマ・ナガサキに学ぶ地球の未来」⇒http://peacelive.seesaa.net/
戦後66年後の夏。
核の平和利用と言われた原子力発電所が、現実の社会問題となっている今、「核兵器廃絶」について、私たちに何ができるのか、何をするべきか、共に学び、考えていきましょう。
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核兵器の無い世界のために
私たちは何ができるのか
『本日、私ははっきりと信念を持って、米国は核兵器のない世界の平和と安全を追求することを誓約したい。』2009年4月5日のオバマ米大統領によるチェコ・プラハ演説。国際的な核兵器廃絶の気運を一気に高めた素晴らしい演説でした。
また、2010年に開催されたNPT(核不拡散条約)再検討会議では、核保有国を含むすべての締約国(190ヵ国)が、核兵器禁止条約についての交渉の検討が提案され、核兵器の非人道性について初めて言及された「最終文書」に合意しました。
しかし最終文書には核兵器ゼロへのロードマップは盛り込まれず、オバマ政権も、昨年から今年にかけて未臨界核実験を続行しています。核兵器廃絶は現実には実現し得ない絵空事なのでしょうか?
その一方で、決して諦めずに活動し続けている人達がいます。パンギムン国連事務総長の熱意にあふれる行動、平和市長会議にみられる核兵器廃絶に声をあげる世界の自治体等です。そして、現実に世界中には南半球をほぼカバーする領域が「非核兵器地帯」(=核兵器の製造、保有、配備、使用を禁止する地域)となっているのです。
この非核兵器地帯を北東アジアにも実現しようという提案が2004年にNPO法人ピースデポ・梅林宏道氏よりなされています。「北東アジア非核兵器地帯案」です。今回のFREE FORUMではピースデポの塚田晋一郎さんにお越しいただき、この案がどの様な具体性を持つのか、またこれまでの実際の市民社会の取り組みとその成果等を踏まえてご講演いただきます。
核の平和利用と言われた原子力発電所が、現実の社会問題となっている今、「核兵器廃絶」について、私たちに何ができるのか、何をするべきか、共に学び、考えていきましょう。
◎日時:2011年8月28日(日)
◎OPEN:15時30分〜 START:16時00分〜
●第一部: ご挨拶 総合司会 押切恵介(メノナイト方南町キリスト教会)
◎被爆証言:仲伏幸子(5歳9カ月で広島にて被爆。東京都在住)
府中きすげの会(府中原爆被害者の会)副会長
東友会(東京都原爆被害者団体協議会)事務局次長
16:00〜16:30
●第二部: 基調講演
「核兵器をめぐる世界―北東アジア非核兵器地帯の可能性」
塚田 晋一郎 (NPO法人ピースデポ)
16:30〜17:15
●第三部: 質疑応答 17:25〜17:45
討 論 17:45〜18:30
常任コメンティーター
・大久保 賢一 (日本反核法律家協会事務局長)
・高原 孝生(明治学院大学国際学部教授)
●第四部: 交流会
パペラのおいしいカレーを食べながら、自由に意見交換などしながら交流を深めていきましょう!
●参加費は無料ですが、レストランでの飲食費は各自の負担となります!(交流会:食べ放題2000円)バイキングの内容⇒ 釜焼きバーベキュー、4種類のインドカレー(辛くないマイルドなカレーもあります)、サフランライス、ナン、サラダ、デザートetc.※チャイ、コーヒー、ラッシー、ウーロン茶、オレンジジュース、コーラ、ジンジャエール等のソフトドリンクも飲み放題!(アルコールは別途料金となります!)
※交流会に参加されない方は、レストランへのドリンク代が500円となります♪※ドリンクチケットを一枚お渡ししますので、チャイ(インドのミルクティー)、コーヒー、ラッシー、ウーロン茶、オレンジジュース、コーラ、ジンジャエールの中からご注文ください!
●会 場:インド料理レストラン「パペラ・PAPERA」
TEL / FAX 03-3350-0208 〒160-0022東京都新宿区新宿2-8-1新宿セブンビル2F
新宿御苑前駅(東京メトロ丸の内線)下車1番・3番出口すぐ目の前※丸の内線の新宿御苑駅から徒歩20秒!1番出口の階段を上がると、目の前が横断歩道です。それを渡った目の前です。B1は和民、1Fはコンビニ「ファミリーマート」、パペラは2階になります。http://currypapera.moo.jp/access.html
◎お申込み&お問合せ :ミューズの里♪ E-mail: info@musevoice.com
・ブログ「ヒロシマ・ナガサキに学ぶ地球の未来」⇒http://peacelive.seesaa.net/
2011年07月24日
被爆者の沼田鈴子さんと8カ国の多国籍劇団の仲間たち
7月31日に、葛西区民館4階ホールで行われる江戸川平和ーコンサートの第2部で、歌と語りで伝える「私のヒロシマ・ナガサキ」公演(70分)を行わせていただきます。
江戸川区では、毎年江戸川原爆犠牲者追悼式が行われ、滝野公演には被爆アオギリ2世の木が植樹されています。そしてこの平和コンサートも今年で10回目を迎えるそうです。
7月12日に87歳で亡くなった沼田鈴子さんを追悼しながら今回のピースライブをさせていただきたいと思っています。
21歳の時にお目にかかってあれから25年以上が過ぎました。
公演に向けて、沼田さんとのお写真を整理していると、戦後50年の時の懐かしいお写真が出てきました。
8カ国の多国籍出演者による日本語朗読劇「トンボが消えた日」の出演者と一緒に広島に行ってアオギリの木の下で沼田鈴子さんと待ち合わせをしました。
沼田さんは、被害や加害の立場を超えて、アメリカ各地やヨーロッパ各地、ソ連、マレーシア、シンガポール、ベラウ、フィリピン、ベトナム、ドイツ、中国、韓国、パナマなどを訪れ、世界中の人々の幸せを願ってヒロシマ・ナガサキを伝えてこられました。
沼田さんにお会いしてお話を聞かせていただくことで、多国籍出演者のみんなが国境を越えて、心をこめて被爆体験の朗読をしてくれました。
当時の懐かしい写真を見ながら涙がこみ上げてきました。
沼田さんにはホントにいろんなことでお世話になり、心より感謝しています。
沼田鈴子さんのご冥福をお祈り申し上げます。
2011年07月13日
広島の母、被爆者の沼田鈴子さん永眠
広島の平和記念公園の被爆アオギリの下で体験証言を続けた被爆者の沼田鈴子さんが、昨日(2011年7月12日)お亡くなりになりました。
私はその日、広島女学院大学での公演の後、8月6日にリリース予定のCD記者会見のため広島市役所へ行く途中、たまたま沼田鈴子さんが被爆された元広島逓信局の前を通りがかり、同行してくださっているプロデューサーでギタリストの伊藤茂利さんとしばらくそこで時を過ごしていました。
その後、午後4時からの記者会見場が始まる直前に沼田さんが亡くなられたことを知りました。
私が動揺するのを関係者の方々が心配してくださり、公演が終わるまで知らせずに待っていて下さったとのことでした。
沼田鈴子さんと初めてお会いしたのは、21歳の時。今から25年以上前のことでした。
アメリカの学校で原爆映画の上映をし被爆者のメッセージを伝える日米協力草の根のボランティア「ネバー・アゲイン・キャンペーン」の第一期生として渡米することになりました。持っていく記録映画「にんげんをかえせ」に被写体として登場されている沼田鈴子さんにはじめてお会いしてお話を伺った時の事は今でも鮮明に覚えています。
その後、広島を訪れる度に、沼田さんとアオギリの木の下で待ち合わせをしてお話をさせていただいていましたが、2年前、ちょうど私が1000回ピースライブを目指してスタートした時、沼田さんにご連絡をした際には、アオギリの木の下ではなく、ケアホームのお部屋に伺わせていただきました。
東京にもどってしばらくすると、小さくてかわいい被爆アオギリ3世の苗が広島から届きました。そして、その小さな被爆アオギリの苗を見ながら沼田さんに捧げる曲「アオギリにたくして」が生まれました。
被爆体験や戦争体験のない私自身が、同じく体験のない世代にヒロシマ・ナガサキを伝えていくうえで、不安になったり思い悩んだりした時、いつも力を与えて下さったのが沼田さんでした。沼田さんの存在は、「伝えなければ」という気負いを取り除き、「伝えたい」という思いにさせてくだいました。
今回のCDには、昨年、沼田さんのお部屋で演奏させていただいた「アオギリにたくして」を再現する形で、ギターと歌だけのシンプルなものが収録されています。沼田さんが元気になったら聴いてほしいと思いながらレコーディングした曲でした。
沼田さんに最後にお目にかかったのは、5月29日。制作中の「アオギリにたくして」のDVDの中で、沼田鈴子さんがヴォイスメッセージをくださることになり、お見舞いに伺わせていただいた時でした。
昨年1000回ライブのご報告に伺った際に、「私の心は桜島のように燃えている」とおっしゃった沼田さんの言葉が忘れられません。
今年の4月に伺った際には、「福島原発の事が心配で、そのことを考えるだけで血圧が上がってしまう」とおっしゃりながら、放射能で苦しむ人々がまたうまれてしまう事を嘆かれていました。
入退院を繰り返されながらも、まだまだ伝えたいことがいっぱいあった沼田さん・・・。
一カ月前、最後に沼田さんと、お話させていただいた時は、語り部のイメージより一人の優しいおばあちゃんのようでした。「一番大切なのは優しい心」みんなに伝えたいことは「優しい心を持って生きてほしい」。アオギリの苗を見ながら「かわいいね。スクスク大きくなるんよ」と嬉しそうに笑う沼田さんを撮影するカメラマンの井手君と最後に握手を交わした沼田さんは、ずっとずっと井手君の離さずに握りしめていました。
昨夜、東京に戻る前に、広島でのコーディネイトをしてくださりホームステイさせていただいている立花ご夫妻と伊藤茂利さんと一緒に沼田さんに会わせていただきました。安らかに眠る沼田さんの側にしばらく寄り添わせていただき、棺に入る前の沼田さんに最期のお別れができたことに心より感謝いたします。
最後まで、死に向かうのではなく
生きて、生きて、生きて、生きて・・・
平和を願い、平和を祈り、平和の大切さを伝え続けて下さった沼田さん。
その存在は愛そものでした
みんなの心の中に沼田さんはずっと生き続けています。
沼田さんの蒔いた平和の種が人々の心に育ち世界に広がっています。
沼田さん、これからもずっと天国から見守っていてください。
▲石塚淳子さんにより撮影&制作された作品です。
2011年05月11日
被爆医師・肥田舜太郎先生のお話
神奈川県の新茶からも、基準値を超える放射能が検出されたと今日報道されました・・・。
3カ月に一度開催させていただいている「ヒロシマ・ナガサキに学ぶ地球の未来」に先日ゲスト出演してくださった被爆医師の肥田舜太郎さんが、先日広島で開催された集会で講演されました。
94歳になられる肥田先生が、一人広島にいって訴えておられる内容に是非耳を傾けてください。
http://www.youtube.com/watch?v=tCV3beH_IWI&feature=youtu.be
3カ月に一度開催させていただいている「ヒロシマ・ナガサキに学ぶ地球の未来」に先日ゲスト出演してくださった被爆医師の肥田舜太郎さんが、先日広島で開催された集会で講演されました。
94歳になられる肥田先生が、一人広島にいって訴えておられる内容に是非耳を傾けてください。
http://www.youtube.com/watch?v=tCV3beH_IWI&feature=youtu.be
2011年04月20日
第6回ヒロシマ・ナガサキに学ぶ地球の未来
今週日曜日は、トークライブ「ヒロシマ・ナガサキに学ぶ地球の未来」です!
3カ月に一度開催されているこのトークショーも6回目を迎えます。
福島原発が気がかりな毎日です。
私たちの国は65年前、原爆が投下され、
今もなお23万人の被爆者の方々がおられます。
私たちが地球の未来を考える時、
ヒロシマ・ナガサキから、そしてこの度の福島から、
考えるべきたくさんの事があると思います。
No more Hiroshima! No more Nagasaki! No more Fukushima!
放射能による苦しみが、これ以上増えることのないように・・・
ヒロシマ・ナガサキを忘れずにいること、
ヒロシマ・ナガサキから学びしっかりと考えていくことは、
地球の未来を考えることでもあります。
イベントの詳細は
◎ブログ:ヒロシマ・ナガサキに学ぶ地球の未来
⇒ http://peacelive.seesaa.net/
3カ月に一度開催されているこのトークショーも6回目を迎えます。
福島原発が気がかりな毎日です。
私たちの国は65年前、原爆が投下され、
今もなお23万人の被爆者の方々がおられます。
私たちが地球の未来を考える時、
ヒロシマ・ナガサキから、そしてこの度の福島から、
考えるべきたくさんの事があると思います。
No more Hiroshima! No more Nagasaki! No more Fukushima!
放射能による苦しみが、これ以上増えることのないように・・・
ヒロシマ・ナガサキを忘れずにいること、
ヒロシマ・ナガサキから学びしっかりと考えていくことは、
地球の未来を考えることでもあります。
イベントの詳細は
◎ブログ:ヒロシマ・ナガサキに学ぶ地球の未来
⇒ http://peacelive.seesaa.net/