蒸し暑い毎日とスコールのような雨に、スリランカが思い出され、熱帯地域の方々は異常気象の中でどうされているのだろうと心配になります。
スリランカは、ポルトガル、オランダ、イギリスの植民地支配を経て、1948年にイギリス連邦の自治領として独立しました。1972年に完全独立するまでは「セイロン」と呼ばれ、仏教徒の多数派シンハラ人75%、ヒンドゥー教徒が大半を占める少数派のタミル人15% 、イスラム教徒やキリスト教徒が共存しています。
北海道の約8割の面積に約2000万人が暮らし、紅茶やバナナやマンゴー、お米、ココナッツやサトウキビの栽培などが盛んな国です。日本の家庭の台所にある昔ながらのタワシの他、農業や園芸用の土の材料にもスリランカ産のココナッツの繊維が使われてきました。ルビーをはじめとする宝石の原石や、鉛筆の芯の原料となる黒鉛などの鉱物資源にも恵まれ、インド亜大陸の伝統的医学アーユールヴェーダでも知られています。
スリランカには8つの世界遺産があり「インド洋の真珠」と称される美しい島国ですが、1983年〜2009年の長い間続いた内戦がありました。シンハラ人が指示する政府軍と分離独立を目標とした反政府武装勢力「タミル・イーラム解放の虎」による26年にもおよぶ内戦は、大変痛ましいものでした。
私が訪れた頃は停戦中でしたが、次第に衝突が再発するようになっていった頃でもあり、数日前に自爆テロがあったと言われた通りを歩くたびに、日本では経験したことのない緊張感を感じました。
当時、お食事に招いてくださったスリランカの方が、様々な宗教の聖地となっているスリー・パーダ(英名:アダムス・ピーク)という山のことを嬉しそうに話してくれました。頂上付近にある大きな岩のくぼみが足跡に似ていることから、仏教徒は仏陀の足跡、ヒンドゥー教徒はシヴァ神の足跡、イスラーム教徒は人類始祖のアダムの足跡、キリスト教とは聖トーマスの足跡に見立てて参詣します。「民族や宗教が違ってもみんな仲良く暮らしていた頃もあったのに…」というご家族の言葉に、大国の植民地支配の影響で、戦後に民族紛争が生み出されてく悲しみを感じました。
そもそもは、世界の人々の戦争体験と共にヒロシマ・ナガサキの被爆者の体験を伝える多国籍出演者による朗読劇の企画・運営をしていた中で、歴代の出演者の中にスリランカの方がいたことから関心を持ち始めご縁をいただきましたが、実際にスリランカ を訪れて内戦のことを知る中で思い出されたのは、「憎しみや報復の連鎖をくい止め、世界中の誰にも自分と同じ苦しみをさせたくない」と願うヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々の言葉でした。
南アジアには核保有国も存在する中で、ヒロシマ・ナガサキの実相と被爆者の方々のメッセージを伝えていくために、2007年に日本被団協の故伊藤直子さんはじめスリランカで事業されている皆様にもお世話になり、スリランカ教育省と連携して被爆の実相を世界に伝える日本被団協の冊子「HIBAKUSYA」のスリランカ版がシンハラ語・タミル語・英語の併記で制作され、小中高校や大学、研究機関などに配布されました。
不正義への怒りを生み出す暴力と差別の歴史を繰り返すことなく、平和的解決を生み出す力をつけていくことこそが自国の平和をもつくり出していくのだと思います。
イスラエル・ガザの映像を目にするたびに、スリランカが思い出され、心が痛くなります。
2009年に26年にもおよぶ内戦終結後、財政赤字が続いていた中でのコロナ禍は観光産業などにも大きな打撃を与え、3年前の2022年には財政破綻も経験したスリランカですが、これまでの辛く苦しい痛みを乗り越えて、スリランカで暮らす全ての人々が幸せになっていくことを心より願い祈っています。

▲毎日新聞 2007年8月6日 高尾具成記者
スリランカでは、音楽に関わる上で忘れられない思い出があります。
音楽を聴かずに育った私は、コンサートなどを聴きに行ったことがほとんどなく、ミュージシャンの方がよく口にするグルーブ感という言葉の意味がよくわかりませんでしたが、以前訪れたスリランカのご家庭で生まれて初めてその体験をしました。
楽器らしき物は何もなかったように思いますが、家の中にある机や壁や器を叩きながら誰かが歌い始めると、子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで、その空間にいた人々が自然に立ち上がって歌い踊り出し、いつの間にかその歌声を聞いた近所の人も徐々に集まって輪が大きくなりました。永遠に続くかのようなリズムと歌声と踊りは、今も私が人生の中で見た最高の音楽シーンです。
お世話になった日本被団協の伊藤直子さんのことを思いながら、スリランカでうまれた歌も「いのちの音色」ライブの中で歌っていきたいと思います🌱
posted by ぷらっとハッピー日記 at 10:20| 東京 ☀|
ライブ&映画「いのちの音色」
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