2023年05月15日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!画家 吉野誠さんの旧満州での体験「戦争の加害と被害を見つめながら…」

吉野先生.jpg

映画『アオギリにたくして』ではチーフ助監督を務めてくださり、現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』の撮影や編集でも大変世話になっている中根克さんとプロデューサーで音楽監督の伊藤茂利と共に広島在住の画家・吉野誠さんのご自宅に3人で撮影にお伺いした時の映像を見ながらこれまでを振り返っています。

1933年に吉野誠さんは広島の農家に
生まれ育ちました(現在の庄原市西城町)。
戦時下にあった当時は食糧難で
「満州に行けば幸せに暮らせる」
との宣伝を信じて1944年に
家族7人で開拓団に加わり旧満州に渡りました。
吉野さんが11才の時だったそうです。

開拓団という言葉に、
荒れ野を開墾するのだと思って大陸に渡った吉野さん一家でしたが、
実際はわずかなお金で農地を奪って居座らざるない現実が待っていました。
「兵士が武器を突きつけるように
 農具を現地の人々に突きつけて
 土地を奪いました」
吉野さんはアルミ板で自ら制作した作品を指差し
「そこにいる少年は私なんです」
と語りました。

吉野さん.jpg


1945年の8月に入ると
旧ソ連が参戦し、
15日に敗戦を迎えました。

1か月前の7月に
病死した吉野さんのお母さんは
満洲に来るべきではなかった、
悪いことをしてきたので
戦争に負けたら
きっと仕返しされるだろう
と心配しながら亡くなっていきました。

日本への帰国の機会を待つ中で
食べ物はなくなり
いつ死ぬかわからない日々が続きました。
冷下30度の寒さ、チフスにコレラ…
報復による襲撃
旧ソ連軍による略奪や暴行

12才の少年だった吉野さんは
目の前で女性が暴行され
その場で3人の女性が
舌を噛み切って死んでいく姿を見ました。

姉を守るために
旧ソ連の兵士たちに抵抗した祖母は
銃剣で何度も頭を殴られて頭や顔が変形し
3日間苦しみながら亡くなりました。

自殺した方が楽になる…
そう考えていた時、
夜空に浮かぶ
世界に一つしかない月の中に
広島の友人の姿が浮かび上がり
「早く帰ってこい」
と声が聞こえてきました。

国民学校時代の友だちや
一緒に遊んだ最上川
遠足で登った山が映し出され
「自殺なんかしちゃいけない
ちゃんと生きて帰ろう」と心に誓い
1946年7月に吉野さんは
父ときょうだいの5人で引き揚げてきました。

苦学しながらも1日も休まず通った高等学校時代に
美術の先生がおっしゃった
「戦時中は、命を投げ出すことが美とされた。
 それは、間違いだったんだ。
 芸術は命を表現することなんだよ。
 絵画は平面に、彫刻は立体で、文学は文字で、音楽は音で、命を表現しているんだ」
という言葉に深く感動した吉野さんは
絵の道を志し、東京の武蔵美術大へと進みました。

広島県内の公立中学校で美術教諭として
平和教育にも力を注ぎながら
自由美術展などを舞台に活躍されてきました。

吉野さんの絵画によく用いられている白や灰色は、
死者の骨の色をイメージしています。
作品に描かれている破られた紙は、
紙切れのように粗末にされた命をあらわしています。

アルミアートの創作でも知られている吉野さんは
捨てられた缶に旧満州で命を落とした開拓民の姿を重ねながら
生きるか死ぬかの日々の中で見た
夜空に浮かぶ輝く月の光を
アルミ板の光とも重ねて制作しています。

吉野さんの作品㈰.jpg

吉野さんはアオギリの語り部と呼ばれた
広島の被爆者・故沼田鈴子さんと共に
マレーシア、中国、韓国など
アジアの国々への慰霊の旅をされ、
戦争の中の加害と被害を見つめ続けてきた方でもあります。

丸木美術館(埼玉県東松山市)の
正面外壁の大きな木彫レリーフ「いのちの叫び」は
広島県廿日市中の全校生徒(約340人)が、
1972年から吉野さんの指導のもと制作されました。
74年11月に丸木位里さんが同校を訪れ
贈呈式が開催されたのだそうです。

われわれも映画『いのちの音色』完成までに
もう一度こどもたちの作品を拝見しに
丸木美術館を訪れたいと思っています。

吉野さんのズボンのポケットには
いつも瓶の蓋が入っています。
近所で喧嘩している子どもたちがいた時に
これが役立つのだと言います。
「蓋を片目につけて
 笑かしたり手品をしていると
 喧嘩をやめて、自然に笑顔になるんよ」

平和づくりに大切なのは
「笑顔」と「ユーモア」
「笑顔とユーモアの絶えないところに争いなし」
沼田さんがよく言っていたそうです。

吉野さん宅ぬまたさん.jpg

東京から慌ただしく取材に訪れた我々を
あたたかく迎え入れてくださった吉野さんに
改めて心より感謝申し上げます。
その後、スタッフの病やコロナ禍など
長くお会いできないままでしたが、
近くまた広島を訪れたいと思っています。

現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』を
この夏までに作り上げたいと思いながらの日々ですが
これまで10年間以上に渡る
一つ一つの映像が
深く、重く、大切で
まだまだ時間がかかりそうです。

形にできるよう日々精一杯
努力を積み重ねて参ります。


▼公式HP
ドキュメンタリー映画『いのちの音色』

https://musevoice.com/inochi/
 
posted by ぷらっとハッピー日記 at 13:49| 東京 ☔| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月13日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!「被爆者の心に寄り添って生きた 故伊藤直子さんを偲びながら…」

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被爆者の方々の心に寄り添いながら
生涯を送られた故伊藤直子さん。

伊藤直子さんの映像を何度も見直しながら
その言葉に込められているたくさんの想いが
今改めてより一層感じられます。

伊藤直子さん.jpg

自分の苦しみを世界中の誰にもさせたくないと願う
被爆者のメッセージを海外で伝えた時、
「なぜそんなにも被爆者は優しくなれるのか?」
という質問を受けたことがあります。

理想論で言っているのではなく
生き地獄を見た被爆者の方々が
苦しみの果てにたどり着いた
現実的なこたえでもある核廃絶への思い。

その想いの中にある
人間としての深い優しさは
どのようにつくり出されていったのだろう。

映像を何度も見直しながら
その答えが、伊藤直子さんと岩佐幹三さんの姿の中から
伝わってくる思いがしました。

石川金沢アオギリ4jpg.jpg
伊藤直子さんとアオギリ.jpg
▲石川県・金沢にて(2015年)

今もしお会いできるなら
お二人にもっともっと聞きたいことが
たくさんあります…。

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』を制作しながら
現在まだ800時間のデーターを100分にまとめる
編集の真っ只中ですが…日々考えさせられる毎日が続いています。
posted by ぷらっとハッピー日記 at 14:50| 東京 ☔| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月09日

ご支援をいただき心より感謝申し上げます。


現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』に
新たな募金をいただきました。

◉ 萩野哲哉 様
◉ 天野達志 様
◉ MJ春眠猫 様
◉ 小池崇子 様
◉ Vocal unit foo 様

心より御礼申し上げます(会計担当:石塚佐和子)

皆様のお名前を下記「いのちの音色」公式HPに掲載させていただきました。
改めて心より深く感謝申し上げます。

いのちの音色 公式HP
https://musevoice.com/inochi/

ご支援のお願いについて
https://musevoice.com/inochi/goods-2/
引き続き、完成に向けて皆様のご支援を何卒よろしくお願い申し上げます🙏



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2023年05月06日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!「映画づくりの合間に、ふと思うこと」


第3作目となるドキュメンタリー映画『いのちの音色』を制作中です。


今は共に映画づくりをしてきた
伊藤と私しか出来ない作業の真っ只中で
約800時間のデーターを3時間にまとめる作業中です。

これまでの映画づくりでも
大変お世話になってきた中根プロダクションの中根監督に
ご指導いただきながらの日々が続いています。

BURST22の高明さんと山本優子さんに大変お世話になり、
倉本和人さん、柴田誠さん、渡川修一さん、升田規裕さんにお力添えいただきながら一歩一歩進んできました。
皆様に心より深く感謝申し上げます。

まだまだ完成までに時間がかかりますが
全力を尽くしてまいります。

アオギリと里ちゃん.jpg

膨大なデーターに埋れながら、
体を休めるために目を閉じると
ふと幼い頃の思い出が蘇ります。

何ごとにおいても
人よりずいぶん遅れている私は、
作詞・作曲や歌を始めたのも30代後半で、映画づくりを始めたのは40代後半でした。

人間の本質について
わかり始めてきたのも
生きるか死ぬかを
何度も突きつけられるほど大変な
映画づくりをはじめてからで、
つい最近のことです。

自分が自分であること以外
何にも属していない感覚で生きてきた私は
体の中のエンジンが自然と動き出し
心から大切だと思うこと以外は
無頓着に生きてきました。

独立独歩で生きてきたのは
強いからではなく、
小さな頃から超引っ込み思案で
人間の集団や組織にあまり馴染めなかったからなのかもしれません。

小さな頃は、
辛いことや悲しいことがあると
自宅の目の前に広がる山をテクテク一人で歩いて
森の中を通り抜け、田んぼの畦道を歩いた先に出てくる
自分だけのお気に入りの場所で
しばらく風に吹かれながら
心の波風が去るのを待っていました。

幼い頃の私にとって
友だちは、蝶々や昆虫、草花や野良猫たちで、
学校から帰るとクモの巣に引っかかっている
蝶々やトンボなどを助けることや
アリの観察に忙しい日々で
人間の友だちと遊んでいる時間はあまりありませんでした。

ふと、大人になってから
あのクモはどうしていたんだろう?
と思うことがあります。

クモにとって私は
とても迷惑な存在だったことでしょう。

小学校5年生だったある日
いつものように山の見回りをしていると
羽が傷つき飛べなくなった蝶々と
弱っているカマキリを見つけました。

その日、私は夕方から出かけなければならず
時間があまりなかったので、
緊急処置として大きな段ボール箱の中に
保護した蝶々とカマキリを入れて出かけました。

家に戻り、急いで箱を覗くと
なんと…カマキリが蝶々の頭を食べてしまっていました。
その時の衝撃は、今も体のどこかに残っています。

カマキリが蝶々を食べることを知らず
一緒の箱に入れてしまったために
せっかく命を救うために保護した蝶々の命まで奪ってしまったのです。

心から良かれと思って一生懸命やったことであっても
結果として、自分の思いとは裏腹に
命をも傷つけてしまうことさえ起きうることを
その時に痛感しました。

大人になるにつれ、
知識や経験が少しずつ増えていっても
「本当は分からない」
という感覚をつねに忘れずに
自分の物差しだけで相手をはかることなく
生きていたいと思っています。

最も小さな存在であるからこそ
見えることがあります。

アオギリの語り部と呼ばれた
沼田鈴子さんが、
「小さなことから始めてね」
とおっしゃっていたことには
とても意味があると感じます。

映画づくりにおいても
ライブや上映活動についても
その感覚を大切にしながら
生きていきたいと思います。

🍀ドキュメンタリー映画『いのちの音色』
公式HP https://musevoice.com/inochi/

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2023年05月04日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!「山形県映画センターの故宮澤啓さんを偲びながら…」

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今では世界でも知られるようになった「山形国際ドキュメンタリー映画祭」。その立ち上げから最も大変であったであろう12年を支えた故宮澤啓さんは、その後、山形県映画センターとして山形県内の各地に足を運んで上映運動を作り上げ、福島県、宮城県にまで活動域を広げておられました(2018年9月9日、63歳でご逝去されました)。

宮澤さんは真の映画人魂を持った方でしたが、単に映画が好きだということだけではなく、人類の未来、地球の未来を見据えながら、地域から文化を発信し、歴史に裏打ちされた人間の営みとしての息吹が息づいている地方の生活を大切にしながら世界と繋がることで、山形の未来を考え守ろうとされていたのではないかと思います。


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山形の映画館にて.jpg


かれこれ10年前、さまざまな地域で自主上映活動をされている方々が集う場でお話しさせていただいたく機会をいただき、映画づくりに託す私自身の想いを語らせていただきました。

当時私は、初の映画制作で途方もなく大変な荒波の中に揉まれすぎて心がボロボロでした。そんな時、宮澤さんが、「上映活動の原点を思い起こさせてくれました。もっと謙虚に一生懸命に取り組んで応援したいと思います」と、言葉をかけてくださいました。

その道を何十年も歩まれてきた大先輩からの誠実で純粋で優しさに溢れる言葉に、それまで必死に戦い続けてきた自分の心がほぐれていく感覚を覚えました。

その時、宮澤さんが山形県映画センターの方で、若い頃から映画の上映普及活動に夢を託されてきた方だと知りました。


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その後、山形や宮城などでの映画やライブで宮澤さんに大変お世話になりました。

そして2017年、共に映画づくりをしてくれたしげ兄(伊藤茂利)が緊急入院して癌の告知を受けた際、宮澤さんからの優しさに溢れたお手紙が届きました。しげ兄と同じ年齢の宮澤さんも、山形国際ドキュメンタリー映画祭を形づくるまでに体を壊された経緯があり、なので親身になってしげ兄の病状を心配してくださいました。

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宮澤さんが亡くなる5日前の2018年9月4日、第49回山形県生協大会で「いのちの音色」ライブをさせていただくことになり、私たちは山形入りしていました。台風の接近する中、600人以上がご来場くださり、ライブを終えて山形から新潟に向かう電車の中で、暴風のため電車が動かなくなり、風に揺られながらしばらく待機していました。

山形でライブさせていただけることになったのも、宮澤さんが私たちの映画と共にライブ活動を応援してくださっていたからだと思います。しげ兄が、宮澤さんにお礼のお電話をかけると、近くのコープのお店に行った時に私たちの写真がのったポスターを見たよと言ってとても喜んでくださいました。しげ兄が最後に「宮澤さんもくれぐれもお体を大切になさってください」と言って電話を切った、その5日後…宮澤さんが亡くなってしまうなんて…。訃報を受けた時、あまりの驚きとショックで言葉がありませんでした。

現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』でも撮影でご協力いただきました。
作品を見ていただけないことが残念でなりませんが、完成に向けて精一杯がんばりたいと思います。

コロナ禍やしげ兄(伊藤)の癌の再発と度重なる体調不良や資金難もあり、宮澤さんにもすすめていただいていた山形国際ドキュメンタリー映画祭などへの作品の応募締め切りには間に合いそうもありませんが、小さな映画づくりは、制作者自らの上映活動への熱い想いがなければ上映活動は広がりません。ですので、まずは心から納得いく作品となるよう最後までもがきながらつくりあげていこうと思います。


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昨日より、ドキュメンタリー映画『いのちの音色』の東北編の編集に入りました。

心から尊敬する宮澤啓さんを偲びながら…
ドキュメンタリーとは何かについて、日々発見のある毎日が続いています。

いのちの音色🍀公式HP
https://musevoice.com/inochi/
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2023年04月30日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!「別府ブルーバード劇場の岡村照館長・実紀マネージャー様に改めて心より感謝申し上げます」



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▲岡村照館長(1931年4月、大分県別府市生まれ。2015年、映写機を操作されていた照さんを撮影させていただきました)


「別府ブルーバード劇場」は、
大分県別府市に唯一ある映画館です。

全盛期には20数館あったという市内の映画館が
今では一館のみとなる中、
館長の岡村照さんは、映画館の灯を守り続けてきました。

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1945年に父・中村弁助さんが
「子どもに夢を与えたい」
という思いでつくった映画館を
共に支えてきた夫・昭夫さんは
1971年、照さんが39歳の時に亡くなられ
その後、50年以上にわたり
照さんは一人で映画館を守り続けてきました。

今年92歳になられた照さんは、
別府ブルーバード劇場を愛する人々と共に
今もお元気にご活躍されています。


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初めてご挨拶に伺った時、
少しドキドキしながら訪れた
私とギタリストの伊藤茂利を
満面の笑みであたたかく迎えてくださいました。

照さんの旦那様が広島の方で、
爆心地からは離れていましたが
旦那様から聞いたあの日のことをお話しくださり
「広島の映画なら是非!」
と、2013年に完成した初プロデュース映画『アオギリにたくして』を上映してくださいました。

その後も『かけはし』や他の作品でも大変お世話になり、
照さんのマネージャーで次女の実紀さんが
何度も映画館での我々のライヴを企画してくださいました。


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ファミリーのように向かい入れてくださった
照館長と実紀さんはじめ
別府ブルーバード劇場の関係者の皆様に
改めて感謝の思いでいっぱいです。

その後、2017年に共に映画づくりをしてきた
ギタリストの伊藤茂利が癌で緊急入院し
再発やコロナ禍などのなかで、なかなかお伺い日々が続きましたが、

昨年2022年の夏、実紀マネージャー様がライヴをご企画くださり、
お元気な照さんと皆様にお会いすることができて本当に嬉しかったです🎶

また、伊藤慶典さんのご尽力により
児童養護施設「光の園」にて
別府市内で初となる
被爆アオギリ2世植樹が昨夏行われました。


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▲2015年・別府ブルーバード劇場での「いのちの音色」ライブ後に。照さんと伊藤茂利♪


別府ブルーバード劇場で
ドキュメンタリー映画『いのちの音色』を
上映していただける日を楽しみに
完成に向けて全力を尽くします!

改めて照館長、実紀マネージャーはじめ皆様に心より深く感謝申し上げます🙏
posted by ぷらっとハッピー日記 at 23:16| 東京 ☁| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年04月27日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!「被爆者の故沼田鈴子さんを思いながら…」


ドキュメンタリー映画『いのちの音色』を制作中です。

アオギリの語り部と呼ばれた広島の被爆者
沼田鈴子さんが原爆にあったのは22歳の時でした。

その同じ年齢の時に、私は沼田さんと出会い
アメリカの学校や教会で日本文化紹介と共に
「にんげんをかえせ」などの原爆映画の上映会を行う
草の根ボランティアの民間外交プロジェクト
「ネバー・アゲイン・キャンペーン」
の第一期生として単身渡米しました。

アラスカ・オレゴン・ネバダ・オハイオ・ニューヨークなどで
1年間に約280回のプレゼンテーションをさせていただきました。
渡米前にひと夏を過ごした広島で沼田さんとお話しする機会をいただきました。

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帰国後、外国人向けの異文化コミュニケーション雑誌で
編集長をしていた頃に、当時勤めていた会社で企画立案し
日本で暮らす様々な国の世界の人々と共に
それまでお世話になってきた被爆者の方々の体験と
各国の出演者の両親や祖父母の戦争体験を伝える
日本語朗読劇を企画・制作しました。

プロデュースするにあたり
出演者やスタッフに、被爆者の方に会っていただき
直接、被爆者の方から話を聞く体験をみんなにしてもらいたいとの思いから
広島合宿を企画したり、長崎を訪れたりもしました。

若い頃、ネバーアゲインキャンペーンに参加させていただき
たくさんの皆様にお世話になったので、
今度は自分ができることで恩返ししながら
次へとバトンをつなげていきたいという思いからでした。

とはいえ、当時勤めていた会社の中でのプロジェクトなので
そのための様々な予算を捻出するためには、
まずは別途他の企画を立てて売り上げを出し、
劇づくりにかかるお金を捻出しなければなりませんでした。
そのために、毎月の月刊誌以外に
別冊の発行に向けての企画もしながらの日々でした。

小さな会社だったので、
編集長と言っても取材から執筆・制作・営業・流通
さらに異文化交流イベントなども全部に携わりながら、
毎月雑誌を発行するだけでも大変な状況でした。

新聞紙をかぶって会社のソファーで寝泊りしながらで、
さらに、新たな企画と劇づくりが加わりました。
今思うと正気の沙汰ではありません。

プロジェクトをきちんと会社の中で位置付けることができてこそ
やらせていただけていることでもあるため、
通常業務の何倍もの忙しさに追われる中で
不眠不休の劇づくりとなり、ボロボロ状態になりながらではありましたが、
その時の経験とその中から見えてきた様々な気づきは、
その後の人生に生かされています。

とても感謝しているのは、
当時の会社の社長がこのプロジェクトに賛同して
会社でやらせていただけたことです。
その後、独立して自ら会社を立ち上げる中で、
初めて社長の苦労や大変さがわかるようにもなりました。
様々な立場を経験して初めて見えてくることがあることも知りました。

そして、この時の劇づくりにおいても
被爆者の沼田鈴子さんに大変お世話になりました。

アメリカ・中国・韓国・フィリピン・バングラディシュ・ドイツ・スペイン、その他、
多国籍の出演者が参加する中で、戦争の中での加害と被害をしっかりと見つめながら
被爆体験を世界に伝えていく大切さを沼田さんが語ってくださいました。

沼田さんは、国を超えて世界の人々にヒロシマの心を届けることができる方でした。

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みんなを連れて沼田さんに会いに広島に行った時も
待ち合わせは、いつもの広島平和記念公園の被爆アオギリの木の下でした。

現在制作中ドキュメンタリー映画「いのちの音色」の中で
その頃の沼田さんの映像を持っている広島のテレビ局にお伺いし
映像を見せていただいたのですが、
映像使用料の金額があまりにも桁違いに高すぎて
今回の映画の中に入れることは諦めざるをえず
とても残念ですが、いずれまた挑戦して描いていきたいと思います。

今年、私は59才になりました。

沼田鈴子さんが語ることのできなかった長い年月を経て
語り部となったのは、ちょうど今の私と同じ年齢の頃でした。

どんな思いで沼田さんが戦後を生き、
どんな思いで語り始め、
語り続ける中で何を感じておられたのか…

年月を重ね人生を生きてきた中で、
この年になって、改めて思うこと、分かること、感じることがたくさんあります。

微力であっても、現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』の中で
沼田鈴子さんがアオギリに託した想いを少しでも伝えていけるよう全力を尽くして参ります。

皆様のご支援・ご協力を何卒よろしくお願い申し上げます。
🍀いのちの音色 https://musevoice.com/inochi/
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2023年04月25日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!「大川須美さんと一緒に訪れた登戸研究所資料館 」

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2008年8月6日、新宿御苑の友人のお店で、
初めての歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝えるライブを行いました。

その時にご来場くださった大川須美さんが、このライブ活動を広めてくださり、
アオギリの語り部と言われた被爆者の沼田鈴子さんからいただいた資料を譲り受け、
その後の映画を生み出すきっかけをつくってくださいました。

高知で生まれ育った大川さんの女学生時代は戦時中で、
学校はまるで工場のようだったそうです。

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大川さんのクラスでは、
編成風に乗せてアメリカへ飛ばす
風船爆弾づくりのために
くる日もくる日も
厚い和紙を貼り合わせて
大きな紙の風船をつくる作業をしなければならず
勉強どころではなかったそうです。

B-29の爆撃機により、
大川さんの生まれ育った高知市も終戦の1か月前に爆撃を受け、
市街の大部分が焼け野原になり
学校も大川さんの家も失われました。

現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』で
大川さん共に訪れた明治大学の登戸研究所資料館での映像を見ながら
これまでを振り返っています。

ずっと昔の話ではなく、
自分の親や祖父母の世代の時代に起きたことを
あまりにも知らないまま大人になった私は
戦争時代を生きてきた方々の心に
どれほどの想像力を持って
接してくることができていただろう…

コロナ禍の2020年、
大川さんはご逝去されました。

このドキュメンタリーを制作中に
何人もの方が既になくなっています。
託された想いをどう伝えていったらいいのか…

悲しみにくれながらの
編集作業がまだまだ続いています。


🍀ドキュメンタリー映画『いのちの音色』
https://musevoice.com/inochi/
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ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!牛田教会の皆様に改めて心より感謝もうしあげます。


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被爆者の沼田鈴子さんの半生を描いた初プロデュース映画『アオギリにたくして』(2013年劇場公開)の制作を始めるにあたり、2012年4月に沼田さんのお墓参りと関係者の皆様へのご挨拶に広島を訪れた際には、聖文社の難波郁江社長がご案内くださり、牛田教会にて沼田さんの弟様のご夫人と甥の沼田良平様にごあいさつをさせていただきました。

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その節は牛田教会の皆様に大変お世話になり
改めて心より深く感謝もうしあげます。


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ドキュメンタリー映画「いのちの音色」の取材と撮影においても
西嶋牧師様はじめ牛田教会の皆様に大変お世話になりました。

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改めて心より深く感謝申し上げます。
この夏の映画の完成に向けて全力を尽くします。

🍀ドキュメンタリー映画『いのちの音色』
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2023年04月22日

風見しんごさんのお言葉「絶望に負けないために流す涙があることを『アオギリ』が教えてくれました」

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「絶望に負けないために流す涙があることを『アオギリ』が教えてくれました」

2013年に劇場公開した
初プロデュース映画『アオギリにたくして』で
父親役を熱演してくださった
風見しんごさんのお言葉です。

今、より一層この言葉が身に染みます。

初めての映画製作で至らないところも多々ある我々に、
いつもあたたかく接してくださった風見さんの姿に
どれ程たくさんの励ましと勇気と希望をいただいたことでしょう。

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映画のキャスティングで奔走していた時に
以前アラスカにいた頃にドキュメンタリー番組でお世話になった
広島のRCC中国放送の方にご相談に伺った際に
広島出身の俳優としてご活躍されている
風見しんごさんをご紹介いただきました。

少し緊張しながらお電話すると
マネージャーの安田さんが
とても丁寧にご対応くださいました。
映画づくりにおいても、上映活動においても
たくさんのお力添えいただき
心より感謝の思いでいっぱいです。

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制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』の編集をしながら
あの時のメイキングシーンを見ていると、
当時のことが思い出され、熱いものが込み上げてきます。

いま、風見さんはアメリカに留学されています。
新たなチャレンジをし続ける風見さんに刺激を受けながら
私たちもチャレンジしていきます!!
これからのますますのご活躍をスタッフ一同心より祈っています。

今後とも何卒よろしくお願い申し上げます🙏
posted by ぷらっとハッピー日記 at 21:17| 東京 ☀| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中!「梅谷ご夫妻と立花ご夫妻に感謝を込めて」

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映画づくりをはじめる前から大変お世話になっている
梅谷ご夫妻と立花ご夫妻に改めて心より感謝申し上げます。

夜行バスに乗って広島と東京を何度も往復する我々を、
いつもあたたかく迎えてくださり
梅谷ご夫妻と立花ご夫妻のご自宅に
ホームステイさせていただきました。

東京生まれの我々ですが
広島を訪れるたび、帰ってきたような気持ちになります。


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この夏の完成を目指して
ドキュメンタリー映画『いのちの音色』を制作中です。

広島上映でまたお会いできるよう
がんばっています!


🍀ドキュメンタリー映画『いのちの音色』
公式HP https://musevoice.com/inochi/goods-2/

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2023年04月21日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』:故 渡邊道子様を偲びながら

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現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』では、
アオギリの語り部と呼ばれた沼田鈴子さんと大変親しかった
広島のワールド・フレンドシップ・センター理事の
渡邊道子さんにインタビューさせていただきました。

いつも満面の笑みで
迎えてくださった道子さん。

道子さんからいつも元気をいただき、
励まし、勇気づけてくださいました。

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戦争が終わったのが10歳の時だった道子さんは、
旧満州で生まれ、敗戦後日本に帰られました。

戦後、価値観が180度変わっていく中で、
昭和24年からの広島を見てきた一人として
沼田鈴子さんとは気持ちが深く通じるところがあったそうです。

コロナ禍に広島にお伺いすることもできないまま…
2021年2月に渡邊道子さんが亡くなられていたことを知りました。

映画の完成を見ていただくことのできないままとなり本当に残念でなりません
もう一度、道子さんに会いたかったです。

道子さんの映像を見ながら
「がんばって!」という声が聞こえてきます。

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今我々も、これまでにない大変な状況にありますが
それでも、必ず映画を完成させようと
強い意志を持って前に進んでいく力が残されているのは、
心の中に今も生き続けている沼田鈴子さん、渡邊道子さんはじめ、
これまでお世話になった皆さまの大切なメッセージを
『いのちの音色』の中で伝え続けていきたいと心の底から強く思うからです。

まだまだ完成までにやるべきことが多すぎて
これから眠れぬ日々が続きます。

映画が完成したら広島にお伺いさせていただきます。

道子さんのインタビューさせていただいた場所をまた訪れ、
昔はよく太極拳をしていたという広島平和記念公園で
道子さんを思いながら時を過ごしたいと思います。
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2023年04月20日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中!初プロデュース映画『アオギリにたくして』メイキング映像

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歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える
『いのちの音色』日本全国ライブの中から、
一つの映画作品が生まれました。

被爆者の沼田鈴子さんに捧げた
歌「アオギリにたくして」からタイトルをとり、
映画『アオギリにたくして』が2013年夏に劇場公開しました。

2012年8月6日、
広島平和記念公園での式典を
他のマスコミの方々と共に
屋上から撮影しながらクランクイン!


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ロケ前に何度も広島を訪れ、
梅谷ご夫妻のご自宅にホームステイさせていただきながら撮影現場の視察を行い、広島市民の皆様に映画への参加を記者会見で呼びかけさせていただき大変お世話になりました。

被爆者の方もご出演くださり、撮影の合間にお伺したお話を伺わせていただきました。

現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』では、その時のメイキング映像や被爆者の方のお話もお伝えしていきたいと思っています。


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井上さんたちエキストラ.jpg

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ただただ必死に全力で走り抜けてきた日々を映像で振り返りながら、
改めて見てくる気づきがたくさんあります。

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』
この夏の完成を目指しています!

🍀「いのちの音色」公式サイト
https://musevoice.com/
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ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中!ご出演くださっている衣笠邦彦さんに感謝を込めて♪

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ドキュメンタリー映画『いのちの音色』を
制作しながら、様々な思い出がよみがえります。

別府ブルーバード劇場で初プロデュース映画を観てくださった国東半島の衣笠邦彦さんが、ご自身が暮らす国見で初の自主上映会をご企画くださった時の映像を見ながら、その時のドキドキ感が伝わってきます。

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懐かしい〜〜🎶

あの頃は小学生だったご長男がもう高校生に!

そして、衣笠さんの子どもたちが通っていた小学校に植樹された小さな被爆アオギリは、昨年夏に撮影に伺わせていただいた時には、すでに大木となっていました。

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俳優として、建具師として、経営者として、そして無農薬のお米づくりにチャレンジしながら大活躍中の衣笠邦彦さん。

64歳になった衣笠さんは、
ますます夢に向かって走り続けています。


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月日の流れの早さに驚きながら…

ドキュメンタリー映画の完成を
ずっ〜と待っていてくださっている
衣笠さんとファミリーの皆さんに
喜んでいただける作品となるりますように🙏

また会える日を楽しみにしながら、
日々完成に向けて制作に集中していきます。


Seeds of Hope & Peace!
世界に希望と平和の種を♬

🍀「いのちの音色」公式サイト
https://musevoice.com/inochi/
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2023年04月19日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』SNS

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この夏の完成を目指すドキュメンタリー
映画『いのちの音色』制作に追われる日々の中、
人手不足もあり、情報発信が間に合っておらず大変申し訳ございません。

ミューズの里の各プロジェクトごとに
HPやFB頁などを作っておりましたが、
IT担当の渡川修一さんと相談しながら
少しずつ整理してより分かりやすくしていけるようにと思っております。

また、FB頁による
ドキュメンタリー映画『いのちの音色』情報発信は、
これまで音楽と映画が別々となっていましたが、
名前が同じで分かりにくいこともあり、
下記URLに統合して発信していくこととなりました。

🍀FB頁「いのちの音色」URL
https://www.facebook.com/musesatoshige/


その他SNSによる映画や音楽の『いのちの音色』情報発信は
下記のURLとなります。

◉Twitter 
https://twitter.com/museinochi

◉Instagram
https://www.instagram.com/museinoch/

◉ブログ
https://nakamurasatomi.seesaa.net/category/25036983-1.html


引き続き、皆様のご支援を何卒よろしくお願い申し上げます。
posted by ぷらっとハッピー日記 at 20:13| 東京 ☀| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年04月18日

米国ワシントンでの被爆アオギリ二世植樹&ライヴから13年…


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米国ワシントンの(財)カーネギー地球物理学研究所にて、
広島の被爆アオギリ二世植樹と海外初ライヴをさせていただいたのは2010年秋のことでした。

大変お世話になった
固体地球科学者の山中高光先生、
ラッセル・ヘムリー所長はじめ関係者の皆様に
改めて心より感謝申し上げます。


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広島市長のメッセージと被爆アオギリ二世、
そして、アオギリの語り部と呼ばれた
被爆者の沼田鈴子さんと親交のある
仏師・川上康史さんがつくられた
平和の像を託され渡米しました。

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沼田鈴子さんが最初の一堀をされ、
ギタリストの伊藤茂利と私も一堀ずつさせていただき、
「微笑みの輪が広がっていきますように」
と平和の祈りを込めてつくられた木彫りの像です。

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その時のご報告に伺ったのが、翌年の3月、
3・11東日本大震災が起きた後のことでした。

米国ワシントンに同行取材してくださった
石塚淳子さんとギタリストの伊藤茂利さんと
三人で沼田さんに会いに広島へと向かいました。

沼田さんは、被爆アオギリの種から育った
2世や3世の苗が世界に広がっていることを
とても喜んでくださりながら、
3・11の被災地のことを大変心配されていました。

東北から修学旅行に広島を訪れていた
こどもたちのことを心配しながら
最後まで被爆体験を語り続けようとされていました。

4カ月後、沼田さんは天に召されました。


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映画制作を通してこれまでを振り返りながら
沼田さんが被爆アオギリに託した想いの深さを
より一層強く感じています。


この年になって初めて感じることが
たくさんあります。

沼田さんはじめお世話になった被爆者の方々の想いを
少しでも伝えていきたいと心から思います。

その想いで、2013年に劇場公開した
初プロデュース映画『アオギリにたくして』をつくり、
そして今、ドキュメンタリー映画『いのちの音色』をつくっています。

まだまだ大変な日々が続きますが、
夏の完成を目指します。

皆様のご支援を宜しくお願い申し上げます。

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』ご支援のお願い
🍀https://musevoice.com/inochi/goods-2/
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2023年04月13日

映画『いのちの音色』この夏の完成を目指して♪

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歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える
『いのちの音色』公演の中から、
第一回JASRAC音楽文化賞を受賞した
映画『アオギリにたくして』が生まれ
日本全国での上映をロングランで続けています。

そして今、この夏の完成を目指して
映画『アオギリにたくして』に続く
ドキュメンタリー映画『いのちの音色』の制作中です。


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最後の追い込みに向けて、
ここからしばらく
制作にどっぷりと入り込んでいきながらの日々が続きます。

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』は、
1000回ライブを目指して2008年にスタートした
日本全国ライブ行脚の中で、希望と平和の種を蒔く人々の姿に感動し
カメラを回し始めたことからスタートしました。

広島平和記念公園の被爆アオギリの木の下で
修学旅行生や世界の人々に体験を語り、
アオギリの語り部と呼ばれた被爆者の沼田鈴子さんと
広島ライブで再会したのは2009年のことでした。

東京に戻ると、沼田さんから
アオギリの小さな苗が届きました。
広島の被爆アオギリのお孫さんにあたる3世の苗でした。

小さな可愛い苗を見ながら
口ずさんでつくった歌を
沼田さんにプレゼントしました。
「アオギリにたくして」という歌でした。

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『いのちの音色』1000回ライブ達成を応援してくださっていた沼田鈴子さん。
「元気になったら、アオギリの木の下で一緒に歌おうね」
それが沼田さんとの交わした最後の言葉になりました。

2011年3月11日に起きた東日本大震災の4カ月後
被災地の子どもたちのことを案じながら、
沼田さんは永眠されました。

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2013年に劇場公開した初プロデュース劇映画『アオギリにたくして』では、
冒頭シーンに、病院から抜け出した沼田鈴子役の田中節子が
街角の大型テレビで3・11のニュースを見つめる様子を描いていますが、
『アオギリにたくして』に続く『いのちの音色』では、
あの時のいてもたってもいられない思いを伝えてくださった
沼田さんの映像からスタートしていく予定です。

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初めて沼田鈴子さんと出会ったのは1986年のことでした。沼田さんが被爆体験を語り始めるきっかけとなった10フィート運動によってつくられ、アメリカン・フィルムフェスティバル1984年度ブルーリボン賞受賞した原爆映画『にんげんをかえせ』やアニメ『ピカドン』等を、アメリカの学校や教会で上映し日本文化紹介を行う民間外交プロジェクトに参加し、一年間に渡る米国上映行脚の渡米前に、持参する映画に出演されているヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々とお会いする機会をいただきました。そして、その中のお一人が沼田鈴子さんでした。

あれから、37年という月日が流れました。

「体験のない世代が 次世代に語り継ぐヒロシマ・ナガサキ。過去と未来をつなぐ今を生きる私たちに 出来ることは何だろう…」
それは、沼田鈴子さんはじめ被爆者の方々と出会った37年前からずっと繰り返し自分の心に問いかけていることでもあります。

核兵器なき世界を願う被爆者の方々の祈りを胸に、夏の完成を目指します。
ドキュメンタリー映画『いのちの音色』を観てくださる方々の心に、希望と平和の種が蒔かれていく作品となるよう全力を尽くします。
皆様のご支援をよろしくお願い申し上げます。

◆撮影形態:ビデオデータ撮影
◆公開形態:DLP Blue Ray公開
◆上映時間:約90分(予定)
◆完成・公開:2023年夏・秋(予定)
◆日本全国各地・海外上映を目指します。

制作・公開に向けて資金が不足しております。
皆様のご支援・ご協力を何卒よろしくお願い申し上げます。

映画『いのちの音色』公式HP
🍀ご支援のお願い

https://musevoice.com/inochi/

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2023年03月27日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』ご支援のお願い


映画『アオギリにたくして』『かけはし』に続く、
ミューズの里の第3作目となる
ドキュメンタリー映画『いのちの音色』

闘病生活やコロナ禍で制作が何度も延期されましたが、
大変な状況を乗り越え、この夏の完成に向けて全力を尽くします。

皆様のご支援・ご協力を何卒よろしくお願い申し上げます。
2023年夏の完成に向けて全力を尽くします。
皆様のご支援のお願い申し上げます。

🍀公式サイト:ご支援のお願い
https://musevoice.com/inochi/goods-2/


※MUSE VOICE創刊号の巻頭特集
『いのちの音色」の記事より♪
※画像をクリックしていくと大きくなります。

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2023年03月11日

3.11から12年…


3.11から12年…。
震災によって犠牲になられた方々のご冥福と共に、1日も早く復興が実現するよう心よりお祈りいたします。


あの日…
私は、東京のオフィスにいました。ものすごい揺れを感じた瞬間、部屋の電気が切れ、
急いで外に飛び出すと、大地が左右に大きく揺れていました。大変な規模の地震が起きたことを知りました。

最寄りの駅へと向かうと、道路の信号が全て消えている中で、車が慎重に走っていました。駅の周りは人だかりができていて、銀行以外の店の電気が全て消えているように見えました。周りのコンビニの商品は、すでにほとんどなくなっていました。


3.11の何日か後、以前から予定されていた被爆者の沼田鈴子さんの撮影のため、広島へと向かいました。前年の2010年秋に米国ワシントンの(財)カーネギー地球物理学研究所で行った被爆アオギリ2世の植樹とライブのご報告をするためでした。

沼田さんはベットの上に横たわりながら、いつものように満面の笑みで迎えてくださいました。アメリカに植樹された被爆アオギリについて熱心にお話を聞いてくださった後、リクエストをいただき、沼田さんの87才のお誕生日に捧げた歌「アオギリにたくして」を口ずさむと涙されながら聞いてくださり、演奏が終わると被災地の方々のことを案じながら語り始めました。

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これまでずっと心配していたことが、とうとう起きてしまったことへの憤りと共に被災地の子どもたちのことをとても案じながら、いてもたってもいられない思いが、ひしひしと伝わってきました…。

今制作しているドキュメンタリー映画『いのちの音色』は、この時に同行取材されていた石塚淳子さんが撮影した映像からスタートしていきます。


3.11の4ヶ月後、沼田さんはご逝去されました。

沼田さんが亡くなられた日、ライブで広島入りしていた私とギタリストのしげ兄(伊藤)は、お世話になっている広島の立花ご夫妻のご配慮で、葬儀の前に、最後のお別れの時間をいただきました。

涙が止まらず放心状態の私に、「里ちゃん「アオギリにたくして」を歌ってあげたら…」と奥様のみっちゃんが優しく声をかけてくださいましたが、いろんな思いが体の奥から込み上げてきて、歌うこともできませんでした…

その時のどうしようもない深い悲しみは、その後に初プロデュースし2013年夏に劇場公開した映画『アオギリにたくして』をつくり出す原動力となりました。

映画の冒頭には、福島の子どもたちを心配して病院から抜け出し、街中の野外大型ディスプレイで被災地の人々を案じる沼田さん役の主人公(田中節子)の姿が描かれています。女性記者が福島を訪れるシーンでは、東日本大震災から2年後の3.11に福島でロケを行わせていただき、地震発生時の14時46分に出演者とスタッフ全員で祈りを捧げ、撮影後には、ロケ現場に被爆アオギリ2世の植樹をさせていただきました。

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東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から12年…

そして「アオギリの語り部」と呼ばれた広島の被爆者・沼田鈴子さんが亡くなってから12年という月日が流れました。

これまでの12年を振り返りながら…そして自分にとっての原点となる被爆者の方々との出会いをいただいた若き日を思い返しながら…

今日からより一層集中して、
ドキュメンタリー映画『いのちの音色』に向き合っていこうと思います。

残された人生をどう生きるべきか、自問自答しながら、この度の第3作目に取り組んでまいります。
posted by ぷらっとハッピー日記 at 12:25| 東京 ☀| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月09日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』新たなご支援のお願い

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ドキュメンタリー映画 『いのちの音色』
2023年夏の完成・公開を目指します!
皆様のご支援・ご協力をお願い申し上げます。


ドキュメンタリー映画『いのちの音色』は、広島平和記念公園のアオギリの木の下で被爆体験を語り続け「アオギリの語り部」と呼ばれた沼田鈴子さんが亡くなる4カ月前の映像メッセージに込められた思いと共に、日本全国・世界に広がる被爆アオギリ2世・3世の植樹を追いながら、アオギリに託された思いを伝えていきます。希望と平和の種を蒔く人々の姿を通して、過去と未来をつなぐ 今を生きる私たちに出来ることを模索しながら、次世代に語り継ぐヒロシマ・ナガサキを描いていきます。

映画『アオギリにたくして』『かけはし』 に続く第3作目となるこの度の映画製作は、コロナ禍にスケジュール変更が相次ぐ中、プロデューサーで共に映画づくりをしている伊藤茂利の癌が再発・転移してステージ4となり、余命についてお伺いした上で、厳しい闘病生活を続けながらの制作活動となりました。

何としても映画を完成させたいという本人の強い意志に支えられる中、お陰様で画像上から癌が消える奇跡的な状況となりましたが、主治医の先生とご相談しつつ、その後も抗がん剤治療を続けながらの日々が続いています。体調が良くなったり悪くなったりを繰り返しながらではありますが、本人の集大成ともなるこの度のドキュメンタリー映画『いのちの音色』の夏の完成に向けて全力を尽くしてまいりたいと思います。

また、今回の映画制作では、初のクラウドファンディング「A-port」にもチャレンジさせていただきましたが、我々の力不足で、残念ながら40%の達成率となりました。当初、クラウドファンディングで達成できなかった分を、弊社ミューズの里の営業努力でカバーしていく予定でおりましたが、この間の長引くコロナ禍や闘病生活で、さらなる営業活動を行うことが出来ない状況が続き、この夏の映画の完成・公開に向けて、今月より新たにご支援のお願いをスタートさせていくことになりました。

映画をみてくださる皆様の心に、希望と平和の種がまかれていく映画となるよう全力を尽くして参ります。ドキュメンタリー映画 『いのちの音色』 完成・公開に向けて、ご支援の呼びかけへのご協力を何卒よろしくお願い申し上げます。

   
■任意の額によるご寄付のご協力
ご支援いただいた皆様のお名前を 公式H Pと本編のエンドロールに掲載させていただきます。
※領収書が必要な方には、製作会社ミューズの里より 「いのちの音色」制作支援として発行させていただきます。

お申し込み方法
下記の申込書、または申込書に書かれている必要事項(連絡先など)を明記して、メールかFAXにてお送りいただき、下記の指定口座へお振り込みください。

▼下記の画像をクリックすると大きくなります
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〜ご寄付のお振込先〜
●郵便振替の場合
【口座名】いのちの音色
【口座番号】 00150-7-731656
※上記の郵便振替口座を、他行等からの振込の受取口座として利用される場合は、下記内容をご指定ください 店名(店番):〇一九(ゼロイチキユウ)店(019) 預金種目:当座/口座番号:0731656

●銀行振込の場合
【銀行名】 三菱UFJ銀行(鶴川支店)
【口座名】 株式会社ミューズの里
【口座番号】(普)0043442 
※銀行からのお振込の際は、ご連絡先がわかりませんので、必ずミューズの里までご連絡先をお知らせください。

🎬映画『いのちの音色』公式HP
「新たなご支援のお願い」▼

https://musevoice.com/inochi/goods-2/
皆様のご支援・ご協力を何卒よろしくお願い申し上げます。
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2022年10月18日

被爆アオギリに託された想いを奏で続ける


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ドキュメンタリー映画『いのちの音色』編集中〜🎶

広島の被爆者・故沼田鈴子さんが
被爆アオギリに託した想いを奏で続けるギタリストの伊藤茂利。

2017年に緊急入院となり癌が告知されました。
抗がん剤治療の第一人者としてご活躍中で主治医の勝俣範之先生の「患者は我がままであれ!」というお言葉に励まされながら日々を乗り越え、今も元気に活動しています。

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癌患者の方々の心に寄り添いながら、
シンガーソングライターとしてもご活躍中の
勝俣範之先生のサポートギターとしても
奏でさせていただいています🎸

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2022年10月12日

人類が再び核兵器の被害をつくり出さないために、今できることはなんだろう…

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人類が再び核兵器の被害を

つくり出さないために

今できることはなんだろう…

posted by ぷらっとハッピー日記 at 17:03| 東京 ☁| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月10日

被爆の実相を伝え続ける上田紘治さん「再び被爆者をつくるな!」


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東京・八王子市役所に隣接するビルの2階にある「八王子平和・原爆資料館」には、
原爆に関わる2000冊以上の書籍や写真集、証言集、こども向けの絵本などがあり、
原爆瓦や高熱で溶けたガラス瓶、被爆死した中学生の血染めの服など、
30平方メートルほどの部屋にぎっしりと資料が並んでいます。

制作中のドキュメンタリー映画「いのちの音色」にもご出演いただいている
八王子在住の上田紘治さんは、1997年からこの資料館を有志の方々と共に自主運営する一人で、
3歳の時に広島で被爆されました。

上田さんの本籍地は、爆心地から400m以内で、現在の平和公園内にありました。
広島平和記念資料館には、
当時爆心心地に住んでいた住居表があり、
上田さんの家も表示されています。

「原爆の爆発の瞬間、地上600m上空で7000〜8000度。
爆心地(500m内)で3000〜4000度。
ちなみに太陽の表面温度が6000度です。
原爆投下時は10km離れていたので現在の私があります…」
と語る上田さんの一番の願いは、
「再び被爆者をつくるな!」
その思いを胸に、
核兵器なき世界に向けて
全力を尽くしておられます。

この夏の暑さで少し体調を崩されていましたが、
昨日と今日はお電話でお話しさせていただき
お元気なお声をお聞きして
とても嬉しくホッとしました。

アオギリの語り部と呼ばれた故 沼田鈴子さんがお元気だった頃には何度も訪れていた沖縄へ、上田さんと共に伺わせていただいた映像を見ながら、これまでの日々を振り返りつつ編集作業を進めています。

posted by ぷらっとハッピー日記 at 10:46| 東京 ☁| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月04日

声なきいのちの叫びを胸に…「長崎を最後の戦争被爆地に!」


戦争はある日突然始まるものではない。

ドキュメンタリー映画「いのちの音色」を制作しながら…
被爆者の故・岩佐幹三さんの言葉が、まるで今のことのように聞こえてくる。

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2015年に撮影させていただいた時、
あの時の岩佐さんの思いを、
私はどれだけ受け止められていただろう…

「ロシアのプーチンさんは、
 クリミアで核兵器を使おうと言っている。
 それは何を意味するか…

 核兵器を持っているということが核抑止力になると言っているが、違うんです!
 もう核抑止力にはならないよ!使うよ!と言っているんだ!」

今年2022年、ロシアのウクライナ侵略が報じられ
再び核兵器使用への威嚇がなされている。

7年前に撮影させていただいた時、
岩佐さんはストックホルム・アピールを思い出されながら…
「人類が再び核兵器の被害にあわないためには
私たち一人一人が、核兵器をなくせという声を、
核兵器をなくせ! もうこれ以上被害を作るな!という運動を高め盛り上げていってほしい」
と強い危機感を示されていた。

岩佐幹三さん(金沢大学名誉教授)は広島で16歳の時に被爆した。1960年に石川県で「原爆被災者友の会」を設立。被爆証言の収集や保存に取り組み、日本被団協の元代表委員を務め、2016年には日本被団協の代表者3人の1人としてオバマ前米大統領の広島訪問に立ち会った。「ヒバクシャ国際署名」の呼び掛け人を務め、生きている間に核兵器廃絶を見届けたいと核兵器なき世界の実現に向けて最後まで活動されていた。2020年9月7日、岩佐さんは91歳ですい臓がんで亡くなった。

私に被爆体験を話すときはいつも淡々と語る岩佐さんだが、
原爆で自宅の下敷きになった母を見殺しにした自分をずっと責め続けていた。

岩佐さんと親しくされていた
原爆症認定集団訴訟の全国弁護団長を務めた故 池田眞規弁護士は、

「一緒に酒を飲みに行くとね…
あの日の記憶がよみがえってきて
大きな声でわんわんと、
あの岩佐さんが泣くんだよ。
「母さん」って言いながらね‥‥
大の男が涙をボロボロ流しながら、
大声で…泣くんだよ…」

「里美ちゃん、その思い少しでもわかるかな?」
と、孫のような私にわかりやすく
岩佐さんの心を、被爆者の心を、
一生懸命に伝えてくださった。

被爆者の心に生涯寄り添い、
反核・平和への道を貫いた
池田眞規弁護士にとっても
被爆者との出会いが、岩佐幹三さんとの出会いが
弁護士魂を貫く覚悟となったのだろうと思う。


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初めてお会いした時から
30年以上の月日を経て…
今、改めて感じることが
あまりにもたくさんある。

本物の大人たちの
本当の声を聞きながら
その魂に触れた体験は、
ヒバクシャの思いを、
本当の平和を願い続ける人々の心を、
生涯伝え続けていこうと私が思う原動力となっている。

「長崎を最後の戦争被爆地に!」
声なき命の叫びが聞こえてくる‥


「原爆は人間に一生涯続けて
核兵器の被害というものを
背負わせるんだということをわかってほしい」

力を振り絞るように語る故 岩佐幹三さんの言葉がリフレインする。

NHK「ヒバクシャ からの手紙」岩佐幹三さん
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/no-more-hibakusha/archives/detail/?das_id=D0019020086_00000
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2022年09月30日

漫画で描き続けた被爆者の戦後「おり鶴さん」西山 進 著


この夏の、オンライン「アオギリ祭り」にビデオ・メッセージを寄せてくださり、またドキュメンタリー映画『いのちの音色』でも撮影させていただいている西本多美子さん(元「石川県原爆被災者友の会」会長)から、漫画で描き続けた被爆者の戦後「おり鶴さん」(西山進著)が届きました。

被爆者の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)」に40年以上連載された4コマ漫画を一冊の本にし、被団協の歴史を後世に残す最後の本として世に出したいと、西本多美子さんら有志3人が「おり鶴さん」編集・出版委員会を立ち上げお金を出し合ってつくり、被爆77年の今年8月9日に出版されました。わずか4コマの中に、被爆者運動、時の政府の姿勢や対応、世界の動き、平和を巡る動きが描かれています。

今は94歳になられた「おり鶴さん」の著者 西山進さんは、17歳の夏、養成校として働いていた三菱重工長崎造船所で被爆されました。
生き地獄を見た西山さんは、「二度と戦争と原爆の参加をこの地球上にもたらしてはならない」と未来への希望をおり鶴に乗せて描き続けました。
この本の最後に西山進さんの被爆体験も掲載されています。


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▲ 漫画で描き続けた被爆者の戦後「おり鶴さん」西山 進 著 (出版社:書肆侃侃房)

Amazonからもオンラインでご購入できます♪


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2022年09月29日

被爆者運動を支え続けた伊藤直子さん


10年以上に渡る撮影データーを
今一度見直しながら、
弊社ミューズの里の第3作目となる
ドキュメンタリー映画「いのちの音色」を制作中です。

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▲右:伊藤直子さん 左:西本多美子さん


今は亡き伊藤直子さんの映像を見ながら涙がこぼれます。

伊藤直子さんは、全国の被爆者の会の協議会である「日本被団協」の事務局員・日本被団協中央相談所の相談員などをつとめ、被爆者の運動をずっと支え続けてこられました。

私が伊藤直子さんと初めてお会いしたのは、37年前でした。渡航費は自己負担し、アメリカでホームステイしながら、米国の学校の歴史の授業や教会などでヒロシマ・ナガサキを伝える日米民間外交プロジェクト「ネバー・アゲイン・キャンペン」のボランティア活動に参加させていただくことになり、アオギリの語り部と呼ばれた沼田鈴子さんはじめ、広島・長崎でたくさんの被爆者の方々との出会いをいただきました。


広島・長崎だけでなく、
自分の住む東京にも被爆者の方がおられることを伊藤直子さんに教えていただき、
お話を伺う機会をつくってくださいました。

ヒロシマ・ナガサキは教科書の中の過去の出来事としか思ってなかった私は、
自宅から歩いて数十分のところに被爆者の方が住んでいることを知り、被爆者の方からお話を直接伺うことで、いかに自分が何も知らずに生きていたことを知りました。

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核兵器の廃絶をめざす被爆者の運動を
ずっと支え続けた伊藤直子さん。
どんな思いで被爆者の心に寄り添ってこられたのか…

被爆者運動から見えてくる
人間・命の尊厳と平和への希望に
深い感銘を覚えます。


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▲あの時、直子さんと一緒に訪れた金沢の被爆アオギリ2世がこんなに大きくなっています。ご案内くださった被爆者の西本多美子さんと今年の被爆アオギリ🌱
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2022年09月27日

アオギリの語り部と呼ばれた故・沼田鈴子さんの言葉「平和の原点は、相手の痛みのわかる心を持つ人間であること」「真実を求める知恵が、平和をつくる大切な力になる」


ドキュメンタリー映画「いのちの音色」制作中〜🎶


本日は、
アオギリの語り部と呼ばれた
被爆者の故・沼田鈴子さんが
何度か訪れた北海道の苫小牧で
元気に育つ被爆アオギリ2世の
データーをもう一度見直しています。

2015年に撮影させていただいた
沼田さんと交流を続けてこられた
松本昌恵さんのお話、
そして、松本さんが大切にされている
沼田さんの言葉などを撮影したデータを
視聴しながら編集を行なっています。

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・平和の原点は、相手の痛みのわかる心を持つ人間であること。
・真実を求める知恵が、平和をつくる大切な力になる。

〜2002年9月12日 苫小牧を訪れて 沼田鈴子〜


「被爆体験を語ること。
それは、一粒の平和への種まきなのです」
と生前語っていた沼田鈴子さん。

戦争の被害と加害を
しっかりと見つめながら
「自分と同じ苦しみを
世界中の誰にもさせたくない」
という強い信念のもと、
被爆体験を語り継いでおられました。

「知らないことも罪である」
という沼田さんの言葉に、
松本さんは、それまでの自分の生き方を見つめ直していったのだと言います。


沼田さんがが亡くなられて、
今年で11年という月日が流れました。

もし今、沼田さんが生きておられたら
今の日本を、そして世界をどう思われるのだろう…
と考えながら今日1日を過ごしました。


希望と平和の種を世界へ!
Seeds of Hope & Peace!

posted by ぷらっとハッピー日記 at 22:18| 東京 ☁| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「碑に誓う〜中学生のヒロシマ修学旅行〜」江口保著(東研出版)


お世話になった故・江口保先生のご著書
「碑に誓う〜中学生のヒロシマ修学旅行〜」
を読み返しています。


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ドキュメンタリー映画「いのちの音色」を制作する過程は、生まれて初めて被爆者の方との出会いをいただいた21歳の時からこれまでの36年間に渡り、出会いをいただいた希望と平和の種をまく人々と再会する旅のようでもありますが、多くの方々がすでに亡くなられています。

声にならないいのちの叫びを感じながら…

編集にとても時間がかかりそうですが、
納得のいく作品となるよう
全力を尽くてまいります。
posted by ぷらっとハッピー日記 at 09:04| 東京 🌁| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月26日

岩佐幹三先生「被爆者という人間はいない。皆さんと同じ普通の人間が、被爆者という運命を背負わされたのです」


コロナ禍で制作の遅れていた
ドキュメンタリー映画「いのちの音色」ですが
この夏より撮影を再開し
この秋から編集に集中しています。

今日は、2015年に撮影させていただき、
大変お世話になった被爆者の故・岩佐幹三先生のインタビューを再度視聴していました。


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「被爆者という人間はいない。
皆さんと同じ普通の人間が、
被爆者という運命を背負わされたのです。

核兵器というものは、
人間に一生涯、原爆の被害というものを
背負わされるんだということをわかって欲しい。

皆さん方がいつヒバクシャ になるかわからないということを、
そういう自分の問題として考えていただいて、
核兵器廃絶の運動を高めていただきたい。」

魂を込めて語る岩佐先生。

さらに続く岩佐先生のお話の内容は
今を予見していたかの様で‥‥


岩佐幹三先生と初めて出会った30年以上前の
20代だった若き日を思い返しながら…
今私たちが果たすべきことは何かを改めて考えています。

今は亡き岩佐先生の想いを伝えていける作品となるよう全力を尽くします。

🎬「いのちの音色」制作に全力で
取り組んでまいります。



posted by ぷらっとハッピー日記 at 19:43| 東京 ☀| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月15日

ドキュメンタリー映画「いのちの音色」編集中!


この秋は、コロナ禍で延期されていた
ドキュメンタリー映画「いのちの音色」の制作に集中していきます。

追加撮影がさらにまだ少し必要ですが、
すでに撮影を終えている
膨大なデーターをさらにもう一度見直しながらの日々が続いています。


本日は、アオギリの語り部と呼ばれた広島の被爆者・故沼田鈴子さんと一緒にマレーシア、中国、韓国などアジアの国々への慰霊の旅をされた画家の吉野誠さんのご自宅を訪れ、以前撮影させていただいた時のインタビュー動画を何度も見直しています。

広島県内の公立中学校で美術教諭を務めておられた吉野さんは、平和教育にも力を注ぎながら画家として活躍されてきました。吉野さんは1933年生まれで、1944年の11歳の時に一家で開拓団として旧満州に移住しました。日本敗戦後の生き地獄のような日々を経て1946年7月に帰国するまでの生き地獄のような日々の中で、自殺を考えることもあったと言います。そんな吉野さんを救ったのは、夜空に輝く月でした。

アルミアートの創作でも知られている吉野さんは、
捨てられた缶に旧満州で命を落とした開拓民の姿を重ねながら、
生きるか死ぬかの日々の中で見た夜空に浮かぶ月の光を
アルミ板の光とも重ねて制作しています。

吉野さんの絵画によく用いられている白や灰色は、
死者の骨の色をイメージしています。
作品に描かれている破られた紙は、
紙切れのように粗末にされた命…。

吉野さんが美術教諭をしていた時、全校生徒でつくったという木彫「いのちの叫び」が丸木美術館に寄贈されています。若い頃、まだ丸木位里・俊ご夫妻がご存命だった頃、お話を伺いに美術館を訪れた時、その木彫についてお話くださった記憶があり、久々にもう一度丸木美術館に行ってみたいと思います。

まだまだ続く編集作業ですが、
これまでお世話になった方々の思いを伝えていける作品となるよう精一杯取り組んでまいります。


posted by ぷらっとハッピー日記 at 22:09| 東京 ☁| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする