2023年08月01日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』 〜今後の予定について〜


コロナ禍前の状況には
なかなか戻れずにおりますが
この春より少しずつ様々な活動が、
ようやく再スタートし始めております。

お陰様で、ミューズの里は
この夏8月6日、創立15年目を迎えます。

今日まで来ることができたのは、
ひとえに支えてくださる皆さまのおかげです。
これまでお世話になった全ての皆さまに、
改めて心より深く感謝申し上げます。

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制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』の編集がまだまだ続いております。追加撮影が必要な状況となり、この夏の完成に間に合わず大変申し訳ございません。完成の時期が分かり次第、ご報告入れさせていただきます。

コロナ禍に癌の再発があり、皆様に大変ご心配いただいたプロデューサーで共に監督を務める伊藤茂利の病状につきましては、抗がん剤治療中ではありますが、おかげさまで今のところ落ち着いております。

暑い毎日ですが、皆様もくれぐれもお体を大切になさってくださいませ。

アオギリに託された想いを伝えていく作品となるよう、スタッフ一同全力を尽くしてまいります。

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』
🍀ご支援のお願い
https://musevoice.com/inochi/goods-2/

引き続き、皆さまのご支援・ご協力を何卒宜しくお願い申し上げます。
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2023年07月13日

アオギリウォーク(平和記念公園→旧逓信病院→牛田墓地)のお写真が届きました!

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ミューズの里の活動をずっと応援してくださっている広島の柏原省治様よりアオギリウォークのお写真が届きました。

柏原様は、昨年に引き続き今年も、被爆者の沼田鈴子さんが旅立たれた7月12日にアオギリウォーク(平和記念公園→旧逓信病院→牛田墓地)を行い、お写真を送ってくださいました。


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広島平和記念公園の被爆アオギリは今年もたくさんの花を咲かせ、秋には2世の種がたくさんとれることでしょう!


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沼田鈴子さんが被爆された
爆心地から1.3キロの旧逓信病院のお写真もたくさん送ってくださいました。

2011年7月12日、ギタリストの伊藤茂利さんと共に広島女学院大学でのライブの後、タクシーで記者会見場の広島市役所へと向かう途中、旧逓信病院の前を通りかかりました。運転手さんにお願いしてそこで降ろしていただき、しばらくこの場所で沼田さんのことを思っていました。

その後、市役所に到着すると、知り合いの記者の方から沼田鈴子さんが今朝亡くなられたと知らされ、その時の衝撃は今も忘れることができません。

ライブ活動の中で被爆アオギリ2世・3世の植樹をしながら、アオギリに託された想いを伝え続けながら、より深く沼田さんのことを伝えたいという思いから、初めての映画制作をスタートしました。

柏原さんが送ってくださったお写真を見ながら、いろんな思いが蘇ります。

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過酷だった映画制作とたくさんの借金を背負いながら心の休まる日のない上映活動の中で、ある日突然苦しみに襲われ病院に駆け込んだ伊藤さんは、癌がすでに大きくなりすぎていて腸閉塞を起こし、七転八倒の苦しみの中にありました。あんなにも人が苦しむ姿を初めて見た私は、自分の精神状態を保つだけで精一杯でした。その場で即入院となり、すぐには手術もできず、20日間水も飲めずどんどん痩せ細り、どなるかわからない状況が続きました。病室の伊藤さんやスタッフと共に、あの日、原爆のキノコ雲の下におられた沼田鈴子さんはじめ、被爆者の方々の苦しみを思いながら涙が止まりませんでした。

あれから6年という歳月が流れ、コロナ禍の伊藤さんの癌の再発もあり苦しい闘病生活も続きましたが、柏原様が何度も沼田鈴子さんのお墓参りに行って、伊藤さんのことを祈ってくださいました。

沼田さんに見守っていただいていると感じる瞬間が何度もありました。

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昨日の猛暑の中、柏原様から送られてきたアオギリウォークのお写真に手を合わせながら、苦しかった日々を乗り越えて今生かされている命に感謝しながら、ドキュメンタリー映画『いのちの音色』完成に向けて全力を尽くしてまいたいと存じます。

柏原様、本当にありがとうございます。心より感謝申し上げます。

いつかアオギリウォークに参加できる日を楽しみにしています🍀

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2023年07月12日

沼田鈴子さんの命日に、被爆アオギリ3世の木の下で


7月12日は、アオギリの語り部と呼ばれた被爆者・故沼田鈴子さんの命日です。

沼田さんからいただいた被爆アオギリ3世の木の下で、沼田さんを偲びながら、第3作目となるドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中です。

2013年に劇場公開した映画『アオギリにたくして』(第1回JASRAC音楽文化賞受賞)では、沼田鈴子さんの前半生をモデルに描かせていただきましたが
現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』では、沼田鈴子さんが亡くなる4か月前の映像メッセージと共に日本全国、世界に広がる被爆アオギリ2世を追いながら、全国各地で平和の種をまく人々の姿を追っています。

スタッフの闘病やコロナ禍で制作スケジュールが変更になる中、この夏の完成を目指しておりましたが、思った以上に編集作業が難航し、まだ完成時期のご報告ができない状況にありますが、沼田さんが被爆アオギリに託した思いを伝えていくことのできる作品となるよう全力を尽くしてまいります。

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絶え間なく続く流れの中に身を置きながら、いつの間にか沼田さんが語り部として話し始められた年齢となり、これまで以上に様々に感じ入ることがたくさんあります。

不器用で上手にできることは何もないのですが、大切に思うことに向かっていつもチャレンジし続けながら、ただただ一生懸命走り続けてきました。

学生時代、なんで勉強するのかよくわからず、自分の偏差値も知らないまま大人になった私は、知識がないことやバカなことはわかっていても、周りと比較する習慣も持ち合わせておらず、自分が大切に思うことに集中して生きてきました。

世の中は思った以上に意地悪で理不尽だったり、相手に良かれと思ってしたことが悲しい結果として返ってくることもありますが、これまでの人生を振り返る時、至らない点が多々あったとしても、どんな時もみんなの幸せを願いながら一生懸命生きてきたことだけは誇れます。

まっすぐに感謝と共に生きてこれたのは、沼田鈴子さんはじめ心から素晴らしいと思える方々の生き様に触れさせていただいてきたからだと思います。

沼田鈴子さんが亡くなって、12年…

アオギリに託された想いを伝えていく作品となるよう
全力をつくしてまいります。

そして、伝え続けていきます。


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2023年07月02日

ドキュメンタリー映画「いのちの音色」へのご支援をいただき心より感謝申し上げます。

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作支援として、
大久保賢一様、柳町節子様よりご寄付をいただきました。

応援してくださっている皆様に
心より深く感謝申し上げます🙏

🍀いのちの音色 公式HP
https://musevoice.com/inochi/

🍀ご支援のお願いについて
https://musevoice.com/inochi/goods-2/
(会計担当:石塚佐和子)
皆様のご支援を何卒よろしくお願い申し上げます。
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2023年06月30日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!「チューリップの原産地でのライブ&上映を夢見ながら」


現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』は、ライブや上映で訪れた様々な地域の様々な人々の声を届け、希望や平和の種をまく姿を描いています。

これまで日本全国のほとんどの都道府県でライブや上映を行わせていただき、まだ行っていないのは青森県と鹿児島県の2県となりました。といっても、資金力のない貧乏会社がやっとこさっとこの毎日の中で行っている小さな小さな活動です。一人でも二人でも…という思いの中で動いており、多くの人々に届けることはまだまだ出来ておりません。それでも、あきらることなく、当初の目的であった日本全国行脚を果たすために精一杯チャレンジ続けております。

映画の制作においては、現在膨大なデーターをまとめていく作業が続いており、思った以上に編集に時間がかかかっています。まだ完成時期を明確にお伝えすることができずにいますが、スタッフが高齢化してきていることや持病を持つ者もいる中で、体調をくずさないように配慮しながら、完成に向けて全力を尽くしてまいりたいと存じます。


これまで様々な場所でライブをさせていただきましたが、
日本最大のイスラム教寺院「東京ジャーミー」でも何度かライブさせていただき、
その後上映でもお世話になり改めて心より深く感謝申し上げます。

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イベントの後、礼拝堂の撮影をさせていただいた時のことが大変印象に残っています。

ライブ後、礼拝堂を見学に行った時のことです。

「日本人がイスラム教を見る目は、おそらくくもっている。
残念ながらくもってるんです…」

という言葉に、友人の子どもが小さかった時の事が思い出されました。

若い頃に異文化コミュニケーション誌の編集長をしていた頃、日本で暮らす様々な世界の人々と触れ合う機会が多くありました。イスラム教徒の方々と触れ合う機会もよくありましたが、いつも穏やかで深い優しさを持った皆さんの心の豊かさにふれながら、お話ししているうちにとても癒されることが多くありました。

一方でメディアから伝わってくる情報は、テロに関する事件などばかりが報道されているため、これが全てだと思い込んでしまい、なんとなく怖いというイメージを持つ日本の方が増えている気がしてとても気がかりでした。

友人がイスラム教徒の男性と結婚し、女の子が生まれ、日本の公立の学校に通っていた時、友達から「テロ」とあだ名をつけられ虐められていたことを聞いた時は、胸が締め付けられる思いでした。

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礼拝堂を見学していると
関係者の方がイスラム教についてお話してくださいました。

「イスラム教の集団礼拝は横一列で行われます。イスラム教が世界的な宗教になった普遍性、つまり、どの民族にもどの地域でも人々の心に訴えかけるものは何かといえば、大統領であっても、肌の色が違っても、民族が違っても、人間は神の前で平等であり、どんな人間も兄弟であるという強い思想があるということなんです。でも、日本の方々に、イスラム教のそういったメッセージが伝わっていないような気がしています…。

明治以降、日本人はヨーロッパの方だけを向いてきたので、ヨーロッパ的な価値観だけでしか見ていないように感じます。もちろん、ヨーロッパが好きでもいいんですよ。欧米に追従してもいい。ただし、地球上には、様々な文明や宗教があることをわかってもらいたい!」

ゼロの概念がインドからイスラム世界に伝えられ、現在私たちが使用している1,2,3,4・・・0,などの(アラビア数字と呼ばれる)算用数字が生み出されたことは、世界の発展に大きな貢献を果たしています。イスラムの世界から生まれたことなどについて教えていただながら、とても素敵な時間を過ごさせていただきました。無関心で知ろうとしない事が偏見を生み出すことに繋がってしまわぬよう、まずは自分自身がもっと学ばなくてはと感じました。

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東京ジャーミーを2回訪問されたという元世界ヘビー級ボクシングチャンピオンのモハメッド・アリ(享年74歳)は、イスラム教に改宗し、黒人差別や人種主義に対する戦いの象徴でもありました。

ベトナム戦争で徴兵を拒否した時のモハメド・アリの言葉は有名です。
「ベトコンに何の恨みも憎しみもない。殺す理由もない。しかも、彼らは私のことを、一度も“ニガー”とは呼ばなかった」

入隊を拒否したために、ボクシングのタイトルを剥奪され、3年以上にもわたりリングに上がって戦う機会も奪われました。1967年には徴兵拒否の罪で起訴され、一審、二審では禁固5年の実刑判決も言い渡されますが、最終的には無罪を勝ち取ります。様々な代償を払いながらも、イスラム教徒として、黒人としての誇りを大切にしながら生きたモハメド・アリの姿は、多くの人々に勇気を与え続けてきたと思います。

モハメッド・アリについてやイスラム教の素晴らしさについて語ってくださったことに心より感謝申し上げます。

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礼拝堂の正面の壁の左右にはチューリップが描かれていました。

チューリップはトルコの国花でもありますが、イラン、トルコ、ウズベキスタン、キルギスタンなどのあたりに多く咲いていた野の花で、4月〜5月ごろになると今でも原種のチューリップが見られるそうです。

17世期に、植物学者がチューリップをヨーロッパに持ち込むと球根に投機マネーが集まり、チューリップは人類の歴史上最初のバブルを生み出します。商売になると輸入して品種改良しながら世界に売ることに成功していったのがオランダだったそうです。


いつの日かライブと上映で
原産地の野に咲くチューリップと会える日を夢見ながら、
まだまだ続くドキュメンタリー映画「いのちの音色」制作に集中してまいります。
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2023年06月23日

「いのちの音色」ご支援いただきありがとうございます。

制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』を
応援くださっている皆さまに心より感謝申し上げます。

原 雅敏 様様、木村一郎様より制作支援のご寄付をいただきました。
心より深く感謝申し上げます。

🍀いのちの音色 公式HP
https://musevoice.com/inochi/

🍀ご支援のお願いについて
https://musevoice.com/inochi/goods-2/
(会計担当:石塚佐和子)


皆様のご支援を何卒よろしくお願い申し上げます🙏
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2023年06月15日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!「被爆マリアが世界の人々に伝える原爆の惨状」

現在、第三作目となるドキュメンタリー映画『いのちの音色』を制作中です。

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アメリカでは、隠れキリシタンの研究から長崎の被爆マリアの存在を知り、浦上天主堂の上に原爆が落ちたことを知ることで、自らのこととして原爆を受け止め、核廃絶について考え始める人々がいます。

上映&ライブでお世話になったジョンさんとキャリーさんのチャペル中央には、熱線によって頬と髪が黒く焼け、目が空洞になった被爆マリアの写真が飾られていました。お二人は、被爆マリアの姿を通して原爆の惨状を人々に伝えておられました。

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長崎への原爆で、約7万人が亡くなり、その中にはキリスト教徒8500人も含まれていました。当時、東洋一と言われていた浦上天主堂は、爆心地から500mのところにありました。浦上天主堂にあったマリア像は、イタリアからもたらされた木製の高さ約2メートルで、目には青いガラス玉がはめ込まれていたそうです。原爆によって旧浦上天主堂は壊滅的な被害を受けましたが、瓦礫の中からマリア像の頭部だけが見つかりました。

16世紀には全村がキリシタンと言われていた浦上地区は、17世紀に入りキリスト教の禁教令が出たのちも、約250年間にわたる厳しい迫害にたえて、信仰を守り通したところでもあります。その地の上に落とされた原爆・・・。

ジョンさんとキャリーさんは、
被爆60年の時に長崎を訪れ
9日間の断食をしながら長崎の街に立ち
原爆投下に対する深い謝罪の思いを伝えた時のことを語ってくださいました。

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二人が行ったVigilで持っていた布には
「アメリカ国民である私たちは
広島と長崎に謝罪いたします。
原爆ホロコーストを受難された
すべての魂に深い哀悼の意を捧げ
アメリカの犯した過ちを懺悔いたします」
と書かれていました。

被爆マリアが、世界の人々に原爆の惨状を伝えています。
「憲法9条は、奴隷解放と同じぐらいの価値あるものです」
と静かに語るジョンさんの言葉が、重く深く心に響きました。

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🍀ドキュメンタリー映画「いのちの音色」制作中!
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皆様のご支援をよろしくお願い申し上げます。

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2023年06月14日

ご寄付をいただき心より感謝申し上げます。


制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』を
応援くださっている皆さまに心より感謝申し上げます。

新井時賛様、勝俣範之様、加藤祥範様より制作支援のご寄付をいただきました。
心より深く感謝申し上げます。


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(会計担当:石塚佐和子)
皆様のご支援を何卒よろしくお願い申し上げます🙏
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2023年06月13日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!「本来ある自然の平和な姿」

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制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』では
米国マサチューセッツ州・Leverettにて(2016年)
加藤お上人様に大変お世話になりました。

お寺から見える近くの町にあるリベラル・アーツの名門アマースト大学は、クラーク博士や内村鑑三、新島襄が卒業した大学としても知られています。

加藤お上人様は、2001年のアメリカでの9.11後に「Walk for a New Spring」をスタートしました。9.11がアメリカの方々に与えたショックはとても大きく、平和運動をしていた人たちの中にも分断が生まれ、お互いに口をきかなくなったりなど、政府やラジオ・テレビなどが報復戦争を煽り立てる中で、それに意を唱える事が非国民であるかのような雰囲気が生まれていったそうです。

加藤お上人様は、人々が対話する場所をつくらなければならないと感じ、そのために行進しようとスタートしたのが、「Walk for a New Spring」でした。

はじめは2ヶ月ぐらいかけてマサチューセッツ州の中で、教会やモスクやアマーストなどの50~60の町をつぶさに回り、様々なところでみんなが対話できるえる場をつくり、いろんな違う意見が語られる中で、少なくともみんながそれぞれに思うことをオープンに言える場所ができたことによって、たくさんの人々から喜ばれ、そうしてことから始まった「Walk for a New Spring」は、その後も、毎年開催されるようになり今も続いています。

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▲皆さんと一緒にお寺を守っているこの猫ちゃんの名前は「トーちゃん」です。


「いかに命を大切にしていくかということを、人類が考えるということが何より大切です。人間の活動によって、自分たちの社会の中のアクティビティをあまりにも重視することによって、本来ある自然の平和な姿というものを忘れてしまうことに人間の歴史の問題があったんじゃないでしょうか。近代の物質文明が、人間の生活の基本であるという考え方に支配されてきた中で、みんなの命が最も大切にされるべき状態にするうえで、何がいったい問題なのかを考えなければいけない」と加藤お上人様は、語っておられました。

「宗教でさえ、自分たちの利益を優先するような形で使われてしまう、人間は簡単にそのように陥ってしまうわけです。”人々の心の中に、社会の中に、どうやったら平和をもたらすことができるか”ということが宗教の原点です。その原点に立ち返ることが大切だと思います。命と言った時に、それに対してノーという声が一番の問題なわけで、あるいはそれに耳をかさないことが一番問題なわけですから、そこに意識を向け、人々が気づいていかないといけないんじゃないかと思います」

それぞれの宗教が、平和を達成させるために必要な優れた教えを凝縮し、みんなの教えとなるように祈りながら、加藤お上人様は平和行進を続けておられます。

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先住民の人たちはアメリカ大陸を亀の島と呼んでいます。

亀の島に建立された仏舎利塔の近くには、
先住民の先祖の霊に祈りを捧げるための塔があり
たくさんの先住民の方々がここを訪れ
とても喜んでおられます。

アメリカが本当に平和な国になるためには、
先住民の先祖の霊に祈りを捧げ
慰めることが大切であるという
加藤お上人の信念を感じました。

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この日、加藤お上人様にご紹介いただいたベトナム戦争の帰還兵のミラーご夫妻の家にホームステイさせていただき、忘れることのできない素敵な時を過ごさせていただきました。加藤お上人様はじめ、Leverettで出会いをいただいた皆様に心より深く感謝申し上げます。


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2023年06月09日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!米国ボストンでの思い出


2016年のアメリカ行脚では、ニューヨーク州やマサチューセッツ州の図書館や大学、教会やピースパゴダなどで映画『アオギリにたくして』上映やライブをさせて頂きました。現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』撮影もさせて頂き、改めて皆様に心より感謝申し上げます。

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▲昭和ボストンから見えるボストンの街

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昭和女子大学ボストンキャンパスでは、RA(レジデント・アシスタント)として
日本からの留学生の生活を支援していたメアリー・ポピオさんにお世話になりました。

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メアリーさんは、
日本のゲームが大好きだったことから
大学時代に日本語を専攻し、
また、カトリックを信仰していることから
隠れキリシタンについて学ぶ中で
長崎を訪れたことがきっかけとなり
核兵器の問題や平和活動に
関心を持つようになったそうです。

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「日本で就職したい。できればNPOで働きたい!」
と、夢を語っていたメアリーさん。
当時は、その年の秋から、
日本語学校に行く予定だと言っておられましたが、
なんとその学校が、第二作目の映画『かけはし』の
スヒョンさんが通っていた日暮里にある
赤門会日本語学校だと聞いてびっくり!
いろいろご縁を感じました。

そして、メアリーさんは夢を叶え
スティーブン・リーパーさんらと
NPO法人Peace Culture Villageを共同創業され
今では広島で暮らしておられるようです。

国籍や民族、宗教や文化など
様々な違いを超えて、
平和文化を共に創造し
心豊かな世界が広がっていくことを祈ります。

日々体力の限界を感じながら挑戦中の映画制作で、
生みの苦しみの真っ只中にありますが…
全力を尽くします。

皆様もお体をくれぐれも大切になさってくださいませ。

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2023年06月04日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中:「自然との共生」と「いのちの尊厳」への視点を大切に生きるレイスロップご夫妻の素敵な暮らし

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この道の先に、バークシャー・コミュニティー・カレッジ名誉教授(哲学)で平和学者のレイスロップご夫妻のご自宅があります。

学生3人に手伝ってもらいながら
約6年かけてご夫婦で作りあげたという
ニューヨーク州のケイナンにある
とっても素敵なご自宅です。

太陽光パネルで
十分に電力を賄い
ご自宅へと続く道の
両側には寒い冬に使う
たくさんの薪が積まれていました。

庭や畑の水まき雨水を利用し、
枯葉をためて肥料を作っています。

時々、庭に熊が現れたりもしますが、
熊が充分に生きていけるだけの
豊な自然も守られている中で
共存しているようです。


Never Again Campaignについて
38年前、レイスロップご夫妻は日本の国語教師の北浦葉子さんと共にNAC(ネバーアゲインキャンペーン)を創りました。
NACは、手弁当な草の根による小さな民間外交プロジェクトです。

日本人ボランティアが単身渡米し、アメリカの家庭にホームステイしながら、主には小中高校、時には幼稚園や大学、または教会などを訪問し、折り鶴を折ったり日本文化紹介と共に原爆映画やスライドの上映会を行い、ヒロシマ・ナガサキの被爆者のメッセージを伝えていきます。

レイスロップご夫妻は1985年夏、日本からのボランティアを受け入れてくれるホストファミリーを全米各地で募集し、その後に来日して北浦葉子さんやサポーターと共に、日本全国で90名のボランティア希望者の面接をしました。第一期生として選ばれた7名のボランティアは、広島と長崎、そして自分の暮らす街におられる20名以上の被爆者の話を直接聞いたり、アメリカでのプレゼンテーション(聴衆者向けの語り)のトレーニングを受けたりした後、1986年にアメリカ各地へ派遣されました。

私自身もこの時のNACの第一期生として1986年10月に渡米し、アラスカ・オレゴン・ネバダ・オハイオ・ニューヨークなどを回り、主に中学や高校で1年間にわたり約280回のプレゼンテーションを行わせていただき、1万2000以上人の人々と出会いをいただきました。人生の原点となる体験でした。

「アメリカ人、特に一定の年齢以上のアメリカ人は、原爆の爆発の映像を見たことがある人が大半です。しかし、NACのプレゼンテーションを見た聴衆は、そのキノコ雲の下で、壊滅的な破壊を受けたのは都市や建物や土地だけではなく、その中で生活していた人々であることを知ることになります。そして、その破壊の中で、信じられないような苦しみを経験した人間が多くいることを知ること、そういった人たちの、言葉では語り尽くせない経験についての証言を聞くことにより、原爆の真実とその恐怖についてより深い理解がもたらされるのです」(ドナルド・レイスロップさん)

NACは、1986年〜2011年までに計10回のボランティア募集を行い、57名のボランティアをアメリカ・カナダの各地へ派遣しました。NACボランティアたちは、アメリカ38州・首都ワシントンDC、カナダにて1万1845回以上のプレゼンテーションを行い、37万1219人以上に広島と長崎のストーリーを届けました。また、旧ソ連を含むその他11カ国でもプレゼンテーションが行われました。

2018年には、レイスロップご夫妻がNACを締めくくる旅として11回目の日本訪問をされ、東京・名古屋・広島・福岡・長崎・大阪にて、元NACメンバーやサポーターの皆様がお二人を迎えました。


レイスロップご夫妻と北浦葉子さんの果たされた平和への貢献は計り知れないものがあると感じています。そして、自然との共生といのちの尊厳という二つの視点を大切に生きるレイスロップ教授ご夫妻の暮らしの中に、たくさんの知恵があります。

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』でも、少しでもお二人のことをお伝えすることができたらと思いながら… 制作中です。

日々映画制作の大変な日々が続いています。
体力の限界を感じながらも、まだまだ時間がかかりそうですが…
スタッフの健康を第一に!
形となるよう全力を尽くします。


ドキュメンタリー映画『いのちの音色』
🍀公式HP https://musevoice.com/inochi/

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2023年05月26日

「真実を求める知恵が、平和をつくる大きな力になる」

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映画『いのちの音色』制作で
映像を見ている時間が長くなり
視力がどんどん落ちて
ぼやけて霞んで見えなくなり、
目の限界を感じながらの毎日。

テレビなどの映像はなるべく
見ないようにしていましたが、
先日のG7広島サミットで
広島の平和資料館を訪れた
ゼレンスキー大統領の言葉に
まばたきもできないほど
画面を凝視してしまった。

原爆投下後の広島の写真を見たゼレンスキー 大統領が、
ウクライナと重なって見えると語っていた。

それでも停戦ではなく
更なる武器供与が話し合われる中で
これからさらに多くの
ウクライナ市民や両国の兵士の命が
犠牲となっていくことを思う時…
いたたまれない思いになる。

先の戦争において
日本各地への無差別攻撃による空襲や
沖縄戦、そして広島・長崎…

被爆者や戦争体験者の方々の
言葉が思い起こされ
声なきいのちの叫びがリフレインし
体中が苦しくなる。

意図的であれ偶発的であれ
核兵器が使用される危険性が
これ程までに高まっている中で、
先制使用禁止にさえ至れず
核抑止論による安全保障神話を
いつまでも持ち続けながら
分断と憎悪を深め、
命と環境と経済を破壊し続け
更なる武器供与と軍拡に向かった先にあるものは…


絶望しそうになる時
いつも思い出すのは
アオギリの語り部と呼ばれた
今は亡き被爆者の
沼田鈴子さんの言葉。

「平和の原点は、相手の痛みのわかる心を持つ人間であること
そして、真実を求める知恵が、平和をつくる大きな力になる」


小さくて微力であっても
世界中の人々の幸せを
祈りながら、
残されたいのちの中で
自分にできることを
ただひたすら続けていこうと心に誓う。

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2023年05月20日

『いのちの音色』山形県の鶴岡第二中学校に育つ被爆アオギリ2世

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山形県の鶴岡第二中学校には
被爆アオギリ2世が
寒さに負けず元気に育っていました。

山形県・鶴岡での
2015年の上映後、
鶴岡市立鶴岡第二中学校合唱部の皆さんが
合唱してくださった「アオギリにたくして」

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素晴らしい歌声から
平和を愛する心が
伝わってきました♬

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お世話になった
鶴岡実行委員会の皆様、
合唱部の皆様、
今は亡き、山形映画センターの宮澤啓さんに
改めて心より感謝申し上げます。

🍀ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!
公式HP https://musevoice.com/inochi/

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2023年05月19日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!「山梨英和高校で元気に育つ被爆アオギリ2世」

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歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝えるライブ活動や
映画『アオギリにたくして』『かけはし』
そして、現在制作中の『いのちの音色』などでも
大変お世話になった「甲府YWCA」の皆様に
改めて心より深く感謝申し上げます。


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2010年8月に開催された
甲府YWCA第28回原爆絵画展にて
ライブさせていただいた際にお渡しした
被爆アオギリ2世が山梨英和高校に植樹され
元気に大きく育っていました。

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甲府YWCAの皆様の
平和を願う深い想いに
お会いするたび
勇気と希望をいただきます。

改めて心より深く感謝申し上げます。
またお会いできる日を楽しみにしています。

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🎬️ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中「世界の若者たちと共に考え、本音で語り合い、平和づくりをしていく場を!」

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立命館アジア太平洋大学の留学生がご参加くださり、
別府市国際交流事業として別府ブルーバード劇場にて
映画『アオギリにたくして』上映と
意見交流会が開催された時の映像を編集中です。

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世界の若者たちが
共に考え、本音で語り合い
平和づくりをしていく場が
広がっていくことを心から願っています。

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改めて素晴らしい企画をしてくださった
皆様に心より感謝申し上げます。
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2023年05月18日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!気持ちを書き留めながら…


まだまだ制作中ではありますが
大切で素敵な、みんなの思いのいっぱいつまった
作品となる手応えを感じながら
ドキュメンタリー映画『いのちの音色』を編集中です。

皆さんに読んでいただくために
という余裕もないまま…
制作中のその時々に自分が受け止めた気持ちを
書き留めるために
ブログを更新しながらの日々です。

大変な日々が続きますが
笑顔を忘れず、心に平和を抱きながら
完成に向けて1日1日、
最後まであきらめずに
できるところまで
みんなで進んでいきたいと思います。

🍀ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!
 https://musevoice.com/inochi/
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ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中:「岩佐幹三さんの言葉」

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『いのちの音色』の撮影でもお世話になった
日本被団協の元代表委員で金沢大名誉教授の岩佐幹三さん(享年91才)
(2020年9月7日、膵臓がんのためご逝去されました)

2011年には大江健三郎さんらと発起人となり
「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」
を結成して代表理事を務め、
2016年には当時のオバマ米大統領の
広島訪問に立ち会われました。

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原爆が広島に投下された時、岩佐さんは16歳でした。
お父様はすでに病死され、原爆でお母様とたった一人の妹を失いました。

爆心地から1.2キロだった自宅の家の下敷きになって動くこともできず…原爆の火に焼かれるお母様を置き去りにしたことや、学徒動員で出たまま戻らない妹をいくら探し回っても見つけることができなかったこと、そして自分が軍国少年であったことなどへの様々な思いを抱えながら生きてこられた岩佐さん。

「いろんな考えを積み重ねながら生きてきました。
被爆体験を話せないことはないが
 淡々と話しているんですね

 親がくよくよしない子どもに
 育ててくれたと言ってきたんですけど…

 違うんだな… 」


岩佐さんの言葉に
心の奥底にある計り知れない
深い悲しみを感じます。


「被爆者という人間はいない。
 皆さんと同じ普通の人間が、
 被爆者という運命を背負わされたのです。

 核兵器というものは、
 人間に一生涯、原爆の被害というものを
 背負わさせるんだということをわかってほしい。

 皆さん方がいつヒバクシャ になるかわからないということを、
 そういう自分の問題として考えていただいて、
 核兵器廃絶の運動を高めていただきたい」

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被爆者運動をリードし
戦争も核兵器もない世界の実現に向けて
生涯尽くされた岩佐幹三さん。

「沼田鈴子さんも自らと戦い続けてきた。
 語れる人も… 語れない人も…
 自らと戦い続けてきたんです」

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石川県・金沢に呼んでいただき
岩佐さんと初めてお会いしたのは20代でした。
今振り返ると想像力が及ばず、受け止めきれていないことがいっぱいあった自分が思い返されます。

あれから40年近くたつ今になって
初めて感じる新たな気持ちと出会います。
きっと今だって、わかっていないことがたくさんあるのだろうと思いながら‥‥

戦争や被爆体験のない我々ではありますが
被爆者の方々の想いを
少しでも伝えていける作品をつくっていけるよう
全力を尽くしてまいりたいと思います。

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 🎬ドキュメンタリー映画『いのちの音色』
https://musevoice.com/inochi/

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ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!「北海道の苫小牧市で元気に育つ被爆アオギリ2世」

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苫小牧市は、北海道内で唯一
非核平和に特化した条例として
「苫小牧市非核平和都市条例」を制定しています。

2002年、非核平和都市条例制定を記念して開催された平和祈念講演会では、アオギリの語り部と呼ばれた沼田鈴子さんの講演が行われました。またそれ以前にも、苫小牧の市民の方々が沼田さんの講演会を開催し、平和の輪が広がっていったそうです。

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▼被爆アオギリ2世 @苫小牧のサンガ―デン(図書館&植物園)
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苫小牧市戦後70年特別事業として開催された講演会では
ギタリストのしげ兄さんと共に、講演とライブをさせていただきました。

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北海道・苫小牧で出会った松本昌恵さんは
「知らないことも罪なんだよ」
とテレビ番組で沼田さんが語っていた言葉を聞いて
金槌で頭を殴られたような衝撃を受けたと言います。

戦争は過去のことと自分の中で蓋をし
こどもたちに何も伝えてこなかったことに気づき
その後、沼田さんと長年に渡る交流をされてきました。

沼田さんが送った松本さんへの手紙には、
「私は常に生き生きとした雑草として、気負わず、太陽に向かって根付いて生きようとしています。
あなたも可愛い雑草になってくださいね…」
と書かれていました。

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🎬『いのちの音色』公式HP

https://musevoice.com/





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2023年05月16日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!金森俊朗さんの言葉:「共感」とは、心に人を住まわせることである。その心に定員はない


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「共感」とは、
心に人を住まわせることである。
その心に定員はない。

教育界のみならず
医療や福祉など
日本だけでなく世界からも
注目を集めた「いのちの授業」
で知られる故金森俊朗さんの言葉です。

金森俊朗さんは、2020年3月に
73歳でご逝去されました。

映像を編集しながら…
金森さんの深い優しさが
画面からあふれてきます。

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金森先生が送ってくださった
大きく育った石川県金沢の
被爆アオギリ二世と金森先生のお写真を見ながら
がんばっています!
posted by ぷらっとハッピー日記 at 04:16| 東京 ☀| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月15日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!画家 吉野誠さんの旧満州での体験「戦争の加害と被害を見つめながら…」

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映画『アオギリにたくして』ではチーフ助監督を務めてくださり、現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』の撮影や編集でも大変世話になっている中根克さんとプロデューサーで音楽監督の伊藤茂利と共に広島在住の画家・吉野誠さんのご自宅に3人で撮影にお伺いした時の映像を見ながらこれまでを振り返っています。

1933年に吉野誠さんは広島の農家に
生まれ育ちました(現在の庄原市西城町)。
戦時下にあった当時は食糧難で
「満州に行けば幸せに暮らせる」
との宣伝を信じて1944年に
家族7人で開拓団に加わり旧満州に渡りました。
吉野さんが11才の時だったそうです。

開拓団という言葉に、
荒れ野を開墾するのだと思って大陸に渡った吉野さん一家でしたが、
実際はわずかなお金で農地を奪って居座らざるない現実が待っていました。
「兵士が武器を突きつけるように
 農具を現地の人々に突きつけて
 土地を奪いました」
吉野さんはアルミ板で自ら制作した作品を指差し
「そこにいる少年は私なんです」
と語りました。

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1945年の8月に入ると
旧ソ連が参戦し、
15日に敗戦を迎えました。

1か月前の7月に
病死した吉野さんのお母さんは
満洲に来るべきではなかった、
悪いことをしてきたので
戦争に負けたら
きっと仕返しされるだろう
と心配しながら亡くなっていきました。

日本への帰国の機会を待つ中で
食べ物はなくなり
いつ死ぬかわからない日々が続きました。
冷下30度の寒さ、チフスにコレラ…
報復による襲撃
旧ソ連軍による略奪や暴行

12才の少年だった吉野さんは
目の前で女性が暴行され
その場で3人の女性が
舌を噛み切って死んでいく姿を見ました。

姉を守るために
旧ソ連の兵士たちに抵抗した祖母は
銃剣で何度も頭を殴られて頭や顔が変形し
3日間苦しみながら亡くなりました。

自殺した方が楽になる…
そう考えていた時、
夜空に浮かぶ
世界に一つしかない月の中に
広島の友人の姿が浮かび上がり
「早く帰ってこい」
と声が聞こえてきました。

国民学校時代の友だちや
一緒に遊んだ最上川
遠足で登った山が映し出され
「自殺なんかしちゃいけない
ちゃんと生きて帰ろう」と心に誓い
1946年7月に吉野さんは
父ときょうだいの5人で引き揚げてきました。

苦学しながらも1日も休まず通った高等学校時代に
美術の先生がおっしゃった
「戦時中は、命を投げ出すことが美とされた。
 それは、間違いだったんだ。
 芸術は命を表現することなんだよ。
 絵画は平面に、彫刻は立体で、文学は文字で、音楽は音で、命を表現しているんだ」
という言葉に深く感動した吉野さんは
絵の道を志し、東京の武蔵美術大へと進みました。

広島県内の公立中学校で美術教諭として
平和教育にも力を注ぎながら
自由美術展などを舞台に活躍されてきました。

吉野さんの絵画によく用いられている白や灰色は、
死者の骨の色をイメージしています。
作品に描かれている破られた紙は、
紙切れのように粗末にされた命をあらわしています。

アルミアートの創作でも知られている吉野さんは
捨てられた缶に旧満州で命を落とした開拓民の姿を重ねながら
生きるか死ぬかの日々の中で見た
夜空に浮かぶ輝く月の光を
アルミ板の光とも重ねて制作しています。

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吉野さんはアオギリの語り部と呼ばれた
広島の被爆者・故沼田鈴子さんと共に
マレーシア、中国、韓国など
アジアの国々への慰霊の旅をされ、
戦争の中の加害と被害を見つめ続けてきた方でもあります。

丸木美術館(埼玉県東松山市)の
正面外壁の大きな木彫レリーフ「いのちの叫び」は
広島県廿日市中の全校生徒(約340人)が、
1972年から吉野さんの指導のもと制作されました。
74年11月に丸木位里さんが同校を訪れ
贈呈式が開催されたのだそうです。

われわれも映画『いのちの音色』完成までに
もう一度こどもたちの作品を拝見しに
丸木美術館を訪れたいと思っています。

吉野さんのズボンのポケットには
いつも瓶の蓋が入っています。
近所で喧嘩している子どもたちがいた時に
これが役立つのだと言います。
「蓋を片目につけて
 笑かしたり手品をしていると
 喧嘩をやめて、自然に笑顔になるんよ」

平和づくりに大切なのは
「笑顔」と「ユーモア」
「笑顔とユーモアの絶えないところに争いなし」
沼田さんがよく言っていたそうです。

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東京から慌ただしく取材に訪れた我々を
あたたかく迎え入れてくださった吉野さんに
改めて心より感謝申し上げます。
その後、スタッフの病やコロナ禍など
長くお会いできないままでしたが、
近くまた広島を訪れたいと思っています。

現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』を
この夏までに作り上げたいと思いながらの日々ですが
これまで10年間以上に渡る
一つ一つの映像が
深く、重く、大切で
まだまだ時間がかかりそうです。

形にできるよう日々精一杯
努力を積み重ねて参ります。


▼公式HP
ドキュメンタリー映画『いのちの音色』

https://musevoice.com/inochi/
 
posted by ぷらっとハッピー日記 at 13:49| 東京 ☔| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月13日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!「被爆者の心に寄り添って生きた 故伊藤直子さんを偲びながら…」

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被爆者の方々の心に寄り添いながら
生涯を送られた故伊藤直子さん。

伊藤直子さんの映像を何度も見直しながら
その言葉に込められているたくさんの想いが
今改めてより一層感じられます。

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自分の苦しみを世界中の誰にもさせたくないと願う
被爆者のメッセージを海外で伝えた時、
「なぜそんなにも被爆者は優しくなれるのか?」
という質問を受けたことがあります。

理想論で言っているのではなく
生き地獄を見た被爆者の方々が
苦しみの果てにたどり着いた
現実的なこたえでもある核廃絶への思い。

その想いの中にある
人間としての深い優しさは
どのようにつくり出されていったのだろう。

映像を何度も見直しながら
その答えが、伊藤直子さんと岩佐幹三さんの姿の中から
伝わってくる思いがしました。

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伊藤直子さんとアオギリ.jpg
▲石川県・金沢にて(2015年)

今もしお会いできるなら
お二人にもっともっと聞きたいことが
たくさんあります…。

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』を制作しながら
現在まだ800時間のデーターを100分にまとめる
編集の真っ只中ですが…日々考えさせられる毎日が続いています。
posted by ぷらっとハッピー日記 at 14:50| 東京 ☔| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月09日

ご支援をいただき心より感謝申し上げます。


現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』に
新たな募金をいただきました。

◉ 萩野哲哉 様
◉ 天野達志 様
◉ MJ春眠猫 様
◉ 小池崇子 様
◉ Vocal unit foo 様

心より御礼申し上げます(会計担当:石塚佐和子)

皆様のお名前を下記「いのちの音色」公式HPに掲載させていただきました。
改めて心より深く感謝申し上げます。

いのちの音色 公式HP
https://musevoice.com/inochi/

ご支援のお願いについて
https://musevoice.com/inochi/goods-2/
引き続き、完成に向けて皆様のご支援を何卒よろしくお願い申し上げます🙏



posted by ぷらっとハッピー日記 at 10:03| 東京 ☀| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月06日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!「映画づくりの合間に、ふと思うこと」


第3作目となるドキュメンタリー映画『いのちの音色』を制作中です。


今は共に映画づくりをしてきた
伊藤と私しか出来ない作業の真っ只中で
約800時間のデーターを3時間にまとめる作業中です。

これまでの映画づくりでも
大変お世話になってきた中根プロダクションの中根監督に
ご指導いただきながらの日々が続いています。

BURST22の高明さんと山本優子さんに大変お世話になり、
倉本和人さん、柴田誠さん、渡川修一さん、升田規裕さんにお力添えいただきながら一歩一歩進んできました。
皆様に心より深く感謝申し上げます。

まだまだ完成までに時間がかかりますが
全力を尽くしてまいります。

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膨大なデーターに埋れながら、
体を休めるために目を閉じると
ふと幼い頃の思い出が蘇ります。

何ごとにおいても
人よりずいぶん遅れている私は、
作詞・作曲や歌を始めたのも30代後半で、映画づくりを始めたのは40代後半でした。

人間の本質について
わかり始めてきたのも
生きるか死ぬかを
何度も突きつけられるほど大変な
映画づくりをはじめてからで、
つい最近のことです。

自分が自分であること以外
何にも属していない感覚で生きてきた私は
体の中のエンジンが自然と動き出し
心から大切だと思うこと以外は
無頓着に生きてきました。

独立独歩で生きてきたのは
強いからではなく、
小さな頃から超引っ込み思案で
人間の集団や組織にあまり馴染めなかったからなのかもしれません。

小さな頃は、
辛いことや悲しいことがあると
自宅の目の前に広がる山をテクテク一人で歩いて
森の中を通り抜け、田んぼの畦道を歩いた先に出てくる
自分だけのお気に入りの場所で
しばらく風に吹かれながら
心の波風が去るのを待っていました。

幼い頃の私にとって
友だちは、蝶々や昆虫、草花や野良猫たちで、
学校から帰るとクモの巣に引っかかっている
蝶々やトンボなどを助けることや
アリの観察に忙しい日々で
人間の友だちと遊んでいる時間はあまりありませんでした。

ふと、大人になってから
あのクモはどうしていたんだろう?
と思うことがあります。

クモにとって私は
とても迷惑な存在だったことでしょう。

小学校5年生だったある日
いつものように山の見回りをしていると
羽が傷つき飛べなくなった蝶々と
弱っているカマキリを見つけました。

その日、私は夕方から出かけなければならず
時間があまりなかったので、
緊急処置として大きな段ボール箱の中に
保護した蝶々とカマキリを入れて出かけました。

家に戻り、急いで箱を覗くと
なんと…カマキリが蝶々の頭を食べてしまっていました。
その時の衝撃は、今も体のどこかに残っています。

カマキリが蝶々を食べることを知らず
一緒の箱に入れてしまったために
せっかく命を救うために保護した蝶々の命まで奪ってしまったのです。

心から良かれと思って一生懸命やったことであっても
結果として、自分の思いとは裏腹に
命をも傷つけてしまうことさえ起きうることを
その時に痛感しました。

大人になるにつれ、
知識や経験が少しずつ増えていっても
「本当は分からない」
という感覚をつねに忘れずに
自分の物差しだけで相手をはかることなく
生きていたいと思っています。

最も小さな存在であるからこそ
見えることがあります。

アオギリの語り部と呼ばれた
沼田鈴子さんが、
「小さなことから始めてね」
とおっしゃっていたことには
とても意味があると感じます。

映画づくりにおいても
ライブや上映活動についても
その感覚を大切にしながら
生きていきたいと思います。

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公式HP https://musevoice.com/inochi/

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2023年05月04日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!「山形県映画センターの故宮澤啓さんを偲びながら…」

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今では世界でも知られるようになった「山形国際ドキュメンタリー映画祭」。その立ち上げから最も大変であったであろう12年を支えた故宮澤啓さんは、その後、山形県映画センターとして山形県内の各地に足を運んで上映運動を作り上げ、福島県、宮城県にまで活動域を広げておられました(2018年9月9日、63歳でご逝去されました)。

宮澤さんは真の映画人魂を持った方でしたが、単に映画が好きだということだけではなく、人類の未来、地球の未来を見据えながら、地域から文化を発信し、歴史に裏打ちされた人間の営みとしての息吹が息づいている地方の生活を大切にしながら世界と繋がることで、山形の未来を考え守ろうとされていたのではないかと思います。


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山形の映画館にて.jpg


かれこれ10年前、さまざまな地域で自主上映活動をされている方々が集う場でお話しさせていただいたく機会をいただき、映画づくりに託す私自身の想いを語らせていただきました。

当時私は、初の映画制作で途方もなく大変な荒波の中に揉まれすぎて心がボロボロでした。そんな時、宮澤さんが、「上映活動の原点を思い起こさせてくれました。もっと謙虚に一生懸命に取り組んで応援したいと思います」と、言葉をかけてくださいました。

その道を何十年も歩まれてきた大先輩からの誠実で純粋で優しさに溢れる言葉に、それまで必死に戦い続けてきた自分の心がほぐれていく感覚を覚えました。

その時、宮澤さんが山形県映画センターの方で、若い頃から映画の上映普及活動に夢を託されてきた方だと知りました。


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その後、山形や宮城などでの映画やライブで宮澤さんに大変お世話になりました。

そして2017年、共に映画づくりをしてくれたしげ兄(伊藤茂利)が緊急入院して癌の告知を受けた際、宮澤さんからの優しさに溢れたお手紙が届きました。しげ兄と同じ年齢の宮澤さんも、山形国際ドキュメンタリー映画祭を形づくるまでに体を壊された経緯があり、なので親身になってしげ兄の病状を心配してくださいました。

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宮澤さんが亡くなる5日前の2018年9月4日、第49回山形県生協大会で「いのちの音色」ライブをさせていただくことになり、私たちは山形入りしていました。台風の接近する中、600人以上がご来場くださり、ライブを終えて山形から新潟に向かう電車の中で、暴風のため電車が動かなくなり、風に揺られながらしばらく待機していました。

山形でライブさせていただけることになったのも、宮澤さんが私たちの映画と共にライブ活動を応援してくださっていたからだと思います。しげ兄が、宮澤さんにお礼のお電話をかけると、近くのコープのお店に行った時に私たちの写真がのったポスターを見たよと言ってとても喜んでくださいました。しげ兄が最後に「宮澤さんもくれぐれもお体を大切になさってください」と言って電話を切った、その5日後…宮澤さんが亡くなってしまうなんて…。訃報を受けた時、あまりの驚きとショックで言葉がありませんでした。

現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』でも撮影でご協力いただきました。
作品を見ていただけないことが残念でなりませんが、完成に向けて精一杯がんばりたいと思います。

コロナ禍やしげ兄(伊藤)の癌の再発と度重なる体調不良や資金難もあり、宮澤さんにもすすめていただいていた山形国際ドキュメンタリー映画祭などへの作品の応募締め切りには間に合いそうもありませんが、小さな映画づくりは、制作者自らの上映活動への熱い想いがなければ上映活動は広がりません。ですので、まずは心から納得いく作品となるよう最後までもがきながらつくりあげていこうと思います。


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昨日より、ドキュメンタリー映画『いのちの音色』の東北編の編集に入りました。

心から尊敬する宮澤啓さんを偲びながら…
ドキュメンタリーとは何かについて、日々発見のある毎日が続いています。

いのちの音色🍀公式HP
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2023年04月30日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!「別府ブルーバード劇場の岡村照館長・実紀マネージャー様に改めて心より感謝申し上げます」



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▲岡村照館長(1931年4月、大分県別府市生まれ。2015年、映写機を操作されていた照さんを撮影させていただきました)


「別府ブルーバード劇場」は、
大分県別府市に唯一ある映画館です。

全盛期には20数館あったという市内の映画館が
今では一館のみとなる中、
館長の岡村照さんは、映画館の灯を守り続けてきました。

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1945年に父・中村弁助さんが
「子どもに夢を与えたい」
という思いでつくった映画館を
共に支えてきた夫・昭夫さんは
1971年、照さんが39歳の時に亡くなられ
その後、50年以上にわたり
照さんは一人で映画館を守り続けてきました。

今年92歳になられた照さんは、
別府ブルーバード劇場を愛する人々と共に
今もお元気にご活躍されています。


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初めてご挨拶に伺った時、
少しドキドキしながら訪れた
私とギタリストの伊藤茂利を
満面の笑みであたたかく迎えてくださいました。

照さんの旦那様が広島の方で、
爆心地からは離れていましたが
旦那様から聞いたあの日のことをお話しくださり
「広島の映画なら是非!」
と、2013年に完成した初プロデュース映画『アオギリにたくして』を上映してくださいました。

その後も『かけはし』や他の作品でも大変お世話になり、
照さんのマネージャーで次女の実紀さんが
何度も映画館での我々のライヴを企画してくださいました。


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ファミリーのように向かい入れてくださった
照館長と実紀さんはじめ
別府ブルーバード劇場の関係者の皆様に
改めて感謝の思いでいっぱいです。

その後、2017年に共に映画づくりをしてきた
ギタリストの伊藤茂利が癌で緊急入院し
再発やコロナ禍などのなかで、なかなかお伺い日々が続きましたが、

昨年2022年の夏、実紀マネージャー様がライヴをご企画くださり、
お元気な照さんと皆様にお会いすることができて本当に嬉しかったです🎶

また、伊藤慶典さんのご尽力により
児童養護施設「光の園」にて
別府市内で初となる
被爆アオギリ2世植樹が昨夏行われました。


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▲2015年・別府ブルーバード劇場での「いのちの音色」ライブ後に。照さんと伊藤茂利♪


別府ブルーバード劇場で
ドキュメンタリー映画『いのちの音色』を
上映していただける日を楽しみに
完成に向けて全力を尽くします!

改めて照館長、実紀マネージャーはじめ皆様に心より深く感謝申し上げます🙏
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2023年04月27日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!「被爆者の故沼田鈴子さんを思いながら…」


ドキュメンタリー映画『いのちの音色』を制作中です。

アオギリの語り部と呼ばれた広島の被爆者
沼田鈴子さんが原爆にあったのは22歳の時でした。

その同じ年齢の時に、私は沼田さんと出会い
アメリカの学校や教会で日本文化紹介と共に
「にんげんをかえせ」などの原爆映画の上映会を行う
草の根ボランティアの民間外交プロジェクト
「ネバー・アゲイン・キャンペーン」
の第一期生として単身渡米しました。

アラスカ・オレゴン・ネバダ・オハイオ・ニューヨークなどで
1年間に約280回のプレゼンテーションをさせていただきました。
渡米前にひと夏を過ごした広島で沼田さんとお話しする機会をいただきました。

沼田鈴子さんとアオギリ3世と私.JPG

帰国後、外国人向けの異文化コミュニケーション雑誌で
編集長をしていた頃に、当時勤めていた会社で企画立案し
日本で暮らす様々な国の世界の人々と共に
それまでお世話になってきた被爆者の方々の体験と
各国の出演者の両親や祖父母の戦争体験を伝える
日本語朗読劇を企画・制作しました。

プロデュースするにあたり
出演者やスタッフに、被爆者の方に会っていただき
直接、被爆者の方から話を聞く体験をみんなにしてもらいたいとの思いから
広島合宿を企画したり、長崎を訪れたりもしました。

若い頃、ネバーアゲインキャンペーンに参加させていただき
たくさんの皆様にお世話になったので、
今度は自分ができることで恩返ししながら
次へとバトンをつなげていきたいという思いからでした。

とはいえ、当時勤めていた会社の中でのプロジェクトなので
そのための様々な予算を捻出するためには、
まずは別途他の企画を立てて売り上げを出し、
劇づくりにかかるお金を捻出しなければなりませんでした。
そのために、毎月の月刊誌以外に
別冊の発行に向けての企画もしながらの日々でした。

小さな会社だったので、
編集長と言っても取材から執筆・制作・営業・流通
さらに異文化交流イベントなども全部に携わりながら、
毎月雑誌を発行するだけでも大変な状況でした。

新聞紙をかぶって会社のソファーで寝泊りしながらで、
さらに、新たな企画と劇づくりが加わりました。
今思うと正気の沙汰ではありません。

プロジェクトをきちんと会社の中で位置付けることができてこそ
やらせていただけていることでもあるため、
通常業務の何倍もの忙しさに追われる中で
不眠不休の劇づくりとなり、ボロボロ状態になりながらではありましたが、
その時の経験とその中から見えてきた様々な気づきは、
その後の人生に生かされています。

とても感謝しているのは、
当時の会社の社長がこのプロジェクトに賛同して
会社でやらせていただけたことです。
その後、独立して自ら会社を立ち上げる中で、
初めて社長の苦労や大変さがわかるようにもなりました。
様々な立場を経験して初めて見えてくることがあることも知りました。

そして、この時の劇づくりにおいても
被爆者の沼田鈴子さんに大変お世話になりました。

アメリカ・中国・韓国・フィリピン・バングラディシュ・ドイツ・スペイン、その他、
多国籍の出演者が参加する中で、戦争の中での加害と被害をしっかりと見つめながら
被爆体験を世界に伝えていく大切さを沼田さんが語ってくださいました。

沼田さんは、国を超えて世界の人々にヒロシマの心を届けることができる方でした。

沼田さん&里&多国籍の若者達.jpg

みんなを連れて沼田さんに会いに広島に行った時も
待ち合わせは、いつもの広島平和記念公園の被爆アオギリの木の下でした。

現在制作中ドキュメンタリー映画「いのちの音色」の中で
その頃の沼田さんの映像を持っている広島のテレビ局にお伺いし
映像を見せていただいたのですが、
映像使用料の金額があまりにも桁違いに高すぎて
今回の映画の中に入れることは諦めざるをえず
とても残念ですが、いずれまた挑戦して描いていきたいと思います。

今年、私は59才になりました。

沼田鈴子さんが語ることのできなかった長い年月を経て
語り部となったのは、ちょうど今の私と同じ年齢の頃でした。

どんな思いで沼田さんが戦後を生き、
どんな思いで語り始め、
語り続ける中で何を感じておられたのか…

年月を重ね人生を生きてきた中で、
この年になって、改めて思うこと、分かること、感じることがたくさんあります。

微力であっても、現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』の中で
沼田鈴子さんがアオギリに託した想いを少しでも伝えていけるよう全力を尽くして参ります。

皆様のご支援・ご協力を何卒よろしくお願い申し上げます。
🍀いのちの音色 https://musevoice.com/inochi/
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2023年04月25日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!「大川須美さんと一緒に訪れた登戸研究所資料館 」

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2008年8月6日、新宿御苑の友人のお店で、
初めての歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝えるライブを行いました。

その時にご来場くださった大川須美さんが、このライブ活動を広めてくださり、
アオギリの語り部と言われた被爆者の沼田鈴子さんからいただいた資料を譲り受け、
その後の映画を生み出すきっかけをつくってくださいました。

高知で生まれ育った大川さんの女学生時代は戦時中で、
学校はまるで工場のようだったそうです。

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大川さんのクラスでは、
編成風に乗せてアメリカへ飛ばす
風船爆弾づくりのために
くる日もくる日も
厚い和紙を貼り合わせて
大きな紙の風船をつくる作業をしなければならず
勉強どころではなかったそうです。

B-29の爆撃機により、
大川さんの生まれ育った高知市も終戦の1か月前に爆撃を受け、
市街の大部分が焼け野原になり
学校も大川さんの家も失われました。

現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』で
大川さん共に訪れた明治大学の登戸研究所資料館での映像を見ながら
これまでを振り返っています。

ずっと昔の話ではなく、
自分の親や祖父母の世代の時代に起きたことを
あまりにも知らないまま大人になった私は
戦争時代を生きてきた方々の心に
どれほどの想像力を持って
接してくることができていただろう…

コロナ禍の2020年、
大川さんはご逝去されました。

このドキュメンタリーを制作中に
何人もの方が既になくなっています。
託された想いをどう伝えていったらいいのか…

悲しみにくれながらの
編集作業がまだまだ続いています。


🍀ドキュメンタリー映画『いのちの音色』
https://musevoice.com/inochi/
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ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!牛田教会の皆様に改めて心より感謝もうしあげます。


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被爆者の沼田鈴子さんの半生を描いた初プロデュース映画『アオギリにたくして』(2013年劇場公開)の制作を始めるにあたり、2012年4月に沼田さんのお墓参りと関係者の皆様へのご挨拶に広島を訪れた際には、聖文社の難波郁江社長がご案内くださり、牛田教会にて沼田さんの弟様のご夫人と甥の沼田良平様にごあいさつをさせていただきました。

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その節は牛田教会の皆様に大変お世話になり
改めて心より深く感謝もうしあげます。


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ドキュメンタリー映画「いのちの音色」の取材と撮影においても
西嶋牧師様はじめ牛田教会の皆様に大変お世話になりました。

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改めて心より深く感謝申し上げます。
この夏の映画の完成に向けて全力を尽くします。

🍀ドキュメンタリー映画『いのちの音色』
https://musevoice.com/inochi/
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2023年04月22日

風見しんごさんのお言葉「絶望に負けないために流す涙があることを『アオギリ』が教えてくれました」

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「絶望に負けないために流す涙があることを『アオギリ』が教えてくれました」

2013年に劇場公開した
初プロデュース映画『アオギリにたくして』で
父親役を熱演してくださった
風見しんごさんのお言葉です。

今、より一層この言葉が身に染みます。

初めての映画製作で至らないところも多々ある我々に、
いつもあたたかく接してくださった風見さんの姿に
どれ程たくさんの励ましと勇気と希望をいただいたことでしょう。

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映画のキャスティングで奔走していた時に
以前アラスカにいた頃にドキュメンタリー番組でお世話になった
広島のRCC中国放送の方にご相談に伺った際に
広島出身の俳優としてご活躍されている
風見しんごさんをご紹介いただきました。

少し緊張しながらお電話すると
マネージャーの安田さんが
とても丁寧にご対応くださいました。
映画づくりにおいても、上映活動においても
たくさんのお力添えいただき
心より感謝の思いでいっぱいです。

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制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』の編集をしながら
あの時のメイキングシーンを見ていると、
当時のことが思い出され、熱いものが込み上げてきます。

いま、風見さんはアメリカに留学されています。
新たなチャレンジをし続ける風見さんに刺激を受けながら
私たちもチャレンジしていきます!!
これからのますますのご活躍をスタッフ一同心より祈っています。

今後とも何卒よろしくお願い申し上げます🙏
posted by ぷらっとハッピー日記 at 21:17| 東京 ☀| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中!「梅谷ご夫妻と立花ご夫妻に感謝を込めて」

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映画づくりをはじめる前から大変お世話になっている
梅谷ご夫妻と立花ご夫妻に改めて心より感謝申し上げます。

夜行バスに乗って広島と東京を何度も往復する我々を、
いつもあたたかく迎えてくださり
梅谷ご夫妻と立花ご夫妻のご自宅に
ホームステイさせていただきました。

東京生まれの我々ですが
広島を訪れるたび、帰ってきたような気持ちになります。


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この夏の完成を目指して
ドキュメンタリー映画『いのちの音色』を制作中です。

広島上映でまたお会いできるよう
がんばっています!


🍀ドキュメンタリー映画『いのちの音色』
公式HP https://musevoice.com/inochi/goods-2/

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