2023年03月11日

3.11から12年…


3.11から12年…。
震災によって犠牲になられた方々のご冥福と共に、1日も早く復興が実現するよう心よりお祈りいたします。


あの日…
私は、東京のオフィスにいました。ものすごい揺れを感じた瞬間、部屋の電気が切れ、
急いで外に飛び出すと、大地が左右に大きく揺れていました。大変な規模の地震が起きたことを知りました。

最寄りの駅へと向かうと、道路の信号が全て消えている中で、車が慎重に走っていました。駅の周りは人だかりができていて、銀行以外の店の電気が全て消えているように見えました。周りのコンビニの商品は、すでにほとんどなくなっていました。


3.11の何日か後、以前から予定されていた被爆者の沼田鈴子さんの撮影のため、広島へと向かいました。前年の2010年秋に米国ワシントンの(財)カーネギー地球物理学研究所で行った被爆アオギリ2世の植樹とライブのご報告をするためでした。

沼田さんはベットの上に横たわりながら、いつものように満面の笑みで迎えてくださいました。アメリカに植樹された被爆アオギリについて熱心にお話を聞いてくださった後、リクエストをいただき、沼田さんの87才のお誕生日に捧げた歌「アオギリにたくして」を口ずさむと涙されながら聞いてくださり、演奏が終わると被災地の方々のことを案じながら語り始めました。

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これまでずっと心配していたことが、とうとう起きてしまったことへの憤りと共に被災地の子どもたちのことをとても案じながら、いてもたってもいられない思いが、ひしひしと伝わってきました…。

今制作しているドキュメンタリー映画『いのちの音色』は、この時に同行取材されていた石塚淳子さんが撮影した映像からスタートしていきます。


3.11の4ヶ月後、沼田さんはご逝去されました。

沼田さんが亡くなられた日、ライブで広島入りしていた私とギタリストのしげ兄(伊藤)は、お世話になっている広島の立花ご夫妻のご配慮で、葬儀の前に、最後のお別れの時間をいただきました。

涙が止まらず放心状態の私に、「里ちゃん「アオギリにたくして」を歌ってあげたら…」と奥様のみっちゃんが優しく声をかけてくださいましたが、いろんな思いが体の奥から込み上げてきて、歌うこともできませんでした…

その時のどうしようもない深い悲しみは、その後に初プロデュースし2013年夏に劇場公開した映画『アオギリにたくして』をつくり出す原動力となりました。

映画の冒頭には、福島の子どもたちを心配して病院から抜け出し、街中の野外大型ディスプレイで被災地の人々を案じる沼田さん役の主人公(田中節子)の姿が描かれています。女性記者が福島を訪れるシーンでは、東日本大震災から2年後の3.11に福島でロケを行わせていただき、地震発生時の14時46分に出演者とスタッフ全員で祈りを捧げ、撮影後には、ロケ現場に被爆アオギリ2世の植樹をさせていただきました。

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東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から12年…

そして「アオギリの語り部」と呼ばれた広島の被爆者・沼田鈴子さんが亡くなってから12年という月日が流れました。

これまでの12年を振り返りながら…そして自分にとっての原点となる被爆者の方々との出会いをいただいた若き日を思い返しながら…

今日からより一層集中して、
ドキュメンタリー映画『いのちの音色』に向き合っていこうと思います。

残された人生をどう生きるべきか、自問自答しながら、この度の第3作目に取り組んでまいります。
posted by ぷらっとハッピー日記 at 12:25| 東京 ☀| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月09日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』新たなご支援のお願い

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ドキュメンタリー映画 『いのちの音色』
2023年夏の完成・公開を目指します!
皆様のご支援・ご協力をお願い申し上げます。


ドキュメンタリー映画『いのちの音色』は、広島平和記念公園のアオギリの木の下で被爆体験を語り続け「アオギリの語り部」と呼ばれた沼田鈴子さんが亡くなる4カ月前の映像メッセージに込められた思いと共に、日本全国・世界に広がる被爆アオギリ2世・3世の植樹を追いながら、アオギリに託された思いを伝えていきます。希望と平和の種を蒔く人々の姿を通して、過去と未来をつなぐ 今を生きる私たちに出来ることを模索しながら、次世代に語り継ぐヒロシマ・ナガサキを描いていきます。

映画『アオギリにたくして』『かけはし』 に続く第3作目となるこの度の映画製作は、コロナ禍にスケジュール変更が相次ぐ中、プロデューサーで共に映画づくりをしている伊藤茂利の癌が再発・転移してステージ4となり、余命についてお伺いした上で、厳しい闘病生活を続けながらの制作活動となりました。

何としても映画を完成させたいという本人の強い意志に支えられる中、お陰様で画像上から癌が消える奇跡的な状況となりましたが、主治医の先生とご相談しつつ、その後も抗がん剤治療を続けながらの日々が続いています。体調が良くなったり悪くなったりを繰り返しながらではありますが、本人の集大成ともなるこの度のドキュメンタリー映画『いのちの音色』の夏の完成に向けて全力を尽くしてまいりたいと思います。

また、今回の映画制作では、初のクラウドファンディング「A-port」にもチャレンジさせていただきましたが、我々の力不足で、残念ながら40%の達成率となりました。当初、クラウドファンディングで達成できなかった分を、弊社ミューズの里の営業努力でカバーしていく予定でおりましたが、この間の長引くコロナ禍や闘病生活で、さらなる営業活動を行うことが出来ない状況が続き、この夏の映画の完成・公開に向けて、今月より新たにご支援のお願いをスタートさせていくことになりました。

映画をみてくださる皆様の心に、希望と平和の種がまかれていく映画となるよう全力を尽くして参ります。ドキュメンタリー映画 『いのちの音色』 完成・公開に向けて、ご支援の呼びかけへのご協力を何卒よろしくお願い申し上げます。

   
■任意の額によるご寄付のご協力
ご支援いただいた皆様のお名前を 公式H Pと本編のエンドロールに掲載させていただきます。
※領収書が必要な方には、製作会社ミューズの里より 「いのちの音色」制作支援として発行させていただきます。

お申し込み方法
下記の申込書、または申込書に書かれている必要事項(連絡先など)を明記して、メールかFAXにてお送りいただき、下記の指定口座へお振り込みください。

▼下記の画像をクリックすると大きくなります
「いのちの音色」制作支援ネット用申込書.jpg

〜ご寄付のお振込先〜
●郵便振替の場合
【口座名】いのちの音色
【口座番号】 00150-7-731656
※上記の郵便振替口座を、他行等からの振込の受取口座として利用される場合は、下記内容をご指定ください 店名(店番):〇一九(ゼロイチキユウ)店(019) 預金種目:当座/口座番号:0731656

●銀行振込の場合
【銀行名】 三菱UFJ銀行(鶴川支店)
【口座名】 株式会社ミューズの里
【口座番号】(普)0043442 
※銀行からのお振込の際は、ご連絡先がわかりませんので、必ずミューズの里までご連絡先をお知らせください。

🎬映画『いのちの音色』公式HP
「新たなご支援のお願い」▼

https://musevoice.com/inochi/goods-2/
皆様のご支援・ご協力を何卒よろしくお願い申し上げます。
posted by ぷらっとハッピー日記 at 17:41| 東京 ☀| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月18日

被爆アオギリに託された想いを奏で続ける


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ドキュメンタリー映画『いのちの音色』編集中〜🎶

広島の被爆者・故沼田鈴子さんが
被爆アオギリに託した想いを奏で続けるギタリストの伊藤茂利。

2017年に緊急入院となり癌が告知されました。
抗がん剤治療の第一人者としてご活躍中で主治医の勝俣範之先生の「患者は我がままであれ!」というお言葉に励まされながら日々を乗り越え、今も元気に活動しています。

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癌患者の方々の心に寄り添いながら、
シンガーソングライターとしてもご活躍中の
勝俣範之先生のサポートギターとしても
奏でさせていただいています🎸

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2022年10月12日

人類が再び核兵器の被害をつくり出さないために、今できることはなんだろう…

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人類が再び核兵器の被害を

つくり出さないために

今できることはなんだろう…

posted by ぷらっとハッピー日記 at 17:03| 東京 ☁| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月10日

被爆の実相を伝え続ける上田紘治さん「再び被爆者をつくるな!」


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東京・八王子市役所に隣接するビルの2階にある「八王子平和・原爆資料館」には、
原爆に関わる2000冊以上の書籍や写真集、証言集、こども向けの絵本などがあり、
原爆瓦や高熱で溶けたガラス瓶、被爆死した中学生の血染めの服など、
30平方メートルほどの部屋にぎっしりと資料が並んでいます。

制作中のドキュメンタリー映画「いのちの音色」にもご出演いただいている
八王子在住の上田紘治さんは、1997年からこの資料館を有志の方々と共に自主運営する一人で、
3歳の時に広島で被爆されました。

上田さんの本籍地は、爆心地から400m以内で、現在の平和公園内にありました。
広島平和記念資料館には、
当時爆心心地に住んでいた住居表があり、
上田さんの家も表示されています。

「原爆の爆発の瞬間、地上600m上空で7000〜8000度。
爆心地(500m内)で3000〜4000度。
ちなみに太陽の表面温度が6000度です。
原爆投下時は10km離れていたので現在の私があります…」
と語る上田さんの一番の願いは、
「再び被爆者をつくるな!」
その思いを胸に、
核兵器なき世界に向けて
全力を尽くしておられます。

この夏の暑さで少し体調を崩されていましたが、
昨日と今日はお電話でお話しさせていただき
お元気なお声をお聞きして
とても嬉しくホッとしました。

アオギリの語り部と呼ばれた故 沼田鈴子さんがお元気だった頃には何度も訪れていた沖縄へ、上田さんと共に伺わせていただいた映像を見ながら、これまでの日々を振り返りつつ編集作業を進めています。

posted by ぷらっとハッピー日記 at 10:46| 東京 ☁| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月04日

声なきいのちの叫びを胸に…「長崎を最後の戦争被爆地に!」


戦争はある日突然始まるものではない。

ドキュメンタリー映画「いのちの音色」を制作しながら…
被爆者の故・岩佐幹三さんの言葉が、まるで今のことのように聞こえてくる。

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2015年に撮影させていただいた時、
あの時の岩佐さんの思いを、
私はどれだけ受け止められていただろう…

「ロシアのプーチンさんは、
 クリミアで核兵器を使おうと言っている。
 それは何を意味するか…

 核兵器を持っているということが核抑止力になると言っているが、違うんです!
 もう核抑止力にはならないよ!使うよ!と言っているんだ!」

今年2022年、ロシアのウクライナ侵略が報じられ
再び核兵器使用への威嚇がなされている。

7年前に撮影させていただいた時、
岩佐さんはストックホルム・アピールを思い出されながら…
「人類が再び核兵器の被害にあわないためには
私たち一人一人が、核兵器をなくせという声を、
核兵器をなくせ! もうこれ以上被害を作るな!という運動を高め盛り上げていってほしい」
と強い危機感を示されていた。

岩佐幹三さん(金沢大学名誉教授)は広島で16歳の時に被爆した。1960年に石川県で「原爆被災者友の会」を設立。被爆証言の収集や保存に取り組み、日本被団協の元代表委員を務め、2016年には日本被団協の代表者3人の1人としてオバマ前米大統領の広島訪問に立ち会った。「ヒバクシャ国際署名」の呼び掛け人を務め、生きている間に核兵器廃絶を見届けたいと核兵器なき世界の実現に向けて最後まで活動されていた。2020年9月7日、岩佐さんは91歳ですい臓がんで亡くなった。

私に被爆体験を話すときはいつも淡々と語る岩佐さんだが、
原爆で自宅の下敷きになった母を見殺しにした自分をずっと責め続けていた。

岩佐さんと親しくされていた
原爆症認定集団訴訟の全国弁護団長を務めた故 池田眞規弁護士は、

「一緒に酒を飲みに行くとね…
あの日の記憶がよみがえってきて
大きな声でわんわんと、
あの岩佐さんが泣くんだよ。
「母さん」って言いながらね‥‥
大の男が涙をボロボロ流しながら、
大声で…泣くんだよ…」

「里美ちゃん、その思い少しでもわかるかな?」
と、孫のような私にわかりやすく
岩佐さんの心を、被爆者の心を、
一生懸命に伝えてくださった。

被爆者の心に生涯寄り添い、
反核・平和への道を貫いた
池田眞規弁護士にとっても
被爆者との出会いが、岩佐幹三さんとの出会いが
弁護士魂を貫く覚悟となったのだろうと思う。


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初めてお会いした時から
30年以上の月日を経て…
今、改めて感じることが
あまりにもたくさんある。

本物の大人たちの
本当の声を聞きながら
その魂に触れた体験は、
ヒバクシャの思いを、
本当の平和を願い続ける人々の心を、
生涯伝え続けていこうと私が思う原動力となっている。

「長崎を最後の戦争被爆地に!」
声なき命の叫びが聞こえてくる‥


「原爆は人間に一生涯続けて
核兵器の被害というものを
背負わせるんだということをわかってほしい」

力を振り絞るように語る故 岩佐幹三さんの言葉がリフレインする。

NHK「ヒバクシャ からの手紙」岩佐幹三さん
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/no-more-hibakusha/archives/detail/?das_id=D0019020086_00000
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2022年09月30日

漫画で描き続けた被爆者の戦後「おり鶴さん」西山 進 著


この夏の、オンライン「アオギリ祭り」にビデオ・メッセージを寄せてくださり、またドキュメンタリー映画『いのちの音色』でも撮影させていただいている西本多美子さん(元「石川県原爆被災者友の会」会長)から、漫画で描き続けた被爆者の戦後「おり鶴さん」(西山進著)が届きました。

被爆者の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)」に40年以上連載された4コマ漫画を一冊の本にし、被団協の歴史を後世に残す最後の本として世に出したいと、西本多美子さんら有志3人が「おり鶴さん」編集・出版委員会を立ち上げお金を出し合ってつくり、被爆77年の今年8月9日に出版されました。わずか4コマの中に、被爆者運動、時の政府の姿勢や対応、世界の動き、平和を巡る動きが描かれています。

今は94歳になられた「おり鶴さん」の著者 西山進さんは、17歳の夏、養成校として働いていた三菱重工長崎造船所で被爆されました。
生き地獄を見た西山さんは、「二度と戦争と原爆の参加をこの地球上にもたらしてはならない」と未来への希望をおり鶴に乗せて描き続けました。
この本の最後に西山進さんの被爆体験も掲載されています。


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▲ 漫画で描き続けた被爆者の戦後「おり鶴さん」西山 進 著 (出版社:書肆侃侃房)

Amazonからもオンラインでご購入できます♪


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2022年09月29日

被爆者運動を支え続けた伊藤直子さん


10年以上に渡る撮影データーを
今一度見直しながら、
弊社ミューズの里の第3作目となる
ドキュメンタリー映画「いのちの音色」を制作中です。

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▲右:伊藤直子さん 左:西本多美子さん


今は亡き伊藤直子さんの映像を見ながら涙がこぼれます。

伊藤直子さんは、全国の被爆者の会の協議会である「日本被団協」の事務局員・日本被団協中央相談所の相談員などをつとめ、被爆者の運動をずっと支え続けてこられました。

私が伊藤直子さんと初めてお会いしたのは、37年前でした。渡航費は自己負担し、アメリカでホームステイしながら、米国の学校の歴史の授業や教会などでヒロシマ・ナガサキを伝える日米民間外交プロジェクト「ネバー・アゲイン・キャンペン」のボランティア活動に参加させていただくことになり、アオギリの語り部と呼ばれた沼田鈴子さんはじめ、広島・長崎でたくさんの被爆者の方々との出会いをいただきました。


広島・長崎だけでなく、
自分の住む東京にも被爆者の方がおられることを伊藤直子さんに教えていただき、
お話を伺う機会をつくってくださいました。

ヒロシマ・ナガサキは教科書の中の過去の出来事としか思ってなかった私は、
自宅から歩いて数十分のところに被爆者の方が住んでいることを知り、被爆者の方からお話を直接伺うことで、いかに自分が何も知らずに生きていたことを知りました。

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核兵器の廃絶をめざす被爆者の運動を
ずっと支え続けた伊藤直子さん。
どんな思いで被爆者の心に寄り添ってこられたのか…

被爆者運動から見えてくる
人間・命の尊厳と平和への希望に
深い感銘を覚えます。


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▲あの時、直子さんと一緒に訪れた金沢の被爆アオギリ2世がこんなに大きくなっています。ご案内くださった被爆者の西本多美子さんと今年の被爆アオギリ🌱
posted by ぷらっとハッピー日記 at 14:29| 東京 ☁| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月27日

アオギリの語り部と呼ばれた故・沼田鈴子さんの言葉「平和の原点は、相手の痛みのわかる心を持つ人間であること」「真実を求める知恵が、平和をつくる大切な力になる」


ドキュメンタリー映画「いのちの音色」制作中〜🎶


本日は、
アオギリの語り部と呼ばれた
被爆者の故・沼田鈴子さんが
何度か訪れた北海道の苫小牧で
元気に育つ被爆アオギリ2世の
データーをもう一度見直しています。

2015年に撮影させていただいた
沼田さんと交流を続けてこられた
松本昌恵さんのお話、
そして、松本さんが大切にされている
沼田さんの言葉などを撮影したデータを
視聴しながら編集を行なっています。

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・平和の原点は、相手の痛みのわかる心を持つ人間であること。
・真実を求める知恵が、平和をつくる大切な力になる。

〜2002年9月12日 苫小牧を訪れて 沼田鈴子〜


「被爆体験を語ること。
それは、一粒の平和への種まきなのです」
と生前語っていた沼田鈴子さん。

戦争の被害と加害を
しっかりと見つめながら
「自分と同じ苦しみを
世界中の誰にもさせたくない」
という強い信念のもと、
被爆体験を語り継いでおられました。

「知らないことも罪である」
という沼田さんの言葉に、
松本さんは、それまでの自分の生き方を見つめ直していったのだと言います。


沼田さんがが亡くなられて、
今年で11年という月日が流れました。

もし今、沼田さんが生きておられたら
今の日本を、そして世界をどう思われるのだろう…
と考えながら今日1日を過ごしました。


希望と平和の種を世界へ!
Seeds of Hope & Peace!

posted by ぷらっとハッピー日記 at 22:18| 東京 ☁| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「碑に誓う〜中学生のヒロシマ修学旅行〜」江口保著(東研出版)


お世話になった故・江口保先生のご著書
「碑に誓う〜中学生のヒロシマ修学旅行〜」
を読み返しています。


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ドキュメンタリー映画「いのちの音色」を制作する過程は、生まれて初めて被爆者の方との出会いをいただいた21歳の時からこれまでの36年間に渡り、出会いをいただいた希望と平和の種をまく人々と再会する旅のようでもありますが、多くの方々がすでに亡くなられています。

声にならないいのちの叫びを感じながら…

編集にとても時間がかかりそうですが、
納得のいく作品となるよう
全力を尽くてまいります。
posted by ぷらっとハッピー日記 at 09:04| 東京 🌁| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月26日

岩佐幹三先生「被爆者という人間はいない。皆さんと同じ普通の人間が、被爆者という運命を背負わされたのです」


コロナ禍で制作の遅れていた
ドキュメンタリー映画「いのちの音色」ですが
この夏より撮影を再開し
この秋から編集に集中しています。

今日は、2015年に撮影させていただき、
大変お世話になった被爆者の故・岩佐幹三先生のインタビューを再度視聴していました。


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「被爆者という人間はいない。
皆さんと同じ普通の人間が、
被爆者という運命を背負わされたのです。

核兵器というものは、
人間に一生涯、原爆の被害というものを
背負わされるんだということをわかって欲しい。

皆さん方がいつヒバクシャ になるかわからないということを、
そういう自分の問題として考えていただいて、
核兵器廃絶の運動を高めていただきたい。」

魂を込めて語る岩佐先生。

さらに続く岩佐先生のお話の内容は
今を予見していたかの様で‥‥


岩佐幹三先生と初めて出会った30年以上前の
20代だった若き日を思い返しながら…
今私たちが果たすべきことは何かを改めて考えています。

今は亡き岩佐先生の想いを伝えていける作品となるよう全力を尽くします。

🎬「いのちの音色」制作に全力で
取り組んでまいります。



posted by ぷらっとハッピー日記 at 19:43| 東京 ☀| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月15日

ドキュメンタリー映画「いのちの音色」編集中!


この秋は、コロナ禍で延期されていた
ドキュメンタリー映画「いのちの音色」の制作に集中していきます。

追加撮影がさらにまだ少し必要ですが、
すでに撮影を終えている
膨大なデーターをさらにもう一度見直しながらの日々が続いています。


本日は、アオギリの語り部と呼ばれた広島の被爆者・故沼田鈴子さんと一緒にマレーシア、中国、韓国などアジアの国々への慰霊の旅をされた画家の吉野誠さんのご自宅を訪れ、以前撮影させていただいた時のインタビュー動画を何度も見直しています。

広島県内の公立中学校で美術教諭を務めておられた吉野さんは、平和教育にも力を注ぎながら画家として活躍されてきました。吉野さんは1933年生まれで、1944年の11歳の時に一家で開拓団として旧満州に移住しました。翌年1945年8月15日、敗戦後の生き地獄のような日々を経て帰国するまでを語ってくださっています。

吉野さんの絵画によく用いられている白や灰色は、
死者の骨の色をイメージしています。
作品に描かれている破られた紙は、
紙切れのように粗末にされた命…。

アルミアートの創作でも知られている吉野さんは、
捨てられた缶に旧満州で命を落とした開拓民の姿を重ねながら、
生きるか死ぬかの日々の中で見た夜空に浮かぶ月の光を
アルミ板の光とも重ねて制作しています。


吉野さんが美術教諭をしていた時、全校生徒でつくったという木彫「いのちの叫び」が丸木美術館に寄贈されています。若い頃、まだ丸木位里・俊ご夫妻がご存命だった頃、お話を伺いに美術館を訪れた時、その木彫についてお話くださった記憶があり、久々にもう一度丸木美術館に行ってみたいと思います。

まだまだ続く編集作業ですが、
これまでお世話になった方々の思いを伝えていける作品となるよう精一杯取り組んでまいります。


posted by ぷらっとハッピー日記 at 22:09| 東京 ☁| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月30日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』:今後の撮影日程

〜ご支援くださっている皆様へ〜

『いのちの音色』をご支援くださっている皆様に改めて心より感謝申し上げます。

コロナ禍の相次ぐスケジュール変更に続き、共に監督・プロデューサーを務めるしげ兄の癌の再発と抗がん剤治療による体調の変化を見守りながらの制作となり、映画の完成が遅れていることを心より深くお詫び申し上げます。

お陰様でこの6月より、撮影を再スタートしていく運びとなりました。
残念ながらこの夏の完成には間に合いませんが、今年中の完成を目指して引き続き全力を尽くします🌱

<今後の撮影予定>
◉6/10, 11 石川県・金沢

被爆アオギリ2世の撮影をさせていただく予定です。

◉7/16, 17, 8 東京・町田の野津田の里山「浮輪寮」
被爆アオギリ2世が植樹された浮輪寮での「2022 アオギリ祭り」の撮影。

◉8/5, 6 大阪・十三「シアターセブン」
2017年8月6日に映画館のビルの屋上に植樹された被爆アオギリ2世の追加撮影に伺います。コロナ禍、屋上のビアガーデンは残念ながら潰れてしまったそうですが、アオギリは元気に成長し続けているようです。

◉8/19~23大分県・国見と別府へ
国見では、第3回アオギリ映画祭りが開催されます。国見小学校に植樹された被爆アオギリ2世のその後を取材&撮影。別府では(今検討中ですが)広島からの被爆アオギリ2世が植樹されるシーンの撮影を予定しています。

その他、まだ日程が未定ですが、広島にもう一度撮影に行く予定でおります。

撮影の再開と共に、これまで撮影したデーターをもとに編集作業も日々進めております。

引き続き、ご支援のほど何卒よろしくお願い申し上げます。
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2022年05月01日

「少年からのメッセージ」ヒバクシャの祈りが世界に届きますように



米ソ冷戦時代だった1986年のアラスカで、

北極圏の入り口の フェアバンクスにある

青少年更生施設の少年たちと一緒に折り鶴をおり、

原爆映画を視聴した後、

ある少年が、自分の思いをヒバクシャに伝えたいと、

日本語で書いてくれたメッセージです。


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1週間後、その少年から1通の手紙が届きました。

ヒバクシャと日本の皆さんに

自分の心を伝えたいと

図書館で俳句の勉強をして

自分でつくった英文俳句をプレゼントしてくれました。



The beauty you hold
Like the rising of the sun
Has entered my heart


昇る太陽のような
あなたの美しさが
僕の心に広がっていく




2008年8月6日にミューズの里を設立し

その日の夜から、歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝えるライブをスタートしました。

ライブの中で歌い奏でている「いのちの音色」の中に、この詞が入っています。


「自分と同じ苦しみを世界中の誰にもさせたくない」そのために本当は忘れてしまいたい辛く苦しい体験を語り継いでくださったヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々の心が、国を超えてたくさんの人々に感動を与え、希望と平和の種が蒔かれています。


Never again Hiroshima!
Never again Nagasaki!
Never again war!


どうかヒバクシャの祈りが

世界に届きますように。

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2022年04月28日

ポトマックの桜のように


春が来るたび
桜の開花を楽しみに、
新緑の息吹を体中で感じながら
「あぁ〜春が来たね」
と、みんなの笑顔に包まれる。

そんな春をあと何回
迎えることができるのだろう
春が来るたびに
ふと、そう思う歳になりました。

それは寂しいことでも悲しいことでもなく、
より一層、今この瞬間が愛おしく感じられます。
日々を本当の意味で大切に過ごすことのできる
そんな年齢になったのかもしれません。


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2010年、米国ワシントンの(財)カーネギー地球物理学研究所のガーデンで、広島の被爆アオギリ2世植樹&ライブをさせていただいきました。

その時、同行取材してくださった(当時は夜間の大学院に通う学生でもあった)石塚淳子さんが映画祭に出す作品として撮影してくださったことがきっかけとなり、弊社ミューズの里もより本格的な映画制作を目指し始めました。


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▲(財)カーネギー地球物理学研究所に植樹した時の石塚淳子さんの記事


あれから12年‥‥ワシントンのアオギリも大きく成長し花を咲かせていることと思います。


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▲(財)カーネギー地球物理学研究所での被爆アオギリ2世植樹と我々のライブを企画してくださった山中高光先生が、以前送ってくださったポトマック河畔の桜のお写真。大好きな一枚です♬


先日、石塚淳子さんがミューズの里にご来社くださり、12年前を懐かしく思い浮かべながら語り合いました。


植樹した被爆アオギリ2世の種が全米に広がり、ポトマックの桜のように、平和の花を人々の心に咲かせてくれるようにと夢見ながら、3作目となるドキュメンタリー映画『いのちの音色』を製作中です。


植樹したワシントンの被爆アオギリに、いつかまた会いにいきたいと思います。

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2022年01月28日

ただ今編集中!


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いつの間にか
梅の蕾がいっぱい

季節の移り変わりを感じとって
花を咲かせる準備をしてる。

その姿に
今を生きる力をもらい
深呼吸


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入社当時0.7キロだった
命くんは、今では6キロ。

コロナ禍でパソコンの前に
座りっぱなしの毎日が続くと
今日がどんな天気なのかもわからないまま
あっという間に過ぎていく。

増えていく体重に命くんの重みが加わり、
ちょっとそこまで散歩に出ることさえ気合が必要になる。


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ただいま映画の編集中。

新たに編集スタッフとして
升田さんにも加わっていただき
この10年間に撮影した映像を
戦友のしげ兄と共にもう一度見直しながら
あまりに膨大なデーターの量に圧倒される毎日。

ものすごいスピードで
ものすごい勢いで、
ただひたすら一生懸命だった。

もうこれ以上もう出来ない!というところまで精一杯やり切った
そんな日々を改めて振り返る。

コロナ禍で
地道に積み重ねてきた活動が
いったん全てストップした。

コロナ禍の今、出来ることは何か?
コロナ収束後、どう生きるべきか?

漠然とした不安を抱える余裕さえないことが助けとなり、
覚悟を持って今を生きる力となっている。

生きている奇跡に
感謝しながら✨

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2022年01月15日

第3作目「いのちの音色」2022年夏の完成を目指して



コロナ禍の続く中ではありますが、いかがお過ごしでしょうか?

皆様のご健康が守られますよう、心よりお祈りしています。



年始年末より、これまで撮影した10年以上にわたる映像や資料をもとに

「いのちの音色」の再編集に入っております。

すでに、いったんある程度までまとめていただいていますが、

コロナ禍でスケジュールが延期される中、

今一度全てのデーターを我々自身の目でも確認していこうと思い

一つ一つに目を通しているところです。



これまでお世話になった皆様との懐かしい映像を見ながら

たくさんの思い出がよみがえり、胸が熱くなります。

改めて一つ一つの映像を確認していると

いろいろなアイディアや構想が浮かびます。

新たな大変な作業が続いてはいますが、大切な時間を得ることができたと思っております。

まだまだ先が見えない程のデーター量ですが、

春頃までに確認を終えて、最終的な編集作業に入っていけるよう

全力を尽くし、夏までの完成を目指したいと思っております。



昨年は、共に映画づくりをしているしげ兄(伊藤)さんの癌が再発し、

皆様に大変ご心配をおかけしました。

抗がん剤治療で体が衰弱し、一時はどうなることかと心配されましたが

主治医の先生と応援してくださる皆様に大変お世話になり、

お陰様でPET検査からも画像から癌が消えるまでとなりました。

しかし、目に見えない小さな癌が残っている可能性もあり、

この年始年末から更なる治療がスタートし、今ようやくお正月を迎えております。



癌と共に生きながらも、「いのちの音色」の映画づくりを通して

充実した日々を過ごしていけるようスタッフ一同見守りながら

共に完成を目指していきたいと思っております。

本年も何卒よろしくお願い申し上げます。



2022年が皆様にとって良き年となりますよう

心より祈っています。

本年も何卒よろしくお願い申し上げます。


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2021年12月03日

しげ兄、退院おめでとう!


我らがしげ兄が退院してきました🐾


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たからちゃんといのち君も大喜びですね♬


Youtubeチャンネル「ミューズの里」
しげ兄、退院おめでとう!
▶︎ https://youtu.be/dlhfUBF0KwU


ご支援・ご協力くださった皆様に
スタッフ一同心より感謝申し上げます。


感謝と共に1日1日を大切に
いのちの音色を奏でていきます。


日に日に寒くなってきました。
皆様もくれぐれもお体を大切になさってください💓

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2021年11月25日

皆様への感謝と今後のスケジュール

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ドキュメンタリー映画『いのちの音色』を応援してくださっている皆様に、
改めて心より深く感謝申し上げます。

昨年からのコロナ禍で、制作スケジュールが何度も変更される中、
共に映画を制作してきたプロデューサーで音楽監督の伊藤茂利の癌が再発し、
皆様に大変ご心配をおかけ致しました。

6月にステージ4が告げられ、
抗がん剤治療と向き合う日々の中、
今回の副作用はこれまで以上の苦しみをともない
この間、先の見えない闘病生活が続いておりました。

一時期は、病院に通うこともできなくなるほど衰弱し、
途中で抗がん剤をストップしていただき、
しばらくの間、栄養サポートしながら
体力と筋力の回復に努めてまいりました。

先週、PET検査を受け、
昨日、今後の映画制作について考える上でも、
これからの治療についてご相談に病院に同行いたしました。

そしてその結果、
本当にありがたいことに、
奇跡のようにPET検査の画像から癌が消えていました。


検査結果に写らない小さな癌がまだあるかもしれないので、
引き続き治療を続けていく必要があるようですが、
PET検査でわかる範囲では、今のところ癌が見つからない状態になりました。

主治医の先生、病院関係者の皆様に心より感謝申し上げます。

この間、治療に専念できるようにとご支援くださった皆様
1日も早く回復するようにと支援物資を届けてくださった皆様
体力を失わないために栄養の大切さを教えてくださりサポートしてくださった皆様
オフィスの前に、新鮮な野菜や食べ物を届けてくださったご近所の方々
万が一に備えていつも対応できる準備をしてくれたスタッフの皆さん
そして、ずっと祈り続け、ずっと応援し続けてくださっている皆様に
改めて心より深く感謝申し上げます。

お陰様で体力も甦り、
歩くことも、喋ることも、笑うこともできるようになり、
メンタルも回復し、よく食べれるようになってまいりました。

これからも治療をしながらの日々。
今後も様々なことがあるかもしれませんが、
生かされている この命に感謝しながら
本日より、ドキュメンタリー映画『いのちの音色』完成に向けて再スタートしてまいります。


コロナ第6波も心配される中、
予定通りに進まないことが今後もあるかもしれませんが、
あせらず、あわてず、あきらめず、
精一杯取り組んでまいります。

今後のスケジュールと致しましては、
12月より編集を再スタートし、
伊藤さんの体に無理のないよう見守りながら、
来春までに映画音楽の制作を行い、
来夏の公開を目指して、スタッフ一同全力を尽くして参ります。

完成に向けて、今後の制作日誌を
この活動報告でアップさせていただきます。
今後とも皆様のご支援・ご協力を心よりお願い申し上げます。

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2021年07月16日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』スケジュール変更のお知らせ


ドキュメンタリー映画『いのちの音色』をご支援くださっている皆さまに心より感謝申し上げます。


この夏の劇場公開を目指してきた『いのちの音色』のスケジュール変更のお知らせさせていただきます。


コロナ禍の度重なる緊急事態宣言の中、共に監督・プロデューサー・音楽を務めている伊藤茂利さんのがんが再発・転移し、さまざまな検査を経て、以前より厳しい抗がん剤治療が今月より始まりました。


この作品は、どうしても伊藤茂利さんにギター演奏と音楽監督をしてもらいたいという強い思いでこれまで制作してまいりました。何よりも命を第一に考えながら、抗がん剤治療の状況を見守りながら、制作を進めてまいりたいと思っております。


がんと共に生きながらも、いのちの音色を奏で続けている伊藤茂利さんを、スタッフ一同全力でサポートしてまいります。


今のところ来年の公開になるのではないかと思われますが、今しばらく状況を見守らせていただき、新たなスケジュールが決まり次第、皆様にご連絡をさせていただきたく思っております。


命の尊さと平和を愛する心の大切さを伝え、皆様の心に希望と平和の種を蒔いていける作品となるよう、さまざまな試練を乗り越え、映画の完成に向けて共に全力を尽くしてまいります。


ご支援・ご協力くださっている皆様に心より深く感謝申し上げます。

皆さまのご健康とご多幸を心よりお祈りしています。




P.S. 8月6日のヒロシマデーには、映画にご出演されている方も参加されるZoomオンラインによる「アオギリ祭」を企画しております。

先着100名様まで無料ご招待となります。ご希望される方は、下記URLにてお申し込みくださいませ。


●アオギリ祭 2021
https://aogirifestival-1.peatix.com/


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2021年03月10日

制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』 スケジュール変更のお知らせ

現在制作中のドキュメンタリー映画「いのちの音色」をご支援してくださっている皆様に改めて心より感謝申し上げます。

本来であればこの夏の劇場公開に向けて、この春の完成を目指していたドキュメンタリー映画「いのちの音色」ですが、コロナ禍の相次ぐスケジュール変更の中、制作が遅れており大変申し訳ございません。

この度のクラウドファンディングで達成できなかった制作費をまかなうため、昨年秋よりさらなる営業活動と共に他の仕事を入れながら制作費づくりのために全力を尽くしてまいりましたが、コロナ禍でなかなか先が見えず、新たな体制を組み直し、完成に向けて工程を組み直しております。

すでに撮影はほぼ終えておりますが、編集が最終的に完成してから音楽制作に入るため、サントラ版CDはじめ皆様へのリターンにつきましては、映画制作が完成してからの発送となるため、大変申し訳ございません。

何としてもこの作品をつくり上げるため、より一層の努力を重ねながら、2021年の完成を目指してがんばってまいります。

また、昨年は映画制作に集中していたため、新しい形への導入が遅れてしまいましたが、今年からオンライン化にも力を入れ、コロナ収束後の世界に向けての新しい上映会やその他の活動のあり方を模索しながら、新たな発想でこれからに向かって取り組んでおります。

今年年1月より、Zoomオンライン上映会を毎月開催し、これまでに制作した2本の映画作品を皆様にご鑑賞いただく機会をつくりながら、世界に向けても発信していけるようチャレンジしております。

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』が完成するまでの期間、この映画制作にご寄付いただいた皆様を無料ご招待させていただきたく、ご希望の方はお名前と配信URLの送付先メールアドレスと共に『「いのちの音色」支援者・ご招待URLの送付希望』と必ず明記して、下記ミューズの里「MUSE CINEMA」まで直接メールいただきますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。

ミューズの里「MUSE CINEMA」
E-mail: musecinema@musevoice.com

下記は3月の日程となりますが、毎月Zoomオンライン上映会を行っております。このブログやミューズの里のSNS等でもお知らせさせていただきますので、ご都合の良い時に是非ご参加ください。上映会の詳細につきましては、下記Peatixのサイトよりご確認ください。

3月のZoomオンライン上映情報
◉3月14日(日)映画『アオギリにたくして』Zoomオンライン上映会 https://musecinema4.peatix.com/
◉3月21日(日)ドキュメンタリー映画『かけはし』Zoomオンライン上映会 https://musecinema-5.peatix.com/


今後も制作の状況をご報告させていただきながら、完成に向けてスタッフ一同全力を尽くします。スケジュールが変更となり、心よりお詫び申し上げます。引き続き、皆様のご支援・ご協力を何卒宜しくお願い申し上げます。

posted by ぷらっとハッピー日記 at 00:54| 東京 ☀| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月12日

南木曽で被爆アオギリ3世を育てる小椋シガ子さん

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11月9日、現在製作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』撮影のため、撮影技師の倉本和人さん、監督・プロデューサーを共に務めるギタリストの伊藤茂利さん、たからプロデューサーと共に長野県南木曽へ。

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南木曽では、広島への修学旅行で南木曽中学の学生たちが持ち帰って校庭に植樹した被爆アオギリ2世が大きく育っています。


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昨年秋に、その2世の種を採種し、今春に種を蒔き、3世の被爆アオギリを育てている小椋シガ子さんを訪ねました。


小椋シガ子さんの深く強くしなやかでゆるぎない思いによって、被爆アオギリに託された思いが広がっています。

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映画『アオギリにたくして』上映でも大変お世話になり、アオギリを見守ってくださっている清水和尚様と皆さまに再会し、パワーと元気をたくさんいただいて東京に戻って参りました。


南木曽の皆さまに心より深く感謝申し上げます!


まだ追加取材が残っておりますが、この度の撮影を終えて、スタッフの皆さまと共に、この秋冬はドキュメンタリー映画『いのちの音色』編集作業に没頭していきます。


これまでの10年間に撮影してきた素材を中心に、30年以上に渡るヒロシマ・ナガサキの被爆者のメッセージを伝える活動の中で、心から大切に思うことを伝えていける作品となるよう全力を尽くします。


今後ともご支援・ご協力の程、何卒よろしくお願い申し上げます。
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2020年09月09日

被爆者運動を支えてこられた岩佐幹三先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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昨日(9月7日)、日本原水爆被害者団体協議会顧問で金沢大名誉教授の岩佐幹三先生がご逝去されました(享年91歳)。

心より深くご冥福をお祈り申し上げます。


岩佐幹三先生に初めて出会ったのは、30年以上前のことです。草の根ボランティア「ネバー・アゲイン・キャンペーン」の第1期生として約1年間ホームステイしながらアメリカの学校などでヒロシマ・ナガサキを伝え、帰国したばかりのまだ20代の頃でした。

1988年1月、石川県の平和サークル「むぎわらぼうし」様の例会に招いていただき、その時に当時石川県原水爆被災者友の会会長をされていた岩佐幹三先生と西村多美子事務局長(現会長)と一緒に「いのちの授業」で知られる金森俊朗先生の金森学級6年生のクラスを訪問しお話させていただきました。

アメリカの学校でヒロシマ・ナガサキを伝えていた頃のドキュメンタリー番組をテレビで見てくれたこどもたちが、黒板に大きく「ごくろうさん。ようこそ」と書いて、みんなの教室に迎えてくれました。


ちょうど一週間ほど前、部屋の片付けをしていた時に、その時の写真と学級新聞が出てきて懐かしく当時を思い返していたところでした…。



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金森学級では、私がクラスを訪れる前に、社会科学習として岩佐幹三先生を2日間教室に招き、約4時限かけて被爆体験を聞き取り、被爆者を軸にした戦後史像を明らかにしようと試みた授業が行われていました。さらに、紙芝居として表現し、市民のみんなにも知ってもらおうとする取り組みをこどもたちがしていました。


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自分のこども時代を振り返っても教室にオープンな雰囲気をあまり感じてこなかっただけに、金森学級のこどもたちの自由で活発で生命力に溢れるイキイキとした姿に「学校って希望と可能性に満ちた素晴らしい場所だったんだ!」と再発見し、ワクワクしたことをよく覚えています。



岩佐幹三先生は、晩年は千葉県で過ごされていました。

2015年、石川県原水爆被災者友の会で現在の会長をされている被爆者の西本多美子さんが呼びかけてくださり、歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える「いのちの音色」ライブと共に初プロデュース映画『アオギリにたくして』が石川県で初上映された時、岩佐先生が今は亡き元被団協の伊藤直子さんと一緒に石川県まで来てくださいました。その時はまだ金森先生もお元気で、教え子の若者たちを連れて会場に駆けつけてくださいました。

金沢の大乗寺丘陵公園には、広島の被爆アオギリ2世が植樹され、その後スクスクと大きく育っていく被爆アオギリ2世を金森先生が撮影して送ってくださいました。


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▲生前、金森先生が送ってくださった被爆アオギリ2世。



そして今年3月、金森先生が亡くなり…
その悲しみもまだ癒えぬうちに、岩佐先生が亡くなられました…。


被爆者運動をリードし支えてこられた皆様の姿に、たくさんのことを学ばせていただき、本当の強さと優しさとは何かを教えていただきました。


現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』を見ていただくという夢は叶いませんでしたが、溢れる涙を力に変えて…世界の平和を祈りながら、核なき世界への希望の種を蒔き続けていけるよう、のこされた人生を精一杯生きていきます。


本当にありがとうございました。



NHK「ヒバクシャからの手紙」岩佐幹三さん
原爆の記憶 ヒロシマ・ナガサキ

▶︎https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/no-more-hibakusha/archives/detail/?das_id=D0019020086_00000&fbclid=IwAR3GilbsM6W2iwgKF1eMcmFArR9yHJP5KwD7lbX_fiAU_pt4sTOqnyJGD4g


被爆の一ページ 継承 紙芝居 石川県内有志が復活
https://www.chunichi.co.jp/article/112770
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2020年08月25日

映画『いのち音色』公式HP:クラウドファンディングのご報告



クラウドファンディング「A-port」が、ドキュメンタリー映画『いのちの音色』公式HPに掲載されました。


◉ドキュメンタリー映画
『いのちの音色』公式HP
▶︎
https://musevoice.com/inochi/goods-2/


皆様にご支援・ご協力いただき、本当にありがとうございました。

我々のような小さな存在にまで心を寄せてくださった皆様に、改めて心より深く感謝申し上げます。

まだまだ、完成と公開にむけての試練が続きますが、全力を尽くします!

今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。
posted by ぷらっとハッピー日記 at 13:07| 東京 ☀| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月21日

映画『いのちの音色』:クラウドファンディング「A-port」にご支援・ご協力くださった皆様に心より感謝申し上げます。


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この度は、皆様に応援いただき本当にありがとうございました。

朝日新聞A-portクラウドファンディングが、昨日8/20(木)23:59、終了致しました。ご支援・ご協力くださった皆様に改めて心より深く感謝申し上げます。


朝日新聞クラウドファンディング「A-port」
ヒロシマ・ナガサキを語り継ぐ映画『いのちの音色』支援プロジェクト

▶︎ https://a-port.asahi.com/projects/inochi/


目標資金への達成率は40%となりましたが、2,012,563円のご支援と心にしみるメッセージを皆様からいただきました。クラウドファンィング「A-port」様への20%手数料+税が差し引かれた1,569,800 円が支援資金としてミューズの里に9月にお振込される予定です。ご支援くださった皆様への深い感謝と共に、今後の映画の完成に向けて身の引き締まる思いです。


初のクラウドファンディングで不慣れな中、ご担当者の高野様に大変お世話になりました。また、寄せられた応援メッセージや、自分ごとのように心配してくださりお声がけしてくださる皆様のあたたかな心にふれ、たくさんの励ましをいただきました。


ずいぶん前からすすめられていたネットでのクラウドファンディングですが、苦手意識が強くずっとやらずにいました。初プロデュース映画『アオギリにたくして』も第2作目の『かけはし』も、営業活動と銀行融資に奔走しながら、クラウドファンディングでも呼びかけて制作していますが、どちらも手弁当な自社からの発信でした。特に第1作目の『アオギリにたくして』は、夜行バスで東京と広島を何度も何度も往復しながら、ご支援者様の家にホームステイさせていただきながらの営業と制作で、今振り返ってもよく生きていた…と思うほどです。


そして今回、コロナ禍で、営業に行くこともできない中、初めてネットでのクラウドファンディングに初挑戦させていただきました。


最初はサイトの使い方も全くわからず、「やっぱり向いていない…」と挫折しそうになり落ち込みながらでしたが、応援してくださる皆様に勇気と力をいただき、徐々に苦手意識が払拭されていきました。


2月末より、先行きの見えない中で、映画を制作するうえでも、まずは会社本体を守るために新しい形への模索とチャレンジをしながらの毎日でした。そして、ようやく少しひと息つけそうになった頃、季節はすでに夏となり、気がついたらクラウドファンディングの締め切りまじかとなっていました。


こんなにも皆様から応援していただいている中で、目標に達成することが出来なかったことにつきましては、ひとえに私自身の力不足であり、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。


そして今、応援くださった皆様への感謝を込めて、何としても、ドキュメンタリー映画『いのちの音色』を完成させていくために、全力を尽すことを心に誓っています。


今現在、すでに膨大なデーターの中から、いったん3時間ほどにまとめられている映像を元に、構成を練っているところです。これまでの作品もそうですが、ある程度まとまってきた段階で、新たに見えてくるものがあります。新たな発想も取り入れ、妥協せずに何処まで取り組めるか…もうひと山を超えていく上で、ここからが新たに大変な時を迎えます。追加撮影も残る中、完成に向けて全力を尽くします!


この度の「A-portクラウドファンディング」のリターンによる公式HPへのお名前掲載を下記URLアップさせていただきまいした。今後もA-portサイトより活動報告させていただきながら、制作の状況をご報告させていただき、エンドロール掲載やその他のリターン特典につきましても、その都度、お知らせを入れさせていただきます。



ドキュメンタリー映画『いのちの音色』公式HP
ご芳名記載 ➡️ https://musevoice.com/inochi/support/



ご支援・ご協力くださった皆様に感謝の思いでいっぱいです。
本当にありがとうございました。


完成に向けて、今日から新たにまた一歩一歩がんばります!


※    ※    ※


映画の完成と公開に向けて、今後のご支援・ご協賛等のお申込みは、弊社ミューズの里が郵便局で開設している「いのちの音色」の郵便振替口座へのお振込みとなります。ご支援してくださった方々へのリターン(特典)につきましては、上記のクラウドファンディング「A-port」と同様です。皆様のご支援・ご協力を引き続き何卒よろしくお願い申し上げます。


ドキュメンタリー映画『いのちの音色』支援先
◎郵便振替口座
口 座 名:いのちの音色
口座番号:00150-7-731656


ドキュメンタリー映画『いのちの音色』公式HPに、先日のクラウドファンディング「A-port」のご報告と、今後のご支援についての詳細がアップされました ◉公式HP ▶︎ https://musevoice.com/inochi/goods-2/


お問合せ:ミューズの里
TEL: 070-5568-8204/TEL: 070-6511-7275
E-mail: info@musevoice.com
E-mail: crosscultureplaza@yahoo.co.jp

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』公式HP▶︎ https://musevoice.com/inochi/
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2020年08月20日

本日8/20(木)朝日新聞A-portクラウドファンディングの最終日締め切りです(23:59まで) ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作経緯〜希望と平和の種を世界へ〜


いよいよ本日8/20(木)、朝日新聞A-portクラウドファンディング最終締切日となりました。夜23:59まで、下記A-portサイトより制作支援のご寄付が可能です。この機会に、映画のことを知っていただけるだけでも大変嬉しく思っております。是非、周りの皆様への情報拡散やお呼びかけを何卒よろしくお願い申し上げます。

ご支援先:朝日新聞 A-portクラウドファンディング
ヒロシマ・ナガサキを語り継ぐ映画『いのちの音色』支援プロジェクト

➡️ https://a-port.asahi.com/projects/inochi/



ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作経緯

希望と平和の種を世界へ

「アオギリの語り部」沼田鈴子さん

1945年8月6日、原爆が広島に投下された時、アオギリは爆心地から1.3kmにあった元広島逓信局の中庭で被爆しました。熱線と爆風を受けた爆心地側の幹半分は、焼けてえぐられていましたが、樹皮が傷口を包むように成長し、翌年の春に新芽を吹きました。75年は草木も生えないと言われた広島で、たくさんの被爆者に生きる希望と勇気を与えました。

1973年に広島平和記念公園に移植された被爆アオギリは、今も元気に広島を訪れる人々を迎え「平和の大切さ」と「いのちの尊さ」を伝えています。このアオギリの木の下で修学旅行生たちに被爆体験を語り続けた沼田鈴子さんは、「アオギリの語り部」として知られ、もの言えぬアオギリの木に代わって、自らの体験と共にあの日を伝え続けました。



「伝えなければ」から「伝えたい」へ

私が沼田鈴子さんと初めて会ったのは、34年前の22歳の時でした。沼田さんが写っている原爆映画『にんげんをかえせ』(アメリカン・フィルムフェスティバル1984年度ブルーリボン賞受賞作品)をアメリカの学校や教会で上映する草の根ボランティア活動「ネバー・アゲイン・キャンペーン」に参加したことがきっかけでした。


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1986年、単身渡米しアラスカ・オレゴン・ネバダ・オハイオ・ニューヨーク等で1年間に280回のプレゼンテーションを行いました。渡米前の研修で、持参する原爆映画『にんげんをかえせ』に写っている被爆者の方々から体験を聞かせていただきました。その中のお一人が沼田さんでした。

それまで私にとってヒロシマ・ナガサキは、教科書の中の過去の出来事でした。しかし、たくさんの被爆者の方々から直接お話を聞かせていただく中で、今を生きる私たちが考えていかなければならない大切な問題であることに気づかされました。また同時に、「戦争や原爆の体験のない者に伝えられるのか?」という不安な気持ちでいっぱいになりました。渡米前の約1カ月間、私は広島のワールド・フレンドシップ・センターの館長ご夫妻のご自宅にホームステイさせていただき、ひと夏を広島で過ごしました。



「世界中にたくさんの友だちをつくってきてね」
「ヒロシマ・ナガサキを繰り返さないで!」
「憎しみではなく、愛の連鎖を生み出せる人になってください」
「授かった命を大切に生きてください!」



二度と思い出したくない、本当は忘れてしまいたい体験を語ってくださり「世界中の誰にも自分と同じ苦しみを受けさせたくない」と願う被爆者のメッセージは、今も心に深く刻まれています。

沼田さんをはじめ多くの被爆者との出会いの中で、「伝えなければ」という気負いは、「伝えたい」という思いへと変わっていきました。



被爆者のメッセージを世界へ

アメリカでは、「ヒロシマ・ナガサキ」と言えば「パールハーバー」が返ってくるよとよく言われます。アジアの人々からは、加害者としての日本の責任を問われることもありました。しかし、ヒロシマ・ナガサキの原爆映画『にんげんをかえせ』を上映し、被爆者からのメッセージを伝えた後、子供たちの反応は変わっていきました。


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「今、被爆者はどんな気持ちで生きてるの?」
「被爆者は、僕たちのこと嫌い?」
「私たちができることは何だろう?」
「この映画を世界中のリーダーに見せてください!」
「ヒロシマ・ナガサキを二度と繰り返しちゃいけない!」
「大きくなったら大統領になって、核兵器を必ず禁止する!」

今も、被爆者のメッセージを伝えたあの時の生徒たちの瞳を忘れることができません。


帰国後、異文化コミュニケーション誌の編集長をしていた私は、戦後50年となる1995年、日本に滞在する世界の人々に誌面で呼びかけ、自国の家族の戦争体験と共にヒロシマ・ナガサキの被爆体験を語り継ぐ多国籍出演者による日本語朗読劇『トンボが消えた日』を企画・プロデュースしました。

34年前にアメリカで伝え歩いた被爆者の体験を元に台本が構成されました。第一回目の公演では、アメリカ・ドイツ・スペイン・中国・韓国・フィリピン・バングラデシュ・日本の8カ国の出演者が選ばれました。

出演者が自国の教科書を持ち寄り、それぞれ自分の国でどの様にヒロシマ・ナガサキが伝えられているかを語り合いました。また、国際電話で家族の戦争体験の聞き取りをしてもらいました。日本に原爆が投下された時、自分の両親や祖父母がどの様な状況にあり、何を感じたかについて聞いてもらい台本に加えました。

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私自身がそうであったように、8カ国の出演者が被爆者に直接会って話を聞く機会を作りたいと思い、みんなを連れて広島を訪れ、沼田鈴子さんに会いに行きました。



歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える

その後、仕事が忙しくなり、しばらくヒロシマ・ナガサキを伝える活動から離れていましたが、年を追うごとに、お世話になった被爆者の方々が亡くなっていく中で、何かせずにはいられない気持ちでした。この頃から、忘れられない被爆者の言葉をノートに書き留めながら、湧き上がる思いをメロディーにのせて、歌を作り始めました。

2008年8月6日、44歳の時、人生後半を生きるにあたり、原点を忘れずに生きていこうと心に誓い、音楽・映画・舞台・出版などを通して国際平和に貢献する作品づくりを目指して「ミューズの里」という会社を設立しました。


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会社の登記を済ませた日の夜、歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える初のライブを開催しました。来場した80歳を超える戦争体験者の方が「このライブを一人でも多くの方に聴かせたい」と横浜の小学校内で企画してくださり、その後「いのちの音色」と名付けられたライブ活動は、日本全国に広がっていきました。



米国ワシントンに渡った被爆アオギリ2世

2009年、広島のライブで沼田鈴子さんと久々に再会しました。それまでずっと沼田さんとの待ち合わせは、広島平和記念公園の被爆アオギリの木の下でしたが、高齢の沼田さんは、介護付きの老人ホームに入居していました。部屋に入ると、ベッドに横たわっていた沼田さんが満面の笑みで迎えてくれました。核なき世界の実現のために「100歳まで生きます!」と元気いっぱいでした。

以前のように頻繁に被爆体験を話しに行かれなくなった沼田さんに代わって、ライブ活動の中で被爆アオギリ2世・3世の植樹を呼びかけながら、沼田さんの被爆体験を伝えていくことになりました。

東京に戻ると、双葉を出したばかりの被爆アオギリ3世の小さな苗が沼田さんから届きました。そのかわいい苗を見て、思わず口ずさんだメロディーが沼田さんに捧げる歌「アオギリにたくして」となり、2009年にCDリリースしました。


沼田さん.jpg


2010年7月、広島フェニックスホールでの平和イベントの中で行われる沼田さんの87歳の誕生日のお祝いに招待され、共にライブ活動をしているギタリストの伊藤茂利さんと広島を訪れました。


大きなホールでの演奏の前に、沼田さんだけのために捧げたいという伊藤さんの思いから、誕生日の前日に沼田さんの部屋のベッドの横で『アオギリにたくして』を演奏しに行きました。伊藤さんの手を握りしめ、「頼んだよ。お願いね」と言って涙する沼田さんの姿に、私たちもこらえきれず涙が溢れました。


伊藤茂利・沼田鈴子.jpg


被爆アオギリ2世・3世の植樹を呼びかけながら、日本各地でのライブ活動を続ける中で、私たちは被爆アオギリに託された思いが広がる様子をカメラで撮影し始めました。



(財)カーネギー地球物理学研究所の門の前 P.jpg



その年(2010年)の秋、米国ワシントンの(財)カーネギー地球物理学研究所で、被爆アオギリ2世の植樹と海外初のライブが行われることになりました。広島市長のメッセージと共に、沼田さんが最初の一堀りをし、伊藤さんと私が一掘りずつさせていただき、「微笑みの輪が広がっていきますように」と平和の祈りを込めて作られた仏師・川島康史さんの木彫りの像をお届けしました。



最後の言葉

2011年3月、沼田さんと被爆アオギリのドキュメンタリー映画の撮影のために広島へと向かいました。3.11東日本大震災の直後のことでした。沼田さんは、被災地の方々や福島原発を案じ、とても強い危機感を募らせていました。

同年6月、撮影クルーと共に広島入りすると、介護老人ホームに入居していた沼田さんの部屋の前には、何人もの人が彼女の話を聞くために面会に訪れていました。体調を崩していると聞いていたので、沼田さんの体が心配になり始め、その日の撮影は断念することにしました。

挨拶だけして帰ろうと様子を伺っていると、車椅子の沼田さんが部屋の入り口にある洗面台に手を洗いにやって来ました。水道の蛇口をひねる力がない様子を見て、私は駆け寄って手を差し伸べ、洗った手をタオルで拭いた後、車椅子をベッドの横まで押していきました。

その時、沼田さんは力の入らない握りこぶしを膝の上に立てて、落ち着いた声で言いました。「死ぬのは簡単だけど、生きて伝えないと…」。そして、「元気になったらアオギリの木の下で、子どもたちと一緒に歌おうね」と、部屋を出る私の背中に声をかけてくれた沼田さんの言葉が、私にとっての最後の言葉となりました。

翌月の7月12日、沼田さんは永眠されました。



ドキュメンタリー映画『いのちの音色』に託す思い

沼田さんが亡くなったその日、私はギタリストの伊藤さんと共に、広島女学院大学でのライブのため、広島に来ていました。ライブが終わり、沼田さんに捧げた歌『アオギリにたくして』が収録されているCDアルバム「Trusting Orizuru Cranes」発表の記者会見を行うために車で広島市役所へと向かう途中、沼田さんが被爆した元広島逓信局の前を通りかかりました。

まだ一度も訪れていなかったその場所に降り立ち、しばらくそこで時間を過ごしました。その後、記者会見場に到着すると、知り合いのカメラマンが急ぎ足で私たちの方に向かってきました。その日の朝、沼田さんが亡くなったことを知らされました。ライブが無事終わるまで、関係者が知らせないようにしてくれていたのです。東京に帰る前に、病院から葬儀場に移されてきた沼田さんとしばらくの間一緒に過ごし、最後の挨拶をしました。

「1000回ライブまで元気にがんばって。あなたに頼んだよ」と沼田さんに託されたギタリストの伊藤さんと共に、私たちはその後、沼田さんの前半生をモデルに描いた劇映画『アオギリにたくして』を製作し、2013年夏に劇場公開されました。第1回JASRAC(日本音楽著作権協会)音楽文化賞を受賞し、2016年にはアメリカでも上映され、今も日本全国・海外でロングラン上映を続けています。

◉映画『アオギリにたくして』公式サイト▶︎https://aogiri-movie.net


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私たちは今も、沼田さんが応援してくださった、歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝えるライブ活動を続けています。そして、日本全国に広がる被爆アオギリ2世・3世の植樹と共に、各地で出会う平和の種を蒔く人々の姿に感動し、沼田さんの姿を重ね合わせながらカメラを回し始めたことから、新たな映画が生まれようとしています。


映画「いのちの音色」より .jpg


ミューズの里の第3作目となるドキュメンタリー映画『いのちの音色』は、被爆体験を語り続け「アオギリの語り部」と呼ばれた沼田鈴子さんが亡くなる4カ月前の映像メッセージに込められた思いと共に、1986年からの映像により構成されています。日本全国・世界に広がる被爆アオギリ2世・3世の植樹を追いながら、アオギリに託された思いを伝えていきます。希望と平和の種を蒔く人々の姿を通して、過去と未来をつなぐ 今を生きる私たちに出来ることを模索しながら、次世代に語り継ぐヒロシマ・ナガサキを描いていきます。


◆制作・配給・著作:ミューズの里
◆撮影形態:ビデオデータ撮影
◆公開形態:DLP Blue Ray公開
◆上映時間:約90分(予定)
◆公開予定:2021年春(予定)
日本全国各地・世界での上映を目指します。
※新型コロナウィルス感染症の影響でスケジュールが変更される場合がございます。その都度、状況を公式HP等より告知させていただきます。


朝日新聞クラウドファンディング「A-port」(2020年8月20日 23:59まで)
ヒロシマ・ナガサキを語り継ぐ映画『いのちの音色』支援プロジェクト

▶︎ https://a-port.asahi.com/projects/inochi/

本日8/20(木)23:59が、朝日新聞A-portクラウドファンディングの締め切りとなります!皆様のご支援・ご協力を何卒宜しくお願い申し上げます。


アオギリ苗(最小) .jpg

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』
公式HP▶︎ https://musevoice.com/inochi/

上記クラウドファンディング「A-port」終了後、8/20以降のご支援のお申し込み先は下記となります。

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作支援
〜お振込先の郵便振替口座〜
口 座 名:いのちの音色
口座番号:00150-7-731656


◎上記の郵便振替口座を、他行等からの振込の受取口座として利用される場合は、下記内容をご指定ください。
店名(店番):〇一九(ゼロイチキユウ)店(019)
預金種目:当座
口座番号:0731656



お問合せ:ミューズの里
TEL: 070-5568-8204/TEL: 070-6511-7275
E-mail: info@musevoice.com
E-mail: crosscultureplaza@yahoo.co.jp
posted by ぷらっとハッピー日記 at 07:24| 東京 ☀| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月17日

『いのちの音色』クラウドファンディングの締め切りまで、あと3日間!

映画「いのちの音色」より .jpg



初のクラウドファンディングの締め切り8/20(木)まで、あと3日となりました。


これまでご支援・ご協力いただいている皆様に、改めて心より深く感謝申しあげます。


まだまだ力不足で、今のところ37%の達成率となっております。SNSやネットでの拡散が大変不慣れではありますが、最後まで、自分たちに出来る努力を続けてまいります。


是非周りの方々への呼びかけにご協力いただけたら大変ありがたく、何卒よろしくお願い申しあげます。


朝日新聞 A-portクラウドファンディング
ヒロシマ・ナガサキを語り継ぐ映画『いのちの音色』支援プロジェクト

➡️ https://a-port.asahi.com/projects/inochi/


8月20日(木)23:59分が、クラウドファンディングの最終締め切りとなりますが、映画の完成と公開に向けて8月20日以降も、活動報告を続けてまいります。


皆様のご支援・ご協力を何卒よろしくお願い申しあげます。


posted by ぷらっとハッピー日記 at 10:57| 東京 ☁| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月15日

「出会い・感動・発見・出発」の日々の中から生まれたドキュメンタリー映画『いのちの音色』

戦後75年を迎える8月15日。戦争の犠牲となったすべての方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。 いまも戦争の傷跡や後遺症で苦しんでおられる方々のお体と心が少しでも癒されますように、心よりお祈りいたします。


戦争は教科書の中の過去の出来事だと思っていた10代の頃。高校生の時、修学旅行で長崎の原爆資料館を訪れましたが、あまりのショックに目を閉ざし、思考停止となったまま、平和や命について深く考えることもなく大人になりました。


そんな私が、「微力であっても自分にできる平和の種まきを続けていこう」と思うようになったのは、34年前の22歳の時、米国のバークシャー・コミュニティー・カレッジ名誉教授で平和学者のレイスロップご夫妻と現在も高校で国語教師をされている北浦葉子さんが呼びかけていた「ネバー・アゲイン・キャンペーン」という草の根のボランティア活動に参加したことがきっかけでした。


(すでに活動を終えていますが)ネバー・アゲイン・キャンペーンは、アメリカの家庭にホームステイしながら、学校や教会などで、日本文化紹介と共に原爆映画『にんげんをかえせ』『ピカドン』を上映し、ヒロシマ・ナガサキの被爆者のメッセージを伝える一年間のボランティア活動でした。


渡米前の一年間、広島や長崎での事前学習が行われました。知れば知るほど「戦争や原爆の体験のない自分に一体何が伝えられるのだろう?」と不安ばかりがつのりました。迷いの中で、渡米前のひと夏を広島で過ごし、たくさんの被爆者からお話を聞く中で、自分の中の「伝えなければ」という気負いは、やがて「伝えたい」という思いへと変化していきました。


1986年10月にアラスカからスタートし、アメリカの30件以上のご家庭にホームステイさせていただきながら、オレゴン・ネバダ・オハイオ・ニューヨークなどの学校や教会等280カ所で被爆者のメッセージ伝え歩いた36年前の経験は、人生の原点となっています。


1986年アラスカの州都ジュノーのホームステイ先にて.jpg



現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』は、その原点となる36年前、広島でひと夏を過ごした時にお世話になった被爆者の沼田鈴子さんが2011年7月に亡くなる4ヶ月前のメッセージと共に、広島の被爆アオギリ2世・3世の植樹が日本全国・世界に広がる様子を描いた作品です。


「被爆体験を伝えることは、平和への一粒の種まきなのです」と語っていた沼田鈴子さん。これまでお世話になった被爆者の方々が年々亡くなられていく中で、何かせずにはいられない気持ちで2008年8月6日からスタートした歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える「いのちの音色」ライブを応援してくださり、このライブ活動の中でも沼田さんの被爆体験の朗読をさせていただいていました。


日本全国の行く先々で出会った平和の種を蒔く人々の姿に感動し、カメラを回し始めたことから生まれたドキュメンタリー映画『いのちの音色』は、その制作過程そのものが、沼田鈴子さんがいつも心に留めておられたという「出会い・感動・発見・出発」を日々体験しながらの毎日でした。


人生の原点となる36年前から今に至るまでを振り返りながら、ドキュメンタリー映画『いのちの音色』完成にむけて、追加撮影と編集作業を進めています。


2021年の公開に向けて、皆様のご支援・ご協力を何卒宜しくお願い申し上げます。

A-portクラウドファンディング
ヒロシマ・ナガサキを語り継ぐ映画『いのちの音色』支援プロジェクト

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2020年08月12日

(財)カーネギー地球物理学研究所での被爆アオギリ2世の植樹から10年!


2008年8月6日に歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える「いのちの音色」初ライブを開催してから12年となります。

今年8月9日のライブで第250回目を迎えました。

日本全国に広がる被爆アオギリ2世・3世の植樹と共に、各地で出会った希望と平和の種を蒔く人々の姿に感動し、カメラを回し始めました。

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』は、アオギリの語り部と呼ばれた被爆者の沼田鈴子さんが亡くなる4ヶ月前のメッセージと共に、被爆アオギリに託された思いを描いていきます。

(財)カーネギー地球物理学研究所の門の前 P.jpg

カーネギー.jpg


2010年秋、ワシントンの(財)カーネギー地球物理学研究所で被爆アオギリ2世の植樹と海外初ライブが開催されました。

あれから10年、被爆アオギリは大きく育っています。

この時の植樹とライブを企画してくださった地球科学者の山中高光先生と先日お電話でお話ししながら、アメリカでの植樹を大変喜んでおられた沼田鈴子さんのお姿が思い起こされました。


カーネギーでの植樹の様子 しげあにさんがんばる!.JPG

(財)カーネギー地球物理学研究所 被爆アオギリ2世を植樹.jpg


山中先生は、「ポトマック川の河畔に広がる桜並木のように、いつか2世の花の実が、平和の種となり、全米に広がっていくことを祈ります」と被爆アオギリ2世の植樹への思いを語っておられました。


コロナ禍の中、アメリカでの撮影は、この度の映画には間に合いませんが、引き続き今後もアオギリに託された皆様の思いを追っていきたいと思います。

山中先生&アオギリ.jpg


広島・長崎への原爆投下から75年となるこの夏、日本全国、そして世界に被爆者の方々のメッセージを伝えていこうと改めて心に誓っています。

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』の完成と公開に向けてスタッフ一同全力を尽くします。

ヒロシマ・ナガサキを語り継ぐ映画『いのちの音色』支援プロジェクト」
➡️ https://a-port.asahi.com/projects/inochi/


皆様のご支援・ご協力を何卒宜しくお願い申し上げます。

posted by ぷらっとハッピー日記 at 17:32| 東京 ☁| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月11日

歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える250回目のライブを終えて。

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8月9日は、建設労連様の主催によるライブに伺わせていただきました。

核なき世界に向けて、皆様の熱意の伝わる会場でライブをさせていただき、心より感謝申し上げます。

換気やアルコール消毒など、新型コロナウィルスの感染防止対策をしっかりされている会場で、最前列のお客様とのソーシャルディスタンスもとれている中ではありましたが、主催者の方にご相談したところ、マスクは念のため全員着用ということになり、生まれて初めてマスクしながらのライブでした。

初めてのことだったので、マスクと息の感覚をつかむまでトークで少し様子を見ながら、被爆体験の朗読や歌による50分間のミニライブを無事終えることができました。

長崎の日を皆様と共に過ごさせていただいたことに心より感謝申し上げます。

当日は、先日伺った長野県高森町でいただいた被爆アオギリ2世の種も持参し、高森町での3世を育てるプロジェクトについてもお話させていただきながら、被爆アオギリ3世を育てたい方に配らせていただきました。



振り返れば、2008年8月6日に「ミューズの里」設立の日の夜、初のヒロシマ・ナガサキを伝えるライブを開催してから12年という月日が流れました。1000回ライブを目指してスタートしたライブも今回で、250回目を迎えます。

このライブ活動を通して、初プロデュース映画『アオギリにたくして』が生まれ、そして今、これまでの12年の映像をもとにドキュメンタリー映画『いのちの音色』を制作中です。これまでの日本全国ライブや上映活動で出会った希望と平和の種を蒔く人々の姿に感動し、カメラを回し始めたことから生まれたドキュメンタリー映画です。

ヒロシマ・ナガサキを語り継ぐ映画『いのちの音色』支援プロジェクト
➡️ https://a-port.asahi.com/projects/inochi/


来週からまた編集作業に集中していきます!!
皆様のご支援・ご協力を何卒宜しくお願い申し上げます。


posted by ぷらっとハッピー日記 at 16:06| 東京 ☀| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする