2019年08月26日
前川喜平さん企画による映画『子どもたちを よろしく』
ライブ&上映会にご来場くださった石塚聡様が発行されているジャーナリストと市民を結ぶ情報誌「マスコミ市民」主催による前川喜平さんの講演会に伺わせていただきました。講演の内容はもちろん素晴らしかったですが、何よりその型破りな存在感!前川さんのような方が文部科学省事務次官として存在していたんだということに、何だかちょっと希望もいただいたような気持ちになりました。
講演の最後に、「子どもたちを よろしく」という映画のお話がありました。
前川喜平さんが企画をされた映画です。
「はっきり言ってとても暗い映画です」と前川さん。「この作品は、中学生のいじめと自殺、その裏にある家庭の問題をリアルに描いている。とても重い映画。しかしこれは現実だ。この現実に一人でも多くの人が気づくことが大事なのだ」と前川喜平さんはコメントを寄せています。
2020年初春、ユーロスペース他、全国順次公開される予定です✨
帰りの電車の中で、いただいたチラシに目を通していると、30数年前のことが蘇りました。
オレゴン大学の女学生たちとネバダ核実験場前で行われたピースキャンプの取材に行った時のことです。核実験による近隣住民の子どもたちの白血病などの因果関係が取り沙汰される中、子どもたちを心配する母親たち約3000人が母の日にネバダの核実験場前に集まり、核実験反対を訴えていました。
砂漠にテントを張り、取材をしていた時、そこに集う人たちの中で、ちょっとした小競り合いが始まりました。徹底した非暴力を貫く人々の中で、少しだけ過激に思える言動をとる女性たちがいました。ある日、気持ちを分かち合い、みんなで話あう事になりました。広大なネバダの砂漠の中で、輪になって座り、それぞれが自分が感じた事を話しはじめました。しばらくすると、問題視されていた女性が一人、また一人、自分の生い立ちを話しはじめました。親や周囲の大人たちからの虐待、レイプ、暴力、貧困の中で、どうやって自分を守り今にいたったかを…。その日の夜、未だに癒される事のない心の傷が、どうしていいか分からない彼女たちの叫び声となって、ネバダの砂漠中に響き渡りました。それまでの人生の中でも、その後の人生の中でも、あの時をおいて聞いた事のない、それは地球が落っこちてしまいそうな叫びでした。私は、自分の体を両手で抱きしめながら一人、月の光だけを頼りに、その夜ずっとネバダの砂漠をさまよい歩いていました。
帰国後、音楽に全く興味もなかった私が、ある時ひどく絶望を感じることがあった時、歌詞とメロディーとなって蘇ってきたのが、この時に見たネバダのお月さまの歌でした。あの時の体験からずいぶん時間を経ていたにもかかわらず、突然歌となってその時の感情が蘇った時、自分が抱えきれない程にあの時に体中で浴びたものが、まだ自分の中でも消化しきれず、そのまま残っていたことに驚きました。
児童虐待、貧困、アルコールやギャンブル依存、対人依存などの大人のありようが、子どもたちを追い詰め、居場所を奪い、心の闇をつくっていく…。私は日本の実情にこれまで目を向けてこなかったけれど…30年前にアメリカで感じたことが、今日本で 起きているのかもしれない…。
劇場公開されたら、必ず見に行きたいと思います✨
2019年07月26日
巡り巡って!
巡り巡って
今ここに在る。
いろんなことを乗り越えながら、
巡り巡って
今ここに在る。
喜びも悲しみも共に流れながら、
巡り巡って
いまここに在る。
すべてに感謝!!
人生はやっぱり素晴らしい!!
今ここに在る。
いろんなことを乗り越えながら、
巡り巡って
今ここに在る。
喜びも悲しみも共に流れながら、
巡り巡って
いまここに在る。
すべてに感謝!!
人生はやっぱり素晴らしい!!
2019年05月31日
カリタス「愛」という名の学園
「カリタス」とは、ギリシャ語「アガペー」のラテン語訳で「人類愛」を意味する。
戦後の荒廃した日本に学校をつくり、人々の心に愛の種を実らせようと、1953年にケベック・カリタス修道女会から3人のシスターがカナダ大陸を鉄道で横断し、ヴァンクーヴァーから半月以上かけて太平洋を渡り、貨物船に揺られながら横浜に到着した。
その中の一人であったシスターリタ・デシャエンヌは、私がカリタス学園で中学・高校・短大の8年間を過ごした頃の初代理事長だった。
カナダのケベック・カリタス修道女会の母体は、普遍的愛の母と呼ばれたマルグリット・デュービルが、民族や国籍、宗教や文化の壁を越えて、貧しく恵まれない人々への救いのために創設した修道会である。マルグリットは、家庭を顧みぬ夫や様々な苦悩、そして生まれる子が3人も亡くなるという悲しみの中で、神と出会ったという。
三人のシスターの来日から7年たった1960年、学校法人カリタス学園が設立された。
体中から希望に満ち溢れた情熱の輝きを放つリタ・デシャエンヌ先生の優しくて柔らかな笑顔は、今も鮮やかに脳裏に焼きついている。
勉強嫌いでやる気のない生徒だった私でも、廊下でリタ先生とすれ違うと、なぜか嬉しくなり、思わず足を止めて自然と笑顔で会釈せずにはいられない。クリスチャンではない私のような存在にとっても、カリタスで過ごした8年間の中で培われた精神は心の中に生き続けている。
最も小さな人々を尊重し、分け隔てなく普遍的な愛をもって人に尽くし、感謝と喜びと希望の中に生きる心を育てるカリタスの精神。
未熟な私には、未だに出来ていないことばかりではあるが、社会的孤立化や寛容さが失われている今の社会の中で、心の闇をこれ以上広げないために、改めて大切な教えであると感じている。
2020年に創立60周年を迎えるカリタス学園にとって、あまりに辛く悲しく耐え難いこの度の事件に、改めて戦後の焼け野原と化した日本に、試練を乗り越えやって来たシスターリタ・デェシャエンヌと二人のシスターの志を思う。
この夏、戦後74年を迎える日本。先進国にまで上り詰め、物質的には確かに豊かになった。しかし、心の貧しさを感じてしまう事件が後を絶たない。私たちは何か大切なものを失っていないか。今一度自分の心を見つめながら、この様な事件が二度と起きないことを願いながら、カリタスの心を大切に生きていきたいと思う。
最後になりましたが、この度の登戸での事件で亡くなられたカリタスの小学生と保護者のお父様のご冥福を心より深くお祈り申し上げます。怪我をされた方々が1日も早く回復されますように。ご家族の方々、周囲の方々の心の傷が少しでも癒されますように、心より祈っています。
戦後の荒廃した日本に学校をつくり、人々の心に愛の種を実らせようと、1953年にケベック・カリタス修道女会から3人のシスターがカナダ大陸を鉄道で横断し、ヴァンクーヴァーから半月以上かけて太平洋を渡り、貨物船に揺られながら横浜に到着した。
その中の一人であったシスターリタ・デシャエンヌは、私がカリタス学園で中学・高校・短大の8年間を過ごした頃の初代理事長だった。
カナダのケベック・カリタス修道女会の母体は、普遍的愛の母と呼ばれたマルグリット・デュービルが、民族や国籍、宗教や文化の壁を越えて、貧しく恵まれない人々への救いのために創設した修道会である。マルグリットは、家庭を顧みぬ夫や様々な苦悩、そして生まれる子が3人も亡くなるという悲しみの中で、神と出会ったという。
三人のシスターの来日から7年たった1960年、学校法人カリタス学園が設立された。
体中から希望に満ち溢れた情熱の輝きを放つリタ・デシャエンヌ先生の優しくて柔らかな笑顔は、今も鮮やかに脳裏に焼きついている。
勉強嫌いでやる気のない生徒だった私でも、廊下でリタ先生とすれ違うと、なぜか嬉しくなり、思わず足を止めて自然と笑顔で会釈せずにはいられない。クリスチャンではない私のような存在にとっても、カリタスで過ごした8年間の中で培われた精神は心の中に生き続けている。
最も小さな人々を尊重し、分け隔てなく普遍的な愛をもって人に尽くし、感謝と喜びと希望の中に生きる心を育てるカリタスの精神。
未熟な私には、未だに出来ていないことばかりではあるが、社会的孤立化や寛容さが失われている今の社会の中で、心の闇をこれ以上広げないために、改めて大切な教えであると感じている。
2020年に創立60周年を迎えるカリタス学園にとって、あまりに辛く悲しく耐え難いこの度の事件に、改めて戦後の焼け野原と化した日本に、試練を乗り越えやって来たシスターリタ・デェシャエンヌと二人のシスターの志を思う。
この夏、戦後74年を迎える日本。先進国にまで上り詰め、物質的には確かに豊かになった。しかし、心の貧しさを感じてしまう事件が後を絶たない。私たちは何か大切なものを失っていないか。今一度自分の心を見つめながら、この様な事件が二度と起きないことを願いながら、カリタスの心を大切に生きていきたいと思う。
最後になりましたが、この度の登戸での事件で亡くなられたカリタスの小学生と保護者のお父様のご冥福を心より深くお祈り申し上げます。怪我をされた方々が1日も早く回復されますように。ご家族の方々、周囲の方々の心の傷が少しでも癒されますように、心より祈っています。
2019年05月29日
心より深くお祈り申し上げます。
母校のカリタス学園の
子どもたちや保護者の方が
事件に巻き込まれ、
犠牲になりました。
悲しくて…
言葉になりません。
心よりお祈り申し上げます。
この様な事件がの
背景に潜む
心の闇に光を、
そして、心豊かな社会をつくるために、
私たち一人一人に
出来ることはなんだろう‥‥
子どもたちや保護者の方が
事件に巻き込まれ、
犠牲になりました。
悲しくて…
言葉になりません。
心よりお祈り申し上げます。
この様な事件がの
背景に潜む
心の闇に光を、
そして、心豊かな社会をつくるために、
私たち一人一人に
出来ることはなんだろう‥‥
2019年05月22日
青空ライブ〜💓最高〜!
2019年5月19日、エスニックメディアの集いなどで20代の頃からお仕事でご一緒させていただき、大変お世話になっているjiji様が主催されている中野セントラルパークの青空ライブに参加させていただき、歌姫Yokoちゃんとjiji様と一緒のステージ〜🎵
jiji様は、弊社ミューズの里の第1作目の映画『アオギリにたくして』の美術としてご参加くださり、大変だった映画製作をサポートしてくださいました。そして歌姫Yokoちゃんは、アオギリの若葉が芽吹くシーンでエキストラ出演してくださっています〜🎵 お二人には、とってもお世話になり、改めて心より感謝申し上げます〜!
お天気にも恵まれ、公園を楽しそうに走り回る子供達の声に包まれながら、最高の青空ライブ日和でした。
お世話になった懐かしいステキなミュージシャンの皆様との再会に感激〜🎵✨
音楽を愛する仲間たちのピースフルな輪が広がっていく青空ライブ〜✨みんなが心癒され幸せになる、素敵な場をつくってくださっている皆様に心より感謝申し上げます💓
UZUちゃんとカナリア王子さんがライブの写真をたくさん送ってくださいました。シェアさせていただきま〜す!✨ありがとうございました💓
▲UZUちゃん(中央)💓写真いっぱいありがとうございます〜🎵
青空ライブ💓最高〜✨
また皆様とお会いできる日を楽しみにしています〜🎵
2019年04月27日
映画づくりの独り言
私は映画人ではないし、なろうとも思わない。ただ自分が生きてきた人生の中で、体験しながら、実感しながら、感じ続けながら、何年もの年月を経てもなお、自分の心の中にずっと生き続け、自身に強くメッセージを発し続けてくる何かが、時には歌を、時には言葉を、時には文字を、時には映画をつくることで、それが何だったのかを知っていく。それが自分にとっての作品づくりなのかもしれない。
弊社ミューズの里にとっても、私にとっても、初プロデュース作品だった『アオギリにたくして』と第2作目の『かけはし』は、伝えたい思いが勝手に体を動かし、やったことのない映画製作へのチャレンジとなった。
小さな会社の映画づくりは過酷だ。
しかし、かなりの覚悟がないと出来ないチャレンジは、究極なものをいろいろと見せてくれる。
だかこそ、本当につくりたいもの以外はつくらないと心に決めている。
そして、映画にチャレンジして本当によかったと思っている。
なぜなら、本当のことがより一層見えるようになったから。
たとえそれが、過酷なことであろうとも。
2019年04月20日
ステキな歌と演奏に笑いと学び🎵勝俣範之先生のメディカルライブ
2019年04月19日
がんと共に生きながら生涯現役でジャーナリスト魂を貫く北岡和義さん
ジャーナリスト北岡和義さんの
「がんと共に生きる平和学」Vol.2が昨日開催されました。
今回は、ゲストとして、北岡さんの肝臓ガンを見つけてくださったお医者様である湘南東部総合病院院長の市田隆文先生と、静岡で環境と食のアドバイザーをされているライターの山口雅子様がご登壇くださいました。
がんと共に生きながら生涯現役でジャーナリスト魂を貫かれている北岡和義さんの姿から、お話を聞いている我々が元気をいっぱいいただきました。がんになったことで、生き方を見直し、より自分の心が満足を得るクオリティーある生活を送るようになったと語る山口さんは、本当にキラキラ輝いていました。市田先生と北岡さんの楽しいトークライブをお聞きしながら、お医者様と患者との信頼関係の大切さと素晴らしさを感じました。
福島のいわきからご来場くださった画家の峰 丘さんが福島の現状を伝えてくださいました。
ギタリストの伊藤茂利さんと共に
ジャズスタンダードの後、
13年前、42歳の若さでがんで亡くなった
友人の川村裕子さんに捧げる「桜の花びら」を
歌わせていただきました。
みさ姉さんが忙しい中、駆けつけてくださり、
今回も受付を手伝ってくださいました。
本当にありがとうございました。
次回もみんなで元気に楽しい会となりますように〜🎵
2019年03月29日
勝俣範之先生のメディカルライブ「明日も生きよう 希望をもって」🎵 ギタリストの伊藤茂利もサポートギターで出演します!
映画『アオギリにたくして』『かけはし』の製作・プロデューサーで音楽監督を務めるギタリストのしげ兄(伊藤茂利)さんの主治医をしてくださっている、抗がん剤治療の第一人者としてご活躍中の勝俣範之先生によるメディカルライブが、御茶ノ水クリスチャンセンター8階チャペルにて4月20日(2時半〜5時半)に開催されます。しげ兄さんも、サポートギターで出演します〜🎵
日時:2019年4月20日 14:00開場/14:30〜17:30
場所:お茶の水クリスチャンセンター8階チャペル
参加費:1000円
◎Dr.かつまたLIVE
「明日も生きよう 希望をもって」
◎ミニ講演「生きるを支える緩和ケア」
講師:林章敏先生(聖路加国際病院緩和ケア科部長)
✨お申し込みは、大井公子様まで E-mail: kimiko@dr-nizard.jp
代表者の氏名、電話番号、人数を明記して上記メールへ
日時:2019年4月20日 14:00開場/14:30〜17:30
場所:お茶の水クリスチャンセンター8階チャペル
参加費:1000円
◎Dr.かつまたLIVE
「明日も生きよう 希望をもって」
◎ミニ講演「生きるを支える緩和ケア」
講師:林章敏先生(聖路加国際病院緩和ケア科部長)
✨お申し込みは、大井公子様まで E-mail: kimiko@dr-nizard.jp
代表者の氏名、電話番号、人数を明記して上記メールへ
2019年03月24日
スマホが壊れてスミマセン(><)機種が古くて修理も出来ず…
こんなに忙しい時に、スマホが壊れてスミマセン(><)
修理に出そうと思ったら、もう機種が古すぎて修理が終了していると言われてショック(><)
私の場合は、ガラケイに戻った方がいいんじゃないかなぁ〜とかなり悩んだ末、受付の若くて可愛い女の子に励まされ、新しいスマホにしてもらったら、やっぱり進化しすぎていてさっぱりわからず、感度が良すぎて触るのも怖い感じ(><)。ため息、ため息‥‥パソコン持って歩くのも大変なので、困ったな(><)
それにしても、時代って変わっていくんだなぁ…って、スマホの使い方がわからずに駆け込むたびに思う。
昔の黒電話が思い出され、ポケベルが思い出され…。
あと100年後はどんな時代になってるんだろうって想像した時、それでも変わらずに伝えていきたいなって思える作品をつくっていきたいなって改めて思う。
修理に出そうと思ったら、もう機種が古すぎて修理が終了していると言われてショック(><)
私の場合は、ガラケイに戻った方がいいんじゃないかなぁ〜とかなり悩んだ末、受付の若くて可愛い女の子に励まされ、新しいスマホにしてもらったら、やっぱり進化しすぎていてさっぱりわからず、感度が良すぎて触るのも怖い感じ(><)。ため息、ため息‥‥パソコン持って歩くのも大変なので、困ったな(><)
それにしても、時代って変わっていくんだなぁ…って、スマホの使い方がわからずに駆け込むたびに思う。
昔の黒電話が思い出され、ポケベルが思い出され…。
あと100年後はどんな時代になってるんだろうって想像した時、それでも変わらずに伝えていきたいなって思える作品をつくっていきたいなって改めて思う。
2018年11月19日
「いのちの音色」ライブを応援してくださっていた火星雅範さんの詩集「ささぶね うかべたよ」を読みながら…
「いのちの音色」ライブで大変お世話になり、その後もずっと私たちのライブや上映をあたたかく見守ってくださっている清瀬教会の小川滋子様が、10月初めに亡くなられた火星雅範さんの詩集「ささぶね うかべたよ」をプレゼントしてくださいました。
読み終えて、いろんな気持ちで心の中がいっぱいです。
幸せだった(詩・火星雅範)
それは ちょっとした光であったり
かげであったり
匂いであったり
風であったりする
それらのものが 幼い日々を
はこんでくるのです。
それは ヒガンバナであったり
ツユクサであったり
イヌフグリであったり
月や星であったりもする
それらのものが 忘れた日々を
はこんでくるのです
幸せなんて 知らなかった日々を
火星雅範さんと初めて出会ったのは、カトリック藤沢教会での「いのちの音色」ライブの時でした。2歳の時に脳性小児麻痺にかかり、重度の障がいを持っていた火星さんは、付き添いの方々と一緒に車椅子でライブに来てくださいました。
その後、ご自身の通われていた清瀬教会でも「いのちの音色」ライブをとご提案くださり2010年にライブをさせていただきました。その時にお届けした広島の被爆アオギリ2世は今、清瀬教会の皆様が見守ってくださり、大きく大きく育っています。
火星さんはその後、藤沢教会、清瀬教会に続き、幼い頃から長く住んでいたという鎌倉にある鎌倉の雪ノ下教会でも「いのちの音色」ライブを企画してくださいました。
火星さんの絵本を何度も読み返しながら、詩にたくされた思いを感じながら‥‥これまで、何も知らずにいた火星さんのお母様やお父様のことを知り、火星さんが何故「いのちの音色」ライブを応援してくださっていたのかをより深く感じました。
なぜもっと、いろんなことをお話しなかったかと‥‥悔やまれてなりません。
映画「アオギリにたくして」を上映したいとメール頂いたのが最後となりました…。
1944年、中国東北部に生まれた火星さん。
2歳の時に引き揚げる途中で高熱を出し、脳性マヒと診断され、
私がお会いした時は、車椅子での生活でした。
養護学校時代に、退屈しのぎに火星さんが書いたものを見て褒めてくださったことをきっかけに、書くことが好きになり、詩集や随筆をこれまで6冊書かれています。
送っていただいた最後のご著書となる絵本「ささぶね うかべたよ」の中にあったお母様のことを書かれた詩に涙あふれます。
母への挽歌
1946年 一月ふつか
早産の それでもやっと
一年と五ヶ月29日経った 幼な児を抱いて
涙の目で 夫に
「あとをよろしくたのみます」
訴えかけて 女がひとり
内戦中の 中国東北部に死んだ
男は 幼な児を 母からはなし
大陸の凍った土を 一日がかりで掘り
女を葬ると 小さな墓標を立て
そまつな供物を 供える
敗戦国日本の男にとって 精一杯の
それは 妻への心なのだ
幼な児は 墓の前で
供物をねだり 泣いていた
1946年1月2日
1945年8月15日
日本の敗戦によって 世界大戦が終結を迎える
と 同時に日本の属国・満州国の崩壊した中国東北部
日本人にとって 死は日常茶飯事だった
そんな中で 日本の若い女がひとり
一歳になったばかりの子供を抱いたまま
死んでいった
死因・発疹チフスに急性肺炎の併発
時刻・1946年1月2日 午前5時
享年・30歳
ありふれた女の ありふれた死だったという
彼女の子供は 今
母の年を 超えた
(火星雅範詩集「ささぶね うかべたよ」ジュニアポエム双書232)より
詩・火星雅範(かせい まさのり 本名・小山雅範)
火星雅範さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
2018年11月09日
砂川でのステキな再会〜🎵
▲砂川平和ひろばの前にて。
ジャーナリストの前田哲男さん、高瀬毅さん、北岡和義さんと、ギタリストのしげ兄 & たからプロデューサー🎵
先日、砂川のイベントで、
皆様にお会いできてとっても嬉しかったです✨
ジャーナリストの前田哲男さん、高瀬毅さんに
砂川で再会できてとっても嬉しかったです〜✨
我々のライブを大学の授業でも取り上げてくださり、
映画「アオギリにたくして」を上映してくださっている
ジャーナリストの北岡和義さんは昨年、
肝臓がんを宣告された後、
克明にブログにその記録を綴っておられます。
抗がん剤治療を終えて、
お元気になられた北岡さんに
砂川で会えて、
本当に嬉しかったです〜!!
尊敬するジャーナリストの皆さんと一緒に
砂川平和ひろばを主宰する
福島京子さんの畑の作物でつくられた
おいしいおうどんをいただき、
幸せなひと時〜🎵
素敵な一日をありがとうございました。
皆様に心より感謝申し上げます。
※下記は、砂川闘争について、
Yahoo特集でジャーナリストの高瀬毅さんが
2年前にご執筆された記事です。
▶︎ https://news.yahoo.co.jp/feature/497
2018年11月07日
日本財団「海と日本のPROJECT」 in 秋田県 :「鳥海山にブナを植える会」須田和夫会長インタビューYouTube
リンクのYouTubeは、秋田県にかほ市で、
広島の被爆アオギリ2世植樹と
映画「アオギリにたくして」上映・ライブを
埼玉応援団の皆様と共に企画してくださった
「鳥海山にブナを植える会」会長の
須田和夫さんのインタビュー映像です。
日本財団 海と日本PROJECT in秋田県
須田和夫会長インタビューYouTube
なぜ、ブナを植樹するのか?
その答えを通して、
我々人間のあり方を
もう一度考えてみる
機会を与えていただきました。
須田会長との出会いに
改めて心より深く感謝申し上げます。
広島の被爆アオギリ2世植樹と
映画「アオギリにたくして」上映・ライブを
埼玉応援団の皆様と共に企画してくださった
「鳥海山にブナを植える会」会長の
須田和夫さんのインタビュー映像です。
日本財団 海と日本PROJECT in秋田県
須田和夫会長インタビューYouTube
なぜ、ブナを植樹するのか?
その答えを通して、
我々人間のあり方を
もう一度考えてみる
機会を与えていただきました。
須田会長との出会いに
改めて心より深く感謝申し上げます。
2018年10月23日
「アニソロイドQ」様よりミューズの里の支援募金をいただきました。心より感謝申し上げます〜!
ミューズの里の活動に賛同くださった
アニソロイドQの皆様が、
新宿PAPERAでの音楽イベントの
売り上げご寄付くださいました。
大変ありがとうございます。
心より感謝申し上げます。
音楽・映画・表現の場づくりを通して、
いのちの大切さを共に感じ合い、
心豊かな社会が広がっていくよう
ミューズの里スタッフ一同
これからも力を注いで参ります。
今後ともよろしくお願い申し上げます〜!
アニソロイドQは、
固定のVo.メンバーを持たず、
毎回新たなシンガー(QUEEN)と一緒に
アニソン・ライブを展開されています。
アニソンばかりでなく、
昭和歌謡やダンスチームとの
コラボレーションも実現しています。
サウンドシークエンスシステム出力による
疾走感のあるデジタル・ビートにのせて
歌いたい踊りたいと思った方は是非〜♪
年齢制限なし。小学生から還暦を過ぎた
玄人シンガーまでの参加実績。
アニソンロイドQ
お問合せE-mail: katana6659@outlook.jp
アニソロイドQの皆様が、
新宿PAPERAでの音楽イベントの
売り上げご寄付くださいました。
大変ありがとうございます。
心より感謝申し上げます。
音楽・映画・表現の場づくりを通して、
いのちの大切さを共に感じ合い、
心豊かな社会が広がっていくよう
ミューズの里スタッフ一同
これからも力を注いで参ります。
今後ともよろしくお願い申し上げます〜!
アニソロイドQは、
固定のVo.メンバーを持たず、
毎回新たなシンガー(QUEEN)と一緒に
アニソン・ライブを展開されています。
アニソンばかりでなく、
昭和歌謡やダンスチームとの
コラボレーションも実現しています。
サウンドシークエンスシステム出力による
疾走感のあるデジタル・ビートにのせて
歌いたい踊りたいと思った方は是非〜♪
年齢制限なし。小学生から還暦を過ぎた
玄人シンガーまでの参加実績。
アニソンロイドQ
お問合せE-mail: katana6659@outlook.jp
2018年10月10日
有言実行!できるかな?!
昔からどうも不器用で困ってしまう。
何をやっても、どれも全てが苦手なものばかりだけれど、せめて集中することで、なんとかクリアしながら生きている。
企画を練る時
実現に向けて動いている時
ものづくりをしている時
営業している時
撮影している時
編集している時
事務作業に追われる時
発信している時
上映の時
ライブの時
曲を作る時
詩を書く時
執筆する時
それぞれに使う神経が違うのか、自分の中の細胞を毎回入れ替えるぐらいの気持ちで切り替えないと、フリーズして動けなくなってしまう。そして、倒れては起き上がり、倒れたは起き上がり。
いろんな作業の中でも、一番いつも後回しになってしまうのが、執筆作業。数年前からの課題だが、いつもいつも後回し。がんばって集中しながら、あれこれ切り替えて動いても、なかなか篭って長く集中できる時間を日常の中から作り出すことは難しい。
でも、
ここはちょっと切り替えて、
有言実行!
今日から始めます。
2018年10月04日
ジャーナリストの北岡和義氏「がんと共存 克明に記録」(静岡新聞)
30年以上前、
アラスカまで取材に来てくださり、
30分のドキュメンタリー番組を2本製作してくださった
ジャーナリストの北岡和義さん。
当時は、ロサンゼルスで暮らす
日系人向けのテレビ番組の製作会社も
経営されていました。
約27年間の米国生活後、2016年まで日大国際関係学部特任教授をされていた北岡さんは、ご自身お授業の中で、歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える「いのちの音色」ライブを企画してくださり、日大を退職される時には、映画「アオギリにたくして」上映会を学士会館で企画してくださり、その後もずっと応援してくださっています。
昨年、北岡さんから突然、
ステージ4の肝臓がんと診断されたとのご連絡をいただきました。
北岡さんは2017年12月9日より
ブログ「ガンと生きる〜北岡和義残命録〜」
を立ち上げ、がんと共に生きる自分の姿を
記録されています。
▲静岡新聞「がんと共存、克明に記録」
北岡和義ブログ
➡︎ http://kitaokanet.main.jp
22歳で初めて北岡和義さんとお会いした時、
強さと優しさと正義に向かう迫力に圧倒され感動したあの日!
知識もなく、英語力もなく、ただただ思いだけで
ヒロシマ・ナガサキの被爆者のメッセージを伝えていた22歳の私を
とてもあたたかい目で見守ってくださいました。
「こんな大人がいるんだ〜!」とたくさんの勇気と希望をいただいたあの日を今も忘れません。
一年間、アラスカ・オレゴン・オハイオ・ニューヨーク・ネバダなどの学校や教会で、ヒロシマ・ナガサキの被爆者のメッセージを伝え原爆映画上映をした後、日本に帰国する前に北岡さんのご家庭にホームステイさせていただき、ご家族の皆様にも大変お世話になりました。
北岡さんの姿から、
たくさん学ばせていただき、
これからも学んでいきたいと思っています。
北岡さん、
近くまた、みんなで遊びに伺わせていただきます。
2018年09月26日
2018年09月22日
Yahooニュース!地下鉄サリン事件、被害に遭った医師はどう行動したか 〜現場で、搬送先の病院で〜
抗がん剤治療の第一人者としてご活躍され、シンガーソングライターとして「いのちの音色」ライブにもゲスト出演してくださり、ギタリストのしげ兄の主治医をしてくださっている勝俣範之先生の記事です。
🔵Yahooニュース
地下鉄サリン事件、被害に遭った医師はどう行動したか 〜現場で、搬送先の病院で〜
➡️ https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180921-00010001-jij-sctch
地下鉄サリン事件での
強烈な恐怖、
死と向き合った体験。
その究極の体験が、
その後の勝俣先生の医師として、
人間として生きる上での
強い信念につながっているのだと感じました。
そして、この事件が、
我々の生きてる時代の中から
引き起こされたものであることを思う時、
オウム事件の中に見られる
闇について深く考えていくべきなのだと
改めて感じました。
🔵Yahooニュース
地下鉄サリン事件、被害に遭った医師はどう行動したか 〜現場で、搬送先の病院で〜
➡️ https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180921-00010001-jij-sctch
地下鉄サリン事件での
強烈な恐怖、
死と向き合った体験。
その究極の体験が、
その後の勝俣先生の医師として、
人間として生きる上での
強い信念につながっているのだと感じました。
そして、この事件が、
我々の生きてる時代の中から
引き起こされたものであることを思う時、
オウム事件の中に見られる
闇について深く考えていくべきなのだと
改めて感じました。
2018年09月21日
MuseVoice【公式】Twitterより情報発信中〜🎵
映画『かけはし』『アオギリにたくして』上映情報・現在撮影中の映画『いのちの音色』『砂川の大地から』情報・めざせ1000回!中村里美&伊藤茂利「いのちの音色」ライブ・オープンマイクなどの最新情報etcをMuseVoice【公式】Twitterより発信中〜!
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2018年09月14日
本郷修史&しげ兄ジャズライブ
2018年08月29日
平和学のレイスロップご夫妻来日に向けて〜!
映画「アオギリにたくして」のアメリカ上映をコーディネイトしてくださった平和学者のレイスロップご夫妻が、9月27日に来日されます〜!
レイスロップ教授ご夫妻は、教師の北浦葉子さんと共に、日米協力草の根プロジェクト「ネバー・アゲイン・キャンペーン」を立ち上げ、長年に渡り全米から日本人ボランティアをホームステイさせてくれるアメリカの家庭を募集し、アメリカの学校や教会などで原爆映画「にんげんをかえせ」や原爆アニメ「ピカドン」などの上映会を行う日本人の民間大使を募り、被爆者のメッセージをアメリカで伝える活動をしてきました。これまでに56名の民間大使をアメリカに迎え、11,845回の上映が行われ、全米371,219人の人々に原爆映画を上映し、広島・長崎の被爆者の方々のメッセージを伝えてきました。
残念ながら、ネバー・アゲイン・キャンペーンの活動は、すでに終了していますが、レイスロップご夫妻は、日本からの民間大使を募るため、これまで10回来日し、約20年間に渡り活動を続けてきました。
32年前の1986年、私はたまたま見た新聞で、第1期民間大使を募集するためにレイスロップ教授ご夫妻が来日しているネバー・アゲイン・キャンペーンの新聞記事を見て応募しました。
大切なのは度胸と愛嬌と根性!英語力は二の次!というちょっと変わった審査基準に救われ、第1期民間大使に選ばれた私は、1986年10月、22歳の秋、原爆映画と千羽鶴を持って渡米しました。
アラスカ・オレゴン・オハイオ・ネバダ・ニューヨークの学校や教会や様々な場所で、原爆映画を上映し、みんなで一緒に折り鶴を折り、広島・長崎の被爆者のメッセージを伝えました。振り返れば、その一年間は、その後の私の人生の原点となっています。
今日は、レイスロップご夫妻をお迎えするためのミーティングが、ネバー・アゲイン・キャンペーンの誕生からずっと見守り、支えてくださった小池崇子さんご自宅で行われました。小池さんは、2016年の映画「アオギリにたくして」アメリカ上映をレイスロップ教授ご夫妻と共にコーディネイトしてくだった方でもあります。
もしかしたら、今回が最後の来日になるかもしれない。そう思うと、少しでも素敵な思い出となる来日となるようにと、一生懸命なみんなの優しさに包まれ、とても素晴らしいミーティングでした。みなさんに感謝です✨
ベラルーシに飛び立つ前にミーティングに参加してくれた純平君!今頃、飛行機の中かな?!今や二児のパパとなり、世界を舞台に活躍する姿に、感動です!それぞれが、ますます素敵に自分らしく生きていて、そしてちっとも昔と変わっていない仲間達!みんな、体だけは大事にねぇ。また会える日を楽しみにしています〜!
2018年08月09日
神戸市外国語大学の被爆アオギリ2世
2018年08月08日
Seeds of peace!平和の種を世界へ。
2018年08月06日
本日、2018年8月6日「ミューズの里」は、設立10年目を迎えました。皆様に心より深く感謝申し上げます。
お陰様で本日、2018年8月6日、
ミューズの里は、設立10年目を迎えました。
これまで支えてくださった全ての皆様に
心より深く感謝申し上げます。
初心を忘れず、原点を忘れず、
一つ一つのプロセスに
しっかりと心を通わせながら
一歩一歩成長していけるよう
より一層努力をして参りたいと存じます。
今後とも皆様のご支援・ご協力を
何卒よろしくお願い申し上げます。
このイラストは、イラストレーターの吉田しんこさんの作品です。
ミューズの里の前身であるクロスカルチャープラザ時代に、ボランティアスタッフが連れてきた保護犬のワンちゃんはハッピーちゃんと名付けられ、皆様に愛していただきました。そして、2013年のミューズの里による初プロデュース映画「アオギリにたくして」の完成を見届けるかのように亡くなりました。その翌年、今は亡きハッピーちゃんとのご縁で、ミューズの里にやって来たワンちゃんは、たからプロデューサーと呼ばれ、現在活躍中です!ハッピーちゃんがいてくれたからこそ、今こうして、たからプロデューサーとの出会いをいただけたのだと思います。いろんなご縁の中で生かされています。そのご縁を大切に、これからも、みんなで力を合わせてがんばっていきたいと思います!✨しんこさん、すてきなイラストをありがとうございます!!
Seeds of Peace!!
平和の種を世界へ〜🎵
ミューズの里は、設立10年目を迎えました。
これまで支えてくださった全ての皆様に
心より深く感謝申し上げます。
初心を忘れず、原点を忘れず、
一つ一つのプロセスに
しっかりと心を通わせながら
一歩一歩成長していけるよう
より一層努力をして参りたいと存じます。
今後とも皆様のご支援・ご協力を
何卒よろしくお願い申し上げます。
このイラストは、イラストレーターの吉田しんこさんの作品です。
ミューズの里の前身であるクロスカルチャープラザ時代に、ボランティアスタッフが連れてきた保護犬のワンちゃんはハッピーちゃんと名付けられ、皆様に愛していただきました。そして、2013年のミューズの里による初プロデュース映画「アオギリにたくして」の完成を見届けるかのように亡くなりました。その翌年、今は亡きハッピーちゃんとのご縁で、ミューズの里にやって来たワンちゃんは、たからプロデューサーと呼ばれ、現在活躍中です!ハッピーちゃんがいてくれたからこそ、今こうして、たからプロデューサーとの出会いをいただけたのだと思います。いろんなご縁の中で生かされています。そのご縁を大切に、これからも、みんなで力を合わせてがんばっていきたいと思います!✨しんこさん、すてきなイラストをありがとうございます!!
Seeds of Peace!!
平和の種を世界へ〜🎵
2018年08月01日
今日から立ち机!!JUST DO IT!!
あっという間に、もう8月。
必死にやっても追いつかない毎日。
気絶するように寝て、
起きてすぐまた仕事。
こんな毎日が何十年?!
苦しいことの連続であっても
後悔や愚痴はない。
ずいぶん昔、
はじめて会社から独立した頃のこと。
営業も編集・制作も資金繰りも全てわかってるつもりでいたけれど、
自分でゼロからやり始めてみると、それまで気がつかなかった事、わかっていなかった事がたくさんあって驚いた。
経験が全てではないが、その立場を自分で経験したことがないと、想像すらできないこともたぶんたくさんあると思う。
だから、経験すればするほど
簡単にああだの、こうだのを言えなくなる。
と同時に、説明してもわからないだろうな‥と勝手に思ってしまい
説明不足になりがちなこともある。
言いたいことは、ぐっとこらえて、
そして、ただただ、Just Do it!
経営者と社員も違えば、
ナンバー2でいるのと
ナンバー1では、
見える景色も、リスクもまるで違う。
ゼロから出発して起業する中で見えてくるものと、
二代目、三代目でもそれぞれ全く違うのだろうし、
雇われ社長の場合も、会社の規模によっても
まったく違うものなのだろうと思う。
良いとか悪いとかではなく、
ただ、今も感謝するのは、
私が若い時に仕事をさせてもらった会社の社長さんは
貧しい環境で育ちながら、身一つで起業し、夢を形に変えていた。
会社にいた頃は、周りのみんなと同様にたくさんの愚痴もあった。
しかし、同期のほとんどが、
その後会社を起こしたり、フリーとなって自分で生きている。
その術を学ぶには、最高の社長と皆出会っていたのだと思う。
今では、感謝しかない。
多様な経験を通して成熟し、
知恵を授かるまでには時間がかかる。
どんなに知識や才能や思いがあっても、
それだけでは形にならないことも実は多い。
昔はムカついていた社長の言葉の真意や、
なにげない一言の中にあった深い意味、
人に言えなかったであろう本音や心情が
よくわかるようになった頃、
私も会社をスタートした。
その後、映画製作も含めて
新たな分野にチャレンジしてきたが
もし、それまでの様々な経験のないまま、
机上の空論を思い描いていたのなら、
今はないだろう。
引き受けた孤独に押しつぶされない覚悟と共に、
思いを形にするには、たくさん試されることがある。
まだまだ、大変な日々は続くだろう。
しかし、心の底から思う。
幸せだなと。
映画製作においては
未だ言葉にならない程、
あまりに理不尽で心ない
これまで経験したことのない程の痛みをたくさん負った。
初めて自分の中から生まれる強い怒りも知った。
しかし、だからこそ、より人間をもっと知ることができたし、
共に苦難を乗り越えて行く中で、本当の強い絆が生まれた。
まだまだな私を一生懸命支えてくれるしげ兄はじめスタッフに恵まれ
ご支援・応援してくださる方々に恵まれ、
今がある。
今から!ここから!
心からの感謝と共に、
次に向けて挑んでいこうと思う。
そして、今日から、立ち机!
肩・背中・腰が痛い私への
スタッフからの最高のプレゼント。
いつも、優しい気持ちをありがとうございます。
みんなで一緒に、がんばろう!!
2018年07月20日
ミューズの里 Twitter情報
歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える『いのちの音色』ライブ・映画『アオギリにたくして』『かけはし』や、現在製作中の映画・雑誌・本・グッズなどのミューズの里Twitter情報を下記より発信しています〜!
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2018年07月18日
西日本豪雨災害の被災者の方々にお悔みとお見舞い申し上げます。 一日も早い復興を心より祈っています。
ニュースを見るたび胸がしめつけられる思いです。西日本豪雨災害の被災者の方々にお悔みとお見舞い申し上げます。 一日も早い復興を心より祈っています。
夏のライブや上映行脚では、これまでも台風や豪雨に向かって移動することが多く、6年前の今頃は、大分県の日田市で川が氾濫し、ライブ一週間前に床下浸水で学校に大きな被害が出ている中、数百人のボランティアの方々の力で学校が再開され、予定通り「いのちの音色」ライブが開催され、11箇所でのライブが無事行われました。我々が東京に戻ってすぐ、もう一度川が氾濫し、「さすがにその時は気持ちが滅入ったけれど、アオギリのように、どんな苦難があっても立ち上がって、前に向かいって生きていきます」と言っておられた皆さんの言葉に涙が出ました。
▲6年前、九州での豪雨から戻った翌日、有楽町朝日ホールにて。
いつどこに地震や豪雨が起きるかわからない今、覚悟をもって自分の使命を全うして生きていきたいと思います。
夏のライブや上映行脚では、これまでも台風や豪雨に向かって移動することが多く、6年前の今頃は、大分県の日田市で川が氾濫し、ライブ一週間前に床下浸水で学校に大きな被害が出ている中、数百人のボランティアの方々の力で学校が再開され、予定通り「いのちの音色」ライブが開催され、11箇所でのライブが無事行われました。我々が東京に戻ってすぐ、もう一度川が氾濫し、「さすがにその時は気持ちが滅入ったけれど、アオギリのように、どんな苦難があっても立ち上がって、前に向かいって生きていきます」と言っておられた皆さんの言葉に涙が出ました。
▲6年前、九州での豪雨から戻った翌日、有楽町朝日ホールにて。
いつどこに地震や豪雨が起きるかわからない今、覚悟をもって自分の使命を全うして生きていきたいと思います。
2018年07月15日
たからプロデューサー 4歳! ミューズの里もうすぐ10歳!
7月13日、オフィスの保護犬だった
たからプロデューサーが、4歳を迎えました。
栄養失調で大きくなれないのではと
心配されていたことが嘘のよう。
今では会社のスタッフとして大活躍です〜!
ライブ&上映行脚も一緒に来てくれたり、
舞台挨拶にも時々登場〜🎵
皆様のご自宅にホームステイさせていただき、
撮影やロケでは機材車を守り、
呼び鈴が聞こえないオフィスの部屋には、
宅急便の配達を知らせてくれます。
皆さんに愛していただき、育てていただき、
今日まで元気にやってくることが出来ました。
改めてこれまでお世話になった皆様に
心より感謝申し上げます〜💕
あまりに忙しい毎日で、
たからプロデューサーのお誕生日を、
みんなで祝うことが出来ませんでしたが、
しげ兄さんが疲れている中、
たからプロデューサーの4歳を祝って
写真を撮ってくれましたので
皆さんと共にこの写真を共有したいと思います〜🎵
来月、ミューズの里は10年目を迎えます。
ただただがむしゃらに必死に、
体力の限界を超えて、
愚直に挑んだ10年間でした。
設立10年後の起業生存率は6%と言われる中
今日までやってこれたのは、
どんな時も、共に必死にがんばってくれた
しげ兄さんはじめスタッフの皆様と
いつも支えてくださり、応援してくださる皆様のおかげです。
昨年、一緒に会社を支えてくれたしげ兄が倒れ
今年は私も体調を崩しながらの日々。
でも…病気や体調不良が教えてくれたこと、
学んだことがたくさんありました。
老眼は日に日にすすみ、
目がさらに見えなくなってきましたが、
生きるか死ぬかの日々を超え、
これまでたくさんの現場と現実を体験して生きたことで、
物事が、人間が、一段とよりクリアに見えるようになりました。
創業20年後の生存率は0.3%
と言われる中ではありますが、
これまでの経験を生かし、
次の10年に向けて
新たに出発していきたいと思います。
様々な苦労を共にし、共に乗り越え
より深まった信頼と信念。
お金も何もないけど、
人との出会いに恵まれ
ピュアな気持ちで生きてこれたことに
深く感謝の気持ちでいっぱいです。
これでもか、これでもかと押し寄せる数々の困難や
あまりにも酷いなぁ〜と思う現実が何度訪れても、
真心と深い優しさとたくさんの愛をを持って、
たくましくステキに生きる人々との姿にふれるたび、
生きるべき道が見えてきます。
たくさんの感謝の気持ちを胸に、
これからも、みんなで力を合わせて、
精一杯生きていきたいと思います。
これからも何卒よろしくお願い申し上げます✨
たからプロデューサーが、4歳を迎えました。
栄養失調で大きくなれないのではと
心配されていたことが嘘のよう。
今では会社のスタッフとして大活躍です〜!
ライブ&上映行脚も一緒に来てくれたり、
舞台挨拶にも時々登場〜🎵
皆様のご自宅にホームステイさせていただき、
撮影やロケでは機材車を守り、
呼び鈴が聞こえないオフィスの部屋には、
宅急便の配達を知らせてくれます。
皆さんに愛していただき、育てていただき、
今日まで元気にやってくることが出来ました。
改めてこれまでお世話になった皆様に
心より感謝申し上げます〜💕
あまりに忙しい毎日で、
たからプロデューサーのお誕生日を、
みんなで祝うことが出来ませんでしたが、
しげ兄さんが疲れている中、
たからプロデューサーの4歳を祝って
写真を撮ってくれましたので
皆さんと共にこの写真を共有したいと思います〜🎵
来月、ミューズの里は10年目を迎えます。
ただただがむしゃらに必死に、
体力の限界を超えて、
愚直に挑んだ10年間でした。
設立10年後の起業生存率は6%と言われる中
今日までやってこれたのは、
どんな時も、共に必死にがんばってくれた
しげ兄さんはじめスタッフの皆様と
いつも支えてくださり、応援してくださる皆様のおかげです。
昨年、一緒に会社を支えてくれたしげ兄が倒れ
今年は私も体調を崩しながらの日々。
でも…病気や体調不良が教えてくれたこと、
学んだことがたくさんありました。
老眼は日に日にすすみ、
目がさらに見えなくなってきましたが、
生きるか死ぬかの日々を超え、
これまでたくさんの現場と現実を体験して生きたことで、
物事が、人間が、一段とよりクリアに見えるようになりました。
創業20年後の生存率は0.3%
と言われる中ではありますが、
これまでの経験を生かし、
次の10年に向けて
新たに出発していきたいと思います。
様々な苦労を共にし、共に乗り越え
より深まった信頼と信念。
お金も何もないけど、
人との出会いに恵まれ
ピュアな気持ちで生きてこれたことに
深く感謝の気持ちでいっぱいです。
これでもか、これでもかと押し寄せる数々の困難や
あまりにも酷いなぁ〜と思う現実が何度訪れても、
真心と深い優しさとたくさんの愛をを持って、
たくましくステキに生きる人々との姿にふれるたび、
生きるべき道が見えてきます。
たくさんの感謝の気持ちを胸に、
これからも、みんなで力を合わせて、
精一杯生きていきたいと思います。
これからも何卒よろしくお願い申し上げます✨
超苦手な携帯電話
メガネと携帯電話を
いつもどこかに置き忘れがちで、
昔から使いこなせていない私ですが…
携帯メールをいただいていた皆様
ずっと気付かずに申し分けありません。
返信を出していてもほとんどが
一時保存されたままになっていて
まったく送信されていませんでした(><)
修理に出してもいまだに
送信が何故かうまく出来ません…。
充電しても動かなくなり
データーも消えてしまい
よっぽど時間のある時以外
あまり携帯を使わなくなってしまいましたが、
そのためか、少し視力が回復?!
したようにも思います。
小さな頃の黒電話をふと思い出し、
なんだか懐かしい。
その後、FAXが家庭にも入り、
ポケベルを持って仕事に出て…
今では携帯電話は必需品?!
のようになっていますが、
ここ数十年の変化は本当にすごい!
携帯電話のない世界に早く行きたいなぁ〜
と、時々思いますが、これがないと仕事にならない世の中なので、
もうしばらく、がんばらないと。
携帯電話が苦手な私ではありますが
これからもよろしくお願い申し上げます。
いつもどこかに置き忘れがちで、
昔から使いこなせていない私ですが…
携帯メールをいただいていた皆様
ずっと気付かずに申し分けありません。
返信を出していてもほとんどが
一時保存されたままになっていて
まったく送信されていませんでした(><)
修理に出してもいまだに
送信が何故かうまく出来ません…。
充電しても動かなくなり
データーも消えてしまい
よっぽど時間のある時以外
あまり携帯を使わなくなってしまいましたが、
そのためか、少し視力が回復?!
したようにも思います。
小さな頃の黒電話をふと思い出し、
なんだか懐かしい。
その後、FAXが家庭にも入り、
ポケベルを持って仕事に出て…
今では携帯電話は必需品?!
のようになっていますが、
ここ数十年の変化は本当にすごい!
携帯電話のない世界に早く行きたいなぁ〜
と、時々思いますが、これがないと仕事にならない世の中なので、
もうしばらく、がんばらないと。
携帯電話が苦手な私ではありますが
これからもよろしくお願い申し上げます。