2020年07月28日
ミューズの里のブックレット「MUSE VOICE」編集中!
ブックレット『MUSE VOICE』創刊を目指して現在編集中です!
1000回ライブを目指して2008年にスタートした歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える「いのちの音色」日本全国ライブ活動の中で、広島の「被爆アオギリ2世」とその成長を見守りながら心豊かに生きる人々に出会ってきました。
『MUSE VOICE』創刊号では、希望と平和の種を蒔く皆さんの声を届けていきます。巻頭グラビア特集は、被爆アオギリ2世との思い出の写真の一部と共に、各地の皆様からのアオギリに託すメッセージをご紹介します。特集は、来年の公開を目指して現在製作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』です。
当初は不定期での発行となりますが、「MUSE VOICE」はこれからも、被爆アオギリの思いが日本全国・世界に広がる様子を取材してまいります。引き続き何卒宜しくお願い申し上げます。
※「 MUSE VOICE」創刊号の発行日が決まり次第、告知させていただきます。
発行後は、「ミューズの里」応援ネットショップからもご購読可能です。
https://musevoice.thebase.in
2020年07月17日
引き続き、コロナ収束まで自粛が続く中で…
現在、「ミューズの里」では、新型コロナウィルス感染拡大防止に向けて、営業活動や各種イベント活動を2月末よりストップしながら、ブックレット「MUSE VOICE」とドキュメンタリー映画『いのちの音色』の編集を行なっています。
コロナ収束まで息抜く暇もない毎日ですが、そんな中…今日は、東京の感染者が過去最高の293人となりました。
予測されていたこととはいえ、2月末からずっと営業活動の自粛が続く中で、新型コロナウィルスの影響を最もひどく受けている我々のような業種は他にもたくさんあると思います。
世間では「Go Toトラベル」が問題となっていますが、休みもなく働き続け、会社を始めてから私的な旅行になど一度も行く余裕もなく、そもそもが精一杯の毎日の中で、とどめを刺すかのように今回のコロナ禍がやってきた弊社にとっては、話題にさえついていけません。
これから暑い夏がやってきます。冷房も使わざるをえない状況下で、エアロゾルも心配される中、お客様にご高齢者が多いことやどんなに感染対策をしたとしても無症状感染者による感染拡大がある中で、いかに感染拡大防止と経済活動の両立をしていくべきかを考えれば考えるほど難しくて答えが出ません。
先日たまたま見たCNNの特集「パンデミックと大統領」は、これまでのアメリカでのコロナ対策を長時間にわたりしっかりと検証する見応えのある報道番組でした。今年2月の段階では、無症状の感染者が感染を広げていることが指摘されていたにもかかわらず、それに向き合った検査体制をしてこなかった中で、その後に感染がいっきに広がっていったことなども指摘されていました。
日本でも、みんなの自粛によって一見感染者の数字が減ったかのように見えていても、その間にも無症状感染者が水面下で静かに増え続けていたのではないかと心配になります。
日本だけでなくアジア諸国は、欧米諸国に比べて感染者や死亡者が今のところ少ないと言われています。しかし、アジア諸国の中では、人口10万人当たりの死亡者数に換算すると、日本が最も多い死亡者を出した国の一つとなっています。世界がパンデミックを起こしている中、日本だけが特別で優れているかのような論調も多くあった中で、その危機感のなさが今の状況をもたらしているのではないかとさえ思えてなりません。
「いのちの尊厳」と「自然との共生」への視点を忘れることなく、痛みを伴いながらも問題解決への道を模索しながら、今を乗り越え、どの様な状況にあろうとも志を果たしていけるよう、改めて気を引き締めながら、全力を尽くしていきたいと思います。
2020年05月29日
日本全国の方言と世界の国の言葉で、こどもたちの健康を守るメッセージを発信!
神奈川県立こども医療センターの栄養サポートチーム座長としてご活躍されている高増哲也先生より、こどもたちへの10の提案が日本全国方言バージョン・多言語バージョンでHPに公開されたとのお知らせをいただきました。日本全国・世界中のたくさんのみなさんのご協力により完成されたそうです。新型感染症対策という新たな課題の中で、こどもたちにとって必要な支援をたえず模索しながら実践されている高増先生はじめ栄養サポートチームの皆様に心より感謝申し上げます。
神奈川県立こども医療センターの栄養サポートチーム
➡️ https://kcmc-nst.com/nst/page-56/greetings/
神奈川県立こども医療センターの栄養サポートチーム
➡️ https://kcmc-nst.com/nst/page-56/greetings/
2020年05月11日
ご支援者様より、支援物資と共に「農家お助け宅配!BOX」が届きました〜!
ご支援者様より支援物資をいただきました。新型コロナウィルスの影響による自粛が長引く中、本当に心より深く感謝申し上げます。
「日頃食べていた食事より豊かでバランスのよい食生活になりました!」とスタッフみんな大喜び。心も体も元気いっぱいです!
「農家お助け宅配!BOX」もお贈りいただき、美味しい野菜とフル〜ツをいただきました。みんなの健康を考えてくださり、いつも応援いただき感謝でいっぱいです。
上映・ライブ・その他イベントや音楽教室・手話合唱もすべての営業活動が自粛となる中、現在弊社ミューズの里では感染防止につとめながら、「MUSE VOICEブックレット」と第3作目となるドキュメンタリー映画『いのちの音色』の編集作業を行っています。
この夏のMUSE VOICEブックレットの創刊に向けて、校正スタッフとして大阪の高松陽子さんが新たに加わりました。以前、異文化コミュニケーション雑誌の編集長をしていた頃、右腕として支えてくださった高松さんに加わっていただき、またお仕事を一緒にさせていただけることに感謝の思いでいっぱいです。
みんなで力を合わせて、よい作品となるよう全力を尽くします。
大分県の方よりサプライズプレゼント!
2020年05月03日
ご支援者様より「農家お助け宅配!」が届きました〜!
2020年04月27日
ミューズの里を見守ってくださっている皆様に心より感謝申しあげます。
ミューズの里に、ご支援をいただき心より感謝申しあげます。
これまで日本全国・海外で皆様にお世話になってきた映画『アオギリにたくして』『かけはし』上映やライブ活動等が、新型コロナウィルスの影響により、2月25日より中止・延期となっています。
そんな中、ご支援と共に心あたたまるお手紙をいただきました。
「……ミューズの里の活動が続くこと、引き継がれていく事が大事です。全国にそう思っている方々が沢山いらっしゃると思います。是非、活動の存続のために、あらゆる方法を検討し、がんばってください。それには皆様のご健康を……」
我々のような小さな存在にまでお心配りをいただき、これまでの活動を見ていてくださっていることが何より嬉しく励ましをいただきました。
自粛となってから2ヶ月が過ぎようとしている中、皆様にご支援いただき、お陰様で今月を何とか乗り越えていけそうです。
弊社のように、独自の劇場やライブハウスを持たずに、各地の文化施設を借りたり 学校などで自主上映や音楽公演を行う企業は、東京都が感染防止の協力要請をする業種には入っておらず、損失補填の協力金の対象からも除外されています。
お金の問題もとても深刻ですが、それ以上に、同じように困窮していても、業種によって線引きされる事実に、少し寂しさを感じていた時でもありました。
寄せられたお手紙に、スタッフがとても勇気づけられている姿を見て、救われる思いがしました。小さな活動を見守ってくださり、たくさんの勇気と希望をいただき、本当にありがとうございます。
新型コロナウィルスの収束への見通しがつかない状況ですが……このまま休業していては、会社が潰れてしまいます。
新型コロナウィルスの感染防止のため、各自が自宅でできる仕事を考え、新しい映画の編集作業や新規事業としてのブックレット等の製作をスタートしながら、今を乗り越え存続していけるよう全力を尽くします!
第3作目となるドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作&公開にむけて、朝日新聞のクラウドファンディング「A-port」にも初チャレンジしています。
ヒロシマ・ナガサキを語り継ぐ
映画『いのちの音色』支援プロジェクト
➡️ https://a-port.asahi.com/projects/inochi/
皆様のご支援・ご協力を何卒宜しくお願い申しあげます。
2020年04月23日
コロナ禍に思う
2月25日、新型コロナウィルス感染症の拡大防止のため、まったく先の見えない中で、これまでずっと続けてきた上映やライブ活動を一旦ストップした。
活動を止めれば、会社が倒産するかもしれないという不安もあった。それでも、ストップしなければいけないと思ったのは、無防備なまでに必死に、今 危機感を持つことの大切さを 魂で語っている一人の女性の映像を見たからだ。
危機感を持つことと煽ることは違う。しかし、日本は、この違いを理解することが難しい国なのか? 東日本大震災の福島原発事故の時にも感じた同じような思いがよぎり、ため息が出た。
世界でパンデミックが起きている中、海外メディアから伝わる危機感と日本との大きな違いに、違和感を感じずにはいられなかった。感染拡大防止の基本である「隔離と検査」。しかしなぜか、つい最近まで、日本のメディアだけは、いつまでもPCR検査論争を繰り広げていた。
危機感をもって伝え続けているメディアもあった。数ヶ月も前から、医療用マスクや防護服が足りなくなることへの恐怖を現場の医師が必死に訴えて続けていた。医療崩壊を起こさないために、病院の外にテントを張った発熱外来の設置やドライブスルーでの検査においても、1日も早く取り組む必要を2ケ月以上も前から何度も訴え続けている。
危機感のない日本に感染が蔓延することが心配される中、SNS等で海外情報を発信し続け、新型コロナウィルス感染症の最新情報を拡散し続けてくれた人もいる。私は、シェアすることぐらいしか出来なかったけれど、何とか命を守りたいと思っている彼らの必死さが痛いほど伝わった。
3月13日、アメリカで国家非常事態宣言が出された。当初は、新型ウイルスの感染拡大を「でっちあげ」だと非難する者までいたというアメリカでも、楽観視による初動の遅れから、多くの感染者と死者が出ているが、現実的な危機的状況を招く中で、トランプ大統領も必死に動き始めた様子が伝わり始めてきた。
ワクチンの実用化までには、1年〜1年半はかかると言われる中、日本ではオリンッピックが1年後に延期されることが報道された。この状況下で、1年後に新型コロナウィルスは収束してるのだろうかと、普通なら心配するはずだが、来年の開催を疑問視する声はあまり聞こえてこなかった。日本の新型コロナウィルス感染症への危機感のなさが、はっきりと伝わった瞬間でもあった。
「医療崩壊を起こさないためにPCR検査を絞る」という、この発言を聞くたび、恐ろしさを感じる。もちろん医療崩壊は起こしてはいけない。しかし、検査も受けられないまま、新型コロナウィルス感染症で苦しむ患者さんが、重篤化したらどうするのだろう? もし急変して亡くなったらどうするのだろう? という疑問ばかりが浮かんだ。患者への視点があまりにも欠落した発言に聞こえた。
PCR検査を増やすことと、医療崩壊が起きることはそもそも別次元の話だ。問われていたのは、病院内感染を防ぐためにも、どの様に検査戦略と体制を組み立てていくかだ。さもなくば、検査によって患者が増えて医療崩壊するのではなく、検査不足による院内感染によって医療崩壊が起きてしまう。
2月25日、既に国内では150例以上の感染者が出ていたという。厚労省が組織するクラスター対策チームの方は、この段階ですでに北海道だけではなく、かなり広範に感染者が見られ、感染経路が未確認の感染者がすでに数多くいたことを先日のNHKスペジャルで語っていた。クラスター潰しでは感染防止が不可能なまでの状態になっていながら、なぜ、事実をもっとしっかり報じてこなかったのだろう。
毎日発表される感染者の数でさえ、これまで絞ってきたというPCR検査の中で陽性だった人の数でしかない。いったいどれだけの人が感染しているのかという全体像は見えてこない。
4月7日、ようやく緊急非常事態宣言が出されたが、首相が語りかけてくる言葉に魂を感じられず、危機感は伝わらなかった。その後、今度は若者の気の緩みや自粛しない人たちを非難する声が上がっている。しかし、それを彼らの責任にしてほしくはない。海外から状況を知る時間もあり、対策を練る時間もあった中で、危機感のなかった日本政府のあり方が招いてきたことであり、今後、どの様な状況になろうとも、感染拡大が広がったことを国民のせいにだけはしてほしくない。
収束までに長期化することが予測される中、弊社ミューズの里の事業は、人が集うことで成り立つ事業ばかりであったことから、会社を継続していくためにも2月より事業内容の見直しを行いながら、これからどうしていけばよいのかを考える日々が続いた。感染防止を第一に考えながら、人が集わなくても継続していけることは何かを考え、志を捨てることなく、今をどう乗り越えていくかが問われている。
本日より、ミューズの里は青空オフィス!
打ち合わせは、晴れの日のみ。
雨の日は、各自自宅で作業となります。
日々、大変な思いをされている医療福祉従事者の皆さまに心から感謝と共に、今も感染により苦しんでおられる方々が1日も早く回復されることを願っています。この状況下の中、休むことも出来ず、みんなの生活を守るため働いておられるすべての皆様に感謝致します。
皆様の健康が守られるよう祈りながら、感染防止を第一に、私たちも自分たちに出来ることに全力をつくしながら、今を乗り越えていきたいと思います。
活動を止めれば、会社が倒産するかもしれないという不安もあった。それでも、ストップしなければいけないと思ったのは、無防備なまでに必死に、今 危機感を持つことの大切さを 魂で語っている一人の女性の映像を見たからだ。
危機感を持つことと煽ることは違う。しかし、日本は、この違いを理解することが難しい国なのか? 東日本大震災の福島原発事故の時にも感じた同じような思いがよぎり、ため息が出た。
世界でパンデミックが起きている中、海外メディアから伝わる危機感と日本との大きな違いに、違和感を感じずにはいられなかった。感染拡大防止の基本である「隔離と検査」。しかしなぜか、つい最近まで、日本のメディアだけは、いつまでもPCR検査論争を繰り広げていた。
危機感をもって伝え続けているメディアもあった。数ヶ月も前から、医療用マスクや防護服が足りなくなることへの恐怖を現場の医師が必死に訴えて続けていた。医療崩壊を起こさないために、病院の外にテントを張った発熱外来の設置やドライブスルーでの検査においても、1日も早く取り組む必要を2ケ月以上も前から何度も訴え続けている。
危機感のない日本に感染が蔓延することが心配される中、SNS等で海外情報を発信し続け、新型コロナウィルス感染症の最新情報を拡散し続けてくれた人もいる。私は、シェアすることぐらいしか出来なかったけれど、何とか命を守りたいと思っている彼らの必死さが痛いほど伝わった。
3月13日、アメリカで国家非常事態宣言が出された。当初は、新型ウイルスの感染拡大を「でっちあげ」だと非難する者までいたというアメリカでも、楽観視による初動の遅れから、多くの感染者と死者が出ているが、現実的な危機的状況を招く中で、トランプ大統領も必死に動き始めた様子が伝わり始めてきた。
ワクチンの実用化までには、1年〜1年半はかかると言われる中、日本ではオリンッピックが1年後に延期されることが報道された。この状況下で、1年後に新型コロナウィルスは収束してるのだろうかと、普通なら心配するはずだが、来年の開催を疑問視する声はあまり聞こえてこなかった。日本の新型コロナウィルス感染症への危機感のなさが、はっきりと伝わった瞬間でもあった。
「医療崩壊を起こさないためにPCR検査を絞る」という、この発言を聞くたび、恐ろしさを感じる。もちろん医療崩壊は起こしてはいけない。しかし、検査も受けられないまま、新型コロナウィルス感染症で苦しむ患者さんが、重篤化したらどうするのだろう? もし急変して亡くなったらどうするのだろう? という疑問ばかりが浮かんだ。患者への視点があまりにも欠落した発言に聞こえた。
PCR検査を増やすことと、医療崩壊が起きることはそもそも別次元の話だ。問われていたのは、病院内感染を防ぐためにも、どの様に検査戦略と体制を組み立てていくかだ。さもなくば、検査によって患者が増えて医療崩壊するのではなく、検査不足による院内感染によって医療崩壊が起きてしまう。
2月25日、既に国内では150例以上の感染者が出ていたという。厚労省が組織するクラスター対策チームの方は、この段階ですでに北海道だけではなく、かなり広範に感染者が見られ、感染経路が未確認の感染者がすでに数多くいたことを先日のNHKスペジャルで語っていた。クラスター潰しでは感染防止が不可能なまでの状態になっていながら、なぜ、事実をもっとしっかり報じてこなかったのだろう。
毎日発表される感染者の数でさえ、これまで絞ってきたというPCR検査の中で陽性だった人の数でしかない。いったいどれだけの人が感染しているのかという全体像は見えてこない。
4月7日、ようやく緊急非常事態宣言が出されたが、首相が語りかけてくる言葉に魂を感じられず、危機感は伝わらなかった。その後、今度は若者の気の緩みや自粛しない人たちを非難する声が上がっている。しかし、それを彼らの責任にしてほしくはない。海外から状況を知る時間もあり、対策を練る時間もあった中で、危機感のなかった日本政府のあり方が招いてきたことであり、今後、どの様な状況になろうとも、感染拡大が広がったことを国民のせいにだけはしてほしくない。
収束までに長期化することが予測される中、弊社ミューズの里の事業は、人が集うことで成り立つ事業ばかりであったことから、会社を継続していくためにも2月より事業内容の見直しを行いながら、これからどうしていけばよいのかを考える日々が続いた。感染防止を第一に考えながら、人が集わなくても継続していけることは何かを考え、志を捨てることなく、今をどう乗り越えていくかが問われている。
本日より、ミューズの里は青空オフィス!
打ち合わせは、晴れの日のみ。
雨の日は、各自自宅で作業となります。
日々、大変な思いをされている医療福祉従事者の皆さまに心から感謝と共に、今も感染により苦しんでおられる方々が1日も早く回復されることを願っています。この状況下の中、休むことも出来ず、みんなの生活を守るため働いておられるすべての皆様に感謝致します。
皆様の健康が守られるよう祈りながら、感染防止を第一に、私たちも自分たちに出来ることに全力をつくしながら、今を乗り越えていきたいと思います。
2020年04月20日
「MUSE VOICE」巻頭グラビア頁にて、被爆アオギリ2世や3世との思い出のお写真を募集中〜!
この夏に向けて創刊を目指すブックレット「MUSE VOICE」では、ヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々のメッセージと共に、「いのちの大切さ」「平和の尊さ」への思いを伝え、平和の種を蒔くみんなの声を届けていきます。創刊号(Vol.1)は、広島平和記念公園の被爆アオギリにたくされた思いと共に、日本全国・世界に広がる被爆アオギリ2世・3世の植樹を特集していきます。
巻頭グラビア頁にて、被爆アオギリ2世や3世を紹介していきます。被爆アオギリ2世や3世との思い出のお写真と一緒に一言コメントを「MUSE VOICE」編集部までお寄せください。皆様のご協力を何卒よろしくお願い申しあげます。
1)投稿してくださる方のお名前(ニックネームもOK!)
2)植樹されている場所
3)被爆アオギリ2世や3世に託す思い等(100文字以内)
※ ご投稿くださった皆様には、掲載誌を1冊贈呈させていただきますので、送付先ご住所もご明記ください。
◉送付先:ミューズの里「MUSE VOICE」編集部
E-mail: info@musevoice.com
〜被爆アオギリについて〜
広島平和記念公園内に生育する被爆したアオギリの木。その種から育った2世や3世の苗に平和への思いが託され、日本全国・世界に植樹されています。
巻頭グラビア頁にて、被爆アオギリ2世や3世を紹介していきます。被爆アオギリ2世や3世との思い出のお写真と一緒に一言コメントを「MUSE VOICE」編集部までお寄せください。皆様のご協力を何卒よろしくお願い申しあげます。
1)投稿してくださる方のお名前(ニックネームもOK!)
2)植樹されている場所
3)被爆アオギリ2世や3世に託す思い等(100文字以内)
※ ご投稿くださった皆様には、掲載誌を1冊贈呈させていただきますので、送付先ご住所もご明記ください。
◉送付先:ミューズの里「MUSE VOICE」編集部
E-mail: info@musevoice.com
〜被爆アオギリについて〜
広島平和記念公園内に生育する被爆したアオギリの木。その種から育った2世や3世の苗に平和への思いが託され、日本全国・世界に植樹されています。
2020年04月08日
福田迪子様から届いた着物地の衣装
いつも応援してくださっている福田迪子様からの素敵な贈り物。
着物の布で迪子様の手作りの衣装です。
下北沢で古着を買うことはあっても、この10年近く、新しい洋服をあまり買ったことのない私にとって宝物です。
もったいなくて着れないので、飾って眺めています。
お姉様の迪子様と一緒にいつも応援してくださっている小池崇子様から、たくさんの支援物資も送っていただき、本当にありがとうございます。
新型コロナウィルスの影響でスーパーの行列や買い占めが報道されいる時、弊社ミューズの里のスタッフの会話は「いざとなったら食べられる雑草って何だろう?」でした。まさにネットで調べようとしていた時、これまで大変お世話になっている皆様からの応援のメールやご支援物資が届きました。お陰様で、スーパーに並ぶこともなく、心より感謝申し上げます。
これまで、私にとっては命がけであり、必死で継続してきた事業も、不要不急という言葉の中に埋もれてしまうのだな…と、自粛を始めてしばらくは呆然と立ちすくんでいましたが、皆様からの励ましのお言葉に勇気をいただき、もう一度前に進む気力をいただきました。
今この状況化の中でも、各自が自宅で仕事をしながら出来ることを考えながら、これからも挑戦し続けていきます。
存在があまりに小さすぎて、とにかく自力で前に進みながら挑戦していかなければ、これまでだってずっと、すぐに消えてしまう存在でした。志を捨てず、どんなに小さくとも、小さいからこそ出来ることもあると信じて、一歩一歩前に進むことで精一杯の毎日。苦しくて辛い時も、声を上げる余力さえない中で、今日までこれたのは、本当に皆様のお陰です。
感謝を胸に、命ある限り、やれるところまで、みんなで力を合わせて、全力を尽くします!
表現の場づくり
ミューズの里のミモザが咲きました。
異文化交流イベントや表現の場づくりを一緒に手伝ってくれた今は亡きシンガーの川村祐子さんが大好きだったミモザ。
玄関で鉢植えにしているのですが、今年も綺麗に咲きました。
2007年3月27日、43歳の若さで旅立った祐子さん。
音楽の力を信じ、声の力を信じて生涯を歌に捧げた43歳の生涯でした。
あれから13年という月日が経ちました。
もし祐子さんが生きていたら、こんな空間で歌ってみたいと思ってもらえるような場所をつくっていきたいと思いからスタートしたミューズの里の表現空間づくり。
理想と現実の狭間で模索しながら、まだまだ途上にありますが、これからも表現の場づくりを目指していきたいと思っています。
新型コロナウィルス感染症の拡大を防止するために、しばらく皆様と集える場は自粛となりますが、またお会い出来る日を楽しみに、新たな企画にチャレンジしていきたいと思っています。
これからもよろしくお願い申し上げます。
2020年03月26日
心が元気になる野菜売り場
ミューズの里のオフィスの近くにある畑の前に、無人の野菜売り場があります。
今日も、いつもと変わらず営業中〜!
人通りも少なく、今までここで一度も人とすれ違ったことが一度もありません。でも、遅くてもお昼休みまでに行かないと、確実に売れていて夕方だと無くなっています。
この近くは、スーパーに行かなくても、畑で作ったお野菜を、自分の畑の前に無人の野菜売り場をつくって並べて売っておられる方々がおられます。
朝早く起きて野菜たちの世話をして収穫し、みんなのために並べてくださっているのだなぁ〜と思い浮かべながら、いつもありがたい気持ちで売り場に置かれている貯金箱に100円玉を入れます。
きっと作っておられる方も、ご自分で食べる野菜を作りながら、残りの分は近くの人たちに、より新鮮に安く美味しく届けてくださっているんだろうなぁ〜と感じながら、この野菜売り場の前を通るたびに、何故か心がホッとして安心し、なんだか嬉しくなります。
大きくなるまでずっと一緒に暮らしていた明治生まれの母方の祖父は、旧制福井中学校の校長先生を退職後、自給自足の暮らしを夢見て東京の田舎の山の麓で暮らし始めました。朝から日が暮れるまで畑を耕していた祖父の姿が思い出されます。北海道大学でクラーク博士のもとで学んだ祖父は、植物のことをとてもよく知っていて、教えてくれました。ある日、祖父が近所に買い物に行って両手に買い物袋を下げながら、下校途中のたくさんの小学生に囲まれいるのを見て、心配して近くに行くと、子供達に道端の雑草について教えていました。今思うと、もっともっと祖父とお話をする時間があったらよかったのにと残念ですが、お陰様で、祖父の野菜を食べて大きくなったので、私はこんなに元気なのかもしれません。
ふと祖父の事を思い浮かべながら、落ち込んでる時や、心配な時に、この野菜売り場の前を通ると、何だか元気をたくさんもらえます。この野菜自足自給の大切さを感じます。
野菜好きのスタッフやお世話になっている広島の被爆者の方のお家に伺う時も、いつもここの野菜がお土産です。そして、自分が作ったわけでもないのに、なんだか自慢したくなります。
あちこちに花がいっぱい咲き始めました。母のすきな花だいこん。この紫色の花が野原一面に咲いている景色を見るのが母はとても好きでした。
近くで唯一の喫茶店。
お庭にバラが咲き始めるのが今から楽しみです。
2020年03月15日
ふぅ〜。やっとメールが元に戻りました〜!
昨年の12月に引き続き、メールの容量がいっぱいになって使えなくなっていたようで、大変ご迷惑をおかけしました。転送先で保存容量の10Gを超えていたようで、ストップしたままだったようです。重い画像添付ファイルの削除を行い、ようやく整理ができました〜!
経費削減のため、より安い携帯に変更した際に、機種や会社が変わることで、これまで使っていたパソコンのメールとも連動していたようで、大きな容量が使えなくなっていたようです。電話での問い合わせ先もなく、苦手なネット上だけで対応しなくてはならず、時間がかかってしまいました。
この間、送受できずにいたメールもあったかと思います。ネットに疎く、今の時代になかなかついていけないけれど、そんな事を言っていたら仕事にならないので、なんとかがんばってはいるのですが(><)ふぅ〜。
いろいろとご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。いつもアドバイスしてくださっているオリちゃんはじめスタッフの皆様に心より感謝申し上げます💖
経費削減のため、より安い携帯に変更した際に、機種や会社が変わることで、これまで使っていたパソコンのメールとも連動していたようで、大きな容量が使えなくなっていたようです。電話での問い合わせ先もなく、苦手なネット上だけで対応しなくてはならず、時間がかかってしまいました。
この間、送受できずにいたメールもあったかと思います。ネットに疎く、今の時代になかなかついていけないけれど、そんな事を言っていたら仕事にならないので、なんとかがんばってはいるのですが(><)ふぅ〜。
いろいろとご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。いつもアドバイスしてくださっているオリちゃんはじめスタッフの皆様に心より感謝申し上げます💖
2020年03月04日
2020年02月29日
新型コロナウィルス感染症の1日も早い終息を祈ります。
ぎっくり腰で動けなかった日々の分を何とか挽回しようと必死に気合を入れて3月のイベントや上映会等の企画を終えた後、報道ニュースを通じて、新型コロナウィルスへの初期対応の遅れや見当外れな対応が気になりはじめ、どうしたものかと思案する中で……、先日の交流会を延期させていただき、万が一会場にお客様がいらっしゃった場合に備え、私と伊藤が伺わせていただきました。
ご高齢者や疾患を持っておられた方々は、内心とても心配されていたのではないかと思います。事前に皆様全員に対応することができたので、ホッとしております。改めて開催日が決まり次第またご報告させていただきますので、その際には何卒よろしくお願い申し上げます。
この度の延期は、まだ日本政府からのイベント等の中止や延期、縮小の要請等が出される前ではありましたが、元国立感染症研究所員の岡田晴恵教授が必死に訴える「この2週間内に感染を防ぐ措置をとれなければ、国民に痛みを与え、その痛みはやがて恨みとなって大変なことになる」という必死の呼びかけに、感染拡大を食い止める協力をできる限りしなければという思いになりました。
報道ニュースから伝わる岡田晴恵教授の言葉からは、初期の対応が遅れている今の日本の状況下の中で、これ以上の悲しみを生まないために必死に命と向かい合いながら、本当のことを伝えたいという自己保身のない思いがストレートに伝わってきました。
新型コロナウィルス感染拡大への報道を聞きながら、2010年に米国ワシントンの財団法人カーネギー地球物理学研究所で、広島平和記念公園の被爆アオギリ2世植樹と海外初のライブを行った時にコーディネイトしてくださった地球物理学研究をされている先生の言葉が思い出されました。
人類の未来を考える時、核なき世界の実現や戦争を問題解決の手段にしないことの大切さはもちろんの事ですが、有史以前から感染症との闘いを繰り返してきた人類にとって、ウィルスとの戦いはこれからも続き、地球温暖化によってこれから新たに出現してくる病気との戦いや、それ以外にも遺伝子組み換え食品が人類の将来に何をもたらすかへの強い懸念と危機感について語られていました。
この度の新型コロナウィルスは大変な事態ではありますが、日本の危機管理のあり方を知るきっかけともなり、自国や世界のありようもよく見えてくる中で、いろいろ考えさせられる機会ともなりました。不安や恐怖に煽られることなく、冷静に対応していきたいと思います。
今のところ弊社では、3月に自社で企画したライブや上映、催しの延期を致しました。弊社のような小さな会社にとって、このような状況は、言葉にならないほど苦しく、会社を存続させる上で大変な試練であり、たくさんの痛みを伴っています。
しかし、これまでも数々の困難を共に乗り越えてきたスタッフと共に力を合わせ、今を乗り越えて次に向かっていけるように、より一層の努力を積み重ねてまいりたいと存じます。
新型コロナウイルスでお亡くなりになった方のご冥福と共に、今も苦しんでおられる皆様の一日も早い快復を心よりお祈りしています。感染拡大の早期終息を心より祈っています。
今後とも、皆様のご支援・ご協力をよろしくお願い申し上げます。
ご高齢者や疾患を持っておられた方々は、内心とても心配されていたのではないかと思います。事前に皆様全員に対応することができたので、ホッとしております。改めて開催日が決まり次第またご報告させていただきますので、その際には何卒よろしくお願い申し上げます。
この度の延期は、まだ日本政府からのイベント等の中止や延期、縮小の要請等が出される前ではありましたが、元国立感染症研究所員の岡田晴恵教授が必死に訴える「この2週間内に感染を防ぐ措置をとれなければ、国民に痛みを与え、その痛みはやがて恨みとなって大変なことになる」という必死の呼びかけに、感染拡大を食い止める協力をできる限りしなければという思いになりました。
報道ニュースから伝わる岡田晴恵教授の言葉からは、初期の対応が遅れている今の日本の状況下の中で、これ以上の悲しみを生まないために必死に命と向かい合いながら、本当のことを伝えたいという自己保身のない思いがストレートに伝わってきました。
新型コロナウィルス感染拡大への報道を聞きながら、2010年に米国ワシントンの財団法人カーネギー地球物理学研究所で、広島平和記念公園の被爆アオギリ2世植樹と海外初のライブを行った時にコーディネイトしてくださった地球物理学研究をされている先生の言葉が思い出されました。
人類の未来を考える時、核なき世界の実現や戦争を問題解決の手段にしないことの大切さはもちろんの事ですが、有史以前から感染症との闘いを繰り返してきた人類にとって、ウィルスとの戦いはこれからも続き、地球温暖化によってこれから新たに出現してくる病気との戦いや、それ以外にも遺伝子組み換え食品が人類の将来に何をもたらすかへの強い懸念と危機感について語られていました。
この度の新型コロナウィルスは大変な事態ではありますが、日本の危機管理のあり方を知るきっかけともなり、自国や世界のありようもよく見えてくる中で、いろいろ考えさせられる機会ともなりました。不安や恐怖に煽られることなく、冷静に対応していきたいと思います。
今のところ弊社では、3月に自社で企画したライブや上映、催しの延期を致しました。弊社のような小さな会社にとって、このような状況は、言葉にならないほど苦しく、会社を存続させる上で大変な試練であり、たくさんの痛みを伴っています。
しかし、これまでも数々の困難を共に乗り越えてきたスタッフと共に力を合わせ、今を乗り越えて次に向かっていけるように、より一層の努力を積み重ねてまいりたいと存じます。
新型コロナウイルスでお亡くなりになった方のご冥福と共に、今も苦しんでおられる皆様の一日も早い快復を心よりお祈りしています。感染拡大の早期終息を心より祈っています。
今後とも、皆様のご支援・ご協力をよろしくお願い申し上げます。
2020年01月31日
NHK NEWS WEB 「新大久保駅の転落事故から19年 韓国人留学生の遺族が黙とう」
ドキュメンタリー映画『かけはし』にご出演くださったシン・ユンチャンさんが来日し、息子スヒョンさんの命日に(JR山手線の新大久保駅での事故から19年目を迎えた1月26日に)駅構内の慰霊のためのプレートに献花した後、事故現場となったホームで静かに手を合わせる姿がNHKニュースで放映されました。
NHK NEWS WEB
新大久保駅の転落事故から19年 韓国人留学生の遺族が黙とう
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200126/k10012259501000.html
お母様は、「息子は日韓関係がよくなることを心から願っていると思いますので、皆さんも一緒に応援してください」とコメントされていました。
2020年01月12日
皆様に感謝を込めて。
私が小さな頃、亡き母がよく庭に植えていたお花をオフィスに〜♪
皆様からの優しいお気持ちに
心より感謝申し上げます。
本当にありがとうございます💖
たからプロデューサーも今年は6才になります。
「たから」と覚えられなかった母はよく「いのち」と呼んでいました。
愛されることより愛することを、理解されることより理解することを大切にしながら生きていた母は、常に自分のことより誰かのために生きることに喜びを感じている人でした。
自分の体が弱り、介護される立場になった時、様々な心の葛藤があったと思います。さぞかし辛かったことと思います。
そんな中で、ミューズの里のオフィスに保護犬としてやって来たたからプロデューサーが、時々ホームステイさせていただきました。オフィスに来たばかりの頃、たからプロデューサーは病弱で痩せていたので、母がよくおやつをあげてくれました。優しい人をすぐに見分ける能力を持つたからプロデューサーはいつもベッドの上の母のお腹の上や足元に座っていました。とてもやわらかい笑顔に戻る母を見て、母もたからプロデューサーによって癒されていることが伝わりました。
皆様に、そして、たからプロデューサーにもお世話になり、本当にありがとうございました。
▲ミューズの里のスタッフとして活躍中のたからプロデューサーです♪
人生は、辛く悲しく大変なことの方が多いと思う時もあります。それでもやっぱり人生って素晴らしい!と思える自分になれたのは、母がいてくれたからだと思います。そして、母と同じように本当の優しさを持つ、心豊かな人々との出会いをいただけたからだと思います。
その事に深く感謝すればするほど、思います。
志を果たしていくことが母への供養となるよう、そして、いつも見守ってくださっている皆様へのご恩返しとなるよう、全力を尽くしながら与えられた命を最後まで感謝と共に生きていきたいと思います。
皆様に改めて心より深く感謝申し上げます✨
2019年12月31日
2019年が終わっていく…。
2019年が終わっていく…。
いろんな意味で今年ほど、こんなに感慨深い年はなかったかもしれない。
よく乗り越えてきたと思う。今年を…そして、これまでを。
今まで以上に、辛く苦しいことはあるかもしれない。今まで以上に、迷い悩むこともあるかもしれない。
でも、何があろうと、まっすぐに、強くしなやかに、本当に大切にすべきことをちゃんと大切にしながら生きていく。授かった命に感謝しながら最後まで生きていく。そのゆるぎない覚悟と信念を、しっかりとイメージ出来た2019年だった。
たどり着くまでに55年もかかってしまった。それだけの年月をかけてようやく本当に、自分自身になれたような気がする。
ここからがきっと、私の人生なのだと思う。
未熟な私をずっと見守りサポートしてくれているミューズの里の仲間たち、ご支援・ご協力し続けてくださっている皆様に、心より感謝申しあげます。今年も一年、本当にありがとうございました✨
みんなと一緒にがんばってくれたTakaraプロデューサーにも、心より感謝申しあげます。
2020年もよろしくお願い申しあげます✨
2019年12月27日
ミューズの里に新たな仲間が加わりました〜🎵
2019年12月25日
執筆中〜!
2019年11月27日
REZAMOS POR LA PAZ (平和のために祈ります)
福岡県指定有形文化財としても知られる西南学院大学博物館2階講堂で、映画「かけはし」をみる会(福岡)主催による上映会が開催された11/23、フランシスコ教皇様が羽田空港に到着されました。
母校のカリタス学園の学生が、「REZAMOS POR LA PAZ (平和のために祈ります)」というスペイン語のカードを持って空港で出迎えたそうです。
今年、カリタスに起きた深い悲しみを乗り越え、心に平和を抱きながら、愛の連鎖を生み出し、闇あるところに光がもたらされていきますよう、お祈り申し上げます。
福岡での「かけはし」上映中、24日に長崎で開かれるフランシスコ教皇のミサに参加するために韓国から来日した高齢の在韓被爆者や支援者らが、福岡出入国在留管理局福岡空港出張所での入国審査で足止めされ、映画を見に来てくださっていた福岡県弁護士会の後藤富和弁護士にご連絡が入り、上映の最後にお話をしてくださることになっていた日韓の架け橋として活動されている木村英生様が韓国語の通訳のため、福岡空港に向かうことになりました。約5時間足止めされたそうすが、無事長崎に向かわれたとのご報告を受けてホッとしております。
翌日24日、長崎と広島を訪れたフランシスコ教皇様の核兵器廃絶へのメッセージが、「自分と同じ苦しみを世界の誰にも二度とさせたくはない…」と願う広島・長崎の多くの被爆者の方々の祈りと共に、心に深く刻まれました。
NHK「ローマ教皇 長崎 広島でのスピーチ(全文)」
➡️ https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191124/k10012189341000.html
長崎 爆心地公園での教皇様のスピーチ
2019年11月24日 長崎
愛する兄弟姉妹の皆さん。
この場所は、わたしたち人間が過ちを犯しうる存在であるということを、悲しみと恐れとともに意識させてくれます。近年、浦上教会で見いだされた被爆十字架とマリア像は、被爆なさったかたとそのご家族が生身の身体に受けられた筆舌に尽くしがたい苦しみを、あらためて思い起こさせてくれます。
人の心にあるもっとも深い望みの一つは、平和と安定への望みです。核兵器や大量破壊兵器を所有することは、この望みへの最良のこたえではありません。それどころか、この望みをたえず試みにさらすことになるのです。わたしたちの世界は、手に負えない分裂の中にあります。それは、恐怖と相互不信を土台とした偽りの確かさの上に平和と安全を築き、確かなものにしようという解決策です。人と人の関係をむしばみ、相互の対話を阻んでしまうものです。
国際的な平和と安定は、相互破壊への不安や、壊滅の脅威を土台とした、どんな企てとも相いれないものです。むしろ、現在と未来のすべての人類家族が共有する相互尊重と奉仕への協力と連帯という、世界的な倫理によってのみ実現可能となります。
ここは、核兵器が人道的にも環境にも悲劇的な結末をもたらすことの証人である町です。そして、軍備拡張競争に反対する声は、小さくともつねに上がっています。軍備拡張競争は、貴重な資源の無駄遣いです。本来それは、人々の全人的発展と自然環境の保全に使われるべきものです。今日の世界では、何百万という子どもや家族が、人間以下の生活を強いられています。しかし、武器の製造、改良、維持、商いに財が費やされ、築かれ、日ごと武器は、いっそう破壊的になっています。これらは途方もないテロ行為です。
核兵器から解放された平和な世界。それは、あらゆる場所で、数え切れないほどの人が熱望していることです。この理想を実現するには、すべての人の参加が必要です。個々人、宗教団体、市民社会、核兵器保有国も、非保有国も、軍隊も民間も、国際機関もそうです。核兵器の脅威に対しては、一致団結して応じなくてはなりません。それは、現今の世界を覆う不信の流れを打ち壊す、困難ながらも堅固な構造を土台とした、相互の信頼に基づくものです。1963年に聖ヨハネ23世教皇は、回勅『地上の平和(パーチェム・イン・テリス)』で核兵器の禁止を世界に訴えていますが(112番[邦訳60番]参照)、そこではこう断言してもいます。「軍備の均衡が平和の条件であるという理解を、真の平和は相互の信頼の上にしか構築できないという原則に置き換える必要があります」(113番[邦訳61番])。
今、拡大しつつある、相互不信の流れを壊さなくてはなりません。相互不信によって、兵器使用を制限する国際的な枠組みが崩壊する危険があるのです。わたしたちは、多国間主義の衰退を目の当たりにしています。それは、兵器の技術革新にあってさらに危険なことです。この指摘は、相互の結びつきを特徴とする現今の情勢から見ると的を射ていないように見えるかもしれませんが、あらゆる国の指導者が緊急に注意を払うだけでなく、力を注ぎ込むべき点なのです。
カトリック教会としては、人々と国家間の平和の実現に向けて不退転の決意を固めています。それは、神に対し、そしてこの地上のあらゆる人に対する責務なのです。核兵器禁止条約を含め、核軍縮と核不拡散に関する主要な国際的な法的原則に則り、飽くことなく、迅速に行動し、訴えていくことでしょう。昨年の7月、日本司教協議会は、核兵器廃絶の呼びかけを行いました。また、日本の教会では毎年8月に、平和に向けた10日間の平和旬間を行っています。どうか、祈り、一致の促進の飽くなき探求、対話への粘り強い招きが、わたしたちが信を置く「武器」でありますように。また、平和を真に保証する、正義と連帯のある世界を築く取り組みを鼓舞するものとなりますように。
核兵器のない世界が可能であり必要であるという確信をもって、政治をつかさどる指導者の皆さんにお願いします。核兵器は、今日の国際的また国家の、安全保障への脅威からわたしたちを守ってくれるものではない、そう心に刻んでください。人道的および環境の観点から、核兵器の使用がもたらす壊滅的な破壊を考えなくてはなりません。核の理論によって促される、恐れ、不信、敵意の増幅を止めなければなりません。今の地球の状態から見ると、その資源がどのように使われるのかを真剣に考察することが必要です。複雑で困難な持続可能な開発のための2030アジェンダの達成、すなわち人類の全人的発展という目的を達成するためにも、真剣に考察しなくてはなりません。1964年に、すでに教皇聖パウロ6世は、防衛費の一部から世界基金を創設し、貧しい人々の援助に充てることを提案しています(「ムンバイでの報道記者へのスピーチ(1964年12月4日)」。回勅『ポプロールム・プログレッシオ(1967年3月26日)』参照)。
こういったことすべてのために、信頼関係と相互の発展とを確かなものとするための構造を作り上げ、状況に対応できる指導者たちの協力を得ることが、きわめて重要です。責務には、わたしたち皆がかかわっていますし、全員が必要とされています。今日、わたしたちが心を痛めている何百万という人の苦しみに、無関心でいてよい人はいません。傷の痛みに叫ぶ兄弟の声に耳を塞いでよい人はどこにもいません。対話することのできない文化による破滅を前に目を閉ざしてよい人はどこにもいません。
心を改めることができるよう、また、いのちの文化、ゆるしの文化、兄弟愛の文化が勝利を収めるよう、毎日心を一つにして祈ってくださるようお願いします。共通の目的地を目指す中で、相互の違いを認め保証する兄弟愛です。
ここにおられる皆さんの中には、カトリック信者でないかたもおられることでしょう。でも、アッシジの聖フランシスコに由来する平和を求める祈りは、私たち全員の祈りとなると確信しています。
主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。
憎しみがあるところに愛を、
いさかいがあるところにゆるしを、
疑いのあるところに信仰を、
絶望があるところに希望を、
闇に光を、
悲しみあるところに喜びをもたらすものとしてください。
記憶にとどめるこの場所、それはわたしたちをハッとさせ、無関心でいることを許さないだけでなく、神にもっと信頼を寄せるよう促してくれます。また、わたしたちが真の平和の道具となって働くよう勧めてくれています。過去と同じ過ちを犯さないためにも勧めているのです。
皆さんとご家族、そして、全国民が、繁栄と社会の和の恵みを享受できますようお祈りいたします。
広島 平和公園での教皇スピーチ
平和記念公園にて
2019年11月24日、広島
「わたしはいおう、わたしの兄弟、友のために。『あなたのうちに平和があるように』」(詩編122・8)。
あわれみの神、歴史の主よ、この場所から、わたしたちはあなたに目を向けます。死といのち、崩壊と再生、苦しみといつくしみの交差するこの場所から。
ここで、大勢の人が、その夢と希望が、一瞬の閃光と炎によって跡形もなく消され、影と沈黙だけが残りました。一瞬のうちに、すべてが破壊と死というブラックホールに飲み込まれました。その沈黙の淵から、亡き人々のすさまじい叫び声が、今なお聞こえてきます。さまざまな場所から集まり、それぞれの名をもち、なかには、異なる言語を話す人たちもいました。そのすべての人が、同じ運命によって、このおぞましい一瞬で結ばれたのです。その瞬間は、この国の歴史だけでなく、人類の顔に永遠に刻まれました。
この場所のすべての犠牲者を記憶にとどめます。また、あの時を生き延びたかたがたを前に、その強さと誇りに、深く敬意を表します。その後の長きにわたり、身体の激しい苦痛と、心の中の生きる力をむしばんでいく死の兆しを忍んでこられたからです。
わたしは平和の巡礼者として、この場所を訪れなければならないと感じていました。激しい暴力の犠牲となった罪のない人々を思い出し、現代社会の人々の願いと望みを胸にしつつ、じっと祈るためです。とくに、平和を望み、平和のために働き、平和のために自らを犠牲にする若者たちの願いと望みです。わたしは記憶と未来にあふれるこの場所に、貧しい人たちの叫びも携えて参りました。貧しい人々はいつの時代も、憎しみと対立の無防備な犠牲者だからです。
わたしはつつしんで、声を発しても耳を貸してもらえない人々の声になりたいと思います。現代社会が直面する増大した緊張状態を、不安と苦悩を抱えて見つめる人々の声です。それは、人類の共生を脅かす受け入れがたい不平等と不正義、わたしたちの共通の家を世話する能力の著しい欠如、また、あたかもそれで未来の平和が保障されるかのように行われる、継続的あるいは突発的な武力行使などに対する声です。
確信をもって、あらためて申し上げます。戦争のために原子力を使用することは、現代において、犯罪以外の何ものでもありません。人類とその尊厳に反するだけでなく、わたしたちの共通の家の未来におけるあらゆる可能性に反します。原子力の戦争目的の使用は、倫理に反します。核兵器の保有は、それ自体が倫理に反しています。それは、わたしがすでに2年前に述べたとおりです。これについて、わたしたちは裁きを受けることになります。次の世代の人々が、わたしたちの失態を裁く裁判官として立ち上がるでしょう。平和について話すだけで、国と国の間で何の行動も起こさなかったと。戦争のための最新鋭で強力な兵器を製造しながら、平和について話すことなどどうしてできるでしょうか。差別と憎悪のスピーチで、あのだれもが知る偽りの行為を正当化しておきながら、どうして平和について話せるでしょうか。
平和は、それが真理を基盤とし、正義に従って実現し、愛によって息づき完成され、自由において形成されないのであれば、単なる「発せられることば」に過ぎなくなると確信しています。(聖ヨハネ23世回勅『パーチェム・イン・テリス―地上の平和』37〔邦訳20〕参照)。真理と正義をもって平和を築くとは、「人間の間には、知識、徳、才能、物質的資力などの差がしばしば著しく存在する」(同上87〔同49〕)のを認めることです。ですから、自分だけの利益を求めるため、他者に何かを強いることが正当化されてよいはずはありません。その逆に、差の存在を認めることは、いっそうの責任と敬意の源となるのです。同じく政治共同体は、文化や経済成長といった面ではそれぞれ正当に差を有していても、「相互の進歩に対して」(同88〔同49〕)、すべての人の善益のために働く責務へと招かれています。
実際、より正義にかなう安全な社会を築きたいと真に望むならば、武器を手放さなければなりません。「武器を手にしたまま、愛することはできません」(聖パウロ6世「国連でのスピーチ(1965年10月4日)」10)。武力の論理に屈して対話から遠ざかってしまえば、いっそうの犠牲者と廃墟を生み出すことが分かっていながら、武力が悪夢をもたらすことを忘れてしまうのです。武力は「膨大な出費を要し、連帯を推し進める企画や有益な作業計画が滞り、民の心理を台なしにします」(同)。紛争の正当な解決策として、核戦争の脅威による威嚇をちらつかせながら、どうして平和を提案できるでしょうか。この底知れぬ苦しみが、決して越えてはならない一線を自覚させてくれますように。真の平和とは、非武装の平和以外にありえません。それに、「平和は単に戦争がないことでもな〔く〕、……たえず建設されるべきもの」(第二バチカン公会議『現代世界憲章』78)です。それは正義の結果であり、発展の結果、連帯の結果であり、わたしたちの共通の家の世話の結果、共通善を促進した結果生まれるものなのです。わたしたちは歴史から学ばなければなりません。
思い出し、ともに歩み、守ること。この三つは、倫理的命令です。これらは、まさにここ広島において、よりいっそう強く、より普遍的な意味をもちます。この三つには、平和となる道を切り開く力があります。したがって、現在と将来の世代が、ここで起きた出来事を忘れるようなことがあってはなりません。記憶は、より正義にかない、いっそう兄弟愛にあふれる将来を築くための、保証であり起爆剤なのです。すべての人の良心を目覚めさせられる、広がる力のある記憶です。わけても国々の運命に対し、今、特別な役割を負っているかたがたの良心に訴えるはずです。これからの世代に向かって、言い続ける助けとなる記憶です。二度と繰り返しません、と。
だからこそわたしたちは、ともに歩むよう求められているのです。理解とゆるしのまなざしで、希望の地平を切り開き、現代の空を覆うおびただしい黒雲の中に、一条の光をもたらすのです。希望に心を開きましょう。和解と平和の道具となりましょう。それは、わたしたちが互いを大切にし、運命共同体で結ばれていると知るなら、いつでも実現可能です。現代世界は、グローバル化で結ばれているだけでなく、共通の大地によっても、いつも相互に結ばれています。共通の未来を確実に安全なものとするために、責任をもって闘う偉大な人となるよう、それぞれのグループや集団が排他的利益を後回しにすることが、かつてないほど求められています。
神に向かい、すべての善意の人に向かい、一つの願いとして、原爆と核実験とあらゆる紛争のすべての犠牲者の名によって、心から声を合わせて叫びましょう。戦争はもういらない! 兵器の轟音はもういらない! こんな苦しみはもういらない! と。わたしたちの時代に、わたしたちのいるこの世界に、平和が来ますように。神よ、あなたは約束してくださいました。「いつくしみとまことは出会い、正義と平和は口づけし、まことは地から萌えいで、正義は天から注がれます」(詩編85・11−12)。
主よ、急いで来てください。破壊があふれた場所に、今とは違う歴史を描き実現する希望があふれますように。平和の君である主よ、来てください。わたしたちをあなたの平和の道具、あなたの平和を響かせるものとしてください!
「わたしはいおう、わたしの兄弟、友のために。『あなたのうちに平和があるように』」(詩編122・8)。
母校のカリタス学園の学生が、「REZAMOS POR LA PAZ (平和のために祈ります)」というスペイン語のカードを持って空港で出迎えたそうです。
今年、カリタスに起きた深い悲しみを乗り越え、心に平和を抱きながら、愛の連鎖を生み出し、闇あるところに光がもたらされていきますよう、お祈り申し上げます。
福岡での「かけはし」上映中、24日に長崎で開かれるフランシスコ教皇のミサに参加するために韓国から来日した高齢の在韓被爆者や支援者らが、福岡出入国在留管理局福岡空港出張所での入国審査で足止めされ、映画を見に来てくださっていた福岡県弁護士会の後藤富和弁護士にご連絡が入り、上映の最後にお話をしてくださることになっていた日韓の架け橋として活動されている木村英生様が韓国語の通訳のため、福岡空港に向かうことになりました。約5時間足止めされたそうすが、無事長崎に向かわれたとのご報告を受けてホッとしております。
翌日24日、長崎と広島を訪れたフランシスコ教皇様の核兵器廃絶へのメッセージが、「自分と同じ苦しみを世界の誰にも二度とさせたくはない…」と願う広島・長崎の多くの被爆者の方々の祈りと共に、心に深く刻まれました。
NHK「ローマ教皇 長崎 広島でのスピーチ(全文)」
➡️ https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191124/k10012189341000.html
長崎 爆心地公園での教皇様のスピーチ
2019年11月24日 長崎
愛する兄弟姉妹の皆さん。
この場所は、わたしたち人間が過ちを犯しうる存在であるということを、悲しみと恐れとともに意識させてくれます。近年、浦上教会で見いだされた被爆十字架とマリア像は、被爆なさったかたとそのご家族が生身の身体に受けられた筆舌に尽くしがたい苦しみを、あらためて思い起こさせてくれます。
人の心にあるもっとも深い望みの一つは、平和と安定への望みです。核兵器や大量破壊兵器を所有することは、この望みへの最良のこたえではありません。それどころか、この望みをたえず試みにさらすことになるのです。わたしたちの世界は、手に負えない分裂の中にあります。それは、恐怖と相互不信を土台とした偽りの確かさの上に平和と安全を築き、確かなものにしようという解決策です。人と人の関係をむしばみ、相互の対話を阻んでしまうものです。
国際的な平和と安定は、相互破壊への不安や、壊滅の脅威を土台とした、どんな企てとも相いれないものです。むしろ、現在と未来のすべての人類家族が共有する相互尊重と奉仕への協力と連帯という、世界的な倫理によってのみ実現可能となります。
ここは、核兵器が人道的にも環境にも悲劇的な結末をもたらすことの証人である町です。そして、軍備拡張競争に反対する声は、小さくともつねに上がっています。軍備拡張競争は、貴重な資源の無駄遣いです。本来それは、人々の全人的発展と自然環境の保全に使われるべきものです。今日の世界では、何百万という子どもや家族が、人間以下の生活を強いられています。しかし、武器の製造、改良、維持、商いに財が費やされ、築かれ、日ごと武器は、いっそう破壊的になっています。これらは途方もないテロ行為です。
核兵器から解放された平和な世界。それは、あらゆる場所で、数え切れないほどの人が熱望していることです。この理想を実現するには、すべての人の参加が必要です。個々人、宗教団体、市民社会、核兵器保有国も、非保有国も、軍隊も民間も、国際機関もそうです。核兵器の脅威に対しては、一致団結して応じなくてはなりません。それは、現今の世界を覆う不信の流れを打ち壊す、困難ながらも堅固な構造を土台とした、相互の信頼に基づくものです。1963年に聖ヨハネ23世教皇は、回勅『地上の平和(パーチェム・イン・テリス)』で核兵器の禁止を世界に訴えていますが(112番[邦訳60番]参照)、そこではこう断言してもいます。「軍備の均衡が平和の条件であるという理解を、真の平和は相互の信頼の上にしか構築できないという原則に置き換える必要があります」(113番[邦訳61番])。
今、拡大しつつある、相互不信の流れを壊さなくてはなりません。相互不信によって、兵器使用を制限する国際的な枠組みが崩壊する危険があるのです。わたしたちは、多国間主義の衰退を目の当たりにしています。それは、兵器の技術革新にあってさらに危険なことです。この指摘は、相互の結びつきを特徴とする現今の情勢から見ると的を射ていないように見えるかもしれませんが、あらゆる国の指導者が緊急に注意を払うだけでなく、力を注ぎ込むべき点なのです。
カトリック教会としては、人々と国家間の平和の実現に向けて不退転の決意を固めています。それは、神に対し、そしてこの地上のあらゆる人に対する責務なのです。核兵器禁止条約を含め、核軍縮と核不拡散に関する主要な国際的な法的原則に則り、飽くことなく、迅速に行動し、訴えていくことでしょう。昨年の7月、日本司教協議会は、核兵器廃絶の呼びかけを行いました。また、日本の教会では毎年8月に、平和に向けた10日間の平和旬間を行っています。どうか、祈り、一致の促進の飽くなき探求、対話への粘り強い招きが、わたしたちが信を置く「武器」でありますように。また、平和を真に保証する、正義と連帯のある世界を築く取り組みを鼓舞するものとなりますように。
核兵器のない世界が可能であり必要であるという確信をもって、政治をつかさどる指導者の皆さんにお願いします。核兵器は、今日の国際的また国家の、安全保障への脅威からわたしたちを守ってくれるものではない、そう心に刻んでください。人道的および環境の観点から、核兵器の使用がもたらす壊滅的な破壊を考えなくてはなりません。核の理論によって促される、恐れ、不信、敵意の増幅を止めなければなりません。今の地球の状態から見ると、その資源がどのように使われるのかを真剣に考察することが必要です。複雑で困難な持続可能な開発のための2030アジェンダの達成、すなわち人類の全人的発展という目的を達成するためにも、真剣に考察しなくてはなりません。1964年に、すでに教皇聖パウロ6世は、防衛費の一部から世界基金を創設し、貧しい人々の援助に充てることを提案しています(「ムンバイでの報道記者へのスピーチ(1964年12月4日)」。回勅『ポプロールム・プログレッシオ(1967年3月26日)』参照)。
こういったことすべてのために、信頼関係と相互の発展とを確かなものとするための構造を作り上げ、状況に対応できる指導者たちの協力を得ることが、きわめて重要です。責務には、わたしたち皆がかかわっていますし、全員が必要とされています。今日、わたしたちが心を痛めている何百万という人の苦しみに、無関心でいてよい人はいません。傷の痛みに叫ぶ兄弟の声に耳を塞いでよい人はどこにもいません。対話することのできない文化による破滅を前に目を閉ざしてよい人はどこにもいません。
心を改めることができるよう、また、いのちの文化、ゆるしの文化、兄弟愛の文化が勝利を収めるよう、毎日心を一つにして祈ってくださるようお願いします。共通の目的地を目指す中で、相互の違いを認め保証する兄弟愛です。
ここにおられる皆さんの中には、カトリック信者でないかたもおられることでしょう。でも、アッシジの聖フランシスコに由来する平和を求める祈りは、私たち全員の祈りとなると確信しています。
主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。
憎しみがあるところに愛を、
いさかいがあるところにゆるしを、
疑いのあるところに信仰を、
絶望があるところに希望を、
闇に光を、
悲しみあるところに喜びをもたらすものとしてください。
記憶にとどめるこの場所、それはわたしたちをハッとさせ、無関心でいることを許さないだけでなく、神にもっと信頼を寄せるよう促してくれます。また、わたしたちが真の平和の道具となって働くよう勧めてくれています。過去と同じ過ちを犯さないためにも勧めているのです。
皆さんとご家族、そして、全国民が、繁栄と社会の和の恵みを享受できますようお祈りいたします。
広島 平和公園での教皇スピーチ
平和記念公園にて
2019年11月24日、広島
「わたしはいおう、わたしの兄弟、友のために。『あなたのうちに平和があるように』」(詩編122・8)。
あわれみの神、歴史の主よ、この場所から、わたしたちはあなたに目を向けます。死といのち、崩壊と再生、苦しみといつくしみの交差するこの場所から。
ここで、大勢の人が、その夢と希望が、一瞬の閃光と炎によって跡形もなく消され、影と沈黙だけが残りました。一瞬のうちに、すべてが破壊と死というブラックホールに飲み込まれました。その沈黙の淵から、亡き人々のすさまじい叫び声が、今なお聞こえてきます。さまざまな場所から集まり、それぞれの名をもち、なかには、異なる言語を話す人たちもいました。そのすべての人が、同じ運命によって、このおぞましい一瞬で結ばれたのです。その瞬間は、この国の歴史だけでなく、人類の顔に永遠に刻まれました。
この場所のすべての犠牲者を記憶にとどめます。また、あの時を生き延びたかたがたを前に、その強さと誇りに、深く敬意を表します。その後の長きにわたり、身体の激しい苦痛と、心の中の生きる力をむしばんでいく死の兆しを忍んでこられたからです。
わたしは平和の巡礼者として、この場所を訪れなければならないと感じていました。激しい暴力の犠牲となった罪のない人々を思い出し、現代社会の人々の願いと望みを胸にしつつ、じっと祈るためです。とくに、平和を望み、平和のために働き、平和のために自らを犠牲にする若者たちの願いと望みです。わたしは記憶と未来にあふれるこの場所に、貧しい人たちの叫びも携えて参りました。貧しい人々はいつの時代も、憎しみと対立の無防備な犠牲者だからです。
わたしはつつしんで、声を発しても耳を貸してもらえない人々の声になりたいと思います。現代社会が直面する増大した緊張状態を、不安と苦悩を抱えて見つめる人々の声です。それは、人類の共生を脅かす受け入れがたい不平等と不正義、わたしたちの共通の家を世話する能力の著しい欠如、また、あたかもそれで未来の平和が保障されるかのように行われる、継続的あるいは突発的な武力行使などに対する声です。
確信をもって、あらためて申し上げます。戦争のために原子力を使用することは、現代において、犯罪以外の何ものでもありません。人類とその尊厳に反するだけでなく、わたしたちの共通の家の未来におけるあらゆる可能性に反します。原子力の戦争目的の使用は、倫理に反します。核兵器の保有は、それ自体が倫理に反しています。それは、わたしがすでに2年前に述べたとおりです。これについて、わたしたちは裁きを受けることになります。次の世代の人々が、わたしたちの失態を裁く裁判官として立ち上がるでしょう。平和について話すだけで、国と国の間で何の行動も起こさなかったと。戦争のための最新鋭で強力な兵器を製造しながら、平和について話すことなどどうしてできるでしょうか。差別と憎悪のスピーチで、あのだれもが知る偽りの行為を正当化しておきながら、どうして平和について話せるでしょうか。
平和は、それが真理を基盤とし、正義に従って実現し、愛によって息づき完成され、自由において形成されないのであれば、単なる「発せられることば」に過ぎなくなると確信しています。(聖ヨハネ23世回勅『パーチェム・イン・テリス―地上の平和』37〔邦訳20〕参照)。真理と正義をもって平和を築くとは、「人間の間には、知識、徳、才能、物質的資力などの差がしばしば著しく存在する」(同上87〔同49〕)のを認めることです。ですから、自分だけの利益を求めるため、他者に何かを強いることが正当化されてよいはずはありません。その逆に、差の存在を認めることは、いっそうの責任と敬意の源となるのです。同じく政治共同体は、文化や経済成長といった面ではそれぞれ正当に差を有していても、「相互の進歩に対して」(同88〔同49〕)、すべての人の善益のために働く責務へと招かれています。
実際、より正義にかなう安全な社会を築きたいと真に望むならば、武器を手放さなければなりません。「武器を手にしたまま、愛することはできません」(聖パウロ6世「国連でのスピーチ(1965年10月4日)」10)。武力の論理に屈して対話から遠ざかってしまえば、いっそうの犠牲者と廃墟を生み出すことが分かっていながら、武力が悪夢をもたらすことを忘れてしまうのです。武力は「膨大な出費を要し、連帯を推し進める企画や有益な作業計画が滞り、民の心理を台なしにします」(同)。紛争の正当な解決策として、核戦争の脅威による威嚇をちらつかせながら、どうして平和を提案できるでしょうか。この底知れぬ苦しみが、決して越えてはならない一線を自覚させてくれますように。真の平和とは、非武装の平和以外にありえません。それに、「平和は単に戦争がないことでもな〔く〕、……たえず建設されるべきもの」(第二バチカン公会議『現代世界憲章』78)です。それは正義の結果であり、発展の結果、連帯の結果であり、わたしたちの共通の家の世話の結果、共通善を促進した結果生まれるものなのです。わたしたちは歴史から学ばなければなりません。
思い出し、ともに歩み、守ること。この三つは、倫理的命令です。これらは、まさにここ広島において、よりいっそう強く、より普遍的な意味をもちます。この三つには、平和となる道を切り開く力があります。したがって、現在と将来の世代が、ここで起きた出来事を忘れるようなことがあってはなりません。記憶は、より正義にかない、いっそう兄弟愛にあふれる将来を築くための、保証であり起爆剤なのです。すべての人の良心を目覚めさせられる、広がる力のある記憶です。わけても国々の運命に対し、今、特別な役割を負っているかたがたの良心に訴えるはずです。これからの世代に向かって、言い続ける助けとなる記憶です。二度と繰り返しません、と。
だからこそわたしたちは、ともに歩むよう求められているのです。理解とゆるしのまなざしで、希望の地平を切り開き、現代の空を覆うおびただしい黒雲の中に、一条の光をもたらすのです。希望に心を開きましょう。和解と平和の道具となりましょう。それは、わたしたちが互いを大切にし、運命共同体で結ばれていると知るなら、いつでも実現可能です。現代世界は、グローバル化で結ばれているだけでなく、共通の大地によっても、いつも相互に結ばれています。共通の未来を確実に安全なものとするために、責任をもって闘う偉大な人となるよう、それぞれのグループや集団が排他的利益を後回しにすることが、かつてないほど求められています。
神に向かい、すべての善意の人に向かい、一つの願いとして、原爆と核実験とあらゆる紛争のすべての犠牲者の名によって、心から声を合わせて叫びましょう。戦争はもういらない! 兵器の轟音はもういらない! こんな苦しみはもういらない! と。わたしたちの時代に、わたしたちのいるこの世界に、平和が来ますように。神よ、あなたは約束してくださいました。「いつくしみとまことは出会い、正義と平和は口づけし、まことは地から萌えいで、正義は天から注がれます」(詩編85・11−12)。
主よ、急いで来てください。破壊があふれた場所に、今とは違う歴史を描き実現する希望があふれますように。平和の君である主よ、来てください。わたしたちをあなたの平和の道具、あなたの平和を響かせるものとしてください!
「わたしはいおう、わたしの兄弟、友のために。『あなたのうちに平和があるように』」(詩編122・8)。
2019年10月14日
台風で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
この度の台風で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
弊社ミューズの里でも、現在製作中の映画のデーターや機材等を1階から2階に移動し、ミューズガーデンの椅子やテーブル等も室内に入れて、万が一に備えました。台風上陸の前日より、何度も携帯に避難勧告が流れ、心配されましたが、お蔭さまでオフィスもスタッフも無事でした。
一夜明けて、各地での被害の状況が報道されています。台風による記録的な豪雨で川が氾濫し被害が広がっています。被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。これ以上の被害がでませんように、一日も早く復旧されますことを心よりお祈りいたします。
弊社ミューズの里でも、現在製作中の映画のデーターや機材等を1階から2階に移動し、ミューズガーデンの椅子やテーブル等も室内に入れて、万が一に備えました。台風上陸の前日より、何度も携帯に避難勧告が流れ、心配されましたが、お蔭さまでオフィスもスタッフも無事でした。
一夜明けて、各地での被害の状況が報道されています。台風による記録的な豪雨で川が氾濫し被害が広がっています。被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。これ以上の被害がでませんように、一日も早く復旧されますことを心よりお祈りいたします。
2019年09月17日
再会に感謝!
2019年09月12日
台風の被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
この度の台風で被害にあわれた皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
ミューズの里は、突風で地震かと思うぐらいオフィスが何度か揺れて、どうなるかと心配されましたがお陰様で無事でした。管理している庭の木々は倒れ、スタッフができる限りの応急処置はしたものの、道具を買いに行く余裕もまだなく、崩壊したままのバラのオベリスクがそのままで可哀想な状況でありますが、仕事がひと段落次第、何とかしたいと思います。
これまでにない大きな台風や大雨等の被害が毎年必ず起こるようになり、さらに地震国でもある日本は、災害に備えてより一層の配慮が必要であることを痛感する台風でした。
友人の実家のある千葉の屋根が飛ばされるなど、さらに電気も通らず、水も出ない状態のままの地域もまだある中、一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
ミューズの里は、突風で地震かと思うぐらいオフィスが何度か揺れて、どうなるかと心配されましたがお陰様で無事でした。管理している庭の木々は倒れ、スタッフができる限りの応急処置はしたものの、道具を買いに行く余裕もまだなく、崩壊したままのバラのオベリスクがそのままで可哀想な状況でありますが、仕事がひと段落次第、何とかしたいと思います。
これまでにない大きな台風や大雨等の被害が毎年必ず起こるようになり、さらに地震国でもある日本は、災害に備えてより一層の配慮が必要であることを痛感する台風でした。
友人の実家のある千葉の屋根が飛ばされるなど、さらに電気も通らず、水も出ない状態のままの地域もまだある中、一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
2019年08月29日
被害と加害‥‥そのどちらも深く考えてみることなく大人になった私
▲1986年 アラスカの学校にて
たとえ個人的な体験であったとしても、加害と被害を乗り越え和解することは難しい。もし、自分の愛する大切な人たちが誰かに殺された時、相手を赦す事が出来るだろうか。暴力、暴言、差別、いじめ、誹謗中傷をした者を赦し、不信感を拭い去ることが出来るだろうか。そう自分に問いかけた時、複雑な気持ちになる。
まして戦時下において、自分ではどうすることもできない渦の中に巻き込まれ、忘れたくても忘れられない辛く悲しく苦しい体験を強いられた人々の心の痛みはいかばかりであろう。
今でこそ、PTSDなど精神的ケアへの理解も多少あるが…戦時中に苛烈な体験をされてきた方々は、いかにして悲しみを乗り越え、その後を生きてこられたのだろう…。
日中戦争、太平洋戦争による過酷な体験で心に傷を負って精神疾患になり、戦傷病者特別援護法に基づく療養費を受給しながら入院生活を送っていた旧日本軍の軍人・軍属がゼロになったことが今年4月末の平成の終わりに報じられ、そのニュースがとても気になった。
他にも、ぬぐい去ることのできない精神的苦痛と共に戦後を生きてきた方々がたくさんおられたことを思うと、胸が締め付けられるような思いになる。
アメリカでは、心身の負傷と後遺症によって、社会生活を営むことが困難になった帰還兵の医療や福祉が深刻な社会問題になっている。イラク・アフガン戦争での戦死者より、帰還兵の自殺者の方がすでに上回ったといわれている。日本でもイラク等に派遣された自衛官の自殺者が54人と報道されていたが、一人の自殺者の後ろに、精神を病んでいるたくさんの方々いることだろう。そして、イラク・アフガンで犠牲となった方々やそのご家族、同じように辛い思いをしている兵士の方々は今、どのような状況にあるのだろう…。
学生時代の私にとって、歴史で学ぶ戦争における被害も加害も、すべて過去の出来事でしかなかった。グローバル社会、国際人の育成など、聞こえのいいキャッチフレーズをよく見かけるが、そのために一番学び考えなければならないことがすっぽりと抜けたままだった。
高校生の時、初めてアメリカでホームステイ体験をした時のこと。受け入れ家庭のアメリカ人ご夫婦は日本がとても大好きで、祖父母の家に行った時にしか見たことのない木製のおひつに白いごはんを炊いて私を迎えてくれた。ある日、私と同じ年の17歳の女子高生の家に招かれ、一泊だけしたことがある。彼女の夢は女優になることで、両親は馬鹿げた夢だと言って大反対していたが、彼女は本気だった。庭に一頭の馬を飼っていてた。毎朝、朝食に使う卵を取りに馬にのって近くの鶏の小屋へと向かうのが日課だという。雨の中、さっそうと馬にまたがり、卵を取りに行く彼女の姿を窓越しに見ていた時のことだ。
突然、「あなたは、日本とアメリカが戦争をしていたことを学んだの?」と彼女のお母さんが話しかけてきた。私が「はい、昔、日本とアメリカは…」とつたない英語で答えかけた時、その言葉を遮るように、「昔じゃありません」と厳しい口調が戻ってきた。怒りと悲しみに満ちたお母さんの表情に、私は何も返す言葉がなかった。
ちょうどその時、卵をたくさん手に抱えて彼女が戻ってきた。私とお母さんの間に流れる気まずい空気を察して消し去るように、彼女は明るく演じてくれた。「日本が嫌いで、日本製品を絶対買わない人たちもアメリカにはいるのよ。でも、気にしないで、私はあなたが好きだから」そう言いながら私を抱きしめてくれた。
大人になり、異文化コミュニケーション雑誌の編集長をしていた20年程前、まるでその時の自分を思い起こすような投書をもらうことが度々あった。
修学旅行で韓国を訪れていた高校生が、お土産を買いに立ち寄ったお店で、日本語を流暢に話す韓国のおじいさんに、「おじいさん、日本語上手いね。なんでそんなに日本語上手いの?」と無邪気に聞いた。その途端、おじさんがホウキを振り上げて、ものすごい形相で追っかけてきたという。高校生たちはびっくりして一目散に逃げたが、なぜおじさんが怒ったのかについてわからなかった。
教科書の上だけでの歴史の知識だけではなく、過去を非難するためだけでもなく、目の前にいる隣国の人々とより深く相互理解し、よりよい未来を築くために、相手の心の痛みに寄り添った生きた学びの場があればと感じる。
学生時代には、日本の被害についても加害についても深く考えてみたことのなかった私は、30年以上前の22才の時、アメリカの学校の授業の中で日本文化の紹介と共に広島・長崎を伝える草の根ボランティアにたまたま参加したことで、戦争と平和について考えはじめた。
広島・長崎の被爆者の方々から直接お話を伺わせていただき、海外でヒロシマ・ナガサキを伝えた体験は、振り返ると今の自分の原点となっている。
当時、パールハーバーが返ってくるだけではなく、日本のアジアにおける加害責任を指摘されることも多かった。日本人に平和について語る資格はないとまで言われたこともある。
しかし、それでも伝えるべきヒロシマ・ナガサキの被爆者のメッセージを、しっかりと受け止めてくれるたくさんの人々がいて、一年間で280回ものプレゼンテーションをさせていただいた。
憎しみの連鎖をたちきり、「自分と同じ苦しみや悲しみを世界中の誰にもさせたくない」と願うヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々のメッセージが国を超え、人々の心に届いたのだと思う。そして、戦争体験のない私自身も、お世話になった被爆者の方々が被害を超えて世界の人々の幸せを願う愛に溢れたメッセージを託してくださったことで、心から伝えたいと思えたのだと思う。
理屈を超えて「戦争は絶対ダメだよ!」と全身全霊で伝えてくれた痛みを知る体験者の方々が年々亡くなっていく中‥‥今の世の中の流れと物の言い方には不安を感じる。
今、戦後最悪といわれる日韓関係についても連日報道されているが、両国の主張や理屈をどれだけ解説しても答えは見つからず、相手国への不信感が双方共につのっていく。政治利用の側面やそれぞれの考えや理屈があろうとも、日韓関係悪化の裏に歴史認識が絡んでいることも否定できない。
それにしても私自身は、これまで韓国の被害者の方々の気持ちに本当に深く寄り添って考えてきたのだろうか。そう改めて自分に問いかけた時、それが充分に出来ていない自分自身を再確認する。
より一層深く知り学びたいと思う。両国と世界の友好を願いながら。
2019年08月26日
前川喜平さん企画による映画『子どもたちを よろしく』
ライブ&上映会にご来場くださった石塚聡様が発行されているジャーナリストと市民を結ぶ情報誌「マスコミ市民」主催による前川喜平さんの講演会に伺わせていただきました。講演の内容はもちろん素晴らしかったですが、何よりその型破りな存在感!前川さんのような方が文部科学省事務次官として存在していたんだということに、何だかちょっと希望もいただいたような気持ちになりました。
講演の最後に、「子どもたちを よろしく」という映画のお話がありました。
前川喜平さんが企画をされた映画です。
「はっきり言ってとても暗い映画です」と前川さん。「この作品は、中学生のいじめと自殺、その裏にある家庭の問題をリアルに描いている。とても重い映画。しかしこれは現実だ。この現実に一人でも多くの人が気づくことが大事なのだ」と前川喜平さんはコメントを寄せています。
2020年初春、ユーロスペース他、全国順次公開される予定です✨
帰りの電車の中で、いただいたチラシに目を通していると、30数年前のことが蘇りました。
オレゴン大学の女学生たちとネバダ核実験場前で行われたピースキャンプの取材に行った時のことです。核実験による近隣住民の子どもたちの白血病などの因果関係が取り沙汰される中、子どもたちを心配する母親たち約3000人が母の日にネバダの核実験場前に集まり、核実験反対を訴えていました。
砂漠にテントを張り、取材をしていた時、そこに集う人たちの中で、ちょっとした小競り合いが始まりました。徹底した非暴力を貫く人々の中で、少しだけ過激に思える言動をとる女性たちがいました。ある日、気持ちを分かち合い、みんなで話あう事になりました。広大なネバダの砂漠の中で、輪になって座り、それぞれが自分が感じた事を話しはじめました。しばらくすると、問題視されていた女性が一人、また一人、自分の生い立ちを話しはじめました。親や周囲の大人たちからの虐待、レイプ、暴力、貧困の中で、どうやって自分を守り今にいたったかを…。その日の夜、未だに癒される事のない心の傷が、どうしていいか分からない彼女たちの叫び声となって、ネバダの砂漠中に響き渡りました。それまでの人生の中でも、その後の人生の中でも、あの時をおいて聞いた事のない、それは地球が落っこちてしまいそうな叫びでした。私は、自分の体を両手で抱きしめながら一人、月の光だけを頼りに、その夜ずっとネバダの砂漠をさまよい歩いていました。
帰国後、音楽に全く興味もなかった私が、ある時ひどく絶望を感じることがあった時、歌詞とメロディーとなって蘇ってきたのが、この時に見たネバダのお月さまの歌でした。あの時の体験からずいぶん時間を経ていたにもかかわらず、突然歌となってその時の感情が蘇った時、自分が抱えきれない程にあの時に体中で浴びたものが、まだ自分の中でも消化しきれず、そのまま残っていたことに驚きました。
児童虐待、貧困、アルコールやギャンブル依存、対人依存などの大人のありようが、子どもたちを追い詰め、居場所を奪い、心の闇をつくっていく…。私は日本の実情にこれまで目を向けてこなかったけれど…30年前にアメリカで感じたことが、今日本で 起きているのかもしれない…。
劇場公開されたら、必ず見に行きたいと思います✨
2019年07月26日
巡り巡って!
巡り巡って
今ここに在る。
いろんなことを乗り越えながら、
巡り巡って
今ここに在る。
喜びも悲しみも共に流れながら、
巡り巡って
いまここに在る。
すべてに感謝!!
人生はやっぱり素晴らしい!!
今ここに在る。
いろんなことを乗り越えながら、
巡り巡って
今ここに在る。
喜びも悲しみも共に流れながら、
巡り巡って
いまここに在る。
すべてに感謝!!
人生はやっぱり素晴らしい!!
2019年05月31日
カリタス「愛」という名の学園
「カリタス」とは、ギリシャ語「アガペー」のラテン語訳で「人類愛」を意味する。
戦後の荒廃した日本に学校をつくり、人々の心に愛の種を実らせようと、1953年にケベック・カリタス修道女会から3人のシスターがカナダ大陸を鉄道で横断し、ヴァンクーヴァーから半月以上かけて太平洋を渡り、貨物船に揺られながら横浜に到着した。
その中の一人であったシスターリタ・デシャエンヌは、私がカリタス学園で中学・高校・短大の8年間を過ごした頃の初代理事長だった。
カナダのケベック・カリタス修道女会の母体は、普遍的愛の母と呼ばれたマルグリット・デュービルが、民族や国籍、宗教や文化の壁を越えて、貧しく恵まれない人々への救いのために創設した修道会である。マルグリットは、家庭を顧みぬ夫や様々な苦悩、そして生まれる子が3人も亡くなるという悲しみの中で、神と出会ったという。
三人のシスターの来日から7年たった1960年、学校法人カリタス学園が設立された。
体中から希望に満ち溢れた情熱の輝きを放つリタ・デシャエンヌ先生の優しくて柔らかな笑顔は、今も鮮やかに脳裏に焼きついている。
勉強嫌いでやる気のない生徒だった私でも、廊下でリタ先生とすれ違うと、なぜか嬉しくなり、思わず足を止めて自然と笑顔で会釈せずにはいられない。クリスチャンではない私のような存在にとっても、カリタスで過ごした8年間の中で培われた精神は心の中に生き続けている。
最も小さな人々を尊重し、分け隔てなく普遍的な愛をもって人に尽くし、感謝と喜びと希望の中に生きる心を育てるカリタスの精神。
未熟な私には、未だに出来ていないことばかりではあるが、社会的孤立化や寛容さが失われている今の社会の中で、心の闇をこれ以上広げないために、改めて大切な教えであると感じている。
2020年に創立60周年を迎えるカリタス学園にとって、あまりに辛く悲しく耐え難いこの度の事件に、改めて戦後の焼け野原と化した日本に、試練を乗り越えやって来たシスターリタ・デェシャエンヌと二人のシスターの志を思う。
この夏、戦後74年を迎える日本。先進国にまで上り詰め、物質的には確かに豊かになった。しかし、心の貧しさを感じてしまう事件が後を絶たない。私たちは何か大切なものを失っていないか。今一度自分の心を見つめながら、この様な事件が二度と起きないことを願いながら、カリタスの心を大切に生きていきたいと思う。
最後になりましたが、この度の登戸での事件で亡くなられたカリタスの小学生と保護者のお父様のご冥福を心より深くお祈り申し上げます。怪我をされた方々が1日も早く回復されますように。ご家族の方々、周囲の方々の心の傷が少しでも癒されますように、心より祈っています。
戦後の荒廃した日本に学校をつくり、人々の心に愛の種を実らせようと、1953年にケベック・カリタス修道女会から3人のシスターがカナダ大陸を鉄道で横断し、ヴァンクーヴァーから半月以上かけて太平洋を渡り、貨物船に揺られながら横浜に到着した。
その中の一人であったシスターリタ・デシャエンヌは、私がカリタス学園で中学・高校・短大の8年間を過ごした頃の初代理事長だった。
カナダのケベック・カリタス修道女会の母体は、普遍的愛の母と呼ばれたマルグリット・デュービルが、民族や国籍、宗教や文化の壁を越えて、貧しく恵まれない人々への救いのために創設した修道会である。マルグリットは、家庭を顧みぬ夫や様々な苦悩、そして生まれる子が3人も亡くなるという悲しみの中で、神と出会ったという。
三人のシスターの来日から7年たった1960年、学校法人カリタス学園が設立された。
体中から希望に満ち溢れた情熱の輝きを放つリタ・デシャエンヌ先生の優しくて柔らかな笑顔は、今も鮮やかに脳裏に焼きついている。
勉強嫌いでやる気のない生徒だった私でも、廊下でリタ先生とすれ違うと、なぜか嬉しくなり、思わず足を止めて自然と笑顔で会釈せずにはいられない。クリスチャンではない私のような存在にとっても、カリタスで過ごした8年間の中で培われた精神は心の中に生き続けている。
最も小さな人々を尊重し、分け隔てなく普遍的な愛をもって人に尽くし、感謝と喜びと希望の中に生きる心を育てるカリタスの精神。
未熟な私には、未だに出来ていないことばかりではあるが、社会的孤立化や寛容さが失われている今の社会の中で、心の闇をこれ以上広げないために、改めて大切な教えであると感じている。
2020年に創立60周年を迎えるカリタス学園にとって、あまりに辛く悲しく耐え難いこの度の事件に、改めて戦後の焼け野原と化した日本に、試練を乗り越えやって来たシスターリタ・デェシャエンヌと二人のシスターの志を思う。
この夏、戦後74年を迎える日本。先進国にまで上り詰め、物質的には確かに豊かになった。しかし、心の貧しさを感じてしまう事件が後を絶たない。私たちは何か大切なものを失っていないか。今一度自分の心を見つめながら、この様な事件が二度と起きないことを願いながら、カリタスの心を大切に生きていきたいと思う。
最後になりましたが、この度の登戸での事件で亡くなられたカリタスの小学生と保護者のお父様のご冥福を心より深くお祈り申し上げます。怪我をされた方々が1日も早く回復されますように。ご家族の方々、周囲の方々の心の傷が少しでも癒されますように、心より祈っています。
2019年05月29日
心より深くお祈り申し上げます。
母校のカリタス学園の
子どもたちや保護者の方が
事件に巻き込まれ、
犠牲になりました。
悲しくて…
言葉になりません。
心よりお祈り申し上げます。
この様な事件がの
背景に潜む
心の闇に光を、
そして、心豊かな社会をつくるために、
私たち一人一人に
出来ることはなんだろう‥‥
子どもたちや保護者の方が
事件に巻き込まれ、
犠牲になりました。
悲しくて…
言葉になりません。
心よりお祈り申し上げます。
この様な事件がの
背景に潜む
心の闇に光を、
そして、心豊かな社会をつくるために、
私たち一人一人に
出来ることはなんだろう‥‥
2019年05月22日
青空ライブ〜💓最高〜!
2019年5月19日、エスニックメディアの集いなどで20代の頃からお仕事でご一緒させていただき、大変お世話になっているjiji様が主催されている中野セントラルパークの青空ライブに参加させていただき、歌姫Yokoちゃんとjiji様と一緒のステージ〜🎵
jiji様は、弊社ミューズの里の第1作目の映画『アオギリにたくして』の美術としてご参加くださり、大変だった映画製作をサポートしてくださいました。そして歌姫Yokoちゃんは、アオギリの若葉が芽吹くシーンでエキストラ出演してくださっています〜🎵 お二人には、とってもお世話になり、改めて心より感謝申し上げます〜!
お天気にも恵まれ、公園を楽しそうに走り回る子供達の声に包まれながら、最高の青空ライブ日和でした。
お世話になった懐かしいステキなミュージシャンの皆様との再会に感激〜🎵✨
音楽を愛する仲間たちのピースフルな輪が広がっていく青空ライブ〜✨みんなが心癒され幸せになる、素敵な場をつくってくださっている皆様に心より感謝申し上げます💓
UZUちゃんとカナリア王子さんがライブの写真をたくさん送ってくださいました。シェアさせていただきま〜す!✨ありがとうございました💓
▲UZUちゃん(中央)💓写真いっぱいありがとうございます〜🎵
青空ライブ💓最高〜✨
また皆様とお会いできる日を楽しみにしています〜🎵