2026年07月04日

横浜・馬車道「King’s Bar」にて「いのちの音色」ライブ♪ Vo.中村里美 Gt.伊藤茂利 P.坂井千浪 Ba.花輪春比古

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この夏、横浜・馬車道「King's Bar」で開催される
「いのちの音色」ライブスペシャル♪

Vo.中村里美 Gt.伊藤茂利 P.坂井千浪 Ba.花輪春比古 でお届けします。

お席の数に限りがございますので、King’s Bar
または、ミューズの里まで事前にご予約をよろしくお願い致します

posted by ぷらっとハッピー at 21:37| 東京 ☀| ぷらっとハッピー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年06月08日

第322回「いのちの音色」ライブ(会場:由木東市民センター)

由木東ライブ.jpg

上田紘治さんによる「被爆の実相」のお話の後、
歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える
「いのちの音色」ライブで出演させていただきます。
Vo.中村里美 Gt.伊藤茂利

上田さんは、初プロデュース映画「アオギリにたくして」の
福島のシーンでエキストラ出演してくださり
映画の制作の際にも大変お世話になりました。
上田さんの奥様の則子夫人が手話でご参加してくださいます。
心より感謝いたします。

皆様のご来場をお待ちしています。

posted by ぷらっとハッピー at 06:45| 東京 ☔| ぷらっとハッピー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年05月29日

Don&Merryへの感謝を込めて


病と老いを受け入れながら、
変わることのない志を胸に
愛と平和を築くために生きてきたDon &Merry

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2016年の映画「アオギリにたくして」上映でも
大変お世話になりました。

脳腫瘍との告知されたMerryは
自宅療養しながら
つい先日お誕生日を迎えました。

Pittsfieldで何十年も前から毎週vigilを行なってきたDon&Merry
二人が参加できなくなってからも
仲間が継続しながら、人数も増えているそうです。

「More and more and more!」とMerryさん。

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▲2016年 映画「アオギリにたくして」アメリカ上映の際に、Pittsfieldでのvigilに参加

世界中の人々の幸せを祈りながら
戦争も核兵器もない世界をつくるために
お二人が果たしてきたことを
いつまでも忘れません。

どんな時も、諦めることなく
自分に何ができるかを考えながら
精一杯生きていきます。



posted by ぷらっとハッピー at 21:18| 東京 ☀| ぷらっとハッピー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年04月28日

食べるの大好きな命くんと宝ちゃん

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お陰様で元気に育っています!

食べるの大好きな
猫の命くんと犬の宝ちゃん

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▲満腹でスヤスヤ〜♪

先日のライブで原様より
命くんと宝ちゃんのおやつをいただき
お菓子の袋の音がするたびに
ワクワクしているようです♬

いつも命くんと宝ちゃんのことを
思っていてくださる原様にスタッフ一同
心より感謝いたします。
posted by ぷらっとハッピー at 19:09| 東京 ☁| ぷらっとハッピー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

激痛!夜間救急病院へ


昨夜、急に腹痛が起きて
動くことも出来なくなり
数時間我慢していましたが
全く良くなる兆しがなく
夜間救急病院で診察していただきました。

あまりの痛みに喋ることも出来ず
点滴を受けながら
車椅子でCT検査へ!

あまりの痛みに
最悪のことが頭をよぎりましたが
結石による痛みだったようで
ホッとしました。

それにしても
気が遠のいていくほどの悶絶状態

数日間安静にしながら
体調を整えてまいります。

posted by ぷらっとハッピー at 17:52| 東京 ☁| ぷらっとハッピー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年04月26日

みさ姉、ありがとうございます〜🎶

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いつも応援してくださる
みさ姉から支援物資が
ミューズの里に届きました。

皆様のおかげで、生きています。
大変ありがたく感謝でいっぱいです🍀

本当にありがとうございます。
posted by ぷらっとハッピー at 22:26| 東京 ☀| ぷらっとハッピー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年04月19日

金森俊朗先生のクラスでの懐かしい写真


目がどんどん悪くなり
SNSも発信するだけで精一杯

携帯やパソコン画面がまぶしくて
なるべく見ないようにしていますが
とうとう使っているパソコンの容量が
いっぱいになって動かなくなり
少しずつ整理し始めると
懐かしい写真がいっぱい出てきます


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アメリカでの1年間280回のプレゼンテーションを終えて帰国後、
石川県の金森俊朗先生の5年1組でお話しさせていただいたのは
39年前の1988年1月18日のことだったんだ〜と写真を見ながら、しみじみ思いながら…


被爆者の岩佐幹三さんが石川県被爆者友の会の会長をされていた頃で
その後に会長となられた西本多美子さんのご自宅にホームステイさせていただき
「いのちの教育」実践者として世界的に知られている金森俊朗先生のクラスの子どもたちに
ヒロシマ・ナガサキをアメリカで伝えた体験をお話しさせていただきました。

ゴリラ新聞.jpg

あれから38年という月日が流れる中で
岩佐先生と金森先生はすでにお亡くなりになっていますが
金森学級をご一緒に訪れたあの日は
今も心の宝石箱の中にあります。



posted by ぷらっとハッピー at 07:47| 東京 ☀| ぷらっとハッピー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年04月18日

一個人としての視点を大切にしながら、世界と繋がる


「一個人」

それはいつも
私の立ち位置でした

そしてそれは
弱点でもあり
強みでもあったかもしれません

だからこそ出来たこと
だからこそ出来ないこと
だからこそよく見えること
だからこそ見えないこと
気づいていること
気づけなかったこと
いろいろあるとは思いますが…

どのような場合も
自分の物差しだけではかることなく
相手の立場に立って考えてみることだけは忘れずに
生きてきました。

苦しい時も 辛い時も
常に自分自身でいられたことに
感謝しながら

残された人生の中で
これからも一個人としての視点を
大切にしながら世界と繋がり
小さな平和の種まきを
続けていこうと思います。
posted by ぷらっとハッピー at 09:53| 東京 ☀| ぷらっとハッピー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年04月14日

衣笠邦彦さん67才!お誕生日おめでとうございます♪

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大分県・国東の衣笠邦彦さんの67才のお誕生日だった4月11日、
衣笠さんが東京まで会いに来てくれました!!

再発後の抗がん剤治療が続くしげ兄さんの
4つあったがんの2つが消えて、
残りの2つも小さくなりかけていることを
とても喜んでくださり、
先日のお仕事で東京入りされる際に
お会いする予定だったのですが、
お子さんがインフルエンザになり
衣笠さんも軽く咳が出始めていたことで延期となっていました。

衣笠さんの奥様が、抗がん剤治療中のしげ兄(伊藤)さんに万が一風邪をうつしたら大変だからやめた方がいいとお気遣いくださり、「会いに行く時は、私(奥様)が旅費を出すから」と言ってくださって今回が実現しました!しかも、その日は衣笠さんのお誕生日!!

びっくりするやら嬉しいやら〜🎶!!

役者とお米ずくり、そして本業の建具職人として
大忙しの衣笠さんがわざわざ会いに来てくださるなんて、
本当にありがたくて、嬉しくて、感謝でいっぱいです。

衣笠さんのお誕生日なのに
ご馳走していただいてしまい
大変恐縮しています。

振り返れば、もう一昔以上前…
初めてつくった映画「アオギリにたくして」の全国上映活動で
大分県の別府ブルーバードで上映された際に
映画館に来てくださった衣笠さん。
その時からのお付き合いです。

お互いに体を大切にしながら
みんな、がんばっていきましょう〜!

ドキュメンタリー映画
「かけはし第三章」
「いのちの音色」
完成するまで、全力を尽くします。

衣笠さん67歳!
改めまして、お誕生日おめでとうございます!!

これからも宜しくお願いいたします。


posted by ぷらっとハッピー at 15:04| 東京 ☀| ぷらっとハッピー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年04月11日

延立寺縁側「アミダステーション」にて「いのちの音色」ライブ(4/30)

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八王子の延立寺縁側「アミダステーション」にて
被爆者の上田紘治さんが「いのちの音色」ライブをご企画してくださいました。

上田紘治さんは、3歳の時に広島で被爆しました。
戦争のない、核兵器のない世界の実現に向けて
被爆の実相について語りながら、次世代へのメッセージを発信しておられます。

いつも私たちのライブを応援してくださっている
上田さんに心より深く感謝申し上げます。

皆様のご来場をお待ちしています。
posted by ぷらっとハッピー at 08:42| 東京 🌁| ぷらっとハッピー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年04月05日

ようやく復帰!!


ようやく体の不調を乗り越えたと思ったら、もう4月…(><)

お陰様で共に映画づくりや音楽活動をしてきた
しげ兄さんの2週間の抗がん剤治療も終わりました。

先月のしげ兄さんの受診日には
PET検査の良い結果が出て少しホッとしたのも束の間…
その日の午後からまた抗がん剤治療が始まりました。

昨年春から、いつどうなるかわからない緊張感の中で
少しホッとした途端に体調が悪くなり
いつもより少し厳しい副作用もありましたが
なんとか2週間を終えて元気になってきています。

一喜一憂することなく
がんと共に生きるしげ兄さんを見守ろうと思いながらも
私自身も少しホッとした途端に
体全身が痛くなって動けなくなり
ちょっと危険信号

ここで倒れると大変なことになるので、
少しスローダウンしながら様子を見ながらでしたが…

やっと復帰します!!

物価高騰で予定が狂ってしまい
スケジュールがなかなか見えない状況ではありますが
諦めることなく前に向かって進み続ける気力がよみがえってきました。

がんばれ自分!!
posted by ぷらっとハッピー at 10:54| 東京 ☔| ぷらっとハッピー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年03月23日

1日も早い停戦を祈りながら…


いつか機会あれば訪れてみたいと思っていた国、イラン。NHK連続テレビ小説「おしん」が大ヒットした国の一つでもあります。

異文化交流の現場にいた1980年後半から後半〜1990年代の頃、日本に滞在する様々な国々からの世界の人々と触れ合う機会があり、その頃に出会ったイランの方々のほとんどが「おしん」について語っていました。「おしん」の姿に自分を重ね合わせながら、戦後の焼け野原から立ち直り、経済大国となった日本に学びたいと夢を抱いていました。

「実際の今の日本はどうですか?」と尋ねると、「素晴らしい国です。思っていたイメージとちょっと違うと感じることもありますが、もっと勉強して日本や日本人から学びたい」と語っていた言葉が今も心に残っています。

30年以上も前、異文化間コミュニケーション雑誌を発行する会社で当時運営していた「ワールド7」のディレクターをしていた頃、毎日夜7時になると、国際交流に関心を持つ様々な国のマネージャーが自分の国のパーティーを開きながら、外国人と日本人の相互理解の場づくりをしていました。

来日している様々な国々の人たちと出会う中で、なぜか欧米やアジア以上に、メンタリティーや道徳観が近いと感じた国の一つがイランでした。親近感を感じずにはいられない不思議な感覚を今も覚えています。

不勉強なままの私が、その後に「イラン」を意識したのは、2016年のことでした。

原爆投下から71年を迎えたその年は、オバマ大統領が現職のアメリカ大統領として初めて広島を訪問した年であり、また、初めて製作した映画『アオギリにたくして』の米国上映でアメリカを訪れた年でもありました。

日本ではオバマ大統領と被爆者が平和記念公園で抱き合うシーンが報道された翌月、米国上映のためアメリカを訪れました。アメリカ6カ所でのコーディネートしてくれた平和学者のレイスロップさんは、「アメリカでは原爆の実情を知らないまま、簡単に原爆を落とせばと平気で考える人々が増えていている」とひどく心配していました。

レイスロップさんから手渡されたウォールストリートジャーナルの記事を読み、若い頃にお世話になったイランの方々のことを思い出しながら複雑な気持ちになりました。いつか何かが起きるのではないかと心配しながら…


◎THE WALL STREET JOURNAL, Saturday/ Sunday, May 21-22, 2016
 Would We Drop The Bomb Again ?
「1945年では53%の人が原爆を落した事に同意していた。しかし、2015年は同じような検証で28%の人が正しい選択だったとしている。つまり戦後核兵器は使わないと言う考えが多数であった。ところが、昨年7月の調査では、もしイランが核削減の交渉で協定を破り、それに対してアメリカが制裁を加えた場合、イランが反発してアメリカのペルシャ湾のU.S. aircraft carrier を攻撃して2403 人のアメリカ人が殺された場合---つまり先の大戦と同じ状態ーー日本がパールハーバーを攻撃したような事が現在起こった時、アメリカの判断は、驚いたことに59%の人が イランの町に核兵器を落としても良いと言う結果を出している。その中で共和党は81%が良しとし、47%の民主党も賛成すると言う結果が出ている。つまり、今日のアメリカの世論は、1945年のようにもし大統領が核兵器を使おうとした時、それに賛成するかもしれない」


この記事(2016年)を手渡されてから10年という月日がたった今年、
アメリカとイスラエルは、イランに軍事攻撃を行い、イランの最高指導者のハメネイ師が殺害されました。核問題の平和的解決に向けての交渉の最中に奇襲攻撃を仕掛けたのはアメリカとイスラエルでした。

トランプ大統領は、米国に対する差し迫った脅威があったことをイランへの攻撃の理由として述べていますが、3月18日アメリカテロ対策センター所長のジョー・ケント氏は「イランに差し迫った脅威はなかった」との認識を示して辞任し、良心に照らして対イラン戦争を支持できないと表明。3/19には、CIA長官もFBIの長官も同様の発言を議会公聴会で証言したことが報じられています。

報復の連鎖で、攻撃の応酬がエスカレートする中
いまだ解決への道筋は立たず、昏迷したままより深刻な状況に陥っています。

自分の物差しでしか相手を計ろうとせず
対話による信頼の積み重ねを怠り
力への過信と優越意識の先に何が起きるのか?

「武力で平和はつくれない」
改めてこの言葉が頭の中をリフレインします。
見せかけの平和をつくっては壊しながら
いつまで戦争を繰り返していくのでしょうか。

これ以上の命が奪い奪われることのないように、1日も早い停戦を心から祈りながら…するべきではない戦争によってもたらされる混乱と憎しみの連鎖をくい止めることは難しく、人間の仕業である戦争の罪深さを感じずにはいられません。
posted by ぷらっとハッピー at 20:46| 東京 ☀| ぷらっとハッピー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年03月21日

ブログの外部連携についてのお知らせ

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いつもブログを訪れてくださっている皆様に
心より感謝いたします✨

ブログを発行するseesaaの設定が変わり
これまでのようにブログの下にあった
FacebookやXなどの外部SNSのボタンが
設置ができなくなったそうですが
こちらのブログは、そのまま継続してまいります。

「中村里美のぷらっとハッピー日記」URL
https://nakamurasatomi.seesaa.net/

お時間ある時あれば、ふらっとお立ち寄りください〜🍀
引き続きよろしくお願いいたします✨
posted by ぷらっとハッピー at 09:23| 東京 ☀| ぷらっとハッピー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年03月20日

どん底に大地あり


自分の顔をちゃんと鏡で見る余裕もないほど
必死に生きてきた日々

久々にちゃんと鏡を見てみると
「年をとったねぇ〜」
としみじみ感じながら
「お疲れ様〜♪」
と自分に声をかけました。


「どん底に大地あり」


こんなにもこの言葉を噛み締めながら生きたことはありません。

そこからしか見えることのなかったであろう景色の中で
初めて本当の希望とは何かを知りました。

辛い時も苦しい時も
あきらめることなく
前に進むことができたのは
若い時からお世話になり
生き様を通して平和の尊さを伝え続けてくださった
ヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々と
平和を願い築くために生きる人々の存在でした。

感謝を胸に
心に平和を抱きながら
新たな境地で
生きていきます。
posted by ぷらっとハッピー at 19:07| 東京 ☁| ぷらっとハッピー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年03月18日

主治医の勝俣範之先生に感謝を込めて

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https://youtube.com/shorts/YOwJDgmW6uI?si=4mYW6x4bvir0Ggrq
▲ミューズの里TV「YouTubeショート」


抗がん剤治療の第一人者でしげ兄さんの主治医の勝俣範之先生より
「経過が良くて、私もびっくりしております」
とメールをいただきました。
感謝の思いでいっぱいです。

一喜一憂することなく
これからもいろんな局面があると思いますが
与えられている命の時間を
共に精一杯生きながら伴走して参ります。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
posted by ぷらっとハッピー at 15:17| 東京 ☀| ぷらっとハッピー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

みさ姉から緊急支援物資!

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いつも応援してくださるみさ姉さんから
ミューズの里に緊急支援物資が!
ありがたいです〜〜!!

いっぱい太っても痩せても着れる
めちゃくちゃありがたいお洋服まで!
送ってくださって感謝でいっぱいです。

なんだかカップラーメンが
キラキラして見えました♪

心より感謝いたします。
本当にありがとうございました。
posted by ぷらっとハッピー at 13:32| 東京 ☁| ぷらっとハッピー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年03月17日

生かされている今

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人間の体ってなんて不思議なんだろう〜

昨日のPET検査の結果、
しげ兄さんの4つあったがんの2つが消え
悪化していた残りの二つのがんもよくなっているというのに…

「急に体が弱ってる〜嬉しいはずなのに複雑だなぁ〜」
と言いながらオフィスに戻ってきたしげ兄さん。

大丈夫!明日になれば
必ず元気になるからと元気づけながらも
大丈夫かな〜?!と少し心配になりましたが
今日、調子を聞いてみると、
お陰様でちゃんと元気になっていて
少しずつ喜びを噛みしめながら
自分のFB頁で皆様に報告もできたようです。

とにかく、よかったよかった!!
じわじわと喜びが湧いてきました。

しげ兄さんが癌で倒れてから、
今年1月に9年を迎えました。

受診日に私が同行できない日は
これまで必ず事前にメールで
客観的に見た日々の中で感じるしげ兄の病状を
事前にメールで送ってきましたが
昨日は、初めて何も送らずにその日を迎えました。

ここ2週間のしげ兄は顔色がとても良く
よく寝てよく食べて、とても安定していたからです。
たとえどんな検査結果であっても
前に向かって生きていくぞ!と
ブレることなく覚悟もできていました。

とはいえ、今日までこうして生きてこれたことさえ
あまり例のないほど稀なことであると言われていたので
現状維持はあったとしても、それ以上のことはまずないだろうと
本人も私も覚悟しながら生きてきたこともあり
あまりの嬉しい結果に、すぐには体が喜びについていかず
ようやく翌日になって少しずつ喜びと感謝を感じ始めています。

コロナ禍に最初の再発があった日のことが
ぼんやり思い出され、いろんな思いがこみ上げてきます。

主治医の勝俣範之先生から
しげ兄のがんは、かなり厄介ながんであることを知らされ
余命についてのお話があった後に、
「個人差もあるし、それ以上生きれる場合だってありますよね?」
と聞くと、先生は黙ったまま首を縦にも横にもふりませんでした。

それ以上何も聞けなくなり、何も考えられなくなり
先生も辛そうな表情で、一緒にショックを受けていることも伝わってきたので
とにかく笑顔で、お礼を言って病室を出ました。


帰りの車の中で
「オフィスの荷物も少しずつ整理しなくちゃね」
とつぶやくしげ兄に
「そんなの、しなくていいよ。絶対良くなるから」
と答えるだけで精一杯でした。

しばらく何もできない日々が続き
あまりの抗がん剤の副作用の厳しさに
精神的にもおかしくなる寸前までいきながらも
その後に画像からがんが消えるという
めったにない最初の奇跡が一度起こり・・・
しばらくして、またがんが画像に現れました。

あまりに苦しかった抗がん剤の記憶があるので
もう一度厳しい抗がん剤治療をと言われただけで
しばらく具合が悪くなり精神的にも落ち込む中で
新たな治療がスタートしました。
どんなに辛くてももう一度必ず乗り越えられると信じて…

その厳しい抗がん剤治療を終えた後
昨年のPET検査の結果、
これまで横綱と大関に相当する
厳しい抗がん剤治療にもチャレンジしたけれど
効果がなく、がんが悪化していると告げられ
万が一の時の延命治療をしないという紙へのサインと
今の病院まで通えなくなった時のための近くの病院を探すように言われた時は
体中の力が抜けて、目の前が真っ白になり
初めてもう立ち直れないかもしれないと思いました。

治る可能性の高い抗がん剤は、すでに効かなかったこともあり
勝俣先生より、これまでの抗癌剤に比べると効果があまり期待できないかもしれないけれど
先生曰く小結ぐらいに相当するという別の抗がん剤を続けていくことになりました。
副作用も多少弱まるのかと思いきや、副作用だけはしっかりとあって…
見ているだけで辛くなる毎日がずっと続く中にありましたが…

死ぬための準備じゃなくて
死ぬまで生きる!生き続けるために
今一番果たしたいことを続けていこうと
本人の意志を一番に尊重しながら
歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝えるライブ活動を続けていくことにしました。

人は不思議なもので、自分のためにがんばれることはしれています。
それよりも、自分を超えた何か大切なもののために勇気を振り絞る時、計り知れない力が湧いてきます。
それは私たちにとって、これまでお世話になってきた方々の平和への想いを最後まで伝え続けることでした。
それなしには、今日まで来れなかったかもしれません。

もしかしたら1000回ライブを目指しながら
私たち自身が一番救われてきたのかもしれません。

がんだけではなく年齢的に考えても
そしてこの状況下の中から1000回ライブを目指すことは
冷静に考えて、かなり無理もあり野暮なことのようにも思えたりもします。
でもきっとこれが自分たちらしい生き方で、これしかできないなのだろうともつくづく思います。

次回、第312回目を迎える「いのちの音色」ライブ

1000回まで残り、688回!

どこまでいけるかはわかりません。
無理もできません。
でも最後まで、できるところまで進みます。
伝え続けていきます。

今日まで応援してくださった皆様に心より感謝します。
そしてこれからも何卒よろしくお願いいたします。
posted by ぷらっとハッピー at 16:08| 東京 ☀| ぷらっとハッピー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年03月16日

生きていることが奇跡と感じる毎日の中で‥

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今日、病院よりしげ兄から連絡が入り
悪化して危険な状況にあった
4つあったがんの2つが消えて
残っている2つのがんも
昨年より良くなっていることがわかりました。

嬉しい知らせとともに
今日からまた抗がん剤治療が始まりました。

覚悟していた緊張感が少し解けて
嬉しいニュースだったのに
いつも以上に疲れきってしまったというしげ兄さんでしたが、
どれほどホッとしたことでしょう…

昨年春、主治医の勝俣先生から
かなり厳しいお言葉があり
その場で、延命治療なしの紙にサインをして
近くの病院も探すように言われた後は
時が止まってしまい…
今年を迎えることができるとさえ考えられませんでした。

すでにブッキングしていたライブがあったことで
なんとか体を動かすことができたものの
もしかしたらこれが最後かもしれないとも毎回思いながら
不安な気持ちを吹き飛ばすように、
生きて1000回ライブ達成!を合言葉に生きてきました。

死に向かう準備をするのはやめて
しげ兄さんが大好きなライブを続けながら
最後まで前に向かって生きる!死ぬまで生きる!
精一杯生きていこうとするしげ兄さんの伴走をするうちに
いろんな奇跡が起きました。

昨年は、ライブを聞いてくださった方たちがご企画くださり
もう行くことはないだろうと思っていた広島を訪れることもできました。

一つひとつのライブを終えるたびに
前に向かって生きようとするしげ兄の気力が蘇ってきていくのを感じながらも
迷いながら、様子を見ながら、本人の意思を尊重しながらの日々でもありました。

無事になんとか今年を迎えることができた1月は、
一気に疲れが出て
しばらく放心状態でした。

次のPET検査のが決まり
その日が来て
今日の結果が出るまで
覚悟して生きていながらも
ずっと緊張し続けていました

主治医の先生からは
今日まで生きてこれたこと自体においても
あまり前例のないことだと言われていた中で、
今回のPET検査の結果は、まずありえない前例のないような奇跡的な結果だったことに
先生もとてもびっくりされながら、一緒に喜んでくださったそうです。

昨年は、かなり危険な状態であったことも改めてお聞きして
先生も心配しながらずっと見守ってくださっていたことを知り、
改めて感謝でいっぱいになりました。

しげ兄も、そして私自身も
残された命の時間がどれぐらいあるのか
明日のことは全くわかりませんが
今この瞬間を大切にしながら
生きていきたいと思います。

お世話になった方々から託された
平和への想いを最後まで伝え続けてながら
これからも生きて1000回ライブを目指していきます。

その時々の状況で何度も中断されながら
遅れに遅れてしまっている映画の制作につきましても
皆様にご心配をおかけしていることを大変申し訳なく思っています。
自分たちのリズムでしか動けない状況が続いているため
正確な時期をお知らせすることが難しいのですが
必ず完成させられるように最後まで全力を尽くします。

ご支援いただき応援してくださっている皆様に
改めて心より深く感謝いたします。

皆様もお体をとにかく大切になさってください。
皆様のご健康とご多幸を、そして世界の平和を祈りながら
最後まで笑顔を忘れず、心に平和を抱きながら
私たちも、生きていきます。

感謝と共に

Seeds of Peace🌱
posted by ぷらっとハッピー at 22:30| 東京 ☀| ぷらっとハッピー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年02月21日

長崎放送制作ドキュメンタリー「夏空の灰」上映会(主催:ハカルワカル広場)

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長崎放送制作のドキュメンタリー「夏空の灰」上映会が
八王子北野市民センターで開催されます
(参加費無料・3月1日(日)午後1:30より)

昨年は「いのちの音色」ライブ、今年はドキュメンタリー映画「かけはし」上映会でも大変お世話になった「ハカルワカル広場」様のご主催による映画会です。私たちも映画鑑賞に伺わせていただきます。

posted by ぷらっとハッピー at 11:32| 東京 ☀| ぷらっとハッピー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月19日

青森のりんご 

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津軽三味線を聴きに
青森を訪れている旅人の原さんから
リンゴが届きました〜♪

久しぶりにリンゴをゆっくり眺めてみると
とっても美しくて食べるのが
もったいない感じです。

最近は何もかも高くなり
スーパーに行っても
果物売り場は素通りしていましたが
こんなに立派なリンゴをいただき
感謝でいっぱいです!!

これからご近所の木村画伯にもお届けして
明日スタッフみんなでいただきま〜す

大変ありがとうございました。

posted by ぷらっとハッピー at 13:13| 東京 ☀| ぷらっとハッピー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月14日

久米宏さんの訃報に接し 心よりお悔やみ申し上げます。

ニュースステーションのキャスターを
18年間務めた久米宏さんがご逝去されました。
心よりお悔やみ申し上げます。

久米宏さんの訃報に接し
一つの時代が終わったような気持ちになりました。

1985年に始まったニュースステーション
それまでにない新しい報道スタイルが注目を浴び
賛否両論ありながらも、新たな報道番組を確立していきました。

ニュースステーションが始まった頃
私は21歳。人生を模索中でした。

今はもうなくなっていると思いますが
当時の六本木にあったテレ朝の敷地内には
なんとも立派な古民家のような建物が残っていて
そこに毎日通いながら、当時の報道局社会部長のもとで契約スタッフとして働いていました。

その古民家の窓から見えるのどかな庭で
新しく始まるニュースステーションの
キャスター久米宏さんの撮影が行われていました。

成功するか否か
テレビ局にとっても久米さんにとっても
大きなチャレンジだったことでしょう。

ニュースステーションの開始と共に
六本木からアークヒルズへと一時期本社ビルが移ることになると
私が所属していた部署もニュースステーションの制作部と同じ地下のフロアーに移りました。

テレビ画面から伝わる雰囲気は
キャスターの小宮悦子さんなどの存在で
女性活躍のイメージがありましたが
制作スタッフは男性ばかりでした。

テレビから伝わるイメージと
現場は違うんだなと感じながらも
夢を託して真剣に闘っている
大人たちの真剣な姿に
すごいな!と感じました。

すでに「ぴったしカンカン」「ザ・ベストテン」などでの久米宏さんの司会者としての評価は高くありましたが、ニュース番組のキャスターを務める上で報道がショー化されていくことへの批判と共に、ジャーナリズムとしての視点への懸念も当初あったように思います。

しかし心配をよそに、久米さんの親しみやすいキャラクターと絶妙なトーク、視聴者目線でわかりやすくライブ感覚で伝える姿勢が視聴率を伸ばし、新しいニュース番組のあり方を作っていかれたように思います。

話術の巧みさと自分の才能に本人が甘えることなく、ものすごく勉強して、周りの批判を力に変えながら、魂を込めて覚悟して報道されていたのではないでしょうか。

当時、私がいた部署は他の番組のように日々何かがオンエアされるものではなく、当時の昭和天皇、皇后が亡くなった時、そして、大地震が起きた時などに備えての番組づくりでした。そうした時にはコマーシャルなしに番組を放映し続ける時間が定められていて、その時のための番組作りでした。

社会部長から、毎朝全ての大手新聞に目を通して、皇室に関する記事と反戦・反核に関する記事を切り抜きスクラップブックに貼って整理しておくように言われていました。

せめて、自分の仕事で切り抜いた記事だけでもちゃんと読んでおこうと思いながらスクラップブックに貼った記事の一つが、アメリカの平和学教授レイスロップご夫妻と国語教師の北浦葉子さんが「若者ボランティアいませんか?」と呼びかけている「ネバー・アゲイン・キャンペーン」の記事でした。
渡航費は自己負担で単身渡米し、アメリカの家庭にホームステイしながら、学校や教会でヒロシマ・ナガサキを伝える草の根ボランティアに関する草の根のボランティア活動の記事でした。

約1年間働いたお金で
ニュースステーションが始まった翌年の1986年秋
私は渡米しました。

あれから40年の月日が流れました。


ニュースステーションを去る時の
久米宏さんの最後の挨拶は

「民間放送というのは、かなり脆弱で弱くて、危険なものなんですけど。僕はこの民間放送が大好きというか、もう愛していると言ってもいいんです」「なぜかというと、日本の民間放送は原則として戦後に全て生まれました」「日本の民間放送、民放は戦争を知りません。国民を戦争に向かってミスリードしたという過去が、民間放送にはありません。これからもそういうことがないことを祈っております」

ご自身が去った後に懸念される
テレビへの最後のエールだったのでしょう。


時代は変わり、ネットの普及と共に
誰もが発信者となった今
率直に感じることは…

喋りの技術が巧みでなくてもいいから
権力にも、そして視聴者も、媚びない
心底ジャーナリズム魂を感じさせてくれる
大人の成熟した報道番組が見たいなと

久米宏さんが見たら
いいぞ!っと喜ぶような
そんな報道番組の出現を祈ります。
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2026年01月04日

嫌いな言葉「勝てば官軍」

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「勝てば官軍」

昔から好きになれない
嫌いなことわざの一つです。

しかし、これまで自分が生きてきた社会の中で、
強いものが正しいとされ、結果だけが評価される風潮にあることも感じてきました。

昨年、歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える
「いのちの音色」ライブや映画上映で
会津を訪れる機会をいただき、
その時初めて「勝てば官軍」という言葉は、
明治維新期に起きた戊辰戦争が由来とされていることを知りました。

日本史上最大の内戦ともいわれる戊辰戦争は
明治元年の1868年から約1年半、518日間にわたり続きました。

激戦地だった旧会津藩での戦いの残虐非道は凄まじく
少年兵「白虎隊」などを含む多くが戦死し、今でも会津には、長州(山口)への遺恨が残っていると言われます。

明治維新から150年を迎えた2018年
各地で記念行事が行われる中
旧会津藩の城下町だった福島県の会津若松市では
「維新」ではなく「戊辰」ののぼりが立ちました。

2018年2月の日経新聞「NIKKEI STYLE」の記事の中で、会津若松市の教育長を務めた宗像精さん(当時84才)が、次のように語っています。

「戊辰戦争で薩長は目的のために手段を選ばず、権謀術数の限りを尽くした。官軍と賊軍という区分けもその中から生まれたこと。結果的に勝った薩長が官軍、負けた会津が賊軍となったが、長州も一時は賊軍だったし、会津が朝敵となったことはない。だから双方とも賊軍などと言ってはいけないのに、会津だけが長く賊軍の汚名を着せられた。そういう歴史の事実を消すことはできない。歴史をなかったことにし握手する仲直りはできない」「仲直りや和解などとは言わず、民間レベルで黙って仲良くしていけばいい」

往々にして加害を与えた側は、相手に与えた傷の痛みをわかっていないことも多く、時が経てば痛みも消えて解決するだろうとさえ考えがちですが、そうした態度がより一層傷を深める場合もあります。

日本国内において戊辰戦争から150年以上たった今も
会津と長州に遺恨が残っているという事実に
はじめは少し驚きながらも…
戊辰戦争で何があったのかを調べるうちに…

「仲良くする」と「仲直り」は違う
という会津の方の想いは
実はとても大切なことなのだとも感じました。

これまでずっと抱えたままの宿題を
目の前に叩きつけられたような思いにもなりました。

ヒロシマ・ナガサキを世界に伝えた時
必ず返ってきたパールハーバーや日本のアジアへの加害
近隣諸国とのより良い未来を築くために
すれ違う歴史認識の中で思い悩んだ日々が思い出されました。

また、今回初めて知ったことは
そもそも靖国神社は、戊辰戦争で国家のために命を捧げた人々を慰め、その事績を長く後世に伝えるために明治2年に東京招魂社として創建され(明治12年に「靖国神社」に改称)そこには、新政府側の人間は祀られていますが、当時は賊軍と呼ばれていた旧幕府側の会津藩などは祀られていないのだそうです。

歴史に「もし〜」はないとしても
真実を知ってこそ歴史に学ぶ意義があり
歴史から教訓や知恵を学ぶ上で
物語と史実の違いを知ることの大切さと同時に
勝者によって都合よく改ざんされた歴史ではなく
歴史の真実に近づこうとする姿勢の大切さを改めて感じます。

昨年の戦後80年・昭和100年を経て
これからの時代を考える上で
1868年(明治元年)から1945年(昭和20年)の
日本近代史の77年間を
もう一度よく勉強していきたいと思います。

昨年初めて訪れた会津は、とっても素敵なところでした。
理不尽な過去の苦しみと悲しみの中から
会津だからこその平和文化が生まれ育ち
さらに発展していくことを心から祈っています✨
posted by ぷらっとハッピー at 19:58| 東京 ☀| ぷらっとハッピー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年12月03日

日本と中国、そして両国と世界の平和を心から祈ります。

あの中国人青年はどうしているのだろう?
馬さんのことを思い出しながら、涙が流れてきました。

戦後50年(1995年)、私がまだ異文化コミュニケーション雑誌の編集長をしていた時のことでした。ヒロシマ ・ナガサキの被爆者の方々の証言とメッセージを世界の人々と共に伝えて行くために、雑誌内で出演者を募集したところ、アメリカ・ドイツ・韓国・フィリピン・バングラディシュ、スペイン・中国の若者たちが応募してきました。馬さんはその出演者の一人でした。

当初は「この子たちの夏」という朗読劇をやる予定でしたが、会社として取り組む上で、制作団体の規定に合わなかったことから急遽オリジナル作品をつくることになりました。

ちょうどその年の10年前、私は「ネバー・アゲイン・キャンペーン」の民間外交プロジェクトで渡米し、アメリカの学校や教会で日本文化紹介とともに被爆体験を伝える1年間の草の根ボランティアに参加しました。様々なルーツを持つアメリカの人々に被爆者のメッセージを伝える体験の中で、悩み、感じ、考えた体験は、人生の原点となっています。

ヒロシマ ・ナガサキを世界に伝えようとすればするほど、パールハーバーやアジアへの日本の加害について、しっかりと見つめることの大切さをアメリカ行脚で痛感いたしました。それは、日本の過去を非難するためでも過去に固執するためでもなく、未来志向で考えながら目の前にいる様々な国々の隣人たちとコミュニケーションを通して信頼関係を築く上で、とても大切なことでした。

世界の人々と共にヒロシマ・ナガサキを伝えていく上で、多国籍の出演者の皆さんに国際電話で自分の両親や祖父母の戦争体験の聞き取りをしてもらいました。それぞれの国でヒロシマ・ナガサキがどのように語られているかについて話し合い、原爆が投下された時に世界の人々がどう感じたかを取材しながら、平和な世界を願って世界の若者たちと共につくった多国籍朗読劇でした。

そして、その舞台に出演してれた一人が中国の青年、馬さんでした。
初めて会った時、目をキラキラさせて「日中友好のために何かしたいんです!」と語っていた馬さんの希望に満ちた顔を、今もはっきりと覚えています。

馬さんのお母さんはとても裕福な家庭で育ちましたが、日本軍に家も土地も全て奪い取られ、身一つで命からがら逃げのびました。父方の親戚が二人、日本軍によって射殺されていました。1972年、日中は国交を回復し、それを記念して開催された展覧会を見に行った時、お母さんは、会場に入ることができませんでした。会場の入り口の日の丸の旗を見た途端、一瞬にして過去の記憶がよみがえったからです。馬さんは「まだ私が子どもの頃でしたが、家に逃げ帰ってきた母が、『日本が来たよ、また日本が攻めてきたよ』と震える声で言ったこと覚えています」と語っていました。

馬さんは、中国ではエリート商社マンとして20代で部長となり何不自由ない生活をしていました。1985年に日本に出張で来た時は、「なんて不思議な国だ」と感じたそうです。「こんな小さな国が、どうして世界有数の経済大国になったのだろう」もっと日本を知りたくなった馬さんは1989年に会社を休職して来日し、皿洗いやビル掃除をしながら日本語を学び、その後、日本の大手商社に就職しました。音楽が好きだった馬さんは、生活に少し余裕ができた1993年頃から、日本の最新ヒット曲と日常生活を紹介するラジオ番組を自主制作し、中国語・日本語・英語で自らDJを務めながら中国で発信し始めました。

「普通の日本の姿を中国人に伝えたい」という馬さんのラジオ番組づくりへの熱意は中国全土に広がり、当時は北京、南京、広州など12都市の2億人エリアに向けて放送されるようになっていきました。給料の半分を使って生活費を切り詰めながらの日々の中で、何度となく番組の打ち切りも考えたことがあったそうですが、それでも馬さんはチャレンジし続けていました。

「日本人には戦争の時のことを決して忘れて欲しくない。そして中国人には、昔の日本だけじゃなくて、今の日本人の姿をもっと見てほしい」
日中友好を願い、両国の懸け橋としてチャレンジし続ける馬さんの熱意に深く感動しました。

「幼い頃から日本を敵視していましたが、馬さんの番組によって変わりました」「私が接することのできる唯一の日本の生の情報です」など、中国から月300通を超えるファンレターが届きました。私たちは、少しでも馬さんを応援するために「馬さんの中国向け放送を支援する会」をつくって募金を呼びかけ、馬さんのラジオ番組を現地で聞いてみたいという思いから、みんなで中国を訪れて、現地のリスナーの方々と交流しました。

中国の熱狂的なリスナーの皆さんと現地で会ったときは時は、驚きました。石川さゆりさんが大好きだという中国人女性は、私の手を握り締め、「美くしい歌声とメロディーに、野蛮だと思っていた日本人のイメージが変わりました。こんなにも感動する歌をつくる人が日本にいるんですね」と涙ながらに興奮して伝えてくれました。

その後、馬さんは独立し、中国の音楽を日本に紹介するプロジェクトなど幅広く活躍するようになり、日本人アーティストたちの中国でのコンサートを実現させていきました。


今年は、戦後80年。1972年の日中国交正常化から53年…
インターネットも普及し、今は違う形になっているかもしれませんが、馬さんが普段着の日本を中国に伝えようと、ドリカム、SMAP、小室哲哉さんなど当時の日本のヒット曲を1週間後には中国の家庭でも流れる番組をつくって放送されていた90年代の頃を思いながら…

日中共にこれまで、いろんな人たちのいろんな思いの中で、戦後の文化交流がなされてきました。時が流れ、まるでずっとそうであったかのように、当たり前のように感じていることも、そうなるまでにどれ程多くの人々の努力と苦労があったことでしょう。

そして、その根底には、二度と戦争をしない、平和を共に築いていきたいという純粋な思いが強く流れていたのではないでしょうか。

今一度、心から馬さんに感謝したい気持ちでいっぱいになりました。あの頃を思い出しながら涙があふれてきます。

日本と中国、そして両国と世界の平和を心から祈ります。


平和を!✨

posted by ぷらっとハッピー at 17:30| 東京 ☁| ぷらっとハッピー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年10月15日

心癒される地域のお祭り

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地域のお祭りの演奏に
ベースの花輪さんが
遊びにきてくれました♪

先週初めから今週終わりまで続く
抗がん剤治療の影響で体調がすぐれず
指に包帯しながらではありましたが
少しでも地域に貢献できればと
近くの公園で開催されるお祭り会場へ

お天気にも恵まれ
青空の下でギターを奏で始めると
ご機嫌なしげ兄さん

かなり辛い時も
ギターと一緒だと
元気になるしげ兄さん
やっぱりミュージシャンなんだなぁ〜
と改めて感じます

つくられた公園という感じのない
昔からずっとそこにあった木々に囲まれ
森と大地のエネルギーを感じる
素敵な空間

こんな素敵な空間が
東京の住宅街の中に残されていることに
なんだか感動〜♪

その場で演奏したい曲を選んで
皆さんのランチタイムに
しげ兄さんと花輪さんによる
JAZZの演奏✨

What a wonderful life!
All of me
Fly me to the moon
It's only a paper moon
の4曲は、私もヴォーカルで
参加させていただきました♪

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楽しそうに駆け回る
子どもたちの声に
平和を感じながらの
素敵な時間✨

この日のために
地域の繋がりのために
いつもご活動してくださっている皆様に
心より感謝いたします✨

posted by ぷらっとハッピー at 15:49| 東京 ☀| ぷらっとハッピー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年10月03日

少しでもがんばれる喜び〜♪

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昨日は、しげ兄さんのCT検査でした。
結果は来週わかります。

春のPET検査の結果があまり良くなかったこともあって、8年間の闘病生活の中で今年は特に辛い日々が続きました。でも、そんな中にあっても、しげ兄さんは本当にがんばってきました。

そう…がんばれることも喜びなのです。

どんなにがんばりたくても、がんばれない時は、本当にがんばれない…そのどん底の体験を何度も何度も経てきたからこそ、少しでもがんばれていることへの感謝がより一層溢れてきます。

無理しないように、でも「がんばりたい!」
その思いを共にサポートしてくださっている皆様に改めて心より感謝いたします。

昨日、「いのちの音色」ライブを応援してくださっている鈴木様から届いたお言葉が、なんだかとっても心に響きました。

「排外主義が蔓延し、無責任な不安を煽る情報が垂れ流される中で、個人同士が繋がることが最初の一歩になるような気がします。国や国民などという大きな主語を使わない活動を応援したいと思っています」

皆様への感謝を胸に
微力であっても
希望や平和に繋がる
小さな種をまきを続けていきます🌱

応援してくださっている皆様に、心より感謝いたします。
posted by ぷらっとハッピー at 06:39| 東京 ☁| ぷらっとハッピー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年09月27日

素敵なパッチワークのプレゼント!感謝いたします〜♪


「いのちの音色」ライブを応援してくださっている
原雅敏さんの奥様が制作された素敵なパッチワーク✨

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オフィスに飾り
見るたびにあたたかな気持ちになります。

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ありがとうございます✨
posted by ぷらっとハッピー at 08:16| 東京 ☁| ぷらっとハッピー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年09月03日

ビビリー命くん

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オフィスで一番威張っている腕白な猫の命くん。

後ろ足の付け根あたりを怪我して病院に通っています。

内弁慶で超ビビリーなので、傷口を見せて注射するだけで大騒ぎです(><)

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犬の宝お姉ちゃんが同行してくれたので助かりました。

明日は、しげ兄さんの受診日。主治医の勝俣範之先生に診ていただき、2クール目の抗がん剤治療が始まります。

慌ただしい日々ですが、副作用がひどくならないように祈りながら、無理しないように気をつけて前に進んできます。
posted by ぷらっとハッピー at 22:19| 東京 ☀| ぷらっとハッピー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年08月23日

1日1日乗り越えながら!

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お陰様で本日、しげ兄さんの新しい抗がん剤の最初の1クール目が終わりました。

8月5日の甲府ライブから戻って2日後から新たな抗がん剤がスタートし、しばらく様子を見ながらの毎日でした。

主治医の勝俣先生から、抗がん剤の横綱と大関にあたる強くて厳い治療はすでに終えているので今回は小結ぐらいの感じですと言われていましたが…気持ち悪くなったり、湿疹が出たり、眠れなくなったり、倦怠感…副作用はもろもろ出ていますが、これまでのような急激な変化はなく、今のところは順調です。

次のクールが始まるまでの約2週間で体調を整えながら、次のライブへの準備と共に、制作中の映画の完成を目指します。

次回、9月13日の由木東市民センターでの「いのちの音色」ライブで、299回目となります。1000回ライブまで あと701回!😀共に目指します〜!

posted by ぷらっとハッピー at 00:18| 東京 ☁| ぷらっとハッピー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年08月16日

終戦から80年…


戦争が終わって80年…

私が初めて戦争体験者の方からお話を聞いたのは戦後40年の時でした。

あれからさらに40年の歳月が流れ
この間、戦争体験や被爆体験をお話ししてくださったほとんどの方々が亡くなられています。

その悲しみの中から2008年にスタートした「いのちの音色」ライブや映画づくりなどを通して、微力であっても直接お話を伺わせていただくことのできた世代として、今自分たちにできることを果たしていきたいと思います。


8月15日は、猫の命くんの誕生日でもあります。埼玉県の川口の草むらで兄弟たちと遊んでいる時に保護された命くんは、5年前にミューズの里にやってきました。

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▲5歳になった命くん

野良猫だったので正確な誕生日はわかりませんが、生後4か月ぐらいだった命くんの誕生月はたぶん8月頃だろうと保護された里親の会の方が言っておられたので、「ずっと戦後であってほしい」という願いも込めて、命くんのお誕生日を8月15日に決めました。

小学生の頃、担任の先生が絵本「猫は生きている」を授業の最後に何日かに渡り読み聞かせてくださいました。東京大空襲の中を野良猫の親子が生き延びる姿が描かれていました。「戦争は絶対に嫌だ」と強く思ったのを覚えています。

太平洋戦争末期に原爆を含む大規模空襲があった107自治体が把握している空襲の死者数は約38万7000人。 私が暮らす東京への大空襲では、およそ300機の米軍のB29爆撃機により焼夷弾33万発が雨のように降り注ぎ、一夜にして約10万人の命が失われました。焼失家屋は27万戸に達し、焼け出された人は100万人にのぼると言われています。

命くんが保護された川口も、太平洋戦争初期の1942年(昭和17年)4月18日にアメリカ軍のB2爆撃機による「ドーリットル空襲」で被害を受けていました。真珠湾攻撃から4か月後の日本本土への初めての空襲でした。

太平洋戦争では、軍民あわせて日本人の犠牲者数は310万人(軍人・軍属が約230万人、民間人が約80万人)、アジア太平洋地域全体での犠牲者数は2,000万人以上といわれています。

人間がひき起こす戦争によって失われ傷ついた動物や植物などあらゆる命について思いを馳せながら、5歳になった命くんの誕生日を祝いました。

戦争をくい止めるために、どう生きるべきなのか?

生きている限り自問自答し続けながら、どの様な状況下にある時も平和を願い、微力であっても今自分にできる平和への取り組みを続けながら生きていきたいと強く思います。
posted by ぷらっとハッピー at 00:38| 東京 ☁| ぷらっとハッピー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年08月11日

癒されます〜

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先日のライブで甲府YWCAの皆様からいただいた花束で、「平和を望む会」代表の木村巴画伯がステキなリースを作ってくださいました。

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なんて素敵なんでしょう!

心が癒されています〜

ありがとうございます✨
posted by ぷらっとハッピー at 20:49| 東京 ☀| ぷらっとハッピー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする