2026年01月04日

嫌いな言葉「勝てば官軍」

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「勝てば官軍」

昔から好きになれない
嫌いなことわざの一つです。

しかし、これまで自分が生きてきた社会の中で、
強いものが正しいとされ、結果だけが評価される風潮にあることも感じてきました。

昨年、歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える
「いのちの音色」ライブや映画上映で
会津を訪れる機会をいただき、
その時初めて「勝てば官軍」という言葉は、
明治維新期に起きた戊辰戦争が由来とされていることを知りました。

日本史上最大の内戦ともいわれる戊辰戦争は
明治元年の1868年から約1年半、518日間にわたり続きました。

激戦地だった旧会津藩での戦いの残虐非道は凄まじく
少年兵「白虎隊」などを含む多くが戦死し、今でも会津には、長州(山口)への遺恨が残っていると言われます。

明治維新から150年を迎えた2018年
各地で記念行事が行われる中
旧会津藩の城下町だった福島県の会津若松市では
「維新」ではなく「戊辰」ののぼりが立ちました。

2018年2月の日経新聞「NIKKEI STYLE」の記事の中で、会津若松市の教育長を務めた宗像精さん(当時84才)が、次のように語っています。

「戊辰戦争で薩長は目的のために手段を選ばず、権謀術数の限りを尽くした。官軍と賊軍という区分けもその中から生まれたこと。結果的に勝った薩長が官軍、負けた会津が賊軍となったが、長州も一時は賊軍だったし、会津が朝敵となったことはない。だから双方とも賊軍などと言ってはいけないのに、会津だけが長く賊軍の汚名を着せられた。そういう歴史の事実を消すことはできない。歴史をなかったことにし握手する仲直りはできない」「仲直りや和解などとは言わず、民間レベルで黙って仲良くしていけばいい」

往々にして加害を与えた側は、相手に与えた傷の痛みをわかっていないことも多く、時が経てば痛みも消えて解決するだろうとさえ考えがちですが、そうした態度がより一層傷を深める場合もあります。

日本国内において戊辰戦争から150年以上たった今も
会津と長州に遺恨が残っているという事実に
はじめは少し驚きながらも…
戊辰戦争で何があったのかを調べるうちに…

「仲良くする」と「仲直り」は違う
という会津の方の想いは
実はとても大切なことなのだとも感じました。

これまでずっと抱えたままの宿題を
目の前に叩きつけられたような思いにもなりました。

ヒロシマ・ナガサキを世界に伝えた時
必ず返ってきたパールハーバーや日本のアジアへの加害
近隣諸国とのより良い未来を築くために
すれ違う歴史認識の中で思い悩んだ日々が思い出されました。

また、今回初めて知ったことは
そもそも靖国神社は、戊辰戦争で国家のために命を捧げた人々を慰め、その事績を長く後世に伝えるために明治2年に東京招魂社として創建され(明治12年に「靖国神社」に改称)そこには、新政府側の人間は祀られていますが、当時は賊軍と呼ばれていた旧幕府側の会津藩などは祀られていないのだそうです。

歴史に「もし〜」はないとしても
真実を知ってこそ歴史に学ぶ意義があり
歴史から教訓や知恵を学ぶ上で
物語と史実の違いを知ることの大切さと同時に
勝者によって都合よく改ざんされた歴史ではなく
歴史の真実に近づこうとする姿勢の大切さを改めて感じます。

昨年の戦後80年・昭和100年を経て
これからの時代を考える上で
1868年(明治元年)から1945年(昭和20年)の
日本近代史の77年間を
もう一度よく勉強していきたいと思います。

昨年初めて訪れた会津は、とっても素敵なところでした。
理不尽な過去の苦しみと悲しみの中から
会津だからこその平和文化が生まれ育ち
さらに発展していくことを心から祈っています✨
posted by ぷらっとハッピー日記 at 19:58| 東京 ☀| ぷらっとハッピー日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする