2025年06月04日

「別府光の園」松永忠施設長のご冥福をお祈りいたします。


大分県別府でのライブや上映などで大変お世話になっている伊藤慶典さまからご連絡が入り、被爆アオギリを植樹してくださった大分県別府市の社会福祉法人「別府光の園」施設長の松永忠さまが亡くなられたことを知りました。

送ってくださった大分合同新聞の記事に
23年11月にくも膜下出血で倒れ、病と闘っておられたと書かれていました。

2022年8月、施設の子どもたちと一緒に、みんなで広島の被爆アオギリ2世を「別府光の園」に植樹した時のことが思い出され、涙が止まりませんでした。

植樹式の前年のコロナ禍には、弊社のしげ兄のがんの再発があり、厳しい抗がん剤治療を終えて、ようやく大分に伺えるまでに回復した時でした。

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あの植樹式の翌年11月、松永さまが病気で倒れた同じ頃、しげ兄の二度目の再発が疑われはじめ、再び苦しい厳しい抗がん剤治療が始まった昨年2024年は、私にとっても記憶が飛んでしまう程大変な一年で、何のご連絡もできないまま月日が流れていました… 同じ頃に辛い闘病生活をされていたことを知り、言葉にならない様々な思いがこみ上げてきます。

子どもたちに深い愛情を注いでこられた松永施設長の想いが、これからも受け継がれていきますように。心より祈りながら、私たちも自分たちにできる希望と平和の種まきを続けていきます。

子どもたちと被爆アオギリ2世に会いに
また別府に行く日を目標に、一日一日を大切に生きていきます。

ご冥福を心よりお祈りいたします。

〜大分合同新聞より〜
「大分県別府市の社会福祉法人「別府光の園」(荘園)で長年にわたって統括施設長などを務め、児童福祉の発展に尽力した松永忠さん(享年63)=同市、4月13日に死去=の追悼の会が6月1日、敷地内のチャペルであった。関係者約130人が出席し、在りし日をしのんだ。
 松永さんは長崎県平戸市出身。中津市の児童養護施設での勤務を経て、2000年副施設長として「光の園」へ。児童養護施設の運営だけでなく、地域の子育て支援拠点を目指し、保育所や児童館、児童家庭支援センターなどを備えた多機能型の施設として発展させた。専門的な視点を生かし、地域の子育て家庭とのつながり、見守る活動にも力を入れた。24時間体制の支援の必要性を訴え、行政との連携体制も整えた。
 県児童養護施設協議会長などを歴任。厚労省や県、市に提言する各種委員も務め、子どもを取り巻くさまざまな課題について訴え続けた。市内で起きた児童虐待死事件を発端に始まった「別府子ども福祉塾」塾長も務めた。
 施設では「忠(ただし)マン」の愛称で親しまれ、子どもたち一人一人に深い愛情を注いだ。養育に関する著書を多数執筆し、大分合同新聞「灯」には137編を寄稿。23年11月にくも膜下出血で倒れ、病と闘っていた。
 会では高松右門・別府光の園理事長、衛藤祐治・県児童養護施設協議会長、妻の久美さんらが追悼の言葉を述べた。子ども代表の男子高校生(16)は「2歳の頃に光の園に来ました。いつも僕を抱っこし、一緒に歌を歌ってくれた。たくさんの愛情をもらい、年下の子どもたちを大切にするようにと教えてくれました」、児童養護施設の上鶴勝之施設長は「志を受け継ぎ、園を大切に守っていきます」と感謝した。
 チャペルには子どもたちの聖歌が響き渡った。施設を出て社会人となった卒園生も駆け付け、松永さんとの思い出を振り返っていた。」

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posted by ぷらっとハッピー日記 at 13:54| 東京 ☀| ライブ&映画「いのちの音色」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする