
ゴールデン街にある花の木の広田和子ママに
何だかとっても会いたくなって…
それにしても もう30年以上も経つから
場所を確認してみようと検索していたら
「享年、78――。
中上健次、野坂昭如らが愛し、足しげく通った新宿ゴールデン街の文壇バー「花の木」の名物ママ、広田和子さんが2018年1月11日、亡くなった」
と書かれた週刊誌の記事が目にとまり愕然としました。
自分も年をとり、周りも年老いていくことを いまだにちゃんと自覚できていない私は、いつまでもドアを開けばママがそこにずっといてくれて、いつか落ち着いて余裕ができたら会いにいこうと思っているうちに… 6年前にママはお亡くなりになっていたのです。
東京のサブカルチャーやアングラ芸術の発信地の一つと言われている「ゴールデン街」
ママは、作家の故・佐木隆三さんと離婚された2年後の1973年に
新宿ゴールデン街にお店「花の木」をオープンされました。
私がママにお世話になったのは1990年代で
エスニックメディアで外国人向け雑誌の編集長をしていた当時
戦後の面影が残る新宿のゴールデン街にとても興味を惹かれ
昼間の「花の木」をお借りして、週末に読者を集めてインターナショナル・トーク・パーティーを開催しながら日本に滞在する世界の人々の本音を取材していました。
電車の1車両の半分より小さな「花の木」のお店に
留学生や日本でビジネスをする様々な国の世界の人々が集まり
カウンターの中も外も全員立ったまま
まるで満員電車のようでした。
今では、訪日外国人が訪れる観光地ともなっているそうですが
当時は今とは全く違って ゴールデン街に外国人が集まるのはとても珍しいことでした。
ママは阿波踊りが大好きで
お店の常連さんたちと一緒に「花の木連」をつくって
高円寺の阿波踊りに毎年出場していました。
是非世界の人々に阿波踊りの魅力を知ってほしいと
ママと一緒に「花の木連」の中に 多国籍連をつくって踊ったことも忘れられない思い出です。
一生懸命に仕事をしてもどうにもならない時
出来ない理由を先に考えてしまいがちな若い頃
何かのせいにしたり 形から入ろうとしていた20代に
「そうじゃないでしょ」
と、後ろ姿で私に思いっきり見せつけてくれたのが広田和子ママでした。
何の飾り気も色気もない店のカウンター
いくつかの席が並ぶだけの小さな空間
すごっく美味しいものが出るわけでもなく、お酒の種類もない。
あるのはカウンターに立つママの存在感と人間力
なのに、人が集い文化が育まれつくられていく匂いが ぷんぷんしていました。
会えないままとなってしまいましたが
若かりし頃にママと出会えたことは
私の人生にとってとても大きなことでした。
心から感謝しています。
ママ、本当にありがとうございました。
広田和子ママ
会いたかった。
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