ミューズの里の活動をずっと応援してくださっている広島の柏原省治様よりアオギリウォークのお写真が届きました。
柏原様は、昨年に引き続き今年も、被爆者の沼田鈴子さんが旅立たれた7月12日にアオギリウォーク(平和記念公園→旧逓信病院→牛田墓地)を行い、お写真を送ってくださいました。
広島平和記念公園の被爆アオギリは今年もたくさんの花を咲かせ、秋には2世の種がたくさんとれることでしょう!
沼田鈴子さんが被爆された
爆心地から1.3キロの旧逓信病院のお写真もたくさん送ってくださいました。
2011年7月12日、ギタリストの伊藤茂利さんと共に広島女学院大学でのライブの後、タクシーで記者会見場の広島市役所へと向かう途中、旧逓信病院の前を通りかかりました。運転手さんにお願いしてそこで降ろしていただき、しばらくこの場所で沼田さんのことを思っていました。
その後、市役所に到着すると、知り合いの記者の方から沼田鈴子さんが今朝亡くなられたと知らされ、その時の衝撃は今も忘れることができません。
ライブ活動の中で被爆アオギリ2世・3世の植樹をしながら、アオギリに託された想いを伝え続けながら、より深く沼田さんのことを伝えたいという思いから、初めての映画制作をスタートしました。
柏原さんが送ってくださったお写真を見ながら、いろんな思いが蘇ります。
過酷だった映画制作とたくさんの借金を背負いながら心の休まる日のない上映活動の中で、ある日突然苦しみに襲われ病院に駆け込んだ伊藤さんは、癌がすでに大きくなりすぎていて腸閉塞を起こし、七転八倒の苦しみの中にありました。あんなにも人が苦しむ姿を初めて見た私は、自分の精神状態を保つだけで精一杯でした。その場で即入院となり、すぐには手術もできず、20日間水も飲めずどんどん痩せ細り、どなるかわからない状況が続きました。病室の伊藤さんやスタッフと共に、あの日、原爆のキノコ雲の下におられた沼田鈴子さんはじめ、被爆者の方々の苦しみを思いながら涙が止まりませんでした。
あれから6年という歳月が流れ、コロナ禍の伊藤さんの癌の再発もあり苦しい闘病生活も続きましたが、柏原様が何度も沼田鈴子さんのお墓参りに行って、伊藤さんのことを祈ってくださいました。
沼田さんに見守っていただいていると感じる瞬間が何度もありました。
昨日の猛暑の中、柏原様から送られてきたアオギリウォークのお写真に手を合わせながら、苦しかった日々を乗り越えて今生かされている命に感謝しながら、ドキュメンタリー映画『いのちの音色』完成に向けて全力を尽くしてまいたいと存じます。
柏原様、本当にありがとうございます。心より感謝申し上げます。
いつかアオギリウォークに参加できる日を楽しみにしています🍀
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