『いのちの音色』の撮影でもお世話になった
日本被団協の元代表委員で金沢大名誉教授の岩佐幹三さん(享年91才)
(2020年9月7日、膵臓がんのためご逝去されました)
2011年には大江健三郎さんらと発起人となり
「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」
を結成して代表理事を務め、
2016年には当時のオバマ米大統領の
広島訪問に立ち会われました。
原爆が広島に投下された時、岩佐さんは16歳でした。
お父様はすでに病死され、原爆でお母様とたった一人の妹を失いました。
爆心地から1.2キロだった自宅の家の下敷きになって動くこともできず…原爆の火に焼かれるお母様を置き去りにしたことや、学徒動員で出たまま戻らない妹をいくら探し回っても見つけることができなかったこと、そして自分が軍国少年であったことなどへの様々な思いを抱えながら生きてこられた岩佐さん。
「いろんな考えを積み重ねながら生きてきました。
被爆体験を話せないことはないが
淡々と話しているんですね
親がくよくよしない子どもに
育ててくれたと言ってきたんですけど…
違うんだな… 」
岩佐さんの言葉に
心の奥底にある計り知れない
深い悲しみを感じます。
「被爆者という人間はいない。
皆さんと同じ普通の人間が、
被爆者という運命を背負わされたのです。
核兵器というものは、
人間に一生涯、原爆の被害というものを
背負わさせるんだということをわかってほしい。
皆さん方がいつヒバクシャ になるかわからないということを、
そういう自分の問題として考えていただいて、
核兵器廃絶の運動を高めていただきたい」
被爆者運動をリードし
戦争も核兵器もない世界の実現に向けて
生涯尽くされた岩佐幹三さん。
「沼田鈴子さんも自らと戦い続けてきた。
語れる人も… 語れない人も…
自らと戦い続けてきたんです」
石川県・金沢に呼んでいただき
岩佐さんと初めてお会いしたのは20代でした。
今振り返ると想像力が及ばず、受け止めきれていないことがいっぱいあった自分が思い返されます。
あれから40年近くたつ今になって
初めて感じる新たな気持ちと出会います。
きっと今だって、わかっていないことがたくさんあるのだろうと思いながら‥‥
戦争や被爆体験のない我々ではありますが
被爆者の方々の想いを
少しでも伝えていける作品をつくっていけるよう
全力を尽くしてまいりたいと思います。
🎬ドキュメンタリー映画『いのちの音色』
https://musevoice.com/inochi/
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