映画『アオギリにたくして』ではチーフ助監督を務めてくださり、現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』の撮影や編集でも大変世話になっている中根克さんとプロデューサーで音楽監督の伊藤茂利と共に広島在住の画家・吉野誠さんのご自宅に3人で撮影にお伺いした時の映像を見ながらこれまでを振り返っています。
1933年に吉野誠さんは広島の農家に
生まれ育ちました(現在の庄原市西城町)。
戦時下にあった当時は食糧難で
「満州に行けば幸せに暮らせる」
との宣伝を信じて1944年に
家族7人で開拓団に加わり旧満州に渡りました。
吉野さんが11才の時だったそうです。
開拓団という言葉に、
荒れ野を開墾するのだと思って大陸に渡った吉野さん一家でしたが、
実際はわずかなお金で農地を奪って居座らざるない現実が待っていました。
「兵士が武器を突きつけるように
農具を現地の人々に突きつけて
土地を奪いました」
吉野さんはアルミ板で自ら制作した作品を指差し
「そこにいる少年は私なんです」
と語りました。
1945年の8月に入ると
旧ソ連が参戦し、
15日に敗戦を迎えました。
1か月前の7月に
病死した吉野さんのお母さんは
満洲に来るべきではなかった、
悪いことをしてきたので
戦争に負けたら
きっと仕返しされるだろう
と心配しながら亡くなっていきました。
日本への帰国の機会を待つ中で
食べ物はなくなり
いつ死ぬかわからない日々が続きました。
冷下30度の寒さ、チフスにコレラ…
報復による襲撃
旧ソ連軍による略奪や暴行
12才の少年だった吉野さんは
目の前で女性が暴行され
その場で3人の女性が
舌を噛み切って死んでいく姿を見ました。
姉を守るために
旧ソ連の兵士たちに抵抗した祖母は
銃剣で何度も頭を殴られて頭や顔が変形し
3日間苦しみながら亡くなりました。
自殺した方が楽になる…
そう考えていた時、
夜空に浮かぶ
世界に一つしかない月の中に
広島の友人の姿が浮かび上がり
「早く帰ってこい」
と声が聞こえてきました。
国民学校時代の友だちや
一緒に遊んだ最上川
遠足で登った山が映し出され
「自殺なんかしちゃいけない
ちゃんと生きて帰ろう」と心に誓い
1946年7月に吉野さんは
父ときょうだいの5人で引き揚げてきました。
苦学しながらも1日も休まず通った高等学校時代に
美術の先生がおっしゃった
「戦時中は、命を投げ出すことが美とされた。
それは、間違いだったんだ。
芸術は命を表現することなんだよ。
絵画は平面に、彫刻は立体で、文学は文字で、音楽は音で、命を表現しているんだ」
という言葉に深く感動した吉野さんは
絵の道を志し、東京の武蔵美術大へと進みました。
広島県内の公立中学校で美術教諭として
平和教育にも力を注ぎながら
自由美術展などを舞台に活躍されてきました。
吉野さんの絵画によく用いられている白や灰色は、
死者の骨の色をイメージしています。
作品に描かれている破られた紙は、
紙切れのように粗末にされた命をあらわしています。
アルミアートの創作でも知られている吉野さんは
捨てられた缶に旧満州で命を落とした開拓民の姿を重ねながら
生きるか死ぬかの日々の中で見た
夜空に浮かぶ輝く月の光を
アルミ板の光とも重ねて制作しています。
吉野さんはアオギリの語り部と呼ばれた
広島の被爆者・故沼田鈴子さんと共に
マレーシア、中国、韓国など
アジアの国々への慰霊の旅をされ、
戦争の中の加害と被害を見つめ続けてきた方でもあります。
丸木美術館(埼玉県東松山市)の
正面外壁の大きな木彫レリーフ「いのちの叫び」は
広島県廿日市中の全校生徒(約340人)が、
1972年から吉野さんの指導のもと制作されました。
74年11月に丸木位里さんが同校を訪れ
贈呈式が開催されたのだそうです。
われわれも映画『いのちの音色』完成までに
もう一度こどもたちの作品を拝見しに
丸木美術館を訪れたいと思っています。
吉野さんのズボンのポケットには
いつも瓶の蓋が入っています。
近所で喧嘩している子どもたちがいた時に
これが役立つのだと言います。
「蓋を片目につけて
笑かしたり手品をしていると
喧嘩をやめて、自然に笑顔になるんよ」
平和づくりに大切なのは
「笑顔」と「ユーモア」
「笑顔とユーモアの絶えないところに争いなし」
沼田さんがよく言っていたそうです。
東京から慌ただしく取材に訪れた我々を
あたたかく迎え入れてくださった吉野さんに
改めて心より感謝申し上げます。
その後、スタッフの病やコロナ禍など
長くお会いできないままでしたが、
近くまた広島を訪れたいと思っています。
現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』を
この夏までに作り上げたいと思いながらの日々ですが
これまで10年間以上に渡る
一つ一つの映像が
深く、重く、大切で
まだまだ時間がかかりそうです。
形にできるよう日々精一杯
努力を積み重ねて参ります。
▼公式HP
ドキュメンタリー映画『いのちの音色』
https://musevoice.com/inochi/
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