10年以上に渡る撮影データーを
今一度見直しながら、
弊社ミューズの里の第3作目となる
ドキュメンタリー映画「いのちの音色」を制作中です。

▲右:伊藤直子さん 左:西本多美子さん
今は亡き伊藤直子さんの映像を見ながら涙がこぼれます。
伊藤直子さんは、全国の被爆者の会の協議会である「日本被団協」の事務局員・日本被団協中央相談所の相談員などをつとめ、被爆者の運動をずっと支え続けてこられました。
私が伊藤直子さんと初めてお会いしたのは、37年前でした。渡航費は自己負担し、アメリカでホームステイしながら、米国の学校の歴史の授業や教会などでヒロシマ・ナガサキを伝える日米民間外交プロジェクト「ネバー・アゲイン・キャンペン」のボランティア活動に参加させていただくことになり、アオギリの語り部と呼ばれた沼田鈴子さんはじめ、広島・長崎でたくさんの被爆者の方々との出会いをいただきました。
広島・長崎だけでなく、
自分の住む東京にも被爆者の方がおられることを伊藤直子さんに教えていただき、
お話を伺う機会をつくってくださいました。
ヒロシマ・ナガサキは教科書の中の過去の出来事としか思ってなかった私は、
自宅から歩いて数十分のところに被爆者の方が住んでいることを知り、被爆者の方からお話を直接伺うことで、いかに自分が何も知らずに生きていたことを知りました。

核兵器の廃絶をめざす被爆者の運動を
ずっと支え続けた伊藤直子さん。
どんな思いで被爆者の心に寄り添ってこられたのか…
被爆者運動から見えてくる
人間・命の尊厳と平和への希望に
深い感銘を覚えます。

▲あの時、直子さんと一緒に訪れた金沢の被爆アオギリ2世がこんなに大きくなっています。ご案内くださった被爆者の西本多美子さんと今年の被爆アオギリ🌱
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