2022年08月14日

松田昭男さん(第七藝術劇場・シアターセブン代表)から伝わる覚悟と魂



8月6日、広島に原爆が投下されて77年目を迎え、弊社ミューズの里の14年目の設立記念日でもあるこの日、ビルの屋上に被爆アオギリ2世が植樹されている大阪・十三の淀川文化創造館「シアターセブン」にてこの夏のアオギリ祭りの最終日を迎えました。

296881519_5416993305050591_497816322109546342_n.jpg


大阪初の「アオギリ祭り」の最後のトークライブでは、有限会社 第七藝術劇場の代表取締役で、淀川文化創造館シアターセブンの代表でもある松田昭男さん(1936年6月18日生まれ)にご登壇いただき、「映画館から平和を考える」をテーマにお話しいただきました。


297245099_5416993545050567_3413371001768303469_n-1.jpg


「一応86歳ですが、精神年齢は20歳ぐらいですから」
という言葉から始まった松田さんのトークライブ♬

ジャーナリズムの一端を担うミニシアターの存在について、
その果たすべき役割とこれからの未来、
そしてご自身の夢について熱く語ってくださいました。


297861885_5416993155050606_2881624895070376567_n.jpg


トークライブの打ち合わせの時、
「私は、おっちょこちょいで小心者なんですよ。なのに、要領のいい人間ではないこともあってか、妥協しない性格なんですね。」と笑いながら語る松田社長の言葉は、いつものように柔らかく、優しく、安心感を感じさせてくれました。

 初プロデュース映画『アオギリにたくして』を初めて上映していただいた2013年にお会いした時から、その骨のある生き様に触れさせていただく度に気合をいただいています。
 2作目のドキュメンタリー映画『かけはし』では、なかなか集客に至らず、人があまりにも集まらなかったため「この映画をもっと多くの人に見てもらった方がいい!」と、上映期間を何週間も伸ばしてくださった時のことを、今も忘れることができません。
 映画製作でボロボロになっていた私にとって、松田さんは「人間を信じてもいいんだ」と感じさせてくれた存在でもあり、シアターセブンに戻ってくるたびに故郷に帰ってきたような気がします。


〜松田昭男さん(第七藝術劇場・淀川文化創造館シアターセブン 代表)のお話より〜

「小学3年生(9歳)の時、戦争が終わりました。負けて悔しいという気持ちは全くなくて、『やっと戦争が終わった』と感じた気持ちを今でも覚えています。その後、日本は大きく変わり、教育方針も変わっていく中で、一番最初に入ってきたのは民主主義。これも徹底的に教え込まれました。

 今まで鬼畜米英と言っていたのが、敗戦の翌日から「進駐軍さん」とさん付けで呼んでいたことをいまだに自分でも不思議に思います。私が住んでいた吹田市には、進駐軍の軍用列車が通るのですが、手を振って「ハロー チョコレート」というと本当にくれるんですね。アメリカって豊かだなと感じた記憶があります。

 自分は本当の戦争の悲惨さは知りません。家も焼かれていないし、家族も戦争に行っていない。
戦争の悲惨な体験は少ない環境でしたが、戦争の悲惨さを映画が教えてくれました。

 映画館の役目はその置かれた位置でそれぞれ違います。
エンターテイメントとして人を楽しませる役割、芸術としての映画を盛り上げる役割、ジャーナリズムの一端を担う役割があります。

 ジャーナリズムとは『新聞・雑誌・放送などが、社会・時事問題の報道・解説・批判』などを行う活動です。私たちは、マスメディアがあまり報じない社会・時事問題を扱った作品や問題をより深く踏み込んだ作品の上映活動を通じて、世間に社会・時事問題を知ってもらう活動をしています。その時、その事の是非に関する信念はきちっと持っていますが、解説や批評はせず、全てを見た人の判断に委ねます。例え上映反対運動が起こっても『我々は番組通り上映する』と宣言することが、私たちがジャーナリズムの一端を担っていると言える所以です。」



昭和31年(1956年)から大阪・十三にあった会社に勤め、
定年退職後の2002年に第七藝術劇場の社長になった松田昭男さんは、
その後、淀川文化創造館「シアターセブン」を設立し、
日本の映画文化に大きな影響を与え続けています。

松田昭男さんが今一番力を入れているのは、
十三の町おこしだそうです。

「この町をアートの町にして、十三の良さを全国に発信したい!」
「ライバルは下北沢!」と熱く語る松田さんの夢は、
集大成として、大阪・十三をニューヨークの下町ブルックリンに負けないアートの街にすること!

そのためにも、
「大阪初の映画を作りたい!」
「オール十三ロケの映画を作って十三の魅力を伝えたい!」
十三の町に育てられ、この町と一緒に生きてきた者として、この町のために何かしたいという思いが松田さんの体中から溢れています。

「大阪に来た人が、ついでに行くなら「十三に行ってみようよ!」と思ってもらえるような町にしたい!外国からも「こんな面白い街があるよ」と思ってもらえるような十三の町をつくりたいんです。そして、若い芸術家やアーティストが住んでみたいと思う、そんな町をつくるために『毎日が勉強です!』」

コロナ禍、ジレンマがないわけではない。
今何もしなければ、映画館の存続さえ危ういとさえ感じてもいるとも言う。
しかし、「未来への不安はない」ときっぱり。

「ピンチはチャンス!失敗とは途中で止めること。できるかできないかはやってみないとわからない。全てはやるかやらないかにかかっている!」

 86歳の松田昭男さんから伝わる覚悟と魂。

 大阪・十三に来てよかった。
 心からそう感じました。


 この夏からスタートした
 地域の皆さんと一緒につくる「アオギリ祭り」
 小さな一歩かもしれませんが、私にとっては大きな一歩です。

 毎年継続しながらアオギリ祭りを育てていけるように
 私もがんばります!

Seeds of Hope & Peace🌱
posted by ぷらっとハッピー日記 at 20:15| 東京 ☁| アオギリ祭り・映画『アオギリにたくして』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする