村田勝彦さんは、ルーマニア滞在時にエイズと闘うこども達の現実を描いた小説『ラ・レベデーレ』(碧天舎出版)の著者でもあり、現在2作目となる東欧小説『灰雪』をすでに書き終え、次なる出版が待望されています。
真夏のカノン(輪唱) <文:村田勝彦(小説家)>
自分の生涯を「さながら一編のメルヘンである。」と書いたのはあのハンス・クリスチャン・アンデルセン。妖精が活躍したり、植物や動物がしゃべったり魔法使いが現れたりと。それは伝統的なヨーロッパのメルヘンの世界だが、アンデルセンのメルヘンは、その虚構の世界の中に人間そのものが生きていて、読む者の心をゆさぶったりする。芝居の世界も同じようなことが言えて、プロセニアム・アーチ(額縁舞台)で囲まれた、その広くもない世界を表現してゆく。虚構とも真実とも判別しがたい混沌としたものの中に人間が生きているのではないだろうか。
7月16日から18日は『2022 アオギリ祭り in 町田』。都心から少し離れた、緑豊かな学園都市、町田の里山。その何とも表現しがたい魅力があり、まだ未完成とも言える古民家「浮輪寮」でのイベントが開催された。それはまさに多様性という一人一人が違った個性で表現をし、皆それぞれの立場で、日常に生きる姿を共有している空間でもあった。
今でこそジェンダーに基づく偏見だとか社会的マイノリティーにようやく一筋の光が当たり始めてきたが、木村巴画伯は早くから社会的弱者、女性とこどもに寄り添い偏見に臆する事なく、絵筆を握ってきた堂々たる女性画家である。人間愛の真髄を覚えながら、壁には木村画伯の絵が掛かっていた。深い青に覆われた、女性の表情の奥に、何故か作者の怒りが感じられてならなかった。
色彩豊かな七宝焼きを精魂込めて造りあげた婦人は「ただ好きだから…。こどもの頃からね。続けることが何よりも大切なのね。」と照れ臭そうに、誇らしく微笑んでいた。
驚かされたのは女性作家の多さである。どの方も、日常という当たり前を決しておろそかにしていない。朝食を取り忘れ、朝から世話しなく動いていた僕を見かねてか、野菜づくりをしている方々に冷えた新鮮なキュウリと枝豆のおにぎりを頂き、その飾らない美味に舌鼓を打った。
この夏、原爆投下から77年を迎えた。被爆し片足を失ってしまった女性の波乱の生涯を描いた作品、『アオギリにたくして』の映画上映では、息苦しいマスク越しでも目頭をハンカチで拭い、むせび泣く母娘の姿も、すこぶる印象的であった。
1992年ボスニア紛争で家を破壊されたサラエボの彫刻家は、「苦しみは芸術ではない。しかし、矛盾している様だが、苦しみなくして真の芸術は生まれないのだ。」と語っている。
メルヘンも変化であり、ドラマも変化。そして人生も僕らを取り巻く世界も変化に満ちている。そこから逃げ出し平穏無事な世界に憧れたら人生退屈この上ないものになろう。この様な手作りの芸術イベントが存在することを多くの方々に知ってもらいたいと願わずにいられない。とりわけ町田の夏の新たな風物詩とさえなってほしい。
浮輪寮の水面の先に植樹された被爆アオギリの葉が、夕風に時折緩やかに揺れていた。
