2022年06月13日

新たな決意。


30年以上前からお世話になっている
広島の被爆者・西本多美子さんはじめ皆様に会いに
7年ぶりの石川県・金沢へ。

被爆者やたくさんの人々の思いを歌い継ぐ
川崎正美さんのコンサート会場に、
いつものように元気な笑顔で現れた西本さん。

でも…実は一昨日、
西本さんは、東京で開催された被爆者の全国組織「日本被団協」の会議に参加された後、エスカレーターで転んだまま引きずられ、救急車で運ばれて頭を何針も縫い、肋骨が2本折れている状態のまま金沢に戻って来られていました。

頭の出血がひどかったので
髪の毛がまだ血で固まっているためスカーフを頭に巻きながら…
「ちっとも痛くない!」とおっしゃる西本さん。
でも、痛くないはずはありません…。

川崎さんの優しさと心の豊かさの伝わる
とっても素敵なコンサートの後、
西本さんにはご自宅に戻って休んでいてほしいと皆で伝えましたが、
みんなと一緒にアオギリに会いにどうしても行きたいと…

7年前、被爆アオギリ2世が植樹された大乗寺丘陵公園へと向かいました。

アオギリTシャツに身を包み、
被爆アオギリ2世のもとへと向かう西本さん。

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体を心配する言葉など、かけることも出来ないほどの迫力。
足元を気遣いながらも、なのに体全身から伝わってくる力強さに西本さんの魂を感じながら…

一緒にバスに乗って、金沢のミニシアター「シネモンド」へのご挨拶
そして、新幹線の入り口で見届けるまで、
ずっと一緒に、西本さんと最後まで…。


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「無理なんかしていない」
「自分ができることを最後までやり続ける」
「これまで共に生きてきた被爆者の思いを伝え続ける!」
81歳の西本さんの心の底からの無言の叫びが聞こえてくるかのようでした。


西本多美子さんは広島市で生まれ、四歳の時に爆心地から2.3ロ離れた自宅で被爆しました。原爆の投下の直前に、男の子が空襲を知らせてくれ、押し入れに避難して助かりました。夫の転勤で34歳から暮らす金沢では、原爆症認定の支援運動に携わり、相談員としても多くの被爆者を支援してきました。

県内には被爆者が少なかったことから差別も多く、「もし被爆者だと知れたら、ここではもう生きていけない‥」と相談を受けることもありました。

石川県原爆被災者友の会(石川友の会)の会長を務めていた西本多美子さんは被爆者の高齢化が進む中、この3月に会を閉じ、今後は一人でご自身の被爆体験と共にこれまで共に生きて来た被爆者の方々の思いを伝え続けていきます。

「8月6日、平和記念式典に行って遺族席に座ります」

この夏、西本さんは金沢から一人で広島へと向かいます。

    ※    ※    ※


「西本さんはじめ被爆者の方々の思いを、これまで私はどれだけ伝えてこれたのだろう…。」

東京へと向かう新幹線の中でこれまでを振り返りながら、
何も出来ていない自分が悲しくて涙があふれました。

今、自分は何をすべきなのか、今一度よく考えながら、
新たな決意と共に東京に戻りました。


    ※    ※    ※

7月12日のオンライン「アオギリ祭りA」では
西本多美子さんのビデオメッセージが配信されます。
オンライン「アオギリ祭りA」詳細は下記URLのPeatixのサイトへ
https://aogirifestival2022-online-2.peatix.com/


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posted by ぷらっとハッピー日記 at 08:31| 東京 ☀| 映画『アオギリにたくして』・アオギリ祭り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする