胃の付近がヒリヒリ。
特に夜中に目が覚めて、
うつ伏せになったまま動けず眠れない。
映画をつくり始めてから
そんな日々が続いていた。
ストレスを受けていることも
よくわかっていたので、
「そりゃ〜痛くなるよなぁ〜」
と納得していた。
何かをやる上では
小さな波から大きな波まで
次から次にいろいろやってくる。
若い頃に経験したような
差し込むような痛みではなく
ジリジリとヒリヒリとムカツクような
なんとも言えない不快な感じで
仕事が手につかない。
何か食べると具合が悪くなり
思考力と集中力の衰えを感じながら
そろそろ寿命だろうと勝手に思っていた。
無理をしながら生きてきたし
無理をしないと生きて来れなかったから
普通より早く寿命が来たのだろうと思い、
制作中の3本の映画の完成に向けて
準備しながら昨年から終活もスタートした。
昔から
行ってみたい場所も
食べたい物もなく
何かしたいという欲求が
ひどく欠落していた私にとって、
唯一全身全霊を傾けて続けて来れたのが、
お世話になったヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々の思いを伝えることと、異文化間の相互理解を深めるプロジェクトだった。
あくまでも自分の人生で経験し
直接見て、聞いて、感じてきたことしか形にできず、不器用な生き方しかできないけれど、これまで精一杯生きてきたので、今抱えているいくつかの責任を果たせば、いつ天に召されても後悔はないと思いながら生きてきた。
でも、そんな時、
これまで映画づくりを共にしてきた戦友の
癌の再発・転移の知らせを受けた。
戦うという言葉があまり好きでなく
ほとんど使ったことがないけれど
我々にとっての映画づくりについて言うならば、戦友という言葉以外に表現できる言葉が今のところみあたらない。
見たくないものをいっぱい見てきた。
人間の悲しさ、醜さ、情けなさ、哀れさを目の当たりにして、それまで争いを避けてきた自分が、初めて戦うことの大切さを知った。
そして、その中ではじめて
映画の中で我々が描こうとした
人々の気持ちを、より深く、より強く、
知ることが出来たように思う。
今月、初めての胃カメラの検査をした。
癌の再発・転移の告知を受けた戦友を見守るうえでも、今は死ねないと思ったからだ。
幸いにも、逆流性食道炎が
悪化しているだけだった。
他にも細かく調べれば
いろいろあるかもしれないけれど
すぐに寿命が来ているわけでもないらしい。
であるならば、新たにここから出発していくつもりで、残されたこれからの人生を生きてみようと思う。
もうしばらく、心と体を整えて
新しく命を授かったかのように
生きてみようと思う。
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