幼い日の記憶の中で庭に咲いていた花や、母が好きだった花をミューズガーデンに植えました。
12月13日、母が亡くなって1年が過ぎました。
昭和3年生まれの母。母が私を生んでくれたのは36歳の時でした。当時にしては、かなり遅い出産だったのではないかと思います。一人目を流産し、仮死状態で生まれた長男を育て、体に大きな負担を負いながら私を産んでくれました。
「質素倹約」「質実剛健」という言葉が大好きでよく口にしていた母。我慢強く、愚痴を言わない人でしたが、無意識にふと口にする言葉の中に、母の心の声をよく聞くこともありました。
ちょうど母が今の私の年齢ぐらいの時だったでしょうか、何年にも渡り祖父母の介護を一人で続けていた母は、それまでずっと教えていた書道や和裁や茶道を辞めて、二人の介護に専念する決断をしました。
当時はまだ、今のように介護事業などが充実していなかった頃でした。ある日私は、母から祖父母の夜間看護を頼まれ、母に代わって夜間看護をすることになりました。すでに寝たきりになっていた祖父をオムツにするとボケてしまうからと、必ずトイレに行きたい時は祖父に声をかけてもらい、尿瓶を持っていくように言われていました。
祖父は日中と夜が逆転していたため、夜中に何度も起きてトイレの世話をしなければなりませんでした。寝不足でふらふらしていて、尿瓶にせっかく入れたお小水を祖父の上にこぼしてしまい怒られたこともありました。熟眠できない日々が何年も続きましたが、10代後半から20代前半の体力のあった頃だったので、夜間看護を引き受けることで母を助けられることの方が嬉しく、辛いと思うことはありませんでした。
より多くの時間や労力を要しながらも、決して自分たちの都合に合わせるのではなく、本人が自力で出来ることを大切にしようとする母の介護は、人間愛に満ちていました。
死に向うための介護ではなく、最後まで与えられた命を生きていくための介護の中で、生と死を見つめながら、私の人生観は大きく変わっていったように思います。
短大を卒業し、夜間看護を続けながらテレビ局で契約社員として働くことになった私は、社会部長から反戦反核の記事の切り抜きを毎朝の仕事として与えられました。そんなある日「若者ボランティアいませんか?」と呼びかけるアメリカの平和学者レイスロップ教授夫妻と北浦葉子さんによる「ネバー・アゲイン・キャンペーン」の記事を目にしました。アメリカの家庭にホームステイしながら学校や教会で日本文化紹介と共に原爆映画「にんげんをかえせ」やアニメ「ピカドン」などを上映する草の根ボランティア活動でした。
日本人でありながら、ヒロシマ・ナガサキで何が起きたのか、その実情を知らずにいた私にとって、このボランティア活動が初めて平和について考える機会となりました。
渡航費をつくるため仕事を続け、夜間介護しながら1年間の事前学習を経て、22歳の時、1986年10月に渡米しました。
私がアラスカに行ってしばらくした時、実家から電話があり、祖父母が亡くなったことを知りました。母は、周りの人たちに「日本に帰ってくる必要はない」と言い、自分の使命を全うするようにと私に伝えてくれました。
渡米前、介護でまた母が大変になるのではと心配していた私に、「これまでよくやってくれて本当にありがとう。これ以上、今の状況を続ければ、あなたの人生がダメになる。今度は広い世界を見てきなさい」と母は力強い言葉で私の心配を跳ね除け、誰よりも喜び、誇りに思いながら私を海外へと送り出してくれました。
あの時、あの母の優しさと強さがなければ、私は全く違う人生を歩んでいたのだろうと思います。
今は亡き母を思うたび、感謝の気持ちでいっぱいになります。そして何故か、より母が近くにいるように感じています。
戦中、戦後の混乱の中を生き抜いてきた母。
変化の中を堪えながら生きてきた母。
我慢から解き放たれ、
本来持っていた自由と希望に満ちた心が、
愛でみたされますように。
安らかに、安らかに…。
母への感謝と共に〜♪
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