2020年09月09日

被爆者運動を支えてこられた岩佐幹三先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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昨日(9月7日)、日本原水爆被害者団体協議会顧問で金沢大名誉教授の岩佐幹三先生がご逝去されました(享年91歳)。

心より深くご冥福をお祈り申し上げます。


岩佐幹三先生に初めて出会ったのは、30年以上前のことです。草の根ボランティア「ネバー・アゲイン・キャンペーン」の第1期生として約1年間ホームステイしながらアメリカの学校などでヒロシマ・ナガサキを伝え、帰国したばかりのまだ20代の頃でした。

1988年1月、石川県の平和サークル「むぎわらぼうし」様の例会に招いていただき、その時に当時石川県原水爆被災者友の会会長をされていた岩佐幹三先生と西村多美子事務局長(現会長)と一緒に「いのちの授業」で知られる金森俊朗先生の金森学級6年生のクラスを訪問しお話させていただきました。

アメリカの学校でヒロシマ・ナガサキを伝えていた頃のドキュメンタリー番組をテレビで見てくれたこどもたちが、黒板に大きく「ごくろうさん。ようこそ」と書いて、みんなの教室に迎えてくれました。


ちょうど一週間ほど前、部屋の片付けをしていた時に、その時の写真と学級新聞が出てきて懐かしく当時を思い返していたところでした…。



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金森学級では、私がクラスを訪れる前に、社会科学習として岩佐幹三先生を2日間教室に招き、約4時限かけて被爆体験を聞き取り、被爆者を軸にした戦後史像を明らかにしようと試みた授業が行われていました。さらに、紙芝居として表現し、市民のみんなにも知ってもらおうとする取り組みをこどもたちがしていました。


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自分のこども時代を振り返っても教室にオープンな雰囲気をあまり感じてこなかっただけに、金森学級のこどもたちの自由で活発で生命力に溢れるイキイキとした姿に「学校って希望と可能性に満ちた素晴らしい場所だったんだ!」と再発見し、ワクワクしたことをよく覚えています。



岩佐幹三先生は、晩年は千葉県で過ごされていました。

2015年、石川県原水爆被災者友の会で現在の会長をされている被爆者の西本多美子さんが呼びかけてくださり、歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える「いのちの音色」ライブと共に初プロデュース映画『アオギリにたくして』が石川県で初上映された時、岩佐先生が今は亡き元被団協の伊藤直子さんと一緒に石川県まで来てくださいました。その時はまだ金森先生もお元気で、教え子の若者たちを連れて会場に駆けつけてくださいました。

金沢の大乗寺丘陵公園には、広島の被爆アオギリ2世が植樹され、その後スクスクと大きく育っていく被爆アオギリ2世を金森先生が撮影して送ってくださいました。


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▲生前、金森先生が送ってくださった被爆アオギリ2世。



そして今年3月、金森先生が亡くなり…
その悲しみもまだ癒えぬうちに、岩佐先生が亡くなられました…。


被爆者運動をリードし支えてこられた皆様の姿に、たくさんのことを学ばせていただき、本当の強さと優しさとは何かを教えていただきました。


現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』を見ていただくという夢は叶いませんでしたが、溢れる涙を力に変えて…世界の平和を祈りながら、核なき世界への希望の種を蒔き続けていけるよう、のこされた人生を精一杯生きていきます。


本当にありがとうございました。



NHK「ヒバクシャからの手紙」岩佐幹三さん
原爆の記憶 ヒロシマ・ナガサキ

▶︎https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/no-more-hibakusha/archives/detail/?das_id=D0019020086_00000&fbclid=IwAR3GilbsM6W2iwgKF1eMcmFArR9yHJP5KwD7lbX_fiAU_pt4sTOqnyJGD4g


被爆の一ページ 継承 紙芝居 石川県内有志が復活
https://www.chunichi.co.jp/article/112770
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posted by ぷらっとハッピー日記 at 15:40| 東京 ☀| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする