戦争は教科書の中の過去の出来事だと思っていた10代の頃。高校生の時、修学旅行で長崎の原爆資料館を訪れましたが、あまりのショックに目を閉ざし、思考停止となったまま、平和や命について深く考えることもなく大人になりました。
そんな私が、「微力であっても自分にできる平和の種まきを続けていこう」と思うようになったのは、34年前の22歳の時、米国のバークシャー・コミュニティー・カレッジ名誉教授で平和学者のレイスロップご夫妻と現在も高校で国語教師をされている北浦葉子さんが呼びかけていた「ネバー・アゲイン・キャンペーン」という草の根のボランティア活動に参加したことがきっかけでした。
(すでに活動を終えていますが)ネバー・アゲイン・キャンペーンは、アメリカの家庭にホームステイしながら、学校や教会などで、日本文化紹介と共に原爆映画『にんげんをかえせ』『ピカドン』を上映し、ヒロシマ・ナガサキの被爆者のメッセージを伝える一年間のボランティア活動でした。
渡米前の一年間、広島や長崎での事前学習が行われました。知れば知るほど「戦争や原爆の体験のない自分に一体何が伝えられるのだろう?」と不安ばかりがつのりました。迷いの中で、渡米前のひと夏を広島で過ごし、たくさんの被爆者からお話を聞く中で、自分の中の「伝えなければ」という気負いは、やがて「伝えたい」という思いへと変化していきました。
1986年10月にアラスカからスタートし、アメリカの30件以上のご家庭にホームステイさせていただきながら、オレゴン・ネバダ・オハイオ・ニューヨークなどの学校や教会等280カ所で被爆者のメッセージ伝え歩いた36年前の経験は、人生の原点となっています。
現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』は、その原点となる36年前、広島でひと夏を過ごした時にお世話になった被爆者の沼田鈴子さんが2011年7月に亡くなる4ヶ月前のメッセージと共に、広島の被爆アオギリ2世・3世の植樹が日本全国・世界に広がる様子を描いた作品です。
「被爆体験を伝えることは、平和への一粒の種まきなのです」と語っていた沼田鈴子さん。これまでお世話になった被爆者の方々が年々亡くなられていく中で、何かせずにはいられない気持ちで2008年8月6日からスタートした歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える「いのちの音色」ライブを応援してくださり、このライブ活動の中でも沼田さんの被爆体験の朗読をさせていただいていました。
日本全国の行く先々で出会った平和の種を蒔く人々の姿に感動し、カメラを回し始めたことから生まれたドキュメンタリー映画『いのちの音色』は、その制作過程そのものが、沼田鈴子さんがいつも心に留めておられたという「出会い・感動・発見・出発」を日々体験しながらの毎日でした。
人生の原点となる36年前から今に至るまでを振り返りながら、ドキュメンタリー映画『いのちの音色』完成にむけて、追加撮影と編集作業を進めています。
2021年の公開に向けて、皆様のご支援・ご協力を何卒宜しくお願い申し上げます。
A-portクラウドファンディング
ヒロシマ・ナガサキを語り継ぐ映画『いのちの音色』支援プロジェクト
➡️ https://a-port.asahi.com/projects/inochi/
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