JASRAC音楽文化賞は、ゆたかな音楽風土を築くことを目的に、数字には表れない地道な活動による音楽文化の普及発展への寄与に光を当てる賞で、弊社ミューズの里の初プロデュース映画『アオギリにたくして』は、第1回JASRAC音楽文化賞を受賞しました。
昨日は、第5回JASRAC音楽文化賞受賞者で音楽文化史研究家の戸ノ下達也さんの研究テーマである明治維新以降の音楽文化の解説が基調講演で行われ、第二部では、作曲家・日本作曲家協議会会長の菅野由弘さん、今年2月に公開された映画「あの日のオルガン」監督・脚本の平松恵美子さん、今年1月公開映画「この道」脚本の坂口理子さんがゲスト出演されました。
「社会に翻弄された音楽を辿って〜明治から戦中、そして現代へ〜」と題されたこの度の講演会。
私たちの生きる日常がつくっていく音楽文化は、近現代史の中で、どのように社会と関わり、現代に至ったのか。
日本の西洋音楽の起点は、150年前、明治政府が国民や軍隊の規律化、統合を目的に導入した「軍楽」に始まり、十五年戦争が到来すると戦意高揚に、さらに現在では、知財戦略の一環として、外貨獲得の産業基盤に位置付けられ、様々な社会的役割を音楽が担う中で、JASRAC創世期である昭和初期の音楽活動も俯瞰して、社会に翻弄される音楽の変遷を、歴史的事実から解き明かす戸ノ下先生のお話はとても興味深いものでした。
今の視点からあの時代を考えると見逃してしまうこともある。制約のあった時代に、先人たちがどの様に音楽と関わり、生み出し、時に迎合し、時に反逆し、社会に翻弄されながらも、連綿と今へと続いてきたのか。近現代の歴史に向き合って、想像し、受け止めながら、音楽を音楽として想像し、聴き、演奏することの重さを伝えてくださった戸ノ下先生のとても素晴らしい講演会でした。
改めて、自分と音楽との出会いや関わりを考える機会をいただきました。
私にとっての音楽や表現は、たぶん講演会で語られているものとまったく別世界の中にあります。超引っ込み思案で友達もなく、言葉が苦手な私にとって、30代後半になって生まれた音楽は救いでした。音を聴かずに育ち、世の中に流れる音を知らず、同世代感覚を持つ歌もなく、何かに属すこともなく、透明人間のような自分に実存を与えてくれたのが音楽のように思います。
第1作目の映画『アオギリにたくして』も、第2作目の映画『かけはし』も、そして今作っている作品もすべて、初めは音から。言葉にならない感情が積もり積もってメロディーや歌詞が生まれ、その中に込められたエネルギーがさらに蓄積して映像作品となり、上映活動に至るまで、原動力は自分の体の中に響き続ける音の力なのだと思います。
オフィスへと向かう電車の中で、ふと、ある韓国の青年のことが思い出されました。
ずいぶん昔、発行していた異文化コミュニケーション雑誌の留学生の作文コンテストで優勝したその青年は、音楽が大好きで、学生時代はバンドを組んで毎日メンバーと共に音楽に明け暮れていたそうです。その後、彼は軍隊に入り、兵役を終えた後、大好きだった音楽を一切やめて、お寺に入り静けさの中で自分と向き合います。その後、彼は、日本に留学してきました。
なぜ、音楽を止めたのかを問うと、彼は言いました。
「軍隊に入り、軍歌を覚え、相手を打ち負かすための歌を歌いながら走っているうちに、目の前の相手を平気で殺すことも出来てしまう感覚になってくる。僕は音楽が大好きだから、だから音楽を捨てました」
彼にこそ音楽を続けてほしい
と今でも願っています。
きっと音楽は、
音楽を職業にしている人が思っている以上に、
力がある
と思います。
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