
▲1986年 アラスカの学校にて
たとえ個人的な体験であったとしても、加害と被害を乗り越え和解することは難しい。もし、自分の愛する大切な人たちが誰かに殺された時、相手を赦す事が出来るだろうか。暴力、暴言、差別、いじめ、誹謗中傷をした者を赦し、不信感を拭い去ることが出来るだろうか。そう自分に問いかけた時、複雑な気持ちになる。
まして戦時下において、自分ではどうすることもできない渦の中に巻き込まれ、忘れたくても忘れられない辛く悲しく苦しい体験を強いられた人々の心の痛みはいかばかりであろう。
今でこそ、PTSDなど精神的ケアへの理解も多少あるが…戦時中に苛烈な体験をされてきた方々は、いかにして悲しみを乗り越え、その後を生きてこられたのだろう…。
日中戦争、太平洋戦争による過酷な体験で心に傷を負って精神疾患になり、戦傷病者特別援護法に基づく療養費を受給しながら入院生活を送っていた旧日本軍の軍人・軍属がゼロになったことが今年4月末の平成の終わりに報じられ、そのニュースがとても気になった。
他にも、ぬぐい去ることのできない精神的苦痛と共に戦後を生きてきた方々がたくさんおられたことを思うと、胸が締め付けられるような思いになる。
アメリカでは、心身の負傷と後遺症によって、社会生活を営むことが困難になった帰還兵の医療や福祉が深刻な社会問題になっている。イラク・アフガン戦争での戦死者より、帰還兵の自殺者の方がすでに上回ったといわれている。日本でもイラク等に派遣された自衛官の自殺者が54人と報道されていたが、一人の自殺者の後ろに、精神を病んでいるたくさんの方々いることだろう。そして、イラク・アフガンで犠牲となった方々やそのご家族、同じように辛い思いをしている兵士の方々は今、どのような状況にあるのだろう…。
学生時代の私にとって、歴史で学ぶ戦争における被害も加害も、すべて過去の出来事でしかなかった。グローバル社会、国際人の育成など、聞こえのいいキャッチフレーズをよく見かけるが、そのために一番学び考えなければならないことがすっぽりと抜けたままだった。
高校生の時、初めてアメリカでホームステイ体験をした時のこと。受け入れ家庭のアメリカ人ご夫婦は日本がとても大好きで、祖父母の家に行った時にしか見たことのない木製のおひつに白いごはんを炊いて私を迎えてくれた。ある日、私と同じ年の17歳の女子高生の家に招かれ、一泊だけしたことがある。彼女の夢は女優になることで、両親は馬鹿げた夢だと言って大反対していたが、彼女は本気だった。庭に一頭の馬を飼っていてた。毎朝、朝食に使う卵を取りに馬にのって近くの鶏の小屋へと向かうのが日課だという。雨の中、さっそうと馬にまたがり、卵を取りに行く彼女の姿を窓越しに見ていた時のことだ。
突然、「あなたは、日本とアメリカが戦争をしていたことを学んだの?」と彼女のお母さんが話しかけてきた。私が「はい、昔、日本とアメリカは…」とつたない英語で答えかけた時、その言葉を遮るように、「昔じゃありません」と厳しい口調が戻ってきた。怒りと悲しみに満ちたお母さんの表情に、私は何も返す言葉がなかった。
ちょうどその時、卵をたくさん手に抱えて彼女が戻ってきた。私とお母さんの間に流れる気まずい空気を察して消し去るように、彼女は明るく演じてくれた。「日本が嫌いで、日本製品を絶対買わない人たちもアメリカにはいるのよ。でも、気にしないで、私はあなたが好きだから」そう言いながら私を抱きしめてくれた。
大人になり、異文化コミュニケーション雑誌の編集長をしていた20年程前、まるでその時の自分を思い起こすような投書をもらうことが度々あった。
修学旅行で韓国を訪れていた高校生が、お土産を買いに立ち寄ったお店で、日本語を流暢に話す韓国のおじいさんに、「おじいさん、日本語上手いね。なんでそんなに日本語上手いの?」と無邪気に聞いた。その途端、おじさんがホウキを振り上げて、ものすごい形相で追っかけてきたという。高校生たちはびっくりして一目散に逃げたが、なぜおじさんが怒ったのかについてわからなかった。
教科書の上だけでの歴史の知識だけではなく、過去を非難するためだけでもなく、目の前にいる隣国の人々とより深く相互理解し、よりよい未来を築くために、相手の心の痛みに寄り添った生きた学びの場があればと感じる。
学生時代には、日本の被害についても加害についても深く考えてみたことのなかった私は、30年以上前の22才の時、アメリカの学校の授業の中で日本文化の紹介と共に広島・長崎を伝える草の根ボランティアにたまたま参加したことで、戦争と平和について考えはじめた。
広島・長崎の被爆者の方々から直接お話を伺わせていただき、海外でヒロシマ・ナガサキを伝えた体験は、振り返ると今の自分の原点となっている。
当時、パールハーバーが返ってくるだけではなく、日本のアジアにおける加害責任を指摘されることも多かった。日本人に平和について語る資格はないとまで言われたこともある。
しかし、それでも伝えるべきヒロシマ・ナガサキの被爆者のメッセージを、しっかりと受け止めてくれるたくさんの人々がいて、一年間で280回ものプレゼンテーションをさせていただいた。
憎しみの連鎖をたちきり、「自分と同じ苦しみや悲しみを世界中の誰にもさせたくない」と願うヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々のメッセージが国を超え、人々の心に届いたのだと思う。そして、戦争体験のない私自身も、お世話になった被爆者の方々が被害を超えて世界の人々の幸せを願う愛に溢れたメッセージを託してくださったことで、心から伝えたいと思えたのだと思う。
理屈を超えて「戦争は絶対ダメだよ!」と全身全霊で伝えてくれた痛みを知る体験者の方々が年々亡くなっていく中‥‥今の世の中の流れと物の言い方には不安を感じる。
今、戦後最悪といわれる日韓関係についても連日報道されているが、両国の主張や理屈をどれだけ解説しても答えは見つからず、相手国への不信感が双方共につのっていく。政治利用の側面やそれぞれの考えや理屈があろうとも、日韓関係悪化の裏に歴史認識が絡んでいることも否定できない。
それにしても私自身は、これまで韓国の被害者の方々の気持ちに本当に深く寄り添って考えてきたのだろうか。そう改めて自分に問いかけた時、それが充分に出来ていない自分自身を再確認する。
より一層深く知り学びたいと思う。両国と世界の友好を願いながら。
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