
「いのちの音色」ライブで大変お世話になり、その後もずっと私たちのライブや上映をあたたかく見守ってくださっている清瀬教会の小川滋子様が、10月初めに亡くなられた火星雅範さんの詩集「ささぶね うかべたよ」をプレゼントしてくださいました。
読み終えて、いろんな気持ちで心の中がいっぱいです。
幸せだった(詩・火星雅範)
それは ちょっとした光であったり
かげであったり
匂いであったり
風であったりする
それらのものが 幼い日々を
はこんでくるのです。
それは ヒガンバナであったり
ツユクサであったり
イヌフグリであったり
月や星であったりもする
それらのものが 忘れた日々を
はこんでくるのです
幸せなんて 知らなかった日々を
火星雅範さんと初めて出会ったのは、カトリック藤沢教会での「いのちの音色」ライブの時でした。2歳の時に脳性小児麻痺にかかり、重度の障がいを持っていた火星さんは、付き添いの方々と一緒に車椅子でライブに来てくださいました。
その後、ご自身の通われていた清瀬教会でも「いのちの音色」ライブをとご提案くださり2010年にライブをさせていただきました。その時にお届けした広島の被爆アオギリ2世は今、清瀬教会の皆様が見守ってくださり、大きく大きく育っています。
火星さんはその後、藤沢教会、清瀬教会に続き、幼い頃から長く住んでいたという鎌倉にある鎌倉の雪ノ下教会でも「いのちの音色」ライブを企画してくださいました。
火星さんの絵本を何度も読み返しながら、詩にたくされた思いを感じながら‥‥これまで、何も知らずにいた火星さんのお母様やお父様のことを知り、火星さんが何故「いのちの音色」ライブを応援してくださっていたのかをより深く感じました。
なぜもっと、いろんなことをお話しなかったかと‥‥悔やまれてなりません。
映画「アオギリにたくして」を上映したいとメール頂いたのが最後となりました…。
1944年、中国東北部に生まれた火星さん。
2歳の時に引き揚げる途中で高熱を出し、脳性マヒと診断され、
私がお会いした時は、車椅子での生活でした。
養護学校時代に、退屈しのぎに火星さんが書いたものを見て褒めてくださったことをきっかけに、書くことが好きになり、詩集や随筆をこれまで6冊書かれています。
送っていただいた最後のご著書となる絵本「ささぶね うかべたよ」の中にあったお母様のことを書かれた詩に涙あふれます。
母への挽歌
1946年 一月ふつか
早産の それでもやっと
一年と五ヶ月29日経った 幼な児を抱いて
涙の目で 夫に
「あとをよろしくたのみます」
訴えかけて 女がひとり
内戦中の 中国東北部に死んだ
男は 幼な児を 母からはなし
大陸の凍った土を 一日がかりで掘り
女を葬ると 小さな墓標を立て
そまつな供物を 供える
敗戦国日本の男にとって 精一杯の
それは 妻への心なのだ
幼な児は 墓の前で
供物をねだり 泣いていた
1946年1月2日
1945年8月15日
日本の敗戦によって 世界大戦が終結を迎える
と 同時に日本の属国・満州国の崩壊した中国東北部
日本人にとって 死は日常茶飯事だった
そんな中で 日本の若い女がひとり
一歳になったばかりの子供を抱いたまま
死んでいった
死因・発疹チフスに急性肺炎の併発
時刻・1946年1月2日 午前5時
享年・30歳
ありふれた女の ありふれた死だったという
彼女の子供は 今
母の年を 超えた
(火星雅範詩集「ささぶね うかべたよ」ジュニアポエム双書232)より
詩・火星雅範(かせい まさのり 本名・小山雅範)
火星雅範さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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