2018年08月11日

初ライブから10年。ヒロシマ・ナガサキを伝える「いのちの音色」1000回ライブを目指して、この夏から日本全国・海外ライブ行脚を再スタートします〜!

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皆様にご支援いただき、
2018年8月6日、
ヒロシマ・ナガサキを伝える
「いのちの音色」ライブは、
237回目を迎えました。


これまで応援くださった
全ての皆様に改めて
心より感謝申し上げます。


映画「アオギリにたくして」
撮影監督の倉本和人さんが
当日のお写真を送ってくださいました。
ありがとうございます。


お世話になった
ヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々が
年々亡くなられていく中で、
10年前の2008年8月6日、
ミューズの里を設立した日の夜、
初めてのライブを行いました。


人生後半を生きる上で、
原点を忘れず、
大切に思うことを大切にしながら
生きていこうと心に誓い
行ったライブです。


若かりし頃、
ヒロシマ・ナガサキを
海外で伝えた体験の中で
その中から生まれた
歌やエピソード、思いを伝え
お世話になった被爆者の方々の
体験の朗読させていだくライブでした。



初めて行った10年前の
2008年8月6日のライブに
来てくださった大川須美さんが、
翌年、近くの廃校になった小学校の教室で、
近所の方々を100近く招いて
2回目のライブを企画してくださったことから
日本全国上映ライブへと繋がっていきました。


大川さんが女学生だった頃は、
まだ日本は戦時中でした。
学校では、勉強する時間は
ほとんどなかったと言います。
教室では毎日、
和紙を張り合わせ、
偏西風に乗せてアメリカに飛ばす
風船爆弾づくりをしていたと言います。
高知の大川さんの家は、空襲で燃え、
大変な時代をいきてこられました。



戦後は、結婚され
ただただ必死の毎日。
そして、子育てを終えたある日、


ご長男の結婚式で、
当時流行していた
「世界は二人のために」を歌う
若い人たちの姿を見ながら、
「私はもしかしたら、一番大切なことを子供たちに伝えてこなかったかもしれない」
と、ふと思われたそうです。



二人の愛があれば
何でも乗り越えられると
心から思っている若者たち。

二人を取りまく社会が平和でなければ‥‥
ひとたび戦争が起きたなら、
自分たちの意志だけでは何ともならず、
例え二人の愛があろうとも
引き裂かれ、守ることさえできない現実もある。
そんなことさえ、
戦後生まれの若い人たちには
想像できないかもしれない‥‥。


嬉しさでいっぱいのはずの我が子の結婚式の中で
大川さんが感じたのは、
「私は、子供たちに一番大切なことを伝えていなかったかもしれない‥‥」
という思いでした。


「戦争を体験した世代である自分たちが、伝えておかなければならない大切なことがある」。


そう感じていた大川さんは、
「自分の子供にはなかなか伝えられないことも、
あなたたちにたくして何かお手伝いさせてもらえることが喜びです」
とおっしゃりながら、
「いのちの音色」ライブを開催してくださり、
この10年間ずっと応援し続けてくださいました。


お世話になった被爆者の方々が
亡くなられていく中で、
大川さんの思いを胸に
できる限りがんばろう!と
1000回ライブを目指して
スタートしたライブは
この8月6日で10年目を迎えました。


このライブ活動の中から
映画『アオギリにたくして』のモデルとなった
沼田鈴子さんと再会し、
映画が生まれました。


この10年を振り返り
様々な思いがこみ上げてきます。



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昨年は、共に「いのちの音色」ライブ行脚を行い、
映画「アオギリにくして」をつくった
ギタリストの伊藤茂利さんが病で倒れ、
先の見えない日々の中ではありましたが、
皆様に見守っていただき、
勝俣範之先生との出会いをいただき、
手術後の抗がん剤治療を無事終えることができました。



改めて、いのちへの感謝と共に
限られたいのちの中で、
自分たちに出来ることに
精一杯力を注いで参りたいと
思っています。
この夏より新たに、
日本全国・世界にむけてライブ行脚を再スタートしてまいります。



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1000回ライブを目標に、
「いのちの大切さ」
「平和の尊さ」
を伝えていきます!



今後とも皆様のご支援・ご協力をよろしくお願い申し上げます✨

posted by ぷらっとハッピー日記 at 13:37| 東京 ☀| 公演・ライヴ「いのちの音色」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする