現在製作中のドキュメンタリー映画「砂川の大地から(仮)」の取材&撮影で砂川へ〜♪
2017年11月19日、砂川学習館・講堂にて、米軍立川基地返還40周年記念16ミリ映画上映会と討論会「米軍基地の『返還』を問う」が開催され取材と撮影に伺わせていただきました(主催:「砂川の大地から とどけ平和の声2017」実行委員会)。
第一部の映画会では、東京都映像協会の1972年製作による15分の16ミリフィルムと、映画文化協会により1998年に製作された55分の16ミリフィルム「阿波根昌鴻 伊江島のたたかい」が上映されました。
第2部では、パネリストにレイクランド大学(日本校)准教授・社会学のA・トンプキンス先生、中央大学講師(社会学)の鈴木鉄忠先生、元航空自衛官で反戦兵士と連帯する会代表の小多基美夫さん、砂川平和ひろば主宰の福島京子さんを交えての自由討論会が開催されました。
最後に中央大学学生による阿波根昌鴻の言葉の朗読と、レイクランド大学の学生による先日亡くなったデニス・バンクスさんの言葉の朗読が行われました。
砂川平和ひろばを主宰する福島京子さんお父さまの宮岡政雄さんと交流のあった阿波根昌鴻さんは、砂川闘争の拠点であった団結小屋をヒントに、伊江島の米軍演習場の近くに団結道場をつくったそうです。
殺し合いではなく、助け合う。
奪い合いではなく、譲り合う。
いじめるのではなく教え合う。
それが実行できたとき、真の幸せが生まれてくる。
阿波根昌鴻さん(1901年〜2002年)
沖縄本島の上本部村(現、本部町)に生まれる。敗戦後、米軍占領地の伊江島の土地闘争では常に先頭に立ち、非暴力を貫く。復帰後も、一貫して軍用地契約に応じない反戦地主として闘った。66年、砂川闘争の拠点であった団結小屋をヒントに、伊江島の米軍演習場の近くに団結道場をつくり反基地闘争の拠点とする。84年には、反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」を建設し、沖縄戦の戦争体験・基地反対闘争の実態を展示や語りを通して広く社会に訴え続けた。
アメリカ・インディアン運動の指導者で青年時代に砂川闘争を目撃した デニス・バンクスさん。お会いできることを楽しみにしていましたが、11月の来日を前に、10月31日に亡くなられたことが報じられました。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
4回目のナワカミック・ジャパン・ツアーで来日予定だったデニスさん(ナワカミックはデニスさんのオリジナル名)は、来日を直前に天に召されました。NowaCumig Tokyo Gatheringにおけるメッセージがイベントの最後に紹介されました。
人間達だけではなく、私達を生かしてくれている、この星をも酷く苦しめた出来事がたくさんありました。
7世代先の子ども達が、戦争と憎しみの足跡をたどることがありませんように。
私たちは、築くことができる。
もし、お互いに思いやれるなら、私達は築くことができる。
もし、叫び訴えることができたなら、私達は築くことができる。
もし、コミュ二ケーションを取れたら、私達は築くことができる。
そして、もしも築くことができたら、私達は生きることができる。
複雑そうですが、とてもシンプルなこと。
築くことができたら、私達は歌うことができる。
これらの言葉はただのキャッチフレーズではありません。
今まで、ことあるごとに、違う言い方で、
ずっと、語り継がれてきたことなのです。
憎しみ、戦争と差別への勝利こそ私たちの未来です。
7世代先の未来がそのようでありますように。
※「砂川の大地から とどけ平和の声2017」実行委員会資料より
当時デニス・バンクスは、アメリカ軍の憲兵(MP)として、横田基地に勤務。1956年10月、警備支援のため一時立川基地に派遣されていた。その時、彼はフェンスの向こう側から、警察機動隊の棍棒で殴られ血を流して倒れる人々の姿を見ていた。土地を守るため抵抗する砂川の人々と、インディアンたちとの境遇が重なり、その後デニス・バンクスは人権・平和運動家へと転進していく。先月末(2017年10月31日)に亡くなるまで、彼はアメリカ・インディアン運動の原点といえる砂川に度々足を運んでいた。
デニス・バンクスさんの言葉(著書より)
私たちや、私たちを取り巻く環境は皆、自然の一部である。
すべてが命のつながりの中で生きていて、互いが互いを必要としている。
環境を大事にすることは、自分自身を大事にすることなのだ。
鷲やビーバーは、幾千年間同じ形で生をつないでいる。
七世代先の人々のことを考え、自分たちが受け継いだ生き方を子供たちに伝えよう。
滝の音や燃える火に心を傾けること。
幼い子供に話しかけること。
草木の生命に思いを馳せること。
それらは偉大な精霊と交わることである。
私たちを含めて、すべてが地球の住人なのだ。
空気、太陽、火、水、土 ------- すべては所有することができない。
偉大な精霊を、どうやって所有できるというのだろう。
火は、私たちが生きていくうえで欠かせないものである。
火は暖かさを与えてくれるだけでなく、生きる指針も与えてくれる。
火と対話しよう。
水や雨を大切にしよう。
水は私たちの考えを浄化してくれる。
雨は空気を浄化して、地の渇きをいやしてくれる。
私たちは水や雨なしでは生きられない。
地球にあるものは皆、それぞれ存在する意味と役割をもつ。
自然の音に耳を澄ませば、自然は私たちに色々なことを教えてくれる。
鳥の鳴き声に耳を澄ませば、自分の心がわかってくる。
魚の泳ぎに目を向ければ、自分自身の答えが見つかる。
花には生命を絶やさないようにするという役割がある。
花の美しさや色にもそれぞれの役割がある。
目標に向かう私たちに力を与えてくれ、未来への夢を広げてくれるのである。
目がないから見えないとは限らない。
耳がないから聞こえないとは限らない。
鳥、魚、花、木、すべてが私たちの話を聞いている。
彼らに向かって心を込めて話すこと。
寒い冬の日に、木々が話をするのが聞こえてくる。
私たちや、私たちの未来について話している。
いつでも木々を敬うこと。
木の枝がなければ花は咲かない。
木があってこそ森になり、その美しさも生まれるのだ。
なぜ木を倒したり、森を破壊したりするのだろう。
木は私たちに生命の息吹を与えてくれる。
鷲、鹿、ビーバー、すべてが自分たちの流儀で生きている。
それぞれがビジョンを持っている。
肝心なのは、他人をまねることなく自分自身のビジョンを持つことだ。
夢は私たちにストーリーを語り、ビジョンの源を与えてくれる。
私たちが得たビジョンは、また他の人の夢となる。
人々に良い夢を見せてあげることだ。
ひとりひとりの画家は夢をもっている。
一枚の絵には、何かが隠されている。
画家の語りかけに耳を傾け、自分たちと結びつきのある話を聞こう。
太鼓の音や人々の歌は、私たちの心臓の音だ。
私たちの心臓の音は、いつでも宇宙の鼓動を映している。
歌を歌いたくなくなったり、太鼓を打ちたくなくなれば、
誰も私たちの鼓動に耳を澄まさなくなるだろう。
知恵の種は、私たちの中心にある。
自分自身の中心に、汚れのない思考とよい水を与えること。
そうすれば、閉じた中心が開いてきて、知恵の実を結ぶことだろう。
私たちの未来は過去にある。
時は流れているのだから。
日々くりかえす行いこそが生活であり、文化を伝えることである。
年長者から知恵を学ばなければならない。
そして、それを実行しなければならない。
一日一日を生きていくことが、生きる目的なのだ。
日が暮れてしまったら生きる目的を失う、というわけではない。
年を重ねてから、幼いころのことや仲間のことを思い返す。
眼にも胸にも涙が浮かんでくる。
そんな時、人は幸せを感じ、その尊さを知る。
「風の知恵」 黒田征太郎/デニスバンクス著 毎日新聞社より引用
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