核兵器の開発や保有、使用などを幅広く法的に禁止する初めての国際条約だ。
原爆がもたらす非人道性や環境破壊を考えた時、戦後72年もの月日が流れるまで法的な枠組みがなかった事の方が、本来は信じがたいことのように思える。
広島・長崎に原爆が投下された後、戦後の占領が終わる1952年まで7年もの間、プレスコードがひかれ、原爆に関する報道・文学が検閲により厳しく制限され「報道してほしくないこと」とされた中で、広島・長崎の実情は日本国民にもきちんと知らされないまま、核開発は続けられ、核開発競争へと向かっていった。
もはや日本は唯一の被爆国ではなく、核兵器を開発・保有するために行われてきた核実験によっても、これまでどれほどの被害が地球全体に、そして人々にもたらされてきていることだろう。
核兵器の脅威によって、恐れで相手を操つろうとする抑止論も、わずかな一部の国だけが核兵器の保有や開発を許され、他の国には許さないという在り方も、相互不信をより一層深め、新たな火種を生み出していく。
違う意見もあるだろうが、私は、核兵器禁止条約が、圧倒的多数の世界122の国や地域により採択されたことに、希望を感じた。
広島の語り部を描いた映画「アオギリにたくして」の上映会を何度も企画し、ヒバクシャ国際署名を呼びかけている被爆者の上田紘治さんは、採択を前に先日の上映会で次のように語っていた。「夢のようなことです。私が被爆者運動に関わり始めた頃には、考えられなかったこと。それでも私たち被爆者は世界の平和を願って体験を語り継いできました。たとえ核保有国や日本が参加しなくとも、核なき世界を実現させていこうと願う国々が、人々が、こんなにも世界中に広がっていることに感無量です」。
採択された条約には、「核兵器の使用は国際人道法に違反し、人道の原則と公共の良心に反する」として、「核兵器は非人道的で違法なもの」だと明示され、条文の前文には「被爆者にもたらされた受け入れがたい苦しみと被害に留意する」と明記された。
南アフリカのディセコ大使は、「最も心を動かされたのは、広島と長崎から被爆者を迎え、現実と向き合ったことです。被爆者に対する私たちの責任を常に心に留めていました。変化をもたらすための一歩を踏み出したと思っています」と採決に向けて、ヒロシマ・ナガサキの被爆者の存在が後押ししたことを語った。
日本や核保有国は交渉のテーブルにつくことなく不参加ではあったことは残念だが、日本の中にも、そして核保有国の国々の中にも核兵器の禁止と平和を願うたくさんの人々がいる。
交渉会議の議長を務めたコスタリカのホワイト軍縮大使が「条約は核兵器を禁止する規範になる」と、この度の条約の意義を述べたように、核兵器が国際法に違反するという国際世論を高めていくことこそが、核なき世界を実現へと導いていく。そのためにも、ヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々のメッセージをこれまで以上に世界に発信していくことが大切だと思う。
映画「アオギリにたくして」のモデルとなった今は亡き沼田鈴子さんも、きっと天国で喜んでおられると思う。
31年前、ずっと語れずにいた沼田鈴子さんが被爆体験を話すきっかけとなった10フィート運動でつくられた原爆フィルム「にんげんをかえせ」をアメリカの学校で上映した時、
「核兵器なんてなくなんないよ!だって、こんなにいっぱい大人が作っちゃったんだからさ!」という子供たちの言葉にショックを受けたある教師が、「子供たちにだって平和の実現のために出来ることがあることを伝えたい!」と、広島の原爆の子の像のモデルとなった佐々木禎子さんのお話を広めていた。たくさんの子供たちが核なき世界を願い、折り鶴を折る姿に感動した。
核兵器は、核兵器だけの問題だけでなく、私たちが、人としてどう生きるべきかの根本的な課題を一人一人に突きつけているように思てならない。だからこそ、きっと私はヒロシマ・ナガサキの被爆者のメッセージを伝え続けずにはいられないのだと思う。
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