監督をさせていただく、ドキュメンタリー映画「砂川の大地から」の製作にむけて、昨年より撮影・取材をスタートしています。
砂川闘争から60年を迎えた2015年秋、「砂川秋まつりひろば」に広島平和記念公園の被爆アオギリの種から育った2世・3世の苗が植樹されました。このひろばは、むかし米軍の基地になるはずだった土地に作られました。1955年にはじまった砂川闘争は、地元の人たちが旧米軍立川基地の拡張計画に反対し、米軍基地を撤退させた唯一の住民運動です。政府は立川基地拡張をあきらめましたが、国に買収された多くの土地が砂川に残されました。1990年ごろに、この場所を国はフェンスで囲おうとしましたが、「砂川にフェンスはにあわない」と市民たちが声をあげ、現在まで「木を植える会」の皆様が草刈りや遊具の整備をつづけ、フェンスの代わりに椿の垣根をつくり、毎年秋まつりが開催され、市民に親しまれているひろばです。
被爆アオギリ2世・3世の植樹を企画してくださった福島京子さんは、砂川闘争の反対農家の中心だった故・宮岡政雄さんの次女として生まれました。宮岡さんは、地元の反対同盟の副行動隊長を務め、六法全書を読みながら独学で理論武装し、「砂川の法務大臣」とも呼ばれていました。宮岡さんは、戦後の憲法がある限り、必ずこの戦いに勝てると確信を持っていました。農地を守り、戦争につながることはしたくないという強い信念を持つご両親の姿を見て京子さんは育ちました。
ご両親の生き様を見続けてきた京子さんが語る砂川闘争は、Wikipediaや参考資料からは決して感じることの出来ない温度を心に伝え、今一度「砂川闘争」を今と結びつけ、また自分と結びつけて感じることの大切さを教えてくれます。
国の土地買収に応じる農家もある中で、福島さんの父・宮岡さんは立ち退きを拒否して裁判闘争を続けました。そして、米軍基地が返還されることになった5年後(1982年)、69歳で亡くなりました。
一人ひとりが尊重される世界を何より大切にしていた父の残した農園の一角に、京子さんは母と二人で「砂川平和ひろば」を開設(2010年)。旧米軍立川基地の拡張計画を住民たちが阻んだ「砂川闘争」で住民らと警官隊の衝突の舞台となった農地に、京子さんは人々が語り合う場をつくり、平和・郷土・農業など様々なテーマで交流しながら、砂川から平和を発信しています(基地拡張を防いだ農地で野菜を育ててきた妻キヌ子さんも2014年に94歳で亡くなりました)。
福島京子さんの取材を続ける中で、京子さんの思いは、初プロデュース作品「アオギリにたくして」のモデルとなった被爆者の故・沼田鈴子さんの思いと重なり、そして、振り返れば自身の原点ともなるヒロシマ・ナガサキの被爆者のメッセージを米国で伝え歩いた体験とも重なりました。
31年前にアメリカを訪れていた時、ネバダの核実験場の近隣に住む子供たちの白血病との因果関係が取りざたされ、全米のお母さんたちがネバダの砂漠に集って核実験反対を唱え、砂漠の中でのピースキャンプが開催される中で、10フィート運動から生まれた原爆フィルム「にんげんをかえせ」を上映させていただきました。
あの時、ネバダの核実験場の前でスピーチしたネイティブアメリカンの母なる大地への思い、日本山妙法寺のお上人様たちが奏でる太鼓の音‥‥。その日、たくさんのお母さんとお父さんが、おばあちゃんが、おじいちゃんが、入ってはいけない危険区域の有刺鉄線を乗り越え、手をつなぎながら、ゆっくりと核実験場に向かって歩き出しました。自分の身の危険をかえりみず子供たちの命を守ろうとする人々。ゆっくりと歩きながら、歌いながら、手錠のかけられた両手を上に掲げ、踊りながら‥‥逮捕されていきました。当日の様子を取材してい私は、カメラのシャッターを切りながら、涙が溢れてとまらなかった。あの日の記憶は、今も脳裏に焼き付いています。
広島・長崎に投下された原子爆弾に使われたウランは、ネイティブアメリカンの聖なる大地から掘り起こされたものでした。そして、ラスベガスの北西100kmにある先住民族の人たちの母なる大地だったネバダの砂漠には核実験場が作られ、1951年から1992年までに大気圏内だけでも100回の核実験が行われました。
「土地に杭は打たれても、心に杭は打たれない」
61年前の砂川闘争の非暴力不服従への思が、31年前に訪れたネバダの砂漠で出会った人々の姿と重なりました。
1977年、旧立川米軍基地は拡張されることなく、立川から撤退、跡地は返還されました。
最後まで戦い抜いた23件の砂川の農家の皆さんの強い思いの底に流れていたものとは? 福島京子さんがご両親の姿を通して見てきた砂川闘争とは?
砂川闘争の種から芽生えた精神は、国境を超えた希望の連鎖を繋いでいます。フェンスの向こう側で米軍基地の中から無抵抗のまま打ちのめされる人々を見ていた一人の米兵デニス・J・バンクス氏は、砂川を守ろうとする人々の姿に触発され、帰国後「アメリカンインディアン運動」創始者となり、平和と文化保存、持続可能な環境を守るための活動を続けています。
過去と未来をつなぐ今を生きる私たちにが決して忘れてはならない 人間としての魂の叫びを、ドキュメンタリー映画「砂川の大地から」の中で描くことができたなら‥‥。
福島京子さんとの出会いは、映画「アオギリにたくして」の生まれた原点やこれまでお世話になってきたヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々の心の叫びが、偶然ではない必然の出会いをもたらせてくれたかのように思えてなりません。
「アオギリにたくして」「かけはし」に続く、第三作目となるドキュメンタリー映画「砂川の大地から」の完成に向けて、皆様のご支援・ご協力を何卒よろしくお願い申し上げます。
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