2017年04月28日

みっちゃんからのメール。沼田鈴子さんとの最後の別れ…

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▲2011.9.11の広島ライブにて。立花ご夫妻としげ兄と共に


先日、広島の大好きなみっちゃんから届いたメールを読みながら、映画「アオギリにたくして」のモデルとなった沼田鈴子さんとの最後の別れを思い出し‥、改めて応援し続けてくださっている皆様への感謝と共に、前に進んでいきたいと思います。


「沼田さんが亡くなった時、里ちゃんもしげさん、短い時間だったけど、だれもいない(ご家族もおられない)あのお部屋で、最期のお別れができたじゃない。だめもとでもいいから、とにかく、行ってみようって、葬祭場にタクシー飛ばして。沼田さんのおでこに、里ちゃん、自分のおでこをあてて、泣いてたの、みっちゃん、忘れられない。あの時間を、沼田さんがくれたんだと思う。あれ、奇跡だと思うよ。」


沼田鈴子さんが亡くなられた日、しげ兄と私は、広島女学院大学でのライブのため広島入りしていました。ライヴを終えて、広島市役所でのCDアルバムの記者会見に伺う途中、沼田鈴子さんが被爆された元広島兵新曲の跡地の前を偶然通りかかり、タクシーを降りて、しばらくそこで時間を過ごしました。その後、記者会見場に向かうと、知り合いの記者の方からその日の朝、沼田さんが亡くなられたことを知らされました。


翌日は仕事で東京に戻らなければならず、みっちゃんと旦那様が一生懸命連絡をとってくださり、しげ兄と4人で、病院から葬儀場に運ばれた沼田さんに最後のお別れをさせていただきました‥‥。



歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える「いのちの音色」ライブを1000回目指してスタートした時から、みっちゃんと旦那様にずっとずっと応援していただき、ライブ活動の中で沼田鈴子さんの被爆体験の朗読をするご挨拶に一緒にお伺いしました。沼田さんとの再会のあと、東京に戻ると小さな被爆アオギリ3世の苗が沼田さんから届きました。そのかわいい苗を見ながら口ずさみながらつくったのが「アオギリにたくして」という歌でした。ライブ活動と共に日本全国、そして世界での被爆アオギリの植樹を呼びかけていた中で、沼田鈴子さんが亡くなりました。


沼田さんとの最後のお別れの後、しげ兄さんと二人で、私たちに出来ることはなんだろう‥と日々自問自答する中、最初はたった二人で映画づくりをスタートしました。

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▲立花ご夫妻(みっちゃんと旦那様)と一緒に沼田さんのところへ〜♪(撮影:しげ兄(伊藤茂利))


沼田さんを思う時、いつもマザー・テレサの言葉が一緒に思い出されます。
沼田さんもマザーも人間だから、傷ついて嫌な思いもする。それでも、そういう人たちをも愛して、前に進んでいった。裏切られて、傷ついても、人を信じて、赦して、その人のために祈って、自分が正しいと思う道を精一杯生きた沼田さんやマザー。みっちゃんからのメールには、マザー・テレサが日本に来られた時、おっしゃった言葉もそえられていました。「日本は確かに、清潔で、着ているものもきれいです。でも、貧しい国だ。」と。「カルカッタのスラムに住んで、わずかな食料を分け合うことができる人、心から愛し合う家族の方が豊かです。」と。



あまりに微力な我々ではありますが、沼田鈴子さんの平和の種まきのバトンを少しでも繋いでいきたいという思いで、これまで日本全国ライブ活動と共に上映行脚を行ってまいりました。


体力と気力の限界まで全力投球してきた4年間を振り返る時、お金では決して買うことのできない宝物を心の宝石箱にたくさんたくさんいただいきました。苦しい時をずっと共に支えてくださり、どんな時も応援続けてくださっている皆様に改めて心より感謝申しあげます。


これからも平和への祈りを込めてライブ・上映活動を行っていきたいと思います!


ミューズの里は来年8月6日に設立10年目を迎えます。
振り返れば、設立日の夜行った一つの小さなピースライブが出発点となり、ここまで来ることができました。しげ兄さんの6ヶ月間の抗がん剤治療を終えた後、新たな音楽活動をスタートしていきます。


来年2018年8月6日、第一回目「いのちの音色」ライブから10年目を迎える8月6日、これまでの集大成となる「いのちの音色」公演にむけて、より一層充実した内容をつくっていきたいと思っています。今後ともよろしくお願い申しあげます〜!


Seeds of Peace!
平和の種を世界へ〜♪


みっちゃん、いつもいつもありがとうございます〜♪

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posted by ぷらっとハッピー日記 at 11:35| 東京 ☀| 公演・LIVE「いのちの音色」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする