大川須美さんとはじめて出会ったのは、31年前。草の根のボランティア活動「ネバー・アゲイン・キャンペーン」第1期生として、一年間アメリカの家庭にホームステイしながら学校や教会で日本文化の紹介と共に原爆映画「にんげんをかえせ」を上映するボランティア活動に参加した22歳の時、大川さんはじめCANの皆様と持参する原爆フィルム「にんげんをかえせ」のヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々との出会いをいただきました。
女学生時代は、風船爆弾をつくっていたという大川須美さん。教室で和紙を張り合わせて作ったという大きな紙風船は、太平洋戦争において日本陸軍が開発した気球として、爆弾を搭載し、偏西風に乗せてアメリカに向けて飛ばすための兵器でした。戦時中はほとんど勉強する時間もなかったと言います。大川さんの家は空襲で焼かれてしまいました。
大川須美さんが、我々のライブや映画をずっと応援してくださるのは、あの時代を必死に生きた人々の姿がいつも心のどこかに忘れることなくあるからなのだと言います。
▲我々のライブ活動や映画製作・上映を応援しつづけてくださっている大川須美さん。大川さんが初めて広島原爆資料館を訪れた時、沼田鈴子さんから大川さんに手渡されたという毎日新聞の広岩近広記者のご著書『青桐の下で』(明石書店)には、沼田さんの直筆で大川さんに向けて「出会いを大切に」と書かかれています。
映画「アオギリにたくして」製作に向けてご挨拶に伺った私たちに、大川さんは、沼田さんからもらったというこの本をたくしてくださいました。広岩記者は、以前まだ映画の構想さえなかった頃、チャリティーライブ「アオギリにたくして」を取材に来てくださいました。取材の後には、広岩さんもライブにも飛び入り参加〜!沼田さんについて書かれたご自身の文を朗読してくださり、表現者としての広岩さんの姿に大変感動しました。
一つの映画が生まれるまでには様々なことが繋がり形となっていきます。映画製作を通して人生とは何かを学ばせていただいています。心より感謝申し上げます。
先日3月23日、ミューズの里オフィスに遊びに来てくださった大川さんにお話を伺わせていただく機会をいただきました。ちょうど大阪から来社されていた「ハダカの城」の柴田監督が撮影してくださったのでお話をじっくり聞くことができました。大川さんの平和への思いは、製作中のドキュメンタリー映画「かけはし」第1章の中で描いていきたいと思っています。
今年は、年始早々第二作目の映画の公開としげ兄の入院なども重なり、例年以上の忙しさで1日1日をこなすのがやっとの状態でした。体がいくつあっても足りない状況の中、退院後にそのままオフィスに駆けつけて急ぎの仕事をかたずけ、翌日から仕事復帰して一番大変な時期を支えつづけてくれたしげ兄さんのことを大変ご心配くださり、大川さんの心あたたまるお言葉に励まされ、大変だった日々を何とか乗り越えることができました。いつも一番大変な時を支えていただき、改めて心より深く感謝申し上げます。
いよいよ4月。まだまだ忙しい日々が加速して続いていきますが、どんなに忙しい中にあっても、己に負けず、志を果たしていきたいと思います。
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