2017年01月15日

しげ兄:「よし!120才目指して、がんばろう!」

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2017年1月10日、映画「アオギリにたくして」「かけはし」を共にプロデュースし、「いのちの音色」ライヴを一緒にやってきたしげ兄が緊急入院した。


お互いに体調を崩しながら、次回作の映画「かけはし」の公開に向けて動いていた矢先のことだった。昨年末からしげ兄がお世話になっていたお医者様による薬では効果が出ないままだった。年が明けて連休明けの10日、オフィスの仕事場で七転八倒の苦しみが続き、紹介を受けた病院へと向かった。


撮影現場で転倒し手から血が流れ出していても、痛いとさえいわないで平然としているしげ兄が、大声で叫ぶほどの痛みとは一体どれ程のものだったのだろう。


レントゲンでは全く反応の出ていなかった大腸の様子が、CTの検査により判明。たぶん大腸癌による腸閉塞と判断された。


しげ兄が言った。
「みんなが心配しないように、笑顔で写真をとろう!」



あと数日遅れたら、どうなっていたかを考えるだけで気が遠のく程の状況だった。入院した翌日、激しい痛みの中、長時間にわたる治療が施され、危機一髪の中、奇跡的な処置がなされた。先生も驚いていた。


入院して3日目、しげ兄の妹さんと痛みから解放されたしげ兄を見舞い、4日目にはしげ兄と共にミューズの里を支えてくれている佐和子さんもかけつけてくれた。


入院して5日目…。
きっとしげ兄も今の自分を受け入れるために、しばらく時間がかかったことと思う。そして私も、突然の出来事を現実として受け止めるのに時間が必要だった。


しげ兄の分も頑張らなければと、気負えば気負うほど空回りしてしまう。冷静でいるつもりでも、きっとおかしくなっていた。ふとしたことで突然、涙が吹き出して止まらない。だから、人と話すことも出来ない状態だった。気丈に振る舞えば振る舞うほどバランスが崩れる。


携帯電話の電池が切れる寸前に、充電しようとしたら手が震え、逆さまに差し込み口に強く入れたため、機能しなくり、壊れた。自分が情けなかった。


落ち着いて、覚悟を持って取り組まなければ、何も救えないと思った。


しげ兄が言った。
「アオギリにたくして」をつくるために死ぬ気で必死で取り組んできた。だからお互いに、あの時一度死んでるんだよね。それぐらい、やりつくしたから」。


私も言った。
「そうだね、お互い一度死んでるんだよね。」


世界の縮図のような、いろんなものを見た。
絶望し、這い上がり、希望を捨てず進んだ。


人生に後悔はなく、命への未練もない。
ただ、この授かった命を全うして生きたい。


昨日、やっと涙が止まった。


幸い、とてもいい先生と巡り会い、しげ兄の命は救われた。
どれ程の感謝を伝えても足りない。


そして、しげ兄の次の手術は、1月26日と決まった。


この日は、しげ兄と一緒につくった第2作目のプロデュース作品 ドキュメンタリー映画「かけはし」を製作するにあたり、そのきっかけとなった16年前の新大久保駅で線路に転落した方を救おうとして亡くなったスヒョンさんの命日でもある。


しげ兄復活の日となるだろう。


今を受け止め、今を乗り越え、これから奏でられていくしげ兄の音楽は、きっとますます人々の心に染み渡る音色となっていくに違いない。



しげ兄が言った。
「よし!120才目指してがんばろう!!」







ご心配いただいた皆様に心より感謝申し上げます。facebookにて、しげ兄本人からも病状の報告が行われると思います。しっかりと今を受け止め、皆で共に歩んでまいります!


posted by ぷらっとハッピー日記 at 23:19| 東京 ☀| ぷらっと日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする