昨年被ばくアオギリ2世・3世が植樹され、今秋には映画「アオギリにたくして」上映とミニライブ、ノンフィクション作家の高瀬毅様との対談をさせていただいた砂川へ。
12/10砂川平和ひろばでの収穫祭に、ドキュメンタリー取材&撮影に伺わせていただきました〜!
収穫祭では、砂川の地で育った美味しい野菜がいっぱい入ったけんちん汁と砂川のもち米で作られたお赤飯をいただき、砂川の大地の恵みを食したあと、映画「草の根の人々」(浜岡英夫作品)が上映されました。
「草の根の人々」の上映のあとは、栗原正男さん(80歳)の証言「激突の砂川、あの時」。
元砂川郵便局員だった栗原正男さんのお母様の栗原むらさんは、砂川闘争の女性反対同盟として様々な場面で活躍されていた方だそうです。長男の正男さんは当時19歳で、母親と共に闘争に参加されていたそうです。当時、拡張予定地とされていた一番南、基地に一番近いところに住み、お住まいは基地闘争の時、救護所として使われていたといいます。
▲戦時中のこと、そして砂川闘争について語ってくださった栗原正男さん(左)と砂川平和ひろば主宰の福島京子さん(右)。
80歳の栗原正男さんが子供の頃見た戦争のお話を聞かせていただき、いかに戦争が人間を無視したものと化していくものかがストーレートに伝わってきました。そして戦後、1955年にはじまった、砂川闘争について語ってくださいました。
あの戦争を体験してきた自分たちが、二度と戦争を起こしたり加担してはいけないという強い信念が砂川闘争の根底にあったことがストレートに伝わる貴重な映画とお話でした。
在日米軍立川飛行場(立川基地)の拡張に反対して地元住民の方々が町をあげて反対し戦った砂川闘争。基地は拡張されることなく、米軍基地は1977年に立川から撤退、跡地は返還されました。最後まで戦い抜いたのは23件。23件の皆さんの強い意志が想いを形にしていきました。
砂川闘争の第二世代のひとりである福島京子さん(反対同盟副行動隊長・宮岡政雄の次女)は、農地を守り、戦争につながることはしたくないという強い信念を持っていたご両親の姿を見て育ちました。2010年に旧拡張予定地の一角に、「砂川平和ひろば」を開設。砂川の歴史を伝え、人々が集い語り合う場として活動を継続し、秋には毎年収穫祭を開催しています。
福島さんは、昨年被ばくアオギリ2世・3世の苗を砂川に植樹してくださいました。
私は、恥ずかしいことながら、福島さんにお会いするまで砂川闘争について全く知りませんでした。
砂川闘争とはなんだったのか?そして、私と同じように平和運動には無関係だった福島さんが、なぜ今、砂川の大地から平和を発信しているのか? 今、福島京子さんの取材と撮影を行っています。
アオギリが繋いでくれた出会いの中から、今また新たなドキュメンタリー作品が生まれようとしています。
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