横浜「高島屋」で開催されていた没後20年「星野道夫の旅」特別展の最終日、先日銀座に一度見に行ったが、やはりもう一度見に行くことにした。
「人間のためでも誰のためでもなく、それ自身の存在のために自然が息づいている。その当たり前のことを知ることが、いつも驚きだった。それは、同時に僕たちが誰であるのかを常に意識させてくれた。アラスカの自然は、その感覚をとてもわかりやすく教え続けてくれたように思う」
星野さんの写真と文は、たくさんの人たちの心を捉えている。
「極北の風の感触、夏のツンドラの甘い匂い、白夜の淡い光、見過ごしそうな小さなワスレナグサのたたずまいーー。ふと立ち止まり、少し気持ちを止めて五感の記憶の中に、そんな風景を残してゆきたい。何も生み出すことのない、ただ流れ行く時を大切にしたい。あわただしい人間の日々の営みと平行して、もう一つの時間が流れていることを、いつも心のどこかで感じていたい」
「人間の気持ちとは可笑しいものですね。どうしようもなく些細な日常に左右されている一方で、風の感触や初夏の気配で、こんなにも豊かになれるのですから。人の心は、深くて、そして不思議なほど浅いのだと思います。きっと、その浅さで、人は生きてゆけるのでしょう」
星野さんはテレビ撮影のスタッフと共にロケに行った先で、一人外でテントを張って寝ていた時に熊に襲われ亡くなった。星野さん一人で撮影に行っていたなら、きっとありえない出来事だったかもしれない‥。
あまりにもショッキングであったために、熊に襲われ亡くなったことが強調されがちだが、それよりも、銃を持たず、心の銃を捨ててアラスカの広大な原野の中に身を置き、そこに育まれた命と共に呼吸し生きていた星野さんであったからこそ、人々を魅了し感動させる写真を生み出すことができたのだと思う。星野さんが見つめる「いのち」への慈しみの深さが心にしみる。
星野さんは生前のインタビューで、「アラスカで時々クマに襲われ亡くなった人の記事を目にします。それはとても悲しいことだけれど、同時にそういう世界がまだ残っていることにホッとする部分もあるのです」と語っていた。
星野さんが亡くなって20年。
星野さんが学生時代に訪れ、その後彼がアラスカと長く関っていく原点となったシシュマレフ村は今存続の危機にある。地球温暖化による海岸浸食が深刻化しており、安全な場所への全村移住を問う住民投票が実施され、移住希望者がそのまま住み続けたいと答えた人を上回ったとこの夏の毎日新聞の記事で報じられていた。
写真展での星野さんの言葉が、深く心に刻まれた一日だった。
「アラスカで出会った多くの人々が今再生しようとしている。世紀末を迎え、次の時代が見えてこない今。その淡い光はかすかな希望である。そして、さまざまな人間の物語があるからこそ美しいアラスカの自然は、より深い輝きに満ちてくる。人はいつも、それぞれの光を探し求める長い旅の途中なのだ」
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