2015年09月18日

「アオギリにたくして」中学生の感想文

「アオギリにたくして」の上映を企画してくだっさっている大分県国東市の衣笠邦彦さんより、この夏8月6日に中学校で上映された「アオギリにたくして」の感想文が送られてきました。中学生の皆様からの感想文の一部を下記に紹介させていただきます。

アオギリの木.jpg


◎「アオギリにたくして」を観て、戦争の恐怖だけではなく、人々の思いと命について重く受け取らざるをえなくなりました。一日で何もかもが変わってしまった一人の女性。生きることに苦しみを感じながらも被爆者として表に出て、あの日のことを語っていました。それがどんなに辛いことか実感することはできないけれど、とても強い人なのだと思いました。戦後に芽をふき返したアオギリの木。「この木のように」という言葉をきいて、どんなことがあっても力強く諦めずに生きることを選び、自ら命を投げ出してはいけないと強く心に誓いました。そして、アオギリの木をいつか自分の手でうえてみたいです。


◎「アオギリにたくして」という映画を観て原爆や戦争がもたらした影響は一生続いていくんだなと思いました。ずっと忘れることのできない光景だったと思います。田中節子さんは本当に強い人だと思いました。左足を失いさまざまな困難にぶつかっても立ち向かって懸命に生きていたんだと思います。田中さんの言うとおり、最高の幸せは平和だなと感じました。
広島平和記念式典のラジオでは、現在も核兵器が世界中に存在していることを知りました。たった一つの原子爆弾で、どれだけの人が苦しみ傷ついたか。唯一の被爆国である日本を中心に核兵器を廃絶し、平和な世界を築き上げていかなければならないと思いました。
戦争を経験した人が少なくなっていきます。この事実を知らない人が戦争や原爆のことを知るためには、私たちが映画や本などでしっかりと学び、語り継いでいく必要があると思います。何十年も何百年も永遠に語り継いでいき、二度とあのような過ちを繰り返してはならないと思います。戦争や原爆の悲惨さ、恐怖など、そして平和の大切さを改めて感じることができた良い学習となりました。


◎一番印象が強かったのは、原子爆弾の強さと戦争によって差別や偏見が生まれることです。たった一つの爆弾が数十万人もの命を奪っていくことが信じられないと思います。絶対に使ってはいけないものだと思いました。また、ピカを受けた人への差別が昔はひどかったことを知りました。そんなふうに見られて亡くなってしまう人はどんな気持ちだったか、考えたことがあったのかなと思いました。そういう肉体的以外にも、精神的にも原子爆弾は追い込んだことは一番の短所だと思いました。


◎「アオギリにたくして」を観て、戦争ははじまった時、途中。終わった後と、長い年月をかけても、町や建物はまた直っても、人の体や心についた傷は、大きく残ります。この映画で改めて知っただけではなく、原爆の被害を受けたというだけで結婚できなかったりという原爆差別やいじめを受けた人たちがたくさんいたことに驚きました。やっぱり一番すごいなと思ったのは田中節子さんだと思います。原爆により左足を切断しなければならなくなり、右足だけになってしまっても、子供たちにからかわれたり、同僚からいろいろいわれても、いつも笑顔でプラス思考なところがすごいなと思いました。一番印象的だったせりふは、「私たちは、アオギリのように生きていかなければいけない」という部分で、被爆しても一生懸命生きていくことが大切なんだという強いメッセージだと感じました。
戦後70年ということで、こんな素晴らしいメッセージがこめられた映画を観ることができてよかったと思います。戦争と平和について、しっかり考え、学ぶことができたので、それをいろんな事に生かせるようにしたいと思いました。


◎決してあきらめずに、しっかり前を向いている姿がかっこ良いなと思いました。
戦争は絶対にあってはいけないと思います。今、戦争をいつでも出来るようにする考えが問題になっているけれど、戦争しても良いことはないし、平和に貢献したいなら他の形ですればできると思います。
被爆から70年がたち、被爆者の平均年齢は80才を超えているので、二度と戦争が起こらないように、若い人たちが体験談などを広めていくことが大切だと思いました。




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posted by ぷらっとハッピー日記 at 23:48| 東京 ☁| 映画『アオギリにたくして』・アオギリ祭り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする