2014年8月6日の深夜に「アオギリにたくして」について放映されたNHK「時論公論」の西川龍一解説委員による解説の要約が「NHK解説委員室」解説アーカイブス」に掲載されています。
▼NHK「時論公論」:「被爆体験を『アオギリにたくして』
2014年08月07日 (木) 午前0:00〜
西川 龍一 解説委員
広島に原爆が投下されてから69年が経ちました。実在の被爆体験の語り部をモデルにした映画「アオギリにたくして」が、今年、各地で自主上映を続けています。被爆者の高齢化が進み、体験を語ることができる方が減少を続ける中、こうした取り組みの重要性について考えます。
映画「アオギリにたくして」は、広島で被爆したアオギリの苗を全国に植樹する活動に興味を持ったライターの女性が、この活動にゆかりのある被爆者の女性の生涯を調べ始めるところから始まります。語り部として活動していた被爆者の女性の生前の日記を預かり、絶望の淵から平和の語り部として生きていく決意をした思いを知って、自身がそのことを伝えていく決意をするまでの物語です。
この語り部のモデルとなった、沼田鈴子さん。沼田さんは、22歳の時、爆心地から1.3キロのところにあった勤め先の広島逓信局で被爆して左足を失いました。当初は被爆者であることも語りませんでしたが、1980年代にアメリカに保管されていた被爆後の広島の様子を撮影したフィルムを市民の手で買い戻そうという「10フィート運動」で、自らの姿が映っていたことをきっかけに50代になって被爆体験を証言する活動に参加するようになりました。3年前、87歳で亡くなるまで、国内だけでなく、海外にも足を運んで命の尊さや核兵器廃絶を訴え続けました。
沼田さんは、平和公園を訪れる人たちに被爆証言を語り続けたのが、「被爆アオギリ」と呼ばれるアオギリの木の下だったことから、「アオギリの語り部」と呼ばれていました。もともと逓信局に植えられていてともに被爆して幹の半分が焼け焦げ、枯れていると思われたものの新芽を出してたくましく成長する被爆アオギリに勇気づけられて立ち直ったと言います。
なぜ今、この映画なのか。制作した中村里美さんは、およそ30年前、10フィート運動によって集められたフィルムから製作された映画をアメリカで上映する活動にボランティアとして参加したことから、沼田さんをはじめ、多くの被爆者と知り合いました。当時は元気だった被爆者が、10年ほど前から次々に亡くなっていくようになりました。「体験しない人にはわからない」「体験しない人には伝えられない」という被爆者もいたと言いますが、今こそ体験のない世代が伝えなければならない時代になったのだと製作を決めました。自らが聞き取り、掘り起こしてきた被爆者の実態を映画という形で表現することが、もっとも多くの人に伝わると考えたからです。
「アオギリにたくして」は、あえて当日の悲惨なシーンは再現しませんでした。被爆後の人生にスポットをあて、被爆して片足を失った女性がどんな体験をしてきたのかを描きます。
こんなシーンがあります。社会復帰を果たした女性は、職場の男性と結婚を約束します。しかし、同じ被爆者であるその男性の母親が、子孫への放射能の影響を心配して反対。結局2人は思いを遂げられず、元々なぜ自分だけがあの惨劇の中生き残ってしまったのかと苦悩していた男性は自殺してしまいます。当時は放射能が人体にどんな影響を及ぼすのか一般の人にはまったくわからなかったこともあり、被爆者が被爆者を差別するといったこと、ふとしたきっかけでせっかく残された命を絶つといったことが起きていたのです。
モデルとなった沼田さんは、亡くなる4か月前に起きた東日本大震災、とりわけ原発事故による放射能の影響を心配し続けていたと言います。今回の震災では一時、福島県の原発立地地域から避難した子どもたちが、転校先の学校で放射能が移ると言われたり、親が遊ばせないといった事態も起きました。自らが差別された経験があるだけに、こうした事態を予見していたのではないか。差別の構造は何ら変わらないと思います。
さて、中村さんが言うように、原爆投下から69年が経ち、被爆者がいなくなるということが現実になりつつあります。広島と長崎で被爆した被爆者は、厚生労働省の今年の調査でおよそ19万2700人と初めて20万人を下回りました。人数が減っていることに加えて、高齢化もさらに進み、被爆者の平均年齢は79.44歳となりました。被爆から70年を迎える来年には、80歳を超えることが確実と言われています。全国各地にある被爆者団体の中には、すでに活動ができなくなっているところや、解散するケースも相次いでいます。日本被団協に入るおよそ400の団体のうち、おととしから2年あまりの間に、解散した団体は36に上っているのです。すでに時間は残されていません。
「アオギリにたくして」は、去年の完成から学校や公民館などを含め、およそ200か所で自主上映を続け、今週は広島市の映画館でも上映されています。海外での上映も目指そうと、英語字幕版も作りました。そうした中で、大分県の会社に勤める中国人女性が、初めて被爆者のことを知り、「戦争でつらい思いをしたことに国籍は関係ないということを広く知って欲しい」と、中国語の字幕作りに協力したいと申し出ました。「被爆体験を語ることは平和への種まき」と言っていた沼田さんの意思が広がることにつながっています。
被爆者に残された時間が少ない中、中村さんたちのような映画に限らず、あらゆる手段で被爆者の思いを伝える手立てを考える必要があります。これまで行われてきたのは、被爆者の手記や、証言を映像で記録するといった方法です。ただ、そうした方法では、記録されている以外のことは想像するしかなく、証言の裏に隠された被爆者の真意はわかりません。
そこで広島市が行っているのが、被爆の体験を次の世代に語り継ぐ人材を育てる「被爆体験伝承者」を養成する事業です。計画では3年間をかけて被爆者の体験や平和への思いを直接継承することになっています。3年目を迎えた1期生の108人が最終的な語り部としての実習を行っています。伝承者にとって最も重要なことは、被爆者本人から何度も話を聞いて思いを丸ごと自分のものにすることです。伝承者から講話を受けた人たちが、その時被爆者がどんなことを感じていたのかなどと質問しても答えられるようにするためです。本当に語り部として被爆者の気持ちが伝わるかという意見もあります。しかし、こうした方法に頼らざるを得ないのが惨禍を伝え続けなければならない被爆地ヒロシマの現実です。単なる記録にとどまらない試みがますます重要になっています。
安倍総理大臣は、平和記念式典のあいさつの中で、「核兵器の惨禍を体験したわが国には、確実に『核兵器のない世界』を実現していく責務がある。その非道を後の世に、また世界に伝え続ける務めがある」と述べました。
生前、沼田さんは、「二度と同じ苦しみを体験して欲しくないから話している。戦争に勝ち負けはない。」と話していたと言います。政府が集団的自衛権の行使容認を閣議決定するなど、平和に向けた取り組みのありようが改めて問われている中で、原爆投下が起きればどうなるのかを考え続けることの意義はますます重要になります。唯一の被爆国として、被爆者の意思の伝承は、待ったなしの状況であることを私たち1人1人がより真剣に認識することが求められます。
(西川龍一 解説委員)
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