2013年02月07日

広島の被爆者・山岡ミチコさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

2013年2月2日、広島の被爆者の山岡ミチコさんが肺炎のため82歳で永眠されました。山岡さんは、被爆10年後に米国でアメリカでケロイドの整形外科手術を受けた「原爆乙女」の1人でした。

私が山岡さんと初めてお会いしたのは、21才の時。1986年にアメリカの学校で原爆映画「にんげんをかえせ」を上映する日米協力ボランティア活動に参加した時のことでした。

原爆を落としたアメリカに、原爆を落とされた日本からその実情を伝えに行く。しかも、被爆体験も戦争体験もない自分に一体何が伝えられるのだろう?と渡米前に不安になり、渡米を止めようと何度も思いました。
そんな時、山岡さんがおっしゃった「憎むべきものは戦争であり人ではない」という言葉にどれ程勇気づけられたことでしょう。

「アメリカ 対 日本」、「ヒロシマ・ナガサキ 対 パールハーバー」として感情論に陥ることなく、同じ地球上に住む同じ人間の上に起きた悲劇としてヒロシマ・ナガサキをとらえ、これまで世界中で起きた、そして今も続く全ての戦争で犠牲となった人々のことを共に考え、「二度と同じ悲劇が繰り返されないために、私たちはどう生きるべきなのか?」について、一人一人が考える機会を作り、ヒロシマ・ナガサキの被爆体験者の方々のメッセージを米国で一年間伝えました。

帰国後、日本で暮らす外国人が日本語で被爆体験を朗読する「トンボが消えた日」を企画プロデュースさせていただいた時も、8カ国の世界のみんなと一緒に広島を訪れ、山岡さんが被爆体験を伝えてくださいました。

スリランカで、日本被団協が出されているHIBAKUSYAという冊子をタガログ語とシンハラ語で出版させていただく機会をいただき、その時に大変お世話になったスリランカ文部省のグナさんと共に広島を訪れた時、皆で一緒に山岡さんに会いに伺いました。

その時 山岡さんは、脳梗塞で入院されていて「もう一度証言するために、絶対に元気になる」とがんばってリハビリを続けておられました。
その姿に感銘を受け、例え微力であっても、被爆者のメッセージを伝えていきたいと改めて決意しました。
そして、それが山岡さんとの最後になってしまいました…。

2011年に、沼田鈴子さんが亡くなり、昨年は山田忠文さんが亡くなり、そして…今年の2月2日に山岡さんが永眠されました。

思い浮かべると涙があふれ、まだ自分の中で気持ちの整理ができていません…。

今私たちは、映画「アオギリにたくして」の製作をしていますが、被爆者の皆様の思いが世界に届くよう、自分たちにできる精一杯を全力投球でがんばっていきたいと思います。

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
posted by ぷらっとハッピー日記 at 10:52| 東京 🌁| ヒロシマ・ナガサキ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする