いっぱい涙が出た。
昨日は早く寝て、
やっぱり自然に夜中の2時に目が覚めた。
ももちゃんが亡くなった4時過ぎから、お祈りした。
4時半を回ると蝉の声が…。
そう、去年の8月12日も同じ蝉の声が聞こえていた。
昨年は、ピースライブ「私のヒロシマ・ナガサキ」のライブ活動を始めたばかりで…、そして毎年恒例のピース登山の準備に追われていて…自分がいっぱいいっぱいだった時…ももちゃんが死んじゃった。
去年の8月12日は、夜中の2時までももちゃんの事が心配で起きていたのに、うとうとして、「寒い〜」と思って目が覚めて…4時過ぎにももちゃんの様子を見に行った。
きっと、ももちゃんも寒いんじゃないかって勝手に自分で思って、急いで自分のベッドに運びこんだ時、ももちゃんの心臓発作が起きて…すごく苦しんで、どうしたらいいか分からなくて、腕の中で抱きかかえながら、ももちゃんは死んだ。
最後にゆっくり3回息をして…その息はとっても安らかだった。
そもそもは、私の不注意で、台風が近づいていた夜、17歳の老齢のももちゃんが外にでたままなのに気がつかず、一晩中外で過ごして夏風邪をひかせてしまった事が原因だった。
ライブ活動とピース登山の事で自分がいっぱいいっぱいで、ももちゃんの事までちゃんと感じてあげる余裕がなかった…。
ぐったりしているももちゃんに、
急いでももちゃんの大好物のカニカマボコを買ってきて食べてもらおうとしても、一口も食べないまま5日後にももちゃんは亡くなった。
ももちゃんは、いつも変わらず、ただももちゃんのままでいたのに、
家族からはとても嫌われていて、私しか味方がいなかったのに。
ごめんね。
ホントにごめんね…。
ももちゃんが死んだ後、
広島から送られてきた被爆アオギリの苗。
すごく可愛くて、こんなに植物の苗をかわいいと思ったことはなかった。
そして、その翌日。
「アオギリにたくして」の曲が生まれた。
あの日、広島に原爆が落ちて、たくさんの人々が犠牲にって…
そして、人間だけじゃなくて、動物も植物も鳥も虫も…すべての命が犠牲になった。それを思うと涙が出てきて、泣きながら詩を書いた。
ももちゃん、これからもこの歌、大切に歌っていきます!
さぁ〜夜も明けてきた。
これから、ももちゃんのお墓参り。
「私のヒロシマ・ナガサキ」1000回ライブ!
がんばります〜♪
ももちゃん、見守っていてね〜☆