
現在、かけはし第三章として
ドキュメンタリー映画『スヒョンが遺したもの』を制作中ですが
本日は、2019年にご逝去されたスヒョンさんの父ソンデさんが
韓国のお友達と共にピース登山隊にご参加くださり
スヒョンさんが大好きだった富士山頂を目指された時の映像を編集しています。

2001年1月26日、線路に落ちた方を助けようとして、日本人カメラマンの関根史郎さんとスヒョンさんが共に帰らぬ人となった事故の翌年から、来日している世界の人々と共に一歩一歩歩いて富士山頂を目指すピース登山隊を結成し、スヒョンさんが大好きだった富士山への顕彰登山を開催しました。
お写真はスヒョンさんのお父様とご友人が、2011年のピース登山隊にご参加くださった時のものです。

弊社ミューズの里は、「いのち」をテーマに、国際社会の平和づくりに貢献できる事業を目指して2008年に設立しました。法人化する前の前身となる屋号「クロスカルチャープラザ」時代から異文化間の相互理解を促進するプロジェクトや表現の場づくりに力を入れてきました。
当時、発行・編集していた日英対訳の異文化コミュニケーション誌を無料配布で置かせていただいていた日本語学校の一つがスヒョンさんが日本語を学んでいた学校でした。世界から日本語を学びに留学している日本語学校生の学習環境を少しでもより良くしたいと様々な日本語学校が参加して毎年開催していた50か国5000人が集う「語学留学生の祭典」の国際交流フェアを弊社で企画・コーディネートする中で、スヒョンさんの通う日本語学校の先生方や留学生との交流があり、「もしスヒョンさんが生きていたら、今年のこの祭典に参加していたのだろう」と思うと、悲しみがつのりました。
そんな中で、JR新大久保駅での事故の翌年に始まったピース登山は、2002年〜2013年までに毎夏12回開催され、韓国で一番高い山「ハルラ山」やスヒョンさんの故郷の釜山の「クムジョン山」ではスヒョンさんのご両親が登山隊長としてご参加くださいました。
現在制作中のかけはし第三章『スヒョンが遺したもの』では、スヒョンさんの父ソンデさんとご友人が富士山頂を目指した時の映像を映画の中でもご紹介させていただく予定です。
息子スヒョンさんの夢だった「日韓の懸け橋」になりたいという遺志を継ぎ、妻のユンチャンさんと共に活動されてきたソンデさんは、2019年にご逝去されました。
生前、旭日双光章を受賞された際、「スヒョンの功績を自分が分けてもらって申し訳ない。もうすぐ自分も会いにいくから。待っていてね」とつぶやかれたお言葉が思い出されソンデさんの映像を見ながら涙があふれます。


いろんな思い出が蘇りながら…
これまで撮影し続けてきた映像にも目を通しながら
「かけはし」第三章の撮影と編集が続いています。