
いつの頃からだったろう?
「二人に一人はがんになる時代」と言われるようになった。何度もその言葉を聞いているうちに、それが当たり前とさえ感じるようになっていく…でも、一体それってどんな時代になるのだろう? がんの闘病生活の大変さを見てきた一人として、がん大国日本の行末が心配になる。
大人がつくるCMの中でも「よーく考えよーお金は大事だよ」と わざわざ子どもに歌わせるアフラックのCMが私は嫌いだ。
昔に比べれば医療が進歩しているとしても、がんを告知された時の相当なショック、抗がん剤治療の並大抵ではない副作用の苦しみ、再発への恐れへの不安、再発してしまった際の精神的苦痛は計り知れない。
毎日新聞の社説(2024年4月)に「厚生労働省によると、昨年の自殺者2万1837人のうち、原因の6割近くを健康問題が占めた。とりわけ、がん患者は一般の人に比べて自殺のリスクが高い。厚労省研究班の分析によると、診断から2年以内は1・8倍、一人で悩みを抱えやすい診断直後の1カ月以内は4・4倍にも上っていた」と書かれていた。
がんと闘うだけで相当な大変さの中にある。守られた地位にある一部の人を除いて、がんになったことで、闘病以外の様々な不安と心配・ストレスや困難がついてまわる。仕事への影響や生活環境・人間関係も変化せざるをえなくなっていく。苦しいのは本人だけではない。家族は第二の患者と言われるように、様々な葛藤に共に向き合うことを余儀なくされる。サポートする側の家族の方が耐えきれなくなり、離婚に至ることもあれば、本人を残して支える側が自殺してしまうことさえある。
治療で救われる命が失われていく悲しみは計り知れない。
私が42歳の時、同じ年の友人が病院での受診を拒否してがんで亡くなった。スピリチュアルな民間療法を信じているから仕方ないと周りは離れていったが、実は借金があり健康保険証もなく、彼女が病院に行けない状況だったことを知ったのは後からのことで救うことができなかった。また友人の一人は、抗がん剤治療に苦しむ父が、不安や落ち込みから適応障害となり、うつ状態やせん妄による暴言に耐えかねて、最後まで心を込めて看病できなかったことが今だに心の傷となっている。私の母もがんを患っていたが、本当に苦しい時は別人となった。それだけ苦しいのだ。
がん患者に寄り添いながら思うことは、がんそのものの治療と同じぐらい、あるいはそれ以上にメンタルケアの必要性を強く感じる。一人一人の個性を尊重しながら、その時々によってケアのあり方も変わっていく柔軟性が必要とされるので、共に生きて見守ることの大切さを思う。老若男女問わず一人暮らしでがんと闘っている方々の気持ちのつらさを思う時、いたたまれない気持ちになってしまう。
がん患者へのより一層の支援が必要と思われる中で
今、高額療養費の自己負担上限額の引き上げ問題が取り沙汰されている。
現状であってさえ、治療費を捻出するためにどれ程多くの人々が不安な思いでストレスを抱えながら病気と闘っていることだろう。命と健康の安全保障の観点からも、首相がスローガンに掲げる「楽しい日本」からも 全く違った方向に向かっている。
お金によって命の時間が変わってしまうことへの悲しみを これ以上より一層深くしないでほしいと切に願う。
がんと共に生きる中にあっても、だからこそ気付くこと、だからこそ出来ることはたくさんある。支え合う中で生まれ育まれていく新たな生き方の中に、人がより心豊かに生きてよりよい世界をつくり出すヒントもたくさんある。
人間らしい思いやりある優しい心を大切に、自分たち出来ることを精一杯やりながら生きていきたい。そう改めて強く思う。
posted by ぷらっとハッピー日記 at 15:54| 東京 ☀|
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