2024年11月28日
牛田教会「故沼田鈴子さん記念ミニコンサート」中村里美&伊藤茂利
昨年、広島での「かけはし」上映から活動を再開した後
しげ兄さんの2度目のがんの再発を告げられた時は
もう一度広島に来れるとは想像もできずにいました。
それだけに、広島にまた来させていただける機会をいただき
心より感謝の思いでいっぱいです。
先日、広島弁護士会館で開催された日本反核法律家協会創立30周年記念イベントに参加させていただいた翌日、東京に戻る前に、映画『アオギリにたくして』のモデルとなった被爆者の沼田鈴子さんが通っておられた広島の牛田教会にて、甥の沼田良平さんが日曜礼拝の後に「故沼田鈴子さん記念ミニコンサート」を企画してくださいました(2024.11.17)心より感謝いたします。西嶋牧師様、牛田教会の皆様、大変ありがとうございました。
永井隆博士の生まれ故郷の島根から、雲南アオギリ会の錦織ご夫妻がライブを聴きに来てくださいました。錦織ご夫妻は、永井博士が通われていた旧飯石小学校のすぐそばで暮らしておられます。
YouTubeチャンネル「ミューズの里TV」
牛田教会「いのちの音色」中村里美&伊藤茂利
広島での映画制作や上映活動でお世話になっている
井上博記さんと茂津目恵さんに大変お世話になり
いつも広島から応援してくださっている柏原省治様から花束をいただきました。
皆様に心より感謝いたします。
ライブの後に、沼田良平さんにご案内いただき
みんなで沼田鈴子さんのお墓参りに伺わせていただきました
心より感謝いたします。
2024年11月26日
『アオギリにたくして』映画をつくるきっかけ♪
歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える
「いのちの音色」ライブ♪
映画『アオギリにたくして』をつくるきっかけなどの
お話もさせていただきました。
YouTubeチャンネル「ミューズの里TV」にアップされました。是非ご視聴ください♪
※チャンネル登録もよろしくお願い致します。
⏬映画『アオギリにたくして』制作のきっかけ
今年も残すところ1か月となりました。
12月のライブ情報を下記にお知らせします〜♪
どうぞよろしくお願い申し上げます♬
歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える
中村里美&伊藤茂利「いのちの音色」ライブ情報
12月8日(日)東京・八王子
♪アミダステーション
12:30開場/13:00スタート
TEL:090-6197-5354(上田)
12月14日(土)東京・立川
♪砂川平和ひろば
※詳細はわかり次第アップさせていただきます。
12月15日(日)東京・町田
♪大蔵会館
13:30開場/14:00スタート
主催:平和を望む会
TEL: 090-7238-6035(代表:木村)
2024年11月23日
ただいまぁ〜!私たちみんなの広島のお父さん&お母さん
ただいまぁ〜!
梅谷ご夫妻は、私たちみんなの広島のお父さんとお母さんです♪
お母さんは、被爆者の故沼田鈴子さんの教え子でもあります。
映画「アオギリにくして」制作では、夜行バスで何度も東京と広島を往復する度にホームステイさせていただき、大変お世話になりました。昨年の八丁座でのドキュメンタリー映画「かけはし」上映で広島を訪れた際には、ご出演者で故スヒョンさんのお母様が梅谷家で初のホームステイにチャレンジ!一緒に泊らせていただきました。
梅谷ご夫妻は、広島に来日する留学生の支援活動をずっとされて来ました。
これまでに40か国以上2600人の留学生が梅谷家を訪れ
450人以上の留学生がホームステイしました。
お二人の存在は、広島と世界からの留学生をつなぐまさに「かけはし」です。
今回は、日本反核法律家協会創立30周年記念イベントの
トークリレーと懇親会ライブで広島に伺わせていただいた翌日、
被爆者の沼田鈴子さんが最後に通っておられた牛田教会で
礼拝の後に「いのちの音色」ライブをさせていただいた後、
東京に戻る前に、お父さんとお母さんのお家にご挨拶に伺いました〜♬
島根からライブに駆けつけてくださった雲南アオギリ会の錦織ご夫妻、
広島でお世話になった井上博記さん、茂津目恵さんも一緒にみんなで集合〜!🎶
お父さんとお母さんと皆様との楽しい再会♬
楽しい時間を本当にありがとうございました。
また会う日まで!!
みんなで元気に過ごしましょう〜♬
2024年11月21日
YouTubeチャンネル「ミューズの里TV」 映画『かけはし』上映後のご登壇 :辛潤賛様・新井時賛理事長
東京・世田谷のがやがや館にてドキュメンタリー映画『かけはし』上映会が先月開催され、上映後には韓国から来日中の故李秀賢さんのお母様でご出演者の辛潤賛(シン ユンチャン)様、スヒョンさんが通っていた赤門会日本語学校の新井理事長がご登壇くださいました。YouTubeチャンネル「ミューズの里TV」に当日の交流会の様子がアップされました。是非ご覧ください(2024.10.18)
上映会を企画・開催してくださった
「平和を望む会」の木村巴画伯に
心より感謝申し上げます。
YouTubeチャンネル「ミューズの里」
⏬YouTubeチェンネル「ミューズの里TV」
https://www.youtube.com/@MusevoiceFilm
チェンネル登録もよろしくお願いいたします♪
かけはし公式サイト
https://kakehashi-movie.net
いつも応援いただき
皆様に心より深く感謝申し上げます。
火野正平さんの突然の悲報に接し、心からお悔やみ申し上げます。
火野翔平さんの突然の悲報に接し、心からお悔やみ申し上げます。
火野さんが元ギタリスト役を演じる映画作品で
弊社のしげ兄(伊藤茂利)が
ギター音楽を担当させていただき大変お世話になりました。
映画の中で奏でられているギターはもちろんですが
それ以外にも二人羽織のように火野さんの背中から
抱きつくようにして手を前に出して
ギターを弾く手のシーンの撮影をしたり
映画の中で、急に思いついた曲を
紙に書き留めるシーンがでは、
手だけの撮影なので火野さんに代わって
しげ兄の手が映し出されています。
火野さんは、その時の音符の紙を
大切にしまっておられたそうです。
撮影が終わった時、その紙にサインして欲しいと言わたしげ兄は
とても嬉しかったとよと言っていました。
心のとっても優しい方だったとお聞きしています。
大変お世話になりありがとうございました。
ご冥福を心よりお祈り致します。
火野さんが元ギタリスト役を演じる映画作品で
弊社のしげ兄(伊藤茂利)が
ギター音楽を担当させていただき大変お世話になりました。
映画の中で奏でられているギターはもちろんですが
それ以外にも二人羽織のように火野さんの背中から
抱きつくようにして手を前に出して
ギターを弾く手のシーンの撮影をしたり
映画の中で、急に思いついた曲を
紙に書き留めるシーンがでは、
手だけの撮影なので火野さんに代わって
しげ兄の手が映し出されています。
火野さんは、その時の音符の紙を
大切にしまっておられたそうです。
撮影が終わった時、その紙にサインして欲しいと言わたしげ兄は
とても嬉しかったとよと言っていました。
心のとっても優しい方だったとお聞きしています。
大変お世話になりありがとうございました。
ご冥福を心よりお祈り致します。
手話歌で「アオギリにたくして」「平和を」にチャレンジ!
八王子「おかえり喫茶」主催による
歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える
中村里美&伊藤茂利「いのちの音色」ライブが
2024年10月18日に開催されました。
アオギリにたくして 作詞・作曲・歌:中村里美/編曲・ギター:伊藤茂利
平和を! 作詞・作曲・歌:中村里美/編曲・ギター:伊藤茂利
歌とトークと被爆体験
あっという間の60分でした。
♪ひな鳥へ
♪この世で一番大きなもの
<被爆体験の朗読>
♪ネバーアゲイン
♪おりづるにのって
♪アオギリにたくして
♪平和を
最後の2曲では
弊社の石塚佐和子に手話のご指導をしてくださっている
上田則子さんにもご出演いただき
会場の皆様にも手話にチャレンジしていただきました。
皆さんも是非「アオギリにたくして」「平和を」の手話にチャレンジしてみてください♬
ご来場くださった皆様、関係者の皆様に心より感謝申し上げます。
皆様に心より感謝もうしげます。
「おかえり喫茶」の皆様ありがとうございました🎶
2024年11月19日
めざせ1000回!「いのちの音色」ライブ♬
被爆者の上田紘治さんが、歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える「いのちの音色」ライブを企画してくださいました。
12月8日の東京・八王子のアミダステーションでのライブで、279回を迎えます。
そして今日(11/19)は嬉しいお知らせが♪
約半年間の抗癌剤治療を経て
しげ兄さんの先週のPET検査の結果が本日出ました。
3つあった腫瘍の1つが画像上からは消えて
残りの2箇所も小さくなりました。
引き続き、10回目の抗がん剤が今日から始まりましたが
痺れがひどい副作用の出るオキサリプラチンが
今日からカットされることになりました。
ご心配くださっている皆様に心より感謝いたします。
今年初めに主治医の勝俣先生からしげ兄さんに
2度目のがんの再発の告知があり
「ギタリストの伊藤さんには最後まで使いたくなかった薬なんですけど…」
と言われた時は、とうとうギターも弾けなくなるかもしれないと不安に襲われ
今年前半は、これまでで一番長くメンタルがダウンしていたように思います。
抗がん剤の副作用に悩まされながら
ギターを持たない日々がしばらく続きましたが
とうとう痺れて痛くても気にせず弾き始めた姿に
しげ兄さんは本当にギターが好きなんだ!!
と改めて強く感じました。
この状況になって改めて
もう一度1000回ライブを目指したい!
と言い出すしげ兄さん。
それにしてもあと残り721回もあるのですが
「たぶんきっと出来るよ!」
本人は自信に満ちています。
やりたいことがあって
それがお世話になった被爆者の方々のメッセージを
共に伝えることであることに
改めて感謝の思いでいっぱいになります。
めざせ1000回!いのちの音色ライブ♪
今から、ここから、また新たな気持ちで前に進んで参ります!
今後ともよろしくお願いいたします。
ドキュメンタリー映画『いのちの音色』も
来年の公開を目指してがんばります!!
「原爆裁判」を現代に活かす- 核兵器も戦争もない世界を創るために- 大久保賢一講演会と「いのちの音色」ライブ♪
先日の日本反核法律家協会創立30周年記念イベントでも
大変お世話になった大久保賢一会長の新しいご著書
「原爆裁判」を現代に活かす
-核兵器も戦争もない世界を創るために-
が来月出版されます。
そしてなんとこの度
私が生まれて初めて絵を見て感動した
大好きな木村巴画伯の作品の一つが
表紙になります!!
大久保先生が上野美術館で開催されていた創展で
木村巴画伯の絵をご覧になって
その時に、他の作品についてもお写真で見た中から
「人間の住む星」という絵を選ばれたそうです。
先日、その絵を木村画伯のご自宅で見せていただき
とっても感動しました!!
今年は、日本被団協がノーベル平和賞受賞されるというとても嬉しいニュースが入りました。被爆者支援をされながら核兵器廃絶を共に目指し、被団協に伴奏してきた大久保賢一先生はじめ日本反核法律家協会の皆様にとって、この度のノーベル平和賞受賞は本当に嬉しいことだったのではと思います。すべての被爆者の方々に、そして被爆者運動を支えてこられた皆様への賞でもあると感じながら、心よりお祝い申し上げます。
また今年は、NHKの朝ドラ「虎に翼」でも被爆者運動の原点となる「原爆裁判」が描かれ話題となりました。1963年12月、東京地裁判決は「原爆投下は国際法違反」と指摘し、十分な救済策を執らない日本政府に苦言を呈しました。大久保賢一会長は、その記録を保管し裁判の意義を伝えています。日本反核法律家協会のウェブサイトでも被爆者運動の先駆けとなった原爆裁判の資料が公開されています。
「原爆裁判」が、その後に続く被爆者運動の先駆けとなり、今につながっていることを思う時、今一度その原点から学び、これからの未来を共に考えていきたいと思います。
木村巴画伯が代表を務める「平和を望む会」では、12月15日(日)に今年最後の催しとして大久保賢一会長のご著書の出版を記念し、町田の鶴川大蔵会館にてご講演いただくことになりました。ご講演後に、歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える「いのちの音色」ライブで出演させていただきます。この度は素敵なイベントをご企画くださり心より深く感謝申し上げます。
※イベント後に、大久保賢一先生のご著書のサイン会もございます。
大久保賢一講演と「いのちの音色」LIVE
2024年12月15日(日)
会場:鶴川大蔵会館(町田市)
開場 13:30
開演 14:00~16:30
・講演 大久保賢一さん(日本反核法律家協会会長・弁護士)
・LIVE 歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える「いのちの音色 」ライブ
歌と語り:中村里美/ ギターと語り:伊藤茂利
参加費:1000円
申し込み:平和を望む会(代表:木村巴)
090-7238-6035
E-mail: tonmon_k_mikazuki@icloud.com
2024年11月18日
アオギリのご縁で愛がいっぱい♪
日本反核法律家協会創立30周年記念イベント(11/16)に参加させていただいた翌日、
東京に戻る前に映画『アオギリにたくして』のモデルとなった被爆者の沼田鈴子さんが最後に通っておられた牛田教会の日曜礼拝の後、甥の沼田良平さんが「故沼田鈴子さん記念ミニコンサート」を企画してくださいました。大変ありがとうございました。
西嶋牧師さまはじめ牛田教会の皆様に
心より感謝致します。
雲南アオギリ会の錦織ご夫妻が島根から来てくださり、昨年の八丁座での映画「かけはし」上映で大変お世話になった茂津目恵さんが駆けつけてくださいました。お写真もいっぱいありがとうございました。前日に引き続き、井上博記さんにお手伝いしていただき心より感謝いたします。
ライブ後、沼田良平さんにご案内いただき
沼田鈴子さんのお墓参りに伺わせていただきました。
沼田さ〜ん♪
お元気ですか〜?
会いに来ましたよぉ〜♬
いつも見ていてくださって
ありがとうございます。
そして、被爆アオギリに会いに広島平和記念公園へ
G7広島サミット記念館が被爆アオギリの横に建った影響なのか
アオギリが少し元気をなくしているという記事を目にしていたので
心配していました。
少し元気がないような気もしたけれど
お互いに年もとったけれど
まだまだ大丈夫♪
いつもの場所で
大地に根を張って
少しずつ葉を落としながら
冬への備えをしていました。
新幹線に乗る前に
広島のお父さんとお母さん(梅谷ご夫妻)のご自宅にみんなで集合!🎶
なんて素敵なひと時でしょう♬
梅谷のお母さんが
帰りの新幹線で食べるようにと
栗入りお赤飯と手作りパンを持たせてくださり
皆さんから心のこもったお土産いただき
感謝でいっぱいです。
愛がいっぱいの
ステキな広島2日間🎶
帰りの新幹線では
気絶したようにぐっすりと眠り
無事東京に戻ってまいりました。
しげ兄の2度目の癌の再発があってから
もう一度広島に行ける日が来るなんて
想像もできませんでした。
今年前半の記憶がありません。
言葉を失う という状態を
初めて体験しました。
ずっと動けずにいたので
お陰様でいっぱい太りました(笑)
どこまで行けるかわからないけれど
行けるところまで、前に向かって歩いて行こうよ♪
声をかけ合いながらの2024年も
あと一か月と少しとなりました。
世界情勢の変化もさることながら
世の中がどうあれ
自分が見ている世界が
これまでと違う次元で見えてくるかのような…
不思議な一年でもありました。
明日(11/19)は先日のPET検査の結果を受けて
しげ兄さんの10回目の抗がん剤治療
本日は体調を整えながら過ごしてもらっています。
少しづつ寒くなってきました。
皆様もお体を大切になさってくださいませ。
この人生でご縁をいただいた全ての皆様に
感謝でいっぱいです。
これからもよろしくお願い申し上げます。
㊗日本反核法律家協会創立30周年おめでとうございます!
㊗日本反核法律家協会 創立30周年おめでとうございます!
広島弁護士会館で開催された11/16記念イベントのトークリレーにギタリストの伊藤茂利と共に参加させていただきました。核兵器や戦争のない平和な世界をつくるために、さまざまな形で活動されている皆様のお話に大変感銘を受けました。
大久保賢一会長、内藤雅義副会長はじめ関係者の皆様に大変お世話になり心より深く感謝申し上げます。
初プロデュース映画「アオギリにたくして」を制作するにあたり、依頼した外部の映画スタッフがヒロシマ・ナガサキの実相を知らないことに強い不安を途中から感じ始めた私は、共にプロデューサーを務める伊藤茂利と共に、原爆症認定集団訴訟全国弁護団長で日本反核法律家協会前会長の当時ご存命だった池田眞規弁護士のところにご相談に伺わせていただきました。池田弁護士より現会長の大久保賢一弁護士と相談するようアドバイスいただき、大久保賢一先生に「アオギリにたくして制作委員会」にお名前を入れていただけることになりました。
思えば池田弁護士には、38年前にアメリカの学校や教会でヒロシマ・ナガサキを伝えるボランティア活動に参加した時からお世話になりました。日本被団協の伊藤直子さんと共に大久保賢一弁護士が歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝えるライブに始めてくださり、映画をつくり始めた頃には、いったい今度は何を始めるんだと周り中が呆れている中で、陰からずっと見守ってくださいました。配給会社の全国映画センター理事で映画製作もされてきた舟橋様をご紹介くださり、制作のアドバイザーとなっていただきました。制作に入る前からずっとご指導いただきご相談しながらの日々でした。ことある度に何度舟橋さんの携帯電話にお電話したことでしょう…。ご出演者の斉藤とも子さんをご紹介くださったのも大久保賢一先生でした。内藤雅義弁護士、佐々木猛也弁護士にもご挨拶に伺わせていただき、大変お世話になりました。初の映画づくりで幾多の困難を乗り越え、一つの映画が出来上がるまでの様々な日々が思い出されました。皆様のお力なしに映画が完成することも、そしてその後の上映活動を経ての今もありませんでした。本当に心より改めて心より深く感謝申し上げます。
ワールド・フレンドシップセンター理事長の立花ご夫妻と
いつも応援してくださっている柏原省治様もご来場くださり
井上博記さんが懇親会でのライブ機材の搬出入やアテンドをしてくださいました。
心より感謝申し上げます。
会場では、映画『アオギリにたくして』に母親役でご出演くださった
女優の斉藤とも子さんと久々に再会できて大変嬉しかったです。
皆様に大変お世話になり、本当にありがとうございました。
心より深く感謝申し上げます。
大久保賢一会長からのご感想が本日届きました。
シェアさせていただきます🙏
核兵器廃絶のために、今、私がしていること。これからしたいこと。
大久保賢一(日本反核法律家協会会長)
はじめに
「核兵器廃絶のために、今、私がしていること。これからしたいこと」は、日本反核法律家協会創立30年記念イベントでのリレートークのテーマです。私たち協会は1994年8月に、被爆者支援と核兵器廃絶を目的として設立されました。初代会長は松井康浩弁護士でした。その後、2011年の福島原発事故を受けて「原発廃止」も目的としました。創立以来、国内外の反核平和運動の人たちと交流してきました。特に、この8年間は「朝鮮半島の非核化」をテーマに意見交換会を開催してきました。今年もそのテーマでとも思いましたが、来年被爆80年を迎えるので、核兵器廃絶のために運動している様々な人にリレートークをしてもらうことにしたのです。核兵器廃絶の運動は被団協をはじめ原水協などの伝統的な運動体もありますが、むしろ、それぞれの想いで活動している人に話をしてもらおうと試みたのです。持ち時間は10分ということにしました。NHKの「時論・公論」や「視点・論点」などの例にならったのです。
多彩なスピーカー
発言者は次の13名でした(予定していた平岡敬元広島市長は体調が悪くて登壇できませんでした)。最年長は87歳の英語で被爆体験を語る小倉桂子さん。最も若いのは盈進中学高校のヒューマンライツ部の生徒たち。女優の斉藤とも子さん、詩人のアーサー・ナードさん、歌手であり映画プロデューサーの中村里美さん。元外交官の小溝泰義さん、韓国の弁護士崔鳳泰さん、反核医師の会の原和人さん。カクワカ・ヒロシマの田中美穂さん、第5福竜丸展示館学芸員の市田真理さん、ANTヒロシマの渡部朋子さん、核廃絶日本キャンペーンの浅野英男さん、非核の政府を求める会富山の渡邊眞一さんです。
皆さんのスピーチはそれぞれの体験に基づく反核の想いを込めた素晴らしいものでした。普段は口うるさい弁護士たちも何人か参加していましたが、その彼らが「話を聞いていて泣きそうになった」、「涙がにじんできた」、「泣いてしまった」などと言うのです。私もその一人でした。参加していたNHK関係者からは「皆様の素晴らしいお話をうかがい実りある時間でした」、「多様な方々、とりわけ若い世代の反核の取り組みが広がっていることが喜びとともに学びとなりました」などという感想が寄せられています。
寄せられたメッセージとご挨拶
ポーランドやカザフスタンの反核法律家、被団協、青法協、ノーモアヒバクシャ記憶遺産を継承する会、原水禁などからのメッセージが寄せられました。被団協の田中熙巳代表委員からはビデオメッセージを寄せてもらい、広島の被団協関係者、参議院議員で非核の政府を求める会常任世話人のの井上哲士さん、ICANの川崎哲さんからはリアルでのご挨拶をいただきました。田中熙巳さんは「発言者の中に、被団協のメンバーがいない」と言っていましたが、主催者としては「被団協の活動を継承する決意を持っている人たちを選択した」ということだとご理解いただければと思っています。このイベントは、被団協のノーベル平和賞受賞よりも前に企画したものでしたが、受賞によって「錦上花を添える」ことになったと思っています。ノーベル賞受賞団体のICANおよび被団協の双方からご挨拶をいただけたことは本当に光栄でした。
主催者の想い
私は主催者として次のような挨拶をしました。
今年は私たち協会が発足して30年になりますが、今年ほど、うれしいことがあった年はありません。まずは、被団協のノーベル平和賞受賞です。被爆者支援と核兵器廃絶をめざす私たちも被団協に伴走してきました。被団協の平和賞受賞はまさに「同志」の受賞として心からうれしいことでした。
また、NHKの朝ドラ「虎に翼」では「原爆裁判」が丁寧に取り上げられました。松井康浩初代会長が残してくれた裁判資料が大いに役に立ったことをうれしく思っています。
これらのことは私たちに大きな励ましと勇気を与えてくれています。けれども、世界にはまだ核兵器は存在していますし、被爆者を含む戦争被害者の救済も不十分です。
来年、被爆80年を迎えます。ノーベル委員会は「今日、核兵器使用に対するこのタブーが圧力にさらされている」としています。核兵器使用の危険性が高まっていると警告しているのです。また、「被爆者はわれわれの前からいなくなる」ともしています。私たちは核兵器廃絶を「自分事」として実現しなければならないのです。
今日は、様々な世代の様々なポジションでたたかっている方たちにスピーチをお願いしています。限られた時間ですが、ぜひ、それぞれの想いを語っていただいて、一刻も早く「核兵器のない世界」を実現したいと思っています。
私たち日本反核法律家協会も「原爆裁判」を提起した先輩たちに思いを馳せながら、引き続き市民社会の一員としての役割を果たす所存でいます。
むすび
来年被爆80年です。まだ、世界には約12200発の核兵器があります。「核戦争は戦ってはならない」と言われていますが、核兵器に依存しての国家の安全をいう勢力が政治権力を握っています。彼らは核兵器を「平和の道具」だというのです(核抑止論)。核兵器という「悪魔の兵器」に命と安全託すという「最悪の集団的誤謬」からの脱出が求められているのです。私たちの手には、既に、核兵器禁止条約という国際法の枠組みと日本国憲法という「核の時代」の非軍事平和規範があります。それらは最大限活用し、核兵器も戦争もない世界を実現しなければならないのです。そのための主体的力は、間違いなく、市民社会の中で育っています。「市民社会は歴史の竈である」(マルクス)という言葉を実感することのできるリレートークでした。ご協力、ご尽力いただいた皆さん。本当にありがとうございました。(2024年11月18日記)
2024年11月13日
スヒョンさんのお母様からのおすすめの韓国の本
先日の世田谷でのドキュメンタリー映画「かけはし」上映の後、もっと韓国について小説などを通して知りたいので、何かおすすめの小説などありますか?とお客様からご質問がありました。映画「かけはし」のご出演者でスヒョンさんのお母様の辛潤賛(シン ユンチャン)さんにお伺いしてみました。
・「82年生まれ キムジヨン」
・「容疑者Xの献身」
上記の2冊が好評なようで、アマゾンでも購入できるそうです。
またその他、下記の書籍が人気があるそうです。
日本語で読める韓国のベストセラー本
・「カステラ」
・「ミカンの味」
・「屋上で会いましょう」
・「保健室のアン・ウニョン先生」
・「大都会の愛し方」
・「わたしたちが光の速さで進めないなら」
・「となりのヨンヒさん」
・「成均館儒生たちの日々」
ご参考までに♪
アミダステーションにて:歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える中村里美&伊藤茂利「いのちの音色」ライブ公演
八王子のアミダステーションにて、歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える中村里美&伊藤茂利「いのちの音色」ライブ公演(Vol.279)が開催されます。被爆者の上田紘治さんが企画してくださいました。心より感謝申し上げます。
ライブ公演の前には、上田紘治さんからのお話とメッセージ、オカリナ演奏があります。
ライブの最後には上田則子さんと石塚佐和子さんが手話でご一緒にご参加くださいます。
jijiさんが素敵なチラシを作ってくださいました。
心より感謝申し上げます。
12月8日(日)12:30開場で13:00よりスタートです。
※当初の予定より時間が変更となり、30分早くなりました。
皆様のご来場を心よりお待ちしています。
2024年11月12日
映画『かけはし』にご出演くださった故スヒョンさんのお母様の辛潤賛さんが旭日双光章を受章されました。
2024年11月06日
本当の声を聞かせて♪
2024年11月04日
東京・八王子の「アミダステーション」にて 歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える「いのちの音色」ライブ♪
被爆者の上田紘治さん(3才の時 広島で被爆・八王子在住)がご企画くださり、東京・八王子の「アミダステーション」にて、歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える『いのちの音色』ライブが12月8日に開催されます。jijiさんが素敵なチラシをつくってくださいました。皆様、大変ありがとうございます。
歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える
いのちの音色LIVE公演♪Vol.279
歌とギター演奏 ・ 被爆体験の朗読 ・ トーク
歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える「いのちの音色」は、これまでお世話になった被爆者の方々の体験とメッセージを歌と語りで伝えていくライブ公演です。海外でヒロシマ・ナガサキを伝える体験をもとに音楽・朗読・トークにより構成されています。2008年より1000回ライブ目指して活動中です。皆様のご支援・ご協力を何卒よろしくお願い申し上げます。
2024年12月8日(日)
■13:0013:30 被爆者のお話
上田紘治さん(3才の時 広島で被爆・八王子在住)
■「いのちの音色」ライブ♪13:30~15:00
♪中村里美(歌と語り)♪伊藤茂利(ギターと語り)
参加費:無 料 ※活動支援募金へのご協力をお願い致します
会 場 :アミダステーション
京王八王子駅西出口から徒歩約2分
<東京都八王子市東町3−4>
■申込先「いのちの音色」ライブ♪
https://musevoice.com/live/
当日参加もOK!※満席の場合は入場できない場合もございますので あらかじめのご予約をお勧めします。
E-mail info@musevoice.com E-mail crosscultureplaza@yahoo.co.jp
TEL 090-6197-5354 (上田) 070-5568-8204 FAX: 042-810-1100
2024年11月02日
歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える 「いのちの音色」ライブ公演
次回で276回を迎える
歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える
「いのちの音色」ライブ♪
「いのちの音色」ライブ公演は、ヒロシマ・ナガサキの被爆者の体験とメッセージを世界に伝える活動の中から生まれた歌やトークと被爆者の方々の体験の朗読で構成されているライブ公演です。
弊社ミューズの里を設立した 2008年8月6日の夜からスタートしたこのライブ活動も 今年で16年目となります。ライブ活動に集中できたのは、最初の数年で、その後に映画製作をスタートしてからは、目の前が真っ白になることの連発で、それを一つ一つ乗り越えることに使う労力が凄まじく大きくて、正直音楽活動に集中できることはありませんでした。今もその状況はまったく変わりませんが、残された人生で何をやり遂げていきたいかをしげ兄(伊藤茂利)さんと一緒に考えながら、当初の目標だった1000回ライブは絶対に達成したい!と改めて強く思っています。
通常は100分~120分公演ですが、歌だけやトークだけの出演やネット配信も含めて、ギタリストのしげ兄さんと共に新たな気持ちで1000回ライブを目指してこの秋からまた再スタートしてまいります。どうぞよろしくお願い申し上げます🙏
歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える
「いのちの音色」ライブ公演♪
https://musevoice.com/live/
歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える
「いのちの音色」ライブ♪
「いのちの音色」ライブ公演は、ヒロシマ・ナガサキの被爆者の体験とメッセージを世界に伝える活動の中から生まれた歌やトークと被爆者の方々の体験の朗読で構成されているライブ公演です。
弊社ミューズの里を設立した 2008年8月6日の夜からスタートしたこのライブ活動も 今年で16年目となります。ライブ活動に集中できたのは、最初の数年で、その後に映画製作をスタートしてからは、目の前が真っ白になることの連発で、それを一つ一つ乗り越えることに使う労力が凄まじく大きくて、正直音楽活動に集中できることはありませんでした。今もその状況はまったく変わりませんが、残された人生で何をやり遂げていきたいかをしげ兄(伊藤茂利)さんと一緒に考えながら、当初の目標だった1000回ライブは絶対に達成したい!と改めて強く思っています。
通常は100分~120分公演ですが、歌だけやトークだけの出演やネット配信も含めて、ギタリストのしげ兄さんと共に新たな気持ちで1000回ライブを目指してこの秋からまた再スタートしてまいります。どうぞよろしくお願い申し上げます🙏
歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える
「いのちの音色」ライブ公演♪
https://musevoice.com/live/
MOTHER すべての命への愛と感謝をこめて〜♬
11月16日に広島弁護士会館で開催される 「日本反核法律家協会30周年記念イベント」に、トークリレーとライブで伺わせていただく予定ですが、初製作した映画『アオギリにたくして』で母親役でご出演くださった女優の斉藤とも子さんもいらっしゃるとお聞きして、久々にお会いできることを心より楽しみにしています。
Facebookから流れてきた
昔の投稿「MOTHER」を聴きながら
映画製作の頃が懐かしく思い出されます。
▲作曲・ギター:伊藤茂利/作詞・歌:中村里美
お世話になった被爆者の方々が年々亡くなっていかれる中で、2008年にスタートした歌と語りで被爆者の方々の体験とメッセージを伝える「いのちの音色」ライブ活動の中で歌い奏でてきた「MOTHER」は、映画『アオギリにたくして』の挿入曲ともなっています。斉藤とも子さんが演じる母親役の気持ちに寄り添って劇中に流れている挿入曲です(劇中では楽器のみの演奏)
この映画のモデルとなった故沼田鈴子さんの87才のお誕生会が、2010年夏に広島国際会議場フェニックスホールで開催されたピースイベント中で行われました。ギタリストの伊藤茂利さんと共にご招待いただき「アオギリにたくして」「MOTHER」の2曲をプレゼントさせていただきました。その翌年、米寿のお誕生日を目前に沼田さんは天に召されました。
▲故沼田鈴子さんの87歳のお誕生日ライブにて
「地球に母性を…!」
昔、米国のネバダの砂漠の核実験場の前で沼田鈴子さんが出演された原爆記録映画「にんげんをかえせ」を上映した時、心に傷をおった女性たちが映画を見に参加されていました。暴力と破壊ではなく、命を生み育む平和な世界をつくるために、女性たちは地球を傷つけ続ける核実験に反対していました。ヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々のメッセージは、彼女たちの心にもしっかりと届いていました。
「MOTHER」は、すべての命への愛と感謝をこめてつくった歌です。これからも「いのちの音色」ライブで、歌い継いでいきたいと思います。
2024年11月01日
映画『かけはし』鑑賞後記と李秀賢さんへの思い
世田谷で先月開催された「平和を望む会」主催による
ドキュメンタリー映画『かけはし』上映会では
皆様に大変お世話になり本当にありがとうございました。
⏬かけはし公式サイト
https://kakehashi-movie.net
ご来場くださった皆様からの様々な反響に
共感の場づくりをしていくことの大切さを
改めて深く感じました。
小さな映画の小さな上映活動ではありますが
その一つ一つに想いを込めて継続している私たちにとって
大変大きな励みとなりました。
直前に掲載された新聞を目にされ
上野創記者の記事を見てご来場された方から
後日、鑑賞後記と李秀賢さんへの思いが綴られたメールをいただきました。
拝見させていただき大変感動致しました。
苦労の多い映画づくりや上映活動の中で
この映画をつくって本当に良かったと
心から感じた瞬間でもありました。
是非皆様にシェアさせていただきたいと思い
ご本人様の了解を得て 下記にシェアさせていただきます。
あたたかな心のこもった文をいただき
心より深く感謝申し上げます。
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本日は私にとってとても大切な機会を作ってくださり、本当にありがとうございました。「人と人との交流こそが平和の礎」との趣旨、私も常にそう思っていました。劇中、日本の青年が「心に国境を作っていないか」という問いはまさに至言だったと思います。国境を「差別」とも言い換えられるでしょう。私たちは知らず知らずのうちに、そのような壁を自分自身に築き、その理由を他者に求める。韓国の若者が日本の教科書を買い求めた姿は、他者の背景を含めて知る事で初めて相互に橋をかけられるのだという視点であり、まさに我々日本人に足りなかったことと自省いたしました。
私は、世論として嫌韓感情が高まる時、また自分の中でもその気持ちが沸き起こってくる時に、李秀賢さんのことを思い出します。人は自分が属する集団に帰依する時、マスイメージという化け物に支配されてしまいます。それに対する戒め、人間であることそのものに立ち返ってみよう、そうすればそこに国家人種民族出自の違いはない、ということ。古来地球上の様々なところで様々な争いの歴史があった。その時代ののっぴきならない力学があった。そこに不幸があった。だがそこに拘泥するのではなく、明日を作り上げよう、力を合わせることができる。李秀賢さんのメッセージはそのようなものであったと確信しています。
そうした李さんのメッセージを常に思っていましたが、私にとってはそうした日韓親善以前に、もっと深い意味を持って、故にずっと心の奥底で棘のように思っていたことがありました。 事件当日のことは忘れられません。私は(もう現場を離れてだいぶ経ちますが)新聞記者で、当時警視庁担当でした。あの夜は多忙な合間を縫って、他社の記者と新大久保で飲み会をしていました。盛り上がってきたところで1人の携帯が鳴り「酔っ払いが駅ホームから落ちてはねられる事故があったから、現場に行け」との指示がありました。事故の担当ではない記者も私の他にもいましたが、一人が「現場行ってくる」と抜けたことで、飲み続けるムードでもなくなり、飲み会はお開きになりました。私は「やれやれ、なんと迷惑な酔っ払いなんだ」と思いながら帰宅しました。
その翌朝のニュースで、李さんと日本人カメラマン関根さんがホームに落ちた人を救出しようとして亡くなっていたことを知りました。私は自分を猛烈に恥じました。異国の地で信念に基づき命と引き換えに高潔な行いを厭わなかった人に比べ、自分の何と情けないことか、と。そんな思いがずっと心のどこかに棘のように刺さっていました。
事故の翌年、福岡に転勤になりました。それまで私は特段韓国に関心があったわけでもありませんでしたし、むしろ時折疎ましい思いがあったことは白状しなくてはなりません。そんな私が様々なご縁を得て、福岡と韓国、なかんずく釜山とのビジネス交流を多く記事にしました。仕事でソウル〜釜山に行ったほか、取材で知り合った方を訪ねて家族を連れて行ったこともありました。そこでの出会いや体験したことから、私は、祖国の文化に対してと同じように、韓国の伝統文化にとても敬意を持つようになりました。
一方で、先ほど申し上げた心の棘は、時折思い出すとまるで遠くで降る雨が近づいてくるような気持ちになりました。信念で生きているか? という問い。私がそれに常にがえんずることができていたかどうか。そうした問いから私が長く時間をかけてたどり着いたのが、「心の声に背かない」という、当たり前のことでした。
そうした中での今回の鑑賞でした。その感想は冒頭に申し上げたとして、私は辛さんにお目にかかり握手をすることで、私が自らに感じ続けてきた棘について「そんなものはないのよ」とおっしゃったように感じました。地球上で最も大きな悲しみ、それは我が子を失った母親の気持ちだそうです。そんな人が前を向いて歩んでこられた。私も子を持っていればこそ、なおのことその覚悟に打たれました。
上映会の後、怪我をして入院している義母を見舞いに新宿の病院に立ち寄って、さあ帰ろうとGoogleマップでルート検索したところ、指示されたのはいつもの新宿駅ではなく、新大久保駅でした。私はあのホームから帰路につきました。この偶然こそ、もしかしたら「覚悟新たにせよ」との天の計らいだったのかもしれません。
歴史上、激動の時代には必ずメッセンジャーの役割を持った人が現れてきました。キリストは言わずもがな、近代でもガンジーやJFK、マーティンルーサーキング牧師、ジョン・レノンなど、彼らは例外なく、自分の命と引き換えにその時代の人々に大いなる気づきを与えてきました。李さんももしかしたらそのようなお役目を持ってこの世に来られたのかもしれない、と思っています。
(匿名/50代 男性)