2024年07月16日
痛々しく見えた都知事選 〜人間の実相を見つめながら〜
日々生きることに精一杯で
余裕のない中からかいま見える
今回の都知事選は、少し痛々しくも思えた。
政策論戦も公開討論もほとんどないまま
選挙の後に一斉に始まったテレビの選挙報道。
投票が終わってから 都知事選があったことを初めて知った人もいたかもしれないとさえ思えた。
ジャーナリズムや民主主義が成熟しないまま
分断とレトリックが渦巻き
加速するメディアや政治のエンタメ化は
次世代に何をもたらすのだろう。
ずいぶん昔のまだ若かった時
小さなベンチャー企業で
営業や流通・企画制作のチーフを兼任していた頃
社長がミーティングでよく言っていた言葉が
なぜだかふと思い出された。
「今時の若者は、実年齢より10年差し引いた年齢だと思って接すればちょうどいい。一を聞いて十を知るどころか、一さえも分かってない。だから、傷つくぐらい相手の心に突き刺さる言葉を選んで投げかけないと伝わらないんだよ」
経営者とて同じ人間。冷血で血も涙もないわけでもない。社員の給料を上げて喜ばせたいとだって思っている。調子がいい時は、誰だって優しくもいい人にもなれる。しかし状況が悪くなった時、人として問われる。
会社を維持していくことが難しくなると、相手の心を突き刺すような言葉と共に、負け組と勝ち組に分けて差別化し、競争心を煽りながら生き残るために手段を選ばなくなっていった。嘘が罪悪感もなくまかり通るようになり、たとえ一時的に数字の上での結果が出たとしても、パワハラが加速していく先に起きるであろうことを予想できずにいる。それ程までに、小さな会社が生き残っていくことは厳しいという現実もひしひしと感じた。
根本的な考え方の違いから
私は会社を辞めて独立した。
振り返って今思う。社員以上に追い詰められていたのは、誰よりもリスクを背負っている社長自身だったのかもしれないと。きっと今なら違う接し方と提案の仕方ができたかもしれない。当時の私は、違う形で結果を必死に出しながら社長のやり方に反対することに精一杯だった。反面教師としてたくさん学んだあの時の過酷で厳しい現実を体験しなければ、今の私もないと率直に思う。
人々が政治に関心を持たず 不正や嘘に憤らないのは、政治家を選ぶ側である自分たちの生きる場に はびこっている不条理や不正義や意地悪さで心がすさみ、麻痺しているからなのかもしれないと思う時がある。
SNSは 怒りや愚痴や欲で溢れている。
もちろん素晴らしい点もあるが、カオスのようにも見える。
交わることのない対話の中で
相手を同じ人間と思えない感情が
分断や対立を煽り、暴力的なアプローチが生み出されていく。
人間の実相をしっかりと直視した上で
生み出される暴力や憎悪の連鎖を
どうすれば止めることができるのだろう。
21世紀はこころの時代と言われて久しいが
本当の心の豊かさとは何か
今一度自らの心を見つめながら
どんな時も平和と希望を心に抱いて
生きていきたいと改めて思う。