2024年03月18日
38年ぶり。16mmプロジェクターの映像で鑑賞する「にんげんをかえせ」
アオギリの語り部と呼ばれた沼田鈴子さんが被爆体験を語り始めるきっかけとなった原爆映画『にんげんをかえせ』上映&トークが、西東京市ひばりが丘公民館で上映されました。
16mmプロジェクターで上映される『にんげんをかえせ』(20分)を見たのは、38年ぶりのことでした。
上映後のトークでは、哲学者で平和学者のレイスロップ教授ご夫妻と北浦葉子さんが始めた草の根の日米協力民間プロジェクト「ネバー・アゲイン・キャンペーン」第一期生としてこの映画を持参して単身渡米し、アラスカ ・オレゴン・ネバダ・オハイオ・ニューヨークなどで約1年間の上映活動をさせていただいた22歳の時の体験についてを中心にお話しさせていただきました。
渡米前の38年前、被爆体験を聞かせてくださった映画『にんげんをかえせ』に出演されている被爆者の方々は、すでにお亡くなりになっています。
あの頃のことが、リアルに思い出され…
自分でもなぜ泣いているのかよくわからないけれど、お話ししながら涙が流れ出はじめ、なかなか止まらなくなってしまいました。
アオギリの語り部と呼ばれた広島の被爆者 沼田鈴子さんの前半生をモデルに、2013年に初プロデュース映画「アオギリにたくして」を製作しましたが、その沼田さんが体験を語り始めるきっかけとなったのが10フィート運動で生まれたこの映画「にんげんをかえせ」でした。
※10フィート運動
米国立公文書館に死蔵されていた85,000フィートに及ぶ「原爆の効果を測定するために撮影された米軍記録映像」を、1980年代に一人10フィート分(約3000円)の募金を集め買い戻した草の根運動。買い戻された記録映像は再編集され、「にんげんをかえせ」「予言」「歴史」3部作として上映された。
沼田鈴子さん(享年87歳)は、結婚式を3日後に控えた22歳で被爆し、麻酔薬もないまま左脚を切断しました。
映画「にんげんをかえせ」の中に映し出される原爆投下後の映像の中に、左足を切断した後の沼田さんの大腿部の傷口の映像があります。
その映像の中で、沼田鈴子さんが着ておられた着物は、結婚式のためにお母様が大切にしまっておられたものでした。
米軍が記録した映像を初めて見たときの沼田鈴子さんの気持ちを思いながら…
その後ずっと語れずにいた年月を経て語り部となり、最後まで平和の種をまき続けた沼田さんの姿を思い起こしながら…
生涯ずっと、この映画を全世界の人々に見ていただくために、そのために一生をついやしても意味があると感じながら、上映行脚をしていた22歳の頃…。初めて被爆者の方にお会いした時のことなど様々な思い出がよみがえり、何もできていない自分自身が悲しくもあり… 涙が溢れてしまったのかもしれません。
上映とトークの後には、共に映画づくりをしているギタリストの伊藤茂利さんもきてくださり、「ネバーアゲイン」「平和を」の2曲を歌い演奏させていただきました。
福島出身で早稲田大学院生の平野叶大さんによる「住民パワーによる原水禁署名運動の誕生」のお話も大変勉強になりました。平野さんは、原発事故や公害など生活を脅かす様々な環境問題、及びそうした問題に直面した住民の、不条理への対抗としての学習や運動の展開過程に関心を持ち、卒業論文では足尾銅山鉱毒事件と旧谷中村のあった渡良瀬遊水地の歴史について、大学院では東京都杉並区で展開された原水爆禁止署名運動の展開と背景にあって公民館での学習活動の記録分析研究をされています。これからの未来をつくる若い平野さんの存在に希望を感じながら、お会いできて大変嬉しかったです。
会場には、広島平和記念資料館主催の「次世代と描く原爆の絵プロジェクト」にて、被爆者の方から体験を聞いた広島の高校生が描いた原爆の絵の中から、原水爆禁止西東京協議会の皆さんが複製画にされたものが展示されていました。若い世代が被爆者の方々の思いをこうして受け継いで取り組んでおられる素晴らしさに感動いたしました。
ご来場くださった皆様、本当にありがとうございました。この度の上映会を企画してくださった西東京市「ひばりが丘公民館」の鈴木様はじめ皆様に心より深く感謝致します。
自分にとっての原点を今一度見つめ直す大切な時間となりました。
2024年03月10日
ひばりが丘公民館「にんげんをかえせ」上映とトーク
西東京市の「ひばりが丘公民館」集会室にて、
ドキュメンタリー映画「にんげんをかえせ」上映後に
お話しさせていただきます(3月16日)
38年前、平和学のレイスロップ教授ご夫妻と教師の北浦葉子さんが提唱した
ネバーアゲインキャンペーン第一期生として約1年間単身渡米し
アラスカ ・オレゴン・オハイオ・ネバダ・ニューヨークなどの
学校や教会などで、日本文化紹介と共に「にんげんをかえせ 」などの
原爆映画を上映する体験をさせていただきました。
1年間に約280回のプレゼンテーションの中で
16ミリ映写機のスイッチを押すたび
何度観ても、心が震え体中が緊張しました。
アンカレジのある高校では
「にんげんをかえせ」上映に向けて
歴史の先生によって意見が異なったため
親の許可書を得た上で
この映画を是非上映したいと思う先生の授業でだけ
上映することになりました。
「にんげんをかえせ」を観た生徒が
まだ観ていない生徒たちに
「絶対にこの映画を見なくちゃダメだよ」
と声をかけ、先生を説得して見にきてくれたり
その後も先生に許可を得て手伝ってくれました。
中学生以上は「にんげんをかえせ」を
小学生は「ピカドン」というアニメを上映することになっていたのですが、
ある時、アラスカ の北極圏に近いフェアバンクスという街の
5年生の担任の先生から次のようなお言葉をいただきました。
「このクラスでは、これまでたくさんの平和学習をしてきました。
生徒たちはしっかりと「にんげんをかえせ」を受け止めることができるはずです。
日頃からこどもたちは、どれほど残虐で酷い映像をテレビやゲーム、映画などで見ていることでしょう。
ヒロシマ・ナガサキで起きたことは事実なのです。私たちはしっかりとそれを受け止めて考えていくべきことなのです」
私はドキドキしながら
5年生に「にんげんをかえせ」を上映しました。
上映後、こどもたち一人一人が平和をつくるために
折り鶴をつくったり
被爆者のメッセージを友達に伝えたり
図書館でヒロシマ ・ナガサキの本を読み始め
大統領に手紙を書いたりなど
自分にできることを考えて実行していく姿に
たくさんの勇気と希望をもらいました。
13年前に初めて製作した映画「アオギリにたくして」は
「にんげんをかえせ」の中で証言されている
被爆者の沼田鈴子さんをモデルに描いた劇映画ですが
この映画も、あの体験なしに生まれることはありませんでした。
いろんなことが思い出されます。
3月16日、久しぶりに「ひばりが丘公民館」にて
映画「にんげんをかえせ」を鑑賞させていただき
その後、お話しさせていただきます。
早稲田大学院政の平野叶大さんのお話もとっても楽しみです。
皆様、宜しくお願い申し上げます。
2024年03月08日
Love is the best medicine.「最良の薬は愛」
弊社ミューズの里のしげ兄(伊藤)さんを
応援してくださっている皆様に
改めて心より深く感謝申し上げます。
昨年より、しげ兄さんのがん再発の疑いが出て
結果が分かるまでの間…今までになく長い冬でした。
先行きの見えないコロナ禍の混乱を
なんとか乗り越えて
広島から活動再開した途端
長年の疲れが一気に出て
私自身も体調をくずしていたこともあり
なかなかすぐにご報告できないままでした。
2月末にしげ兄さんのPET検査結果が分かり
来月から抗がん剤治療がまた始まります。
覚悟はしていても
一度は画像からがんが消えていただけに
なんとも言葉にならないショックが体を直撃し
心が滅入っていましたが
前に向かってもう一度
乗り越えていく気力が蘇っています。
抗がん剤治療については、信頼する主治医の勝俣範之先生に全てお任せしながら、私たちに出来ることは、本人の生きようとする力を何より大切にしながら、皆で共に歩んでいくことだと思っています。
これまでにも、皆様からのあたたかな励ましやご支援、ご協力にどれ程生きる力をいただいてきたことでしょう。
しげ兄を応援してくださる皆様の姿に
Love is the best medicine.
「最良の薬は愛」
そう深く、強く、感じています。
本人の気持ちを何より大切に
一番やりたいことを無理のないように続けながら
志を果たしていけるよう
スタッフ一同力を合わせて
日々への感謝と共に
前に進んでまいります。
しげ兄さんが元気になるようにと
応援し祈ってくださっている皆様に
心より深く感謝申し上げます。
これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。
※現在制作中のドキュメンタリー映画「いのちの音色」につきましては、プロデューサーのしげ兄さんの体調を考慮しながらスケジュール調整しつつ、今年中に完成していく予定で全力を尽くしてまいりたいと存じます。引き続き皆様のご支援ご鞭撻を何卒よろしくお願い申し上げます。
応援してくださっている皆様に
改めて心より深く感謝申し上げます。
昨年より、しげ兄さんのがん再発の疑いが出て
結果が分かるまでの間…今までになく長い冬でした。
先行きの見えないコロナ禍の混乱を
なんとか乗り越えて
広島から活動再開した途端
長年の疲れが一気に出て
私自身も体調をくずしていたこともあり
なかなかすぐにご報告できないままでした。
2月末にしげ兄さんのPET検査結果が分かり
来月から抗がん剤治療がまた始まります。
覚悟はしていても
一度は画像からがんが消えていただけに
なんとも言葉にならないショックが体を直撃し
心が滅入っていましたが
前に向かってもう一度
乗り越えていく気力が蘇っています。
抗がん剤治療については、信頼する主治医の勝俣範之先生に全てお任せしながら、私たちに出来ることは、本人の生きようとする力を何より大切にしながら、皆で共に歩んでいくことだと思っています。
これまでにも、皆様からのあたたかな励ましやご支援、ご協力にどれ程生きる力をいただいてきたことでしょう。
しげ兄を応援してくださる皆様の姿に
Love is the best medicine.
「最良の薬は愛」
そう深く、強く、感じています。
本人の気持ちを何より大切に
一番やりたいことを無理のないように続けながら
志を果たしていけるよう
スタッフ一同力を合わせて
日々への感謝と共に
前に進んでまいります。
しげ兄さんが元気になるようにと
応援し祈ってくださっている皆様に
心より深く感謝申し上げます。
これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。
※現在制作中のドキュメンタリー映画「いのちの音色」につきましては、プロデューサーのしげ兄さんの体調を考慮しながらスケジュール調整しつつ、今年中に完成していく予定で全力を尽くしてまいりたいと存じます。引き続き皆様のご支援ご鞭撻を何卒よろしくお願い申し上げます。
2024年03月05日
還暦の赤いワンピース
いつも応援いただいている
大分県日田の梶原宜子先生から
手作りのとっても素敵な
赤いワンピースが届きました。
7歳の時以来の晴れ着😀
本当にありがとうございます💓
仕事の合間に着替えて
記念撮影🎶
60年目の3月4日
還暦を迎えました。
これまで誕生日を意識することが
ありませんでしたが
今回は少し特別な気持ちです。
小さな頃、60歳といったら
立派な大人になっていると
思っていたのですが…
実際は年ばかりとって
体が老化していくだけで
結局、中身は変わらないままなんだぁ…
と、なんとも言えない気持です。
今の人たちはみんな誕生日を
祝う習慣があるようですが
そもそもいつから誕生日を
祝うようになったのだろう?
と、不思議に思い調べてみました。
昔は「数え年」で年齢を数え
お正月が来るとみんな一斉に年を重ねていたため、
個人の誕生日を特別に祝う習慣がなかったのだそうです。
誕生日を祝う習慣が日本にできたのは、
戦後、誕生日に関する法律が制定され
満年齢での数え方が普及し始めた
昭和24年以降だろうと言われているようです。
それにしてもようやく少しずつ
世の中について、人間について、自分についてわかりかけてきたと思ったら…もう60歳!
「なんということでしょう…」
というのが正直な感想ではあります。
でも自分なりに精一杯
不器用だけど一生懸命に
後悔のない人生を
生きてきました。
生まれてから今日まで
出会いをいただいた
全ての皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。
これまでお世話になり
本当にありがとうございました。
誰にとっても
今日という日は
残された人生の
最初の日!
毎日を新鮮な気持ちで
ここからまた
出発していきます。
2024年03月04日
高明監督の映画作品「スポットライトを当ててくれ!」
真っ直ぐに生きて、傷ついている人へ
高明監督が描く映画作品
『スポットライトを当ててくれ!』
渋谷ユーロスペースでは連日満席!延長上映中!
刈谷日劇でも上映がスタートしています。
映画の世界で愚直に生きてきた
高明監督のピュアな魂と深い優しさが滲み出ている作品です。
先日、渋谷ユーロスペースにて鑑賞させていただきました。
舞台挨拶では、映画人生をかけてつくり上げた高明監督の熱い思いが伝わってきました。
映画に夢を託し、その夢に絶望しそうになっていた時、私は高明監督と山本優子さんと出会いました。現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』でも大変お世話になりました。お二人にどれ程心を救っていただき、勇気をいただいたことでしょう。心より感謝いたします。
▲高明監督
「スポットライトを当ててくれ!」は、映画の世界の中で天国も地獄も垣間見てきたであろう高明監督が、それでも失ってはいけない大切なものをしっかりと胸に抱いて生きてきたからこそ生まれた作品だと思います。
皆様、是非!
応援よろしくお願いします!!