2024年02月24日
感謝の日々
オフィスのドアの前に立つ度に
いつも眺めています。
木村巴画伯が
自然の恵みで作ってくださったリースを
ミューズの里のドアにかけてくださり
ホントに素敵で!!見る度に感激です!!
「まるでお金持ちの家のドアみたいだねぇ〜」
と喜ぶしげ兄さん。
「癒される〜」っと、
スタッフや訪れたみなさんが
幸せな気持ちになります。
木村画伯がFBの
コメント欄で教えてくださった
素材の名前は以下の植物だそうです。
「アオギリの顎、ツルボ、ヘクソカズラ(可哀想な名前なのですがとても可愛い花をつけ、黄金色のみがなります)アナベル、スモークツリー、メタセコイアの実、ヤシャブシの実、アグロテンマ、カスミソウ、野薔薇の実、白山吹の実、エドノハナビ、カサブランカの実、稲科の葉(よくわかりません)、小野路の山で見つけたよくわからない植物(研究の余地あり)以上です。蔓は山藤です」
なんて素敵なんでしょう〜!!
木村画伯の描く絵から
伝わってくるあの感動は
木村画伯の眼差しが、
生き方が、そこに現れ
芸術を生み出しているからなのだと
改めて深くそう感じます。
足もとにもおよびませんが
我々ミューズの里も
そうありたいと強く思います。
制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』も
3月から、いよいよ再編集にとりかかります。
お陰様で、やっと体調が戻ってきました。
全力を尽くしながら一生懸命に
日々を生きていきたいと思います。
山も川も私も みんな繋がっていたあの頃…
地球環境が悪化し、さまざまな災害が世界中で発生していく中で… 今、私たち一人ひとりにできることは何だろう?
日々のニュースから伝わる恐ろしい災害の映像を見ながら、もう手遅れかもしれない… 絶望的な気持ちになりかけていた時、建築家の丸谷博男先生が企画された映画「森のめぐみ」の映像制作に携わらせていただきました。里山と共に地球共生を探求するエネルギッシュな丸谷先生の様々な活動に、ただ地球の未来を案じているだけではなく、私たちも出来ることをしなければ!と改めて深く考えさせられる日々でした。
身近にある日本の山に目を向けることで、そこから見えてくるたくさんの気づきがあります。取材・撮影させていただいた山と共に生きる方々の姿は、地球を守るたくさんの知恵に溢れていました。これまで見過ごされ、見ようとしてこなかった本当に大切なことを自ら考えて実践していく。一人ひとりに出来るたくさんのことがあることを山が教えてくれていると改めて感じました。
私自身…中学生になる頃まで、学校から帰ったら友達と遊ぶ時間もないほど、毎日一人で山を駆け回っていました。
北海道大学で生物学を学び、福井で旧制中学校の校長先生をしていた明治生まれの母方の祖父が、老後に自給自足を夢見てこどもたちの暮らす東京でつくった小さな家の目の前には、祖父が耕す畑が広がっていました。畑の回りの、梅・すもも・ざくろ・柿・栗などの木々に季節を感じながら、実がなるのが楽しみでした。
一度も声を荒げたことのない物静かで思慮深く優しい祖父でしたが、畑や実のなる木以外には興味がなかったのか、祖母が大切に育てている花を雑草と間違えて引っこ抜いてよく怒られていました。二人が喧嘩するのは、そんな時だけでした。わざわざ植えて育てる花には全く興味のなかった祖父ですが、雑草の名前だけはよく知っていて教えてくれました。
小学校に入り、学校の授業がよく分からなかった私に勉強を教えてくれたのは祖父でした。インクの瓶に万年筆の先をつけてゆっくりと文字を書きながら教えてくれる祖父のペン先を見ることが楽しみで、毎日30分祖父と一緒に勉強するうちに勉強が楽しくなりました。
畑へと続く家の目の前の土手に広がる芝桜が一面に咲き始める頃、いろんな種類の蝶々が飛び始め、小さな頃の私にとって、そこは天国でした。
家の前の畑の先に広がる森の中を歩いていくと現れる田んぼの畦道をトコトコ歩き、さらに広がる森の中を約1時間以上歩いた先に、幼なじみの佐和ちゃんの家がありました。佐和ちゃんとは同じ小学校で、中学の時に一緒に受験をして同じ中学・高校・短大に進み今も一緒!ミューズの里の経理をしてくれいます。
それにしても…今では小さなこどもが誰もいない山を一人で歩いていること自体が問題になってしまう?! そんな世の中なのかもしれません…
毎日がアースデーで
森の中で生きていた
小さな頃
崖から転げ落ちて
痛かった時もあったけど、
いっぱい発見があって
楽しかったあの頃
山も川も私もみんな
一つにつながっていたあの頃
そんなあの頃を
映画「森のめぐみ」をつくりながら
思い出していました。
森の中にあったお気に入りの場所は、木々に囲まれた草原のような場所で、風が吹くと木が大きく揺れて子守唄が聞こえてくる私しか知らない場所でした。嫌なことがあったり悲しい時、いつも私を救ってくれた場所でもありました。
いつだったか大人になってずいぶん久しぶりに、その場所を訪れたことがあります。大切だったその場所は、跡形もなくアスファルトの下に埋れていました。その時につくった歌「秘密の場所」をふと口づさみながら、いろんな思いが蘇ってきます。
仕事に追われる毎日の中で…
今、まだある身短かな自然を大切にしながら、山や川や海や野に咲く花と触れ合う時間をもう一度つくりながら、作品づくりを続けていこうと思います。