2023年08月26日
「伝えたい想い アオギリにたくして」会長の山内智子さんから会報誌が届きました!
2019年に「いのちの音色」ライブと映画上映で大変お世話になった長野県・高森町では、これを機会に「被爆アオギリ3世を育てよう!」の声が広がり、2020年3月に「伝えたい想い アオギリにたくして」が発足され、町民・行政が一体となり活動を進めておられます。
高森町の皆様の平和づくりの姿に
いつも希望をいただいています。
この会の会長をされている
被爆3世の山内智子さんから
8月6日発行の会報誌が届きました。
誌面を読みながら
皆様の平和を愛する心が
ひしひしと伝わってきます。
平和の種が高森から日本全国
そして世界に広がっていきますように🙏
Seeds of Hope & Peace!
衰えてきた集中力を高めながら…
編集室のクーラーが故障して
しばらく止まっていましたが、
オフィスの大家さんが
新しいものに入れ替えてくださり
なんとありがたいことでしょう!!
心より感謝感謝です!!
広報スタッフの
宝ちゃんと命くんも
一番涼しい場所を陣取っています🤣
疲れやすいなぁ〜と思っていたら
暑さだけではなく
目の視力もさらに落ちていて…
よく見えていなかったようです。
なるべくSNSやネットなどの画面は
見ないようにはしていたのですが…(><)
以前よりさらに見えなくなってることに
気がつかないままでした。
検眼したところ
遠近両方の視力が
かなり落ちているので
久々にメガネ屋さんへ!
メガネをかけると頭が痛くなるタイプで
コンタクトも苦手…
しばらく文字を読んでいませんでしたが
でも〜資料も山積みなので…
遠近両用メガネをつくってもらいました。
来週やっと出来上がってきますが
これで解決するのか…
衰えてくる集中力を高めるために
あれこれメンテナンスが必要な年齢になってきました。
やりかけている仕事が山積みの中
これまで通りにはいかないことが多々ある中で
新たな形を模索しながらの日々です。
お陰様で心配されていた
スタッフの佐和ちゃんの
癌の再検査は問題なく
本人もホッとしています。
しげ兄の今回の抗がん剤治療もあともうすこし!
その後、3週間はお休みに入るので、
その間に引き続き映画「いのちの音色」編集に入ります。
ファイト!!
2023年08月24日
植樹から1年!児童養護施設「光の園」の被爆アオギリ2世が元気に育っています。
児童養護施設「光の園」にて
別府市で初となる
被爆アオギリ2世の植樹が
昨年行われました。
🍀光の園での被爆アオギリ2世植樹
https://nakamurasatomi.seesaa.net/article/491002004.html
別府市役所におられた時から
ずっと応援してくださっている
伊藤慶典様のご尽力で実現し、
松永忠施設長に大変お世話になりました。
改めて心より深く感謝もうしあげます。
映画「アオギリにたくして」上映後には
こどもたちが素敵な歌声をプレゼントしてくださり、
その後みんなで園の門のところに
被爆アオギリ2世を植樹しました。
あれから一年!
しっかりと根付いて
元気に成長している
被爆アオギリ2世の写真を
伊藤慶典様が送ってくださいました。
とっても嬉しいです!!
ありがとうございます。
この夏は、映画制作に追われ伺えず残念でしたが、
来年こそは、別府ブルーバード劇場にて
第3作目「いのちの音色」を上映していただけるよう
スタッフ一同全力を尽くします。
光の園のこどもたちと
被爆アオギリ2世との再会を楽しみに
日々がんばります!!
2023年08月21日
和歌山の高校で元気に育つ被爆アオギリ2世のご報告
2023年08月17日
秋田県映画センター・吉田幸雄さん「映画と戦争と平和〜最後の空襲地から〜」
秋田での上映でお世話になっている
秋田県映画センターの吉田幸雄さんがご執筆された
「映画と戦争と平和〜最後の空襲地から〜」
をシェアさせていただきます。
「自分でできることをしようと思う」
という吉田さんのお言葉に
深く同感いたします。
現在制作中のドキュメンタリー映画「いのちの音色」でも
吉田さんにお父様の戦時中の体験を
お話しいただき大変お世話になりました。
改めて心より感謝申し上げます。
🍀 🍀 🍀
映画と戦争と平和
(最後の空襲地から)
文:吉田幸雄
秋田市土崎港生まれの私は、8月14日が近づくにつれてさまざまなことを思い起こす。
子どもの頃の祖母の口癖。なにかあると、「コンドセンソオギダラ、イッショニイデ、シヌノハイッショダ」。私は、「シヌノハ、ンタナァ」と思っていた。
私が二十歳になるまで言わなかったという父の言葉。「アノドギ、オレハマッテイダンダ」。父によると、徴兵検査に行ったら「丙種合格」。父は身体は頑強であったが、子どもの頃のけがが原因で右手人差し指の第一関節欠損。天皇陛下が賜る鉄砲を撃つことができないと落伍者の烙印を押されたという。差別や蔑みがあり、屈辱だったという。空襲が始まり、皆が防空壕などに避難する中、「アノバグダンデヤラレレバ、ヘイタイニトラレダヤヅラドオナジグナレル」と屋根に上り、胡坐をかいて死ぬのを待っていたと言った。
私には戦争の実体験はないが、子どもの頃の昭和30年代は、花見に行った護国神社や千秋公園には、白装束で手や足を失った傷痍軍人が物乞いをする姿が当たり前にあって、近寄りがたい空間を作っていたし、戦争には行かなかった近所の若者衆が、これからの日本をどのようにしたらいいのかと、近くの虚空蔵尊堂の草っ原に車座に座ったり寝そべったりしながら真剣に話し合っている姿を眼にして耳に残っている。「マゲダガラ、アメリカノイウゴドキガネバイゲネンダベ」。「ソンタゴドネェ、イワネバイゲネゴドハ、イワネバイゲネンダ」。「ヤマトガシズマネデイレバ・・・」。
中学生の頃、何気なく教室の窓から「向かい浜(ムゲハマ)」を見ていると、砂煙が高く上がり、時間差で「ドオ〜ン」という鈍い音がガラス窓を震わせることがあった。自衛隊が空襲で使用された米軍の不発弾を処理する音なのだが、なんとなく日常になってしまっていた。
ある男性から直接聞いたのだが、空襲が始まってすぐ、父親が裏の小屋に連れて行き、針状のもので腕のあちらこちらを刺した。痛いと言う間もなく父親は炭俵から炭の粉を握り取って、傷ついた腕に擦りこんだという。
その男性の腕を見せてもらったが、数え切れない黒子状の刺青があり、「自分が死んだときに、父親が自分を捜す目印にしたのだろう」と言う。
これらは笑い事ではなく、現実に修羅場に遭遇すると人間は日常では考えられないことをするものだということを証明している。製油所など攻撃目標となるものがあり、一旦有事となると、このような考えられないことが世界中に無数に発生する。
78年前に終わったアジア・太平洋戦争とはなんだったのか。広島・長崎への原爆投下や東京大空襲、そして終戦前日の土崎空襲などの被害についてはそれなりに一般化しているが、日本があの戦争で何をしたのかについては、あまりにも見える化が進んでいない。
見える化の第一歩となった映画作品が、山本薩夫と亀井文夫の共同監督による映画「戦争と平和(1947年)」。主人公小柴建一(伊豆肇)は、南方へ向かう輸送船が撃沈され、中国沿岸に漂着。中国各地をこじきのように放浪する中で、戦火に追われ故郷を捨てて流れ歩く中国人の姿を繰り返し目撃する。盲目の少女が歌う、戦火の苦しみを訴え侵略者への呪詛を投げかける「流亡の曲」も聴いた。教師であった建一は、日本の戦争の真実に目覚めてゆく。戦後復員した建一が目にしたものは、東京大空襲で焦土となった東京の下町と、そこに住む建一の戦死公報を受け取り、夫の親友(池辺良)と再婚し子を成した妻(岸旗江)の姿だった・・・。
この作品は、日本国憲法制定公布記念映画として、憲法第九条の「戦争の放棄」をテーマとして占領軍の提案で製作されたもの。戦前軍の命令による国策映画「熱風」や「翼の凱歌」などの意に沿わない作品を世に出していた山本薩夫監督とドキュメンタリー監督として名を成している亀井文夫監督が、ドラマと実写を融和させ、提案者の思惑を超える画期的作品に仕上げた。
しかし占領軍の検閲で、労働者のデモシーンなど二十数ヶ所、時間にして約三十分のフィルムをカットして公開が許可されている。
監督が訴えたかった本質は、実はこのカットされた最後のシーンだったと思われる。
山本監督はこの後、朝鮮戦争の真っ最中に自身が軍隊で経験した軍国主義のリアリズムへの怒りをこめた作品「真空地帯(1952年)」を生み、ベトナム戦争中ベトナムを訪れ、長編記録映画「ベトナム(1969年)」を製作。その際米軍の姿にかつての日本軍の姿を思い起こし、反戦平和運動の総決算として、1928年の「山東出兵」から1939年の「ノモンハン事件」までの日本の大陸侵略史とその政治的、経済的、社会的背景を丸ごと映画化するとてつもないスケールの大作「戦争と人間三部作(1970〜1973年)」の構想を固め、完成させた。
山本監督は映画「マタギ」の撮影時に師弟関係にある後藤俊夫監督の応援で秋田に入ったのだが、移動係を仰せつかった製作進行の私は、車中で多くのことを教えていただいた。中でも、笑いながら、「吉田君、映画は面白くなければ映画じゃないよ」と話されたことを思い出す。
山本監督の作品で私の一番印象深いのが、「にっぽん泥棒物語(1965年)」。「映画は大衆のもの」という立場が鮮明となる山本監督の面目躍如といえる作品だ。
戦争は敵から国を守る正義の戦争として始めるが、沖縄戦や世界中の戦争を見ても軍隊は国民を守らず、戦争を遂行するためには住民の犠牲はやむをえないものと考えるのが軍隊と戦争を始める者たちの論理。また矛と盾の論理も付きまとう。
撤退されてはいるが、今後イージス・アショアが設置され、一旦有事となれば、どのような悲喜劇が生まれるのだろうか。
政治家や行政を担う者は、人をグロスで扱いがちだが、個人個人の視点で見つめることができれば、今とは違うもっと別の政策や法制度となるのだと思う。
車座で話す若者たちの中に、日本の敗戦について「トウジョウノセイデ・・・」、「グンノボウソウ・・・」という人がいて周りも同調していたが、果たしてそれだけだったのだろうかと今思う。新聞やラジオの影響力が圧倒的だったあの時代でも、何かおかしい、どうしてこんなことにと思って行動した人は確実にいたし、少しずつ段々と息苦しさを増していったはずだ。
今問題になっている年金や少子化などは、ずいぶん前から危ないと言われていたにもかかわらず、今は触れないでおこうと空気を読んで問題を先送りにしてきた結果ではないのか。イージス・アショア設置について議会や個人が意思表示をしなかったことも、少しずつ変貌してゆき、後刻取り返しがつかなくなった時に、誰かのせいにするための逃げを打っているように感じるのだが、そのような論議は、沖縄に向かう戦艦大和に乗ったばかりの乗組員たちの話し合いに思えてならない。
国連常任理事国で核超大国のロシアが、隣国のウクライナを侵略して一年半となるが、停戦のめども見えていない。世界中がキナ臭くなり、新たな戦前が完成し日本も巻き込まれようとしている今、未来を生きるまだ見ぬ子どもたちのために私たちのすべきことは何か。私たちの残すべきものは何なのかを考え、意思表明する時期と思う。
修羅場に遭遇しないように、戦争に反対するためには、あれやこれやと理由付けは要らない。自分でできることをしようと思う。
秋田市土崎港を永久に最後の空襲地とするために。
被爆アオギリ・・・元気です。
🍀 🍀 🍀
吉田さん、ありがとうございます。
吉田さんから弊社ミューズの里に送られてきた
ポポーの種も発芽して元気に成長しています🌱
またお会いできる日を楽しみにしています!
2023年08月12日
めざせ1000回!歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える「いのちの音色」ライブ♪
歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える
いのちの音色 ♪ コンサート
これまでお世話になった
ヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々の
体験とメッセージを伝えるために
2008年より1000回ライブめざして
日本全国・海外で活動を行ってきた
「いのちの音色」ライブ。
ギタリストの伊藤茂利さんと共に
再スタートしていきます!
次回で265回目を迎える「いのちの音色」ライブ♪
1000回達成まであと735回!生きてがんばります。
ライブ企画の呼びかけにご協力ください。
皆様のご支援・ご協力を何卒よろしくお願い申し上げます。
広島で被爆したひとりの女性が語り部になるまでを描き、第1回JASRAC音楽文化賞を授賞した映画『アオギリにたくして』の企画・製作・プロデューサーでシンガーソングライター中村里美とギタリスト伊藤茂利が、ヒロシマ・ナガサキの被爆者のメッセージを国内外で伝えた体験をもとに、音楽・朗読・トークで「命の大切さ」「平和を愛する心」を伝えるコンサートです。自治体、学校、公共施設や企業、NPO団体、サークル、ライブハウスなど日本全国・海外でのライブ公演活動を行っています。
歌と語り:中村里美
ギターと語り :伊藤茂利
🍀第1回JASRAC音楽文化賞
中村里美・伊藤茂利インタビュー
https://www.jasrac.or.jp/profile/culture_award/interview/aogirinitakushite_seisakuiinkai.html
🍀みんなの感想
https://musevoice.com/live/live_impressions/
🍀メディア掲載歴
https://musevoice.com/publication/media_inochi/
公演時間100分
※公演時間は、ご要望に合わせて対応させていただきます。
✉️お問合せ&お申込先
ミューズの里「いのちの音色」
E-mail: info@musevoice.com
ドキュメンタリー映画『いのちの音色』製作にも全力を尽くしてまいります。
皆様のご支援・ご協力をよろしくお願い申し上げます。
いのちの音色 ♪ コンサート
これまでお世話になった
ヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々の
体験とメッセージを伝えるために
2008年より1000回ライブめざして
日本全国・海外で活動を行ってきた
「いのちの音色」ライブ。
ギタリストの伊藤茂利さんと共に
再スタートしていきます!
次回で265回目を迎える「いのちの音色」ライブ♪
1000回達成まであと735回!生きてがんばります。
ライブ企画の呼びかけにご協力ください。
皆様のご支援・ご協力を何卒よろしくお願い申し上げます。
広島で被爆したひとりの女性が語り部になるまでを描き、第1回JASRAC音楽文化賞を授賞した映画『アオギリにたくして』の企画・製作・プロデューサーでシンガーソングライター中村里美とギタリスト伊藤茂利が、ヒロシマ・ナガサキの被爆者のメッセージを国内外で伝えた体験をもとに、音楽・朗読・トークで「命の大切さ」「平和を愛する心」を伝えるコンサートです。自治体、学校、公共施設や企業、NPO団体、サークル、ライブハウスなど日本全国・海外でのライブ公演活動を行っています。
歌と語り:中村里美
ギターと語り :伊藤茂利
🍀第1回JASRAC音楽文化賞
中村里美・伊藤茂利インタビュー
https://www.jasrac.or.jp/profile/culture_award/interview/aogirinitakushite_seisakuiinkai.html
🍀みんなの感想
https://musevoice.com/live/live_impressions/
🍀メディア掲載歴
https://musevoice.com/publication/media_inochi/
公演時間100分
※公演時間は、ご要望に合わせて対応させていただきます。
✉️お問合せ&お申込先
ミューズの里「いのちの音色」
E-mail: info@musevoice.com
ドキュメンタリー映画『いのちの音色』製作にも全力を尽くしてまいります。
皆様のご支援・ご協力をよろしくお願い申し上げます。
2023年08月09日
町田でのアオギリ上映&平和ライブ!皆様、ありがとございました〜♪
昨日は、町田市生涯学習センターの平和祈念事業の一つとして、アオギリ上映&平和ライブが開催されました。ご来場くださった皆様に心より深く感謝申し上げます。
先月アオギリ祭りを開催してくださった木村巴画伯と番井様、同じ自治会の大木様が駆けつけてくださり、心より感謝申し上げます。ご担当くださった戎谷様と内海様がとても熱心に町田の平和祈念事業を企画されていて心打たれました。大変お世話になり、本当にありがとうございました。この度のご縁を繋いでくださった牛腸哲史様に心より感謝申し上げます。
映画「ぼくはうみがみたくなりました」の映画プロデューサー・脚本家で作家の山下久仁明さんもご来場くださり、ご縁をいただき感謝でいっぱいです。何かでまたご一緒できる日を楽しみにしています。
そしてなんと!町田市のロケでもエキストラ出演してくださった加茂島竜王様が会場に〜!!久々の再会!とっても嬉しかったです!!
写真を送ってくださった作家の村田勝彦さん。いつも応援いただき本当にありがとうございます♪
木村巴画伯と川島龍子様とのステキな出会いから、
アオギリに託された想いが広がっています。
人と人の出会いの素晴らしさを感じながら
映画のモデルとなった沼田鈴子さんがモットーとされていた
「出会い・感動・発見・出発」の言葉の意味を
深くかみしめています。
「いのちの大切さ」「平和の尊さ」を伝える
めざせ1000回ライブも再開して参ります♪
🍀いのちの音色LIVE
https://musevoice.com/live/
皆様に心より感謝申し上げます。
2023年08月07日
台風で沖縄県名護・読谷での上映会が延期されました。
台風6号の猛威で公民館が閉館となり
沖縄県の名護・読谷での映画「アオギリにたくして」上映が延期されました。
2週間ほど延期して8月下旬ごろに上映会が再検討されます。
よろしくお願い申しあげます。
2023年08月06日
広島への原爆投下から78年となる8月6日
広島に原爆が投下されて78年となる今日、
改めてこれまでお世話になった
被爆者の方々の想いを伝え続けていこうと深く心に誓います。
映画『アオギリにたくして』上映と共に
歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える
「いのちの音色」ライブもこの夏より再スタートしてまいります。
今も上映活動の続く映画『アオギリにたくして』では、
37年前に出会った広島の被爆者・故沼田鈴子さんの前半生をモデルに、
あの日、キノコ雲の下におられた1人の女性が、
その後どんな思いで生きて、どんな思いで語り始めたのかを描きました。
2013年の劇場公開から10年たった今年、
改めて日本全国、そして世界に伝えていくための取り組みを再スタートしています。
また、現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』では、沼田鈴子さんの後半生の人生に触れながら、アオギリに託された想いや、日本全国・世界に被爆アオギリ2世・3世の植樹が広がる様子と共に平和の種をまく人々を描いていきます。
▼ 広島の柏原省治さんが、今日の広島平和記念公園の被爆アオギリの写真を送ってくださいました。ありがとうございます!
本日8月6日は、弊社ミューズの里の設立日でもあり
今日で設立15年を迎えました。
応援してくださっている皆様に心より感謝申し上げます。
戦争や核兵器のない世界の実現に向けて
「いのちの大切さ」「平和の尊さ」への想いを伝える媒体や場づくりを通して
国際社会の平和づくりに貢献する事業を目指し、
その初心を忘れないため、8月6日に設立しました。
会社設立の登記をした日の夜
歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える
初の「いのちの音色」ライブから「ミューズの里」がスタートしました。
あれから15年を振り返りながら‥‥
「出会い、感動、発見、出発」
をモットーとしていた被爆者・故沼田鈴子さんの
「平和は、黙ってじっと待っていてくるものではない。
一人一人の知恵、勇気と努力の行動が大切です」
という言葉の重みを
今改めて深く感じています。
これまでに出会いをいただいた
全ての皆様への感謝と共に
新たな覚悟で出発していきます。
これからも何卒よろしくお願い申し上げます。
Seeds of Hope & Peace🌱
2023年08月03日
おかげさまで。
昨日は、しげ兄さんの検査結果を聞きに
主治医の勝俣範之先生のところへ。
コロナ禍に癌が再発し
ステージ4となってからは
毎回検査のたびに、
平常心を装いながらも
本人が一番不安なことと思います。
昨日は心配もあり同行しましたが
お陰様で、今のところ問題なく
今後も抗がん剤治療は続きますが
検査結果は良好でした。
また昨日は、
他のスタッフの胃癌の検査もあり、
結果は来週です。
病気を抱えながらも
みんなで助け合って
励まし合いながら
言いたいことを言い合って
一緒に仕事できていることに
心より感謝致します。
勝俣先生より、次の検査は来年で良いとのお言葉をいただきホッとしました。いつも見守っていただき本当にありがとうございます🙏
この間になんとかドキュメンタリー映画『いのちの音色』を形にしたいと話しています。
大変なことの方が多すぎて
押しつぶされそうな時は、
手を差し伸べて助けを求めることさえできなくなったりする。
それでも生きていこう!と思える気持ち
心から生まれてくる命への感謝の思いを
見つめながら、体現しながら
みんなで力を合わせて
助け合いながら
生きていきたいと思います🌱
2023年08月01日
ドキュメンタリー映画『いのちの音色』 〜今後の予定について〜
コロナ禍前の状況には
なかなか戻れずにおりますが
この春より少しずつ様々な活動が、
ようやく再スタートし始めております。
お陰様で、ミューズの里は
この夏8月6日、創立15年目を迎えます。
今日まで来ることができたのは、
ひとえに支えてくださる皆さまのおかげです。
これまでお世話になった全ての皆さまに、
改めて心より深く感謝申し上げます。
制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』の編集がまだまだ続いております。追加撮影が必要な状況となり、この夏の完成に間に合わず大変申し訳ございません。完成の時期が分かり次第、ご報告入れさせていただきます。
コロナ禍に癌の再発があり、皆様に大変ご心配いただいたプロデューサーで共に監督を務める伊藤茂利の病状につきましては、抗がん剤治療中ではありますが、おかげさまで今のところ落ち着いております。
暑い毎日ですが、皆様もくれぐれもお体を大切になさってくださいませ。
アオギリに託された想いを伝えていく作品となるよう、スタッフ一同全力を尽くしてまいります。
ドキュメンタリー映画『いのちの音色』
🍀ご支援のお願い
https://musevoice.com/inochi/goods-2/
引き続き、皆さまのご支援・ご協力を何卒宜しくお願い申し上げます。