2023年05月04日
ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!「山形県映画センターの故宮澤啓さんを偲びながら…」
今では世界でも知られるようになった「山形国際ドキュメンタリー映画祭」。その立ち上げから最も大変であったであろう12年を支えた故宮澤啓さんは、その後、山形県映画センターとして山形県内の各地に足を運んで上映運動を作り上げ、福島県、宮城県にまで活動域を広げておられました(2018年9月9日、63歳でご逝去されました)。
宮澤さんは真の映画人魂を持った方でしたが、単に映画が好きだということだけではなく、人類の未来、地球の未来を見据えながら、地域から文化を発信し、歴史に裏打ちされた人間の営みとしての息吹が息づいている地方の生活を大切にしながら世界と繋がることで、山形の未来を考え守ろうとされていたのではないかと思います。
かれこれ10年前、さまざまな地域で自主上映活動をされている方々が集う場でお話しさせていただいたく機会をいただき、映画づくりに託す私自身の想いを語らせていただきました。
当時私は、初の映画制作で途方もなく大変な荒波の中に揉まれすぎて心がボロボロでした。そんな時、宮澤さんが、「上映活動の原点を思い起こさせてくれました。もっと謙虚に一生懸命に取り組んで応援したいと思います」と、言葉をかけてくださいました。
その道を何十年も歩まれてきた大先輩からの誠実で純粋で優しさに溢れる言葉に、それまで必死に戦い続けてきた自分の心がほぐれていく感覚を覚えました。
その時、宮澤さんが山形県映画センターの方で、若い頃から映画の上映普及活動に夢を託されてきた方だと知りました。
その後、山形や宮城などでの映画やライブで宮澤さんに大変お世話になりました。
そして2017年、共に映画づくりをしてくれたしげ兄(伊藤茂利)が緊急入院して癌の告知を受けた際、宮澤さんからの優しさに溢れたお手紙が届きました。しげ兄と同じ年齢の宮澤さんも、山形国際ドキュメンタリー映画祭を形づくるまでに体を壊された経緯があり、なので親身になってしげ兄の病状を心配してくださいました。
宮澤さんが亡くなる5日前の2018年9月4日、第49回山形県生協大会で「いのちの音色」ライブをさせていただくことになり、私たちは山形入りしていました。台風の接近する中、600人以上がご来場くださり、ライブを終えて山形から新潟に向かう電車の中で、暴風のため電車が動かなくなり、風に揺られながらしばらく待機していました。
山形でライブさせていただけることになったのも、宮澤さんが私たちの映画と共にライブ活動を応援してくださっていたからだと思います。しげ兄が、宮澤さんにお礼のお電話をかけると、近くのコープのお店に行った時に私たちの写真がのったポスターを見たよと言ってとても喜んでくださいました。しげ兄が最後に「宮澤さんもくれぐれもお体を大切になさってください」と言って電話を切った、その5日後…宮澤さんが亡くなってしまうなんて…。訃報を受けた時、あまりの驚きとショックで言葉がありませんでした。
現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』でも撮影でご協力いただきました。
作品を見ていただけないことが残念でなりませんが、完成に向けて精一杯がんばりたいと思います。
コロナ禍やしげ兄(伊藤)の癌の再発と度重なる体調不良や資金難もあり、宮澤さんにもすすめていただいていた山形国際ドキュメンタリー映画祭などへの作品の応募締め切りには間に合いそうもありませんが、小さな映画づくりは、制作者自らの上映活動への熱い想いがなければ上映活動は広がりません。ですので、まずは心から納得いく作品となるよう最後までもがきながらつくりあげていこうと思います。
昨日より、ドキュメンタリー映画『いのちの音色』の東北編の編集に入りました。
心から尊敬する宮澤啓さんを偲びながら…
ドキュメンタリーとは何かについて、日々発見のある毎日が続いています。
いのちの音色🍀公式HP
https://musevoice.com/inochi/