2023年05月26日

「真実を求める知恵が、平和をつくる大きな力になる」

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映画『いのちの音色』制作で
映像を見ている時間が長くなり
視力がどんどん落ちて
ぼやけて霞んで見えなくなり、
目の限界を感じながらの毎日。

テレビなどの映像はなるべく
見ないようにしていましたが、
先日のG7広島サミットで
広島の平和資料館を訪れた
ゼレンスキー大統領の言葉に
まばたきもできないほど
画面を凝視してしまった。

原爆投下後の広島の写真を見たゼレンスキー 大統領が、
ウクライナと重なって見えると語っていた。

それでも停戦ではなく
更なる武器供与が話し合われる中で
これからさらに多くの
ウクライナ市民や両国の兵士の命が
犠牲となっていくことを思う時…
いたたまれない思いになる。

先の戦争において
日本各地への無差別攻撃による空襲や
沖縄戦、そして広島・長崎…

被爆者や戦争体験者の方々の
言葉が思い起こされ
声なきいのちの叫びがリフレインし
体中が苦しくなる。

意図的であれ偶発的であれ
核兵器が使用される危険性が
これ程までに高まっている中で、
先制使用禁止にさえ至れず
核抑止論による安全保障神話を
いつまでも持ち続けながら
分断と憎悪を深め、
命と環境と経済を破壊し続け
更なる武器供与と軍拡に向かった先にあるものは…


絶望しそうになる時
いつも思い出すのは
アオギリの語り部と呼ばれた
今は亡き被爆者の
沼田鈴子さんの言葉。

「平和の原点は、相手の痛みのわかる心を持つ人間であること
そして、真実を求める知恵が、平和をつくる大きな力になる」


小さくて微力であっても
世界中の人々の幸せを
祈りながら、
残されたいのちの中で
自分にできることを
ただひたすら続けていこうと心に誓う。

posted by ぷらっとハッピー日記 at 20:38| 東京 ☀| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月20日

『いのちの音色』山形県の鶴岡第二中学校に育つ被爆アオギリ2世

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山形県の鶴岡第二中学校には
被爆アオギリ2世が
寒さに負けず元気に育っていました。

山形県・鶴岡での
2015年の上映後、
鶴岡市立鶴岡第二中学校合唱部の皆さんが
合唱してくださった「アオギリにたくして」

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素晴らしい歌声から
平和を愛する心が
伝わってきました♬

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お世話になった
鶴岡実行委員会の皆様、
合唱部の皆様、
今は亡き、山形映画センターの宮澤啓さんに
改めて心より感謝申し上げます。

🍀ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!
公式HP https://musevoice.com/inochi/

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2023年05月19日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!「山梨英和高校で元気に育つ被爆アオギリ2世」

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歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝えるライブ活動や
映画『アオギリにたくして』『かけはし』
そして、現在制作中の『いのちの音色』などでも
大変お世話になった「甲府YWCA」の皆様に
改めて心より深く感謝申し上げます。


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2010年8月に開催された
甲府YWCA第28回原爆絵画展にて
ライブさせていただいた際にお渡しした
被爆アオギリ2世が山梨英和高校に植樹され
元気に大きく育っていました。

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甲府YWCAの皆様の
平和を願う深い想いに
お会いするたび
勇気と希望をいただきます。

改めて心より深く感謝申し上げます。
またお会いできる日を楽しみにしています。

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🎬️ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中「世界の若者たちと共に考え、本音で語り合い、平和づくりをしていく場を!」

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立命館アジア太平洋大学の留学生がご参加くださり、
別府市国際交流事業として別府ブルーバード劇場にて
映画『アオギリにたくして』上映と
意見交流会が開催された時の映像を編集中です。

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世界の若者たちが
共に考え、本音で語り合い
平和づくりをしていく場が
広がっていくことを心から願っています。

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改めて素晴らしい企画をしてくださった
皆様に心より感謝申し上げます。
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2023年05月18日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!気持ちを書き留めながら…


まだまだ制作中ではありますが
大切で素敵な、みんなの思いのいっぱいつまった
作品となる手応えを感じながら
ドキュメンタリー映画『いのちの音色』を編集中です。

皆さんに読んでいただくために
という余裕もないまま…
制作中のその時々に自分が受け止めた気持ちを
書き留めるために
ブログを更新しながらの日々です。

大変な日々が続きますが
笑顔を忘れず、心に平和を抱きながら
完成に向けて1日1日、
最後まであきらめずに
できるところまで
みんなで進んでいきたいと思います。

🍀ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!
 https://musevoice.com/inochi/
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ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中:「岩佐幹三さんの言葉」

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『いのちの音色』の撮影でもお世話になった
日本被団協の元代表委員で金沢大名誉教授の岩佐幹三さん(享年91才)
(2020年9月7日、膵臓がんのためご逝去されました)

2011年には大江健三郎さんらと発起人となり
「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」
を結成して代表理事を務め、
2016年には当時のオバマ米大統領の
広島訪問に立ち会われました。

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原爆が広島に投下された時、岩佐さんは16歳でした。
お父様はすでに病死され、原爆でお母様とたった一人の妹を失いました。

爆心地から1.2キロだった自宅の家の下敷きになって動くこともできず…原爆の火に焼かれるお母様を置き去りにしたことや、学徒動員で出たまま戻らない妹をいくら探し回っても見つけることができなかったこと、そして自分が軍国少年であったことなどへの様々な思いを抱えながら生きてこられた岩佐さん。

「いろんな考えを積み重ねながら生きてきました。
被爆体験を話せないことはないが
 淡々と話しているんですね

 親がくよくよしない子どもに
 育ててくれたと言ってきたんですけど…

 違うんだな… 」


岩佐さんの言葉に
心の奥底にある計り知れない
深い悲しみを感じます。


「被爆者という人間はいない。
 皆さんと同じ普通の人間が、
 被爆者という運命を背負わされたのです。

 核兵器というものは、
 人間に一生涯、原爆の被害というものを
 背負わさせるんだということをわかってほしい。

 皆さん方がいつヒバクシャ になるかわからないということを、
 そういう自分の問題として考えていただいて、
 核兵器廃絶の運動を高めていただきたい」

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被爆者運動をリードし
戦争も核兵器もない世界の実現に向けて
生涯尽くされた岩佐幹三さん。

「沼田鈴子さんも自らと戦い続けてきた。
 語れる人も… 語れない人も…
 自らと戦い続けてきたんです」

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石川県・金沢に呼んでいただき
岩佐さんと初めてお会いしたのは20代でした。
今振り返ると想像力が及ばず、受け止めきれていないことがいっぱいあった自分が思い返されます。

あれから40年近くたつ今になって
初めて感じる新たな気持ちと出会います。
きっと今だって、わかっていないことがたくさんあるのだろうと思いながら‥‥

戦争や被爆体験のない我々ではありますが
被爆者の方々の想いを
少しでも伝えていける作品をつくっていけるよう
全力を尽くしてまいりたいと思います。

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 🎬ドキュメンタリー映画『いのちの音色』
https://musevoice.com/inochi/

posted by ぷらっとハッピー日記 at 03:36| 東京 ☀| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!「北海道の苫小牧市で元気に育つ被爆アオギリ2世」

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苫小牧市は、北海道内で唯一
非核平和に特化した条例として
「苫小牧市非核平和都市条例」を制定しています。

2002年、非核平和都市条例制定を記念して開催された平和祈念講演会では、アオギリの語り部と呼ばれた沼田鈴子さんの講演が行われました。またそれ以前にも、苫小牧の市民の方々が沼田さんの講演会を開催し、平和の輪が広がっていったそうです。

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▼被爆アオギリ2世 @苫小牧のサンガ―デン(図書館&植物園)
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苫小牧市戦後70年特別事業として開催された講演会では
ギタリストのしげ兄さんと共に、講演とライブをさせていただきました。

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北海道・苫小牧で出会った松本昌恵さんは
「知らないことも罪なんだよ」
とテレビ番組で沼田さんが語っていた言葉を聞いて
金槌で頭を殴られたような衝撃を受けたと言います。

戦争は過去のことと自分の中で蓋をし
こどもたちに何も伝えてこなかったことに気づき
その後、沼田さんと長年に渡る交流をされてきました。

沼田さんが送った松本さんへの手紙には、
「私は常に生き生きとした雑草として、気負わず、太陽に向かって根付いて生きようとしています。
あなたも可愛い雑草になってくださいね…」
と書かれていました。

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🎬『いのちの音色』公式HP

https://musevoice.com/





posted by ぷらっとハッピー日記 at 00:20| 東京 ☀| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月17日

5/25 ドキュメンタリー映画『かけはし』Zoomオンライン上映会!

国を超えた心の繋がりが 平和の礎となるよう願いながら
ミューズの里では『かけはし』上映活動をロングランで開催しています🎥

5/25 ドキュメンタリー映画 『かけはし』Zoom上映&交流会
Zoomオンライン上映会(第1章+第2章)

2023年5月25日(木)19:00〜21:30
◎上映後には、映画にご出演くださったスヒョンさんのお母様のシンユンチャンさんと、スヒョンさんが通っていた東京の赤門会日本語学校の新井理事長がご挨拶くださいます。皆様のご参加をお待ちしています。

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ドキュメンタリー映画『かけはし』は、JR新大久保駅(東京都・新宿区)で2001年1月26日、ホームから転落した男性を救おうとして日本人カメラマンと共に亡くなった韓国人の日本語学校生、イ スヒョン(李秀賢)さん(当時26歳)の足跡や遺志をたどったドキュメンタリー映画です。作品は2部構成となっています。第一部(42分)では、息子スヒョンさんが亡くなった後のご両親の留学生支援などの活動や心の変遷を記録。第二部(53分)では、日韓国交正常化50周年に来日した韓国の大学生たちの草の根交流を追っています。

🍀かけはし公式HP https://kakehashi-movie.net

タイムスケジュール
ドキュメンタリー映画『かけはし』上映会

・18:45〜 オンライン受付開始(マイクをミュートにしてご入室ください)
・19:00〜製作者からの挨拶
・19:05〜 映画『かけはし』第1章:42分 + 第2章:53分(95分)
・20:40〜21:20ご出演者との交流タイム(ご自由にご参加ください)

🍀お申し込みは下記URLのPeatixサイトへ
https://kakehashi-2023-5-25.peatix.com/

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2023年05月16日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!金森俊朗さんの言葉:「共感」とは、心に人を住まわせることである。その心に定員はない


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「共感」とは、
心に人を住まわせることである。
その心に定員はない。

教育界のみならず
医療や福祉など
日本だけでなく世界からも
注目を集めた「いのちの授業」
で知られる故金森俊朗さんの言葉です。

金森俊朗さんは、2020年3月に
73歳でご逝去されました。

映像を編集しながら…
金森さんの深い優しさが
画面からあふれてきます。

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金森先生が送ってくださった
大きく育った石川県金沢の
被爆アオギリ二世と金森先生のお写真を見ながら
がんばっています!
posted by ぷらっとハッピー日記 at 04:16| 東京 ☀| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月15日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!画家 吉野誠さんの旧満州での体験「戦争の加害と被害を見つめながら…」

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映画『アオギリにたくして』ではチーフ助監督を務めてくださり、現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』の撮影や編集でも大変世話になっている中根克さんとプロデューサーで音楽監督の伊藤茂利と共に広島在住の画家・吉野誠さんのご自宅に3人で撮影にお伺いした時の映像を見ながらこれまでを振り返っています。

1933年に吉野誠さんは広島の農家に
生まれ育ちました(現在の庄原市西城町)。
戦時下にあった当時は食糧難で
「満州に行けば幸せに暮らせる」
との宣伝を信じて1944年に
家族7人で開拓団に加わり旧満州に渡りました。
吉野さんが11才の時だったそうです。

開拓団という言葉に、
荒れ野を開墾するのだと思って大陸に渡った吉野さん一家でしたが、
実際はわずかなお金で農地を奪って居座らざるない現実が待っていました。
「兵士が武器を突きつけるように
 農具を現地の人々に突きつけて
 土地を奪いました」
吉野さんはアルミ板で自ら制作した作品を指差し
「そこにいる少年は私なんです」
と語りました。

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1945年の8月に入ると
旧ソ連が参戦し、
15日に敗戦を迎えました。

1か月前の7月に
病死した吉野さんのお母さんは
満洲に来るべきではなかった、
悪いことをしてきたので
戦争に負けたら
きっと仕返しされるだろう
と心配しながら亡くなっていきました。

日本への帰国の機会を待つ中で
食べ物はなくなり
いつ死ぬかわからない日々が続きました。
冷下30度の寒さ、チフスにコレラ…
報復による襲撃
旧ソ連軍による略奪や暴行

12才の少年だった吉野さんは
目の前で女性が暴行され
その場で3人の女性が
舌を噛み切って死んでいく姿を見ました。

姉を守るために
旧ソ連の兵士たちに抵抗した祖母は
銃剣で何度も頭を殴られて頭や顔が変形し
3日間苦しみながら亡くなりました。

自殺した方が楽になる…
そう考えていた時、
夜空に浮かぶ
世界に一つしかない月の中に
広島の友人の姿が浮かび上がり
「早く帰ってこい」
と声が聞こえてきました。

国民学校時代の友だちや
一緒に遊んだ最上川
遠足で登った山が映し出され
「自殺なんかしちゃいけない
ちゃんと生きて帰ろう」と心に誓い
1946年7月に吉野さんは
父ときょうだいの5人で引き揚げてきました。

苦学しながらも1日も休まず通った高等学校時代に
美術の先生がおっしゃった
「戦時中は、命を投げ出すことが美とされた。
 それは、間違いだったんだ。
 芸術は命を表現することなんだよ。
 絵画は平面に、彫刻は立体で、文学は文字で、音楽は音で、命を表現しているんだ」
という言葉に深く感動した吉野さんは
絵の道を志し、東京の武蔵美術大へと進みました。

広島県内の公立中学校で美術教諭として
平和教育にも力を注ぎながら
自由美術展などを舞台に活躍されてきました。

吉野さんの絵画によく用いられている白や灰色は、
死者の骨の色をイメージしています。
作品に描かれている破られた紙は、
紙切れのように粗末にされた命をあらわしています。

アルミアートの創作でも知られている吉野さんは
捨てられた缶に旧満州で命を落とした開拓民の姿を重ねながら
生きるか死ぬかの日々の中で見た
夜空に浮かぶ輝く月の光を
アルミ板の光とも重ねて制作しています。

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吉野さんはアオギリの語り部と呼ばれた
広島の被爆者・故沼田鈴子さんと共に
マレーシア、中国、韓国など
アジアの国々への慰霊の旅をされ、
戦争の中の加害と被害を見つめ続けてきた方でもあります。

丸木美術館(埼玉県東松山市)の
正面外壁の大きな木彫レリーフ「いのちの叫び」は
広島県廿日市中の全校生徒(約340人)が、
1972年から吉野さんの指導のもと制作されました。
74年11月に丸木位里さんが同校を訪れ
贈呈式が開催されたのだそうです。

われわれも映画『いのちの音色』完成までに
もう一度こどもたちの作品を拝見しに
丸木美術館を訪れたいと思っています。

吉野さんのズボンのポケットには
いつも瓶の蓋が入っています。
近所で喧嘩している子どもたちがいた時に
これが役立つのだと言います。
「蓋を片目につけて
 笑かしたり手品をしていると
 喧嘩をやめて、自然に笑顔になるんよ」

平和づくりに大切なのは
「笑顔」と「ユーモア」
「笑顔とユーモアの絶えないところに争いなし」
沼田さんがよく言っていたそうです。

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東京から慌ただしく取材に訪れた我々を
あたたかく迎え入れてくださった吉野さんに
改めて心より感謝申し上げます。
その後、スタッフの病やコロナ禍など
長くお会いできないままでしたが、
近くまた広島を訪れたいと思っています。

現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』を
この夏までに作り上げたいと思いながらの日々ですが
これまで10年間以上に渡る
一つ一つの映像が
深く、重く、大切で
まだまだ時間がかかりそうです。

形にできるよう日々精一杯
努力を積み重ねて参ります。


▼公式HP
ドキュメンタリー映画『いのちの音色』

https://musevoice.com/inochi/
 
posted by ぷらっとハッピー日記 at 13:49| 東京 ☔| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月13日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!「被爆者の心に寄り添って生きた 故伊藤直子さんを偲びながら…」

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被爆者の方々の心に寄り添いながら
生涯を送られた故伊藤直子さん。

伊藤直子さんの映像を何度も見直しながら
その言葉に込められているたくさんの想いが
今改めてより一層感じられます。

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自分の苦しみを世界中の誰にもさせたくないと願う
被爆者のメッセージを海外で伝えた時、
「なぜそんなにも被爆者は優しくなれるのか?」
という質問を受けたことがあります。

理想論で言っているのではなく
生き地獄を見た被爆者の方々が
苦しみの果てにたどり着いた
現実的なこたえでもある核廃絶への思い。

その想いの中にある
人間としての深い優しさは
どのようにつくり出されていったのだろう。

映像を何度も見直しながら
その答えが、伊藤直子さんと岩佐幹三さんの姿の中から
伝わってくる思いがしました。

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伊藤直子さんとアオギリ.jpg
▲石川県・金沢にて(2015年)

今もしお会いできるなら
お二人にもっともっと聞きたいことが
たくさんあります…。

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』を制作しながら
現在まだ800時間のデーターを100分にまとめる
編集の真っ只中ですが…日々考えさせられる毎日が続いています。
posted by ぷらっとハッピー日記 at 14:50| 東京 ☔| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月09日

ご支援をいただき心より感謝申し上げます。


現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』に
新たな募金をいただきました。

◉ 萩野哲哉 様
◉ 天野達志 様
◉ MJ春眠猫 様
◉ 小池崇子 様
◉ Vocal unit foo 様

心より御礼申し上げます(会計担当:石塚佐和子)

皆様のお名前を下記「いのちの音色」公式HPに掲載させていただきました。
改めて心より深く感謝申し上げます。

いのちの音色 公式HP
https://musevoice.com/inochi/

ご支援のお願いについて
https://musevoice.com/inochi/goods-2/
引き続き、完成に向けて皆様のご支援を何卒よろしくお願い申し上げます🙏



posted by ぷらっとハッピー日記 at 10:03| 東京 ☀| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年05月06日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!「映画づくりの合間に、ふと思うこと」


第3作目となるドキュメンタリー映画『いのちの音色』を制作中です。


今は共に映画づくりをしてきた
伊藤と私しか出来ない作業の真っ只中で
約800時間のデーターを3時間にまとめる作業中です。

これまでの映画づくりでも
大変お世話になってきた中根プロダクションの中根監督に
ご指導いただきながらの日々が続いています。

BURST22の高明さんと山本優子さんに大変お世話になり、
倉本和人さん、柴田誠さん、渡川修一さん、升田規裕さんにお力添えいただきながら一歩一歩進んできました。
皆様に心より深く感謝申し上げます。

まだまだ完成までに時間がかかりますが
全力を尽くしてまいります。

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膨大なデーターに埋れながら、
体を休めるために目を閉じると
ふと幼い頃の思い出が蘇ります。

何ごとにおいても
人よりずいぶん遅れている私は、
作詞・作曲や歌を始めたのも30代後半で、映画づくりを始めたのは40代後半でした。

人間の本質について
わかり始めてきたのも
生きるか死ぬかを
何度も突きつけられるほど大変な
映画づくりをはじめてからで、
つい最近のことです。

自分が自分であること以外
何にも属していない感覚で生きてきた私は
体の中のエンジンが自然と動き出し
心から大切だと思うこと以外は
無頓着に生きてきました。

独立独歩で生きてきたのは
強いからではなく、
小さな頃から超引っ込み思案で
人間の集団や組織にあまり馴染めなかったからなのかもしれません。

小さな頃は、
辛いことや悲しいことがあると
自宅の目の前に広がる山をテクテク一人で歩いて
森の中を通り抜け、田んぼの畦道を歩いた先に出てくる
自分だけのお気に入りの場所で
しばらく風に吹かれながら
心の波風が去るのを待っていました。

幼い頃の私にとって
友だちは、蝶々や昆虫、草花や野良猫たちで、
学校から帰るとクモの巣に引っかかっている
蝶々やトンボなどを助けることや
アリの観察に忙しい日々で
人間の友だちと遊んでいる時間はあまりありませんでした。

ふと、大人になってから
あのクモはどうしていたんだろう?
と思うことがあります。

クモにとって私は
とても迷惑な存在だったことでしょう。

小学校5年生だったある日
いつものように山の見回りをしていると
羽が傷つき飛べなくなった蝶々と
弱っているカマキリを見つけました。

その日、私は夕方から出かけなければならず
時間があまりなかったので、
緊急処置として大きな段ボール箱の中に
保護した蝶々とカマキリを入れて出かけました。

家に戻り、急いで箱を覗くと
なんと…カマキリが蝶々の頭を食べてしまっていました。
その時の衝撃は、今も体のどこかに残っています。

カマキリが蝶々を食べることを知らず
一緒の箱に入れてしまったために
せっかく命を救うために保護した蝶々の命まで奪ってしまったのです。

心から良かれと思って一生懸命やったことであっても
結果として、自分の思いとは裏腹に
命をも傷つけてしまうことさえ起きうることを
その時に痛感しました。

大人になるにつれ、
知識や経験が少しずつ増えていっても
「本当は分からない」
という感覚をつねに忘れずに
自分の物差しだけで相手をはかることなく
生きていたいと思っています。

最も小さな存在であるからこそ
見えることがあります。

アオギリの語り部と呼ばれた
沼田鈴子さんが、
「小さなことから始めてね」
とおっしゃっていたことには
とても意味があると感じます。

映画づくりにおいても
ライブや上映活動についても
その感覚を大切にしながら
生きていきたいと思います。

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公式HP https://musevoice.com/inochi/

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2023年05月04日

ドキュメンタリー映画『いのちの音色』制作中〜!「山形県映画センターの故宮澤啓さんを偲びながら…」

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今では世界でも知られるようになった「山形国際ドキュメンタリー映画祭」。その立ち上げから最も大変であったであろう12年を支えた故宮澤啓さんは、その後、山形県映画センターとして山形県内の各地に足を運んで上映運動を作り上げ、福島県、宮城県にまで活動域を広げておられました(2018年9月9日、63歳でご逝去されました)。

宮澤さんは真の映画人魂を持った方でしたが、単に映画が好きだということだけではなく、人類の未来、地球の未来を見据えながら、地域から文化を発信し、歴史に裏打ちされた人間の営みとしての息吹が息づいている地方の生活を大切にしながら世界と繋がることで、山形の未来を考え守ろうとされていたのではないかと思います。


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山形の映画館にて.jpg


かれこれ10年前、さまざまな地域で自主上映活動をされている方々が集う場でお話しさせていただいたく機会をいただき、映画づくりに託す私自身の想いを語らせていただきました。

当時私は、初の映画制作で途方もなく大変な荒波の中に揉まれすぎて心がボロボロでした。そんな時、宮澤さんが、「上映活動の原点を思い起こさせてくれました。もっと謙虚に一生懸命に取り組んで応援したいと思います」と、言葉をかけてくださいました。

その道を何十年も歩まれてきた大先輩からの誠実で純粋で優しさに溢れる言葉に、それまで必死に戦い続けてきた自分の心がほぐれていく感覚を覚えました。

その時、宮澤さんが山形県映画センターの方で、若い頃から映画の上映普及活動に夢を託されてきた方だと知りました。


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その後、山形や宮城などでの映画やライブで宮澤さんに大変お世話になりました。

そして2017年、共に映画づくりをしてくれたしげ兄(伊藤茂利)が緊急入院して癌の告知を受けた際、宮澤さんからの優しさに溢れたお手紙が届きました。しげ兄と同じ年齢の宮澤さんも、山形国際ドキュメンタリー映画祭を形づくるまでに体を壊された経緯があり、なので親身になってしげ兄の病状を心配してくださいました。

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宮澤さんが亡くなる5日前の2018年9月4日、第49回山形県生協大会で「いのちの音色」ライブをさせていただくことになり、私たちは山形入りしていました。台風の接近する中、600人以上がご来場くださり、ライブを終えて山形から新潟に向かう電車の中で、暴風のため電車が動かなくなり、風に揺られながらしばらく待機していました。

山形でライブさせていただけることになったのも、宮澤さんが私たちの映画と共にライブ活動を応援してくださっていたからだと思います。しげ兄が、宮澤さんにお礼のお電話をかけると、近くのコープのお店に行った時に私たちの写真がのったポスターを見たよと言ってとても喜んでくださいました。しげ兄が最後に「宮澤さんもくれぐれもお体を大切になさってください」と言って電話を切った、その5日後…宮澤さんが亡くなってしまうなんて…。訃報を受けた時、あまりの驚きとショックで言葉がありませんでした。

現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』でも撮影でご協力いただきました。
作品を見ていただけないことが残念でなりませんが、完成に向けて精一杯がんばりたいと思います。

コロナ禍やしげ兄(伊藤)の癌の再発と度重なる体調不良や資金難もあり、宮澤さんにもすすめていただいていた山形国際ドキュメンタリー映画祭などへの作品の応募締め切りには間に合いそうもありませんが、小さな映画づくりは、制作者自らの上映活動への熱い想いがなければ上映活動は広がりません。ですので、まずは心から納得いく作品となるよう最後までもがきながらつくりあげていこうと思います。


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昨日より、ドキュメンタリー映画『いのちの音色』の東北編の編集に入りました。

心から尊敬する宮澤啓さんを偲びながら…
ドキュメンタリーとは何かについて、日々発見のある毎日が続いています。

いのちの音色🍀公式HP
https://musevoice.com/inochi/
posted by ぷらっとハッピー日記 at 23:45| 東京 ☀| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする