
2008年8月6日、新宿御苑の友人のお店で、
初めての歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝えるライブを行いました。
その時にご来場くださった大川須美さんが、このライブ活動を広めてくださり、
アオギリの語り部と言われた被爆者の沼田鈴子さんからいただいた資料を譲り受け、
その後の映画を生み出すきっかけをつくってくださいました。
高知で生まれ育った大川さんの女学生時代は戦時中で、
学校はまるで工場のようだったそうです。

大川さんのクラスでは、
編成風に乗せてアメリカへ飛ばす
風船爆弾づくりのために
くる日もくる日も
厚い和紙を貼り合わせて
大きな紙の風船をつくる作業をしなければならず
勉強どころではなかったそうです。
B-29の爆撃機により、
大川さんの生まれ育った高知市も終戦の1か月前に爆撃を受け、
市街の大部分が焼け野原になり
学校も大川さんの家も失われました。
現在制作中のドキュメンタリー映画『いのちの音色』で
大川さん共に訪れた明治大学の登戸研究所資料館での映像を見ながら
これまでを振り返っています。
ずっと昔の話ではなく、
自分の親や祖父母の世代の時代に起きたことを
あまりにも知らないまま大人になった私は
戦争時代を生きてきた方々の心に
どれほどの想像力を持って
接してくることができていただろう…
コロナ禍の2020年、
大川さんはご逝去されました。
このドキュメンタリーを制作中に
何人もの方が既になくなっています。
託された想いをどう伝えていったらいいのか…
悲しみにくれながらの
編集作業がまだまだ続いています。
🍀ドキュメンタリー映画『いのちの音色』
https://musevoice.com/inochi/