2023年04月13日
映画『いのちの音色』この夏の完成を目指して♪
歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える
『いのちの音色』公演の中から、
第一回JASRAC音楽文化賞を受賞した
映画『アオギリにたくして』が生まれ
日本全国での上映をロングランで続けています。
そして今、この夏の完成を目指して
映画『アオギリにたくして』に続く
ドキュメンタリー映画『いのちの音色』の制作中です。
最後の追い込みに向けて、
ここからしばらく
制作にどっぷりと入り込んでいきながらの日々が続きます。
ドキュメンタリー映画『いのちの音色』は、
1000回ライブを目指して2008年にスタートした
日本全国ライブ行脚の中で、希望と平和の種を蒔く人々の姿に感動し
カメラを回し始めたことからスタートしました。
広島平和記念公園の被爆アオギリの木の下で
修学旅行生や世界の人々に体験を語り、
アオギリの語り部と呼ばれた被爆者の沼田鈴子さんと
広島ライブで再会したのは2009年のことでした。
東京に戻ると、沼田さんから
アオギリの小さな苗が届きました。
広島の被爆アオギリのお孫さんにあたる3世の苗でした。
小さな可愛い苗を見ながら
口ずさんでつくった歌を
沼田さんにプレゼントしました。
「アオギリにたくして」という歌でした。
『いのちの音色』1000回ライブ達成を応援してくださっていた沼田鈴子さん。
「元気になったら、アオギリの木の下で一緒に歌おうね」
それが沼田さんとの交わした最後の言葉になりました。
2011年3月11日に起きた東日本大震災の4カ月後
被災地の子どもたちのことを案じながら、
沼田さんは永眠されました。
2013年に劇場公開した初プロデュース劇映画『アオギリにたくして』では、
冒頭シーンに、病院から抜け出した沼田鈴子役の田中節子が
街角の大型テレビで3・11のニュースを見つめる様子を描いていますが、
『アオギリにたくして』に続く『いのちの音色』では、
あの時のいてもたってもいられない思いを伝えてくださった
沼田さんの映像からスタートしていく予定です。
初めて沼田鈴子さんと出会ったのは1986年のことでした。沼田さんが被爆体験を語り始めるきっかけとなった10フィート運動によってつくられ、アメリカン・フィルムフェスティバル1984年度ブルーリボン賞受賞した原爆映画『にんげんをかえせ』やアニメ『ピカドン』等を、アメリカの学校や教会で上映し日本文化紹介を行う民間外交プロジェクトに参加し、一年間に渡る米国上映行脚の渡米前に、持参する映画に出演されているヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々とお会いする機会をいただきました。そして、その中のお一人が沼田鈴子さんでした。
あれから、37年という月日が流れました。
「体験のない世代が 次世代に語り継ぐヒロシマ・ナガサキ。過去と未来をつなぐ今を生きる私たちに 出来ることは何だろう…」
それは、沼田鈴子さんはじめ被爆者の方々と出会った37年前からずっと繰り返し自分の心に問いかけていることでもあります。
核兵器なき世界を願う被爆者の方々の祈りを胸に、夏の完成を目指します。
ドキュメンタリー映画『いのちの音色』を観てくださる方々の心に、希望と平和の種が蒔かれていく作品となるよう全力を尽くします。
皆様のご支援をよろしくお願い申し上げます。
◆撮影形態:ビデオデータ撮影
◆公開形態:DLP Blue Ray公開
◆上映時間:約90分(予定)
◆完成・公開:2023年夏・秋(予定)
◆日本全国各地・海外上映を目指します。
制作・公開に向けて資金が不足しております。
皆様のご支援・ご協力を何卒よろしくお願い申し上げます。
映画『いのちの音色』公式HP
🍀ご支援のお願い
https://musevoice.com/inochi/