3.11から12年…。
震災によって犠牲になられた方々のご冥福と共に、1日も早く復興が実現するよう心よりお祈りいたします。
あの日…
私は、東京のオフィスにいました。ものすごい揺れを感じた瞬間、部屋の電気が切れ、
急いで外に飛び出すと、大地が左右に大きく揺れていました。大変な規模の地震が起きたことを知りました。
最寄りの駅へと向かうと、道路の信号が全て消えている中で、車が慎重に走っていました。駅の周りは人だかりができていて、銀行以外の店の電気が全て消えているように見えました。周りのコンビニの商品は、すでにほとんどなくなっていました。
3.11の何日か後、以前から予定されていた被爆者の沼田鈴子さんの撮影のため、広島へと向かいました。前年の2010年秋に米国ワシントンの(財)カーネギー地球物理学研究所で行った被爆アオギリ2世の植樹とライブのご報告をするためでした。
沼田さんはベットの上に横たわりながら、いつものように満面の笑みで迎えてくださいました。アメリカに植樹された被爆アオギリについて熱心にお話を聞いてくださった後、リクエストをいただき、沼田さんの87才のお誕生日に捧げた歌「アオギリにたくして」を口ずさむと涙されながら聞いてくださり、演奏が終わると被災地の方々のことを案じながら語り始めました。

これまでずっと心配していたことが、とうとう起きてしまったことへの憤りと共に被災地の子どもたちのことをとても案じながら、いてもたってもいられない思いが、ひしひしと伝わってきました…。
今制作しているドキュメンタリー
映画『いのちの音色』は、この時に同行取材されていた石塚淳子さんが撮影した映像からスタートしていきます。
3.11の4ヶ月後、沼田さんはご逝去されました。
沼田さんが亡くなられた日、ライブで広島入りしていた私とギタリストのしげ兄(伊藤)は、お世話になっている広島の立花ご夫妻のご配慮で、葬儀の前に、最後のお別れの時間をいただきました。
涙が止まらず放心状態の私に、「里ちゃん「アオギリにたくして」を歌ってあげたら…」と奥様のみっちゃんが優しく声をかけてくださいましたが、いろんな思いが体の奥から込み上げてきて、歌うこともできませんでした…
その時のどうしようもない深い悲しみは、その後に初プロデュースし2013年夏に劇場公開した
映画『アオギリにたくして』をつくり出す原動力となりました。
映画の冒頭には、福島の子どもたちを心配して病院から抜け出し、街中の野外大型ディスプレイで被災地の人々を案じる沼田さん役の主人公(田中節子)の姿が描かれています。女性記者が福島を訪れるシーンでは、東日本大震災から2年後の3.11に福島でロケを行わせていただき、地震発生時の14時46分に出演者とスタッフ全員で祈りを捧げ、撮影後には、ロケ現場に被爆アオギリ2世の植樹をさせていただきました。

東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から12年…
そして「アオギリの語り部」と呼ばれた広島の被爆者・沼田鈴子さんが亡くなってから12年という月日が流れました。
これまでの12年を振り返りながら…そして自分にとっての原点となる被爆者の方々との出会いをいただいた若き日を思い返しながら…
今日からより一層集中して、
ドキュメンタリー映画『いのちの音色』に向き合っていこうと思います。
残された人生をどう生きるべきか、自問自答しながら、この度の第3作目に取り組んでまいります。
posted by ぷらっとハッピー日記 at 12:25| 東京 ☀|
映画『いのちの音色』制作中!
|

|